015-1坂西\安芸郡四町\広島県onCovid

ワクチンの熱が引いたら旅立とう

安芸郡編各地域位置図
坂西矢野海田府中矢賀・牛田中山・戸坂仁保

何次か忘れたけれど、目出度く緊急事態宣言下のシルバーウィークです。
 良ゐ子は広島市から出てはいけない。でもそれでまたダラダラ過ごすのも、体がなまる。
「どこか近くへ行きたい」という近場訪問企画をやってたテレビがあった。その路線で行くなら、以前から考えてきた企画がありました。普通ならもったいなくてやらないんだけど、広島市から出ずに歩く、という今回の条件にはまさにうってつけ。
島湾東半分、埋め立てで閉じ込められているはずの旧海岸線を歩く、という企画です。──海域アジア的にも面白いし、実際、考えても見なかった風景が見えてくることになりました。他の県の方々にはローカル過ぎるけれども………そんなこと言ってる場合じゃない!!緊急事態宣言下だぞ!?
 ならステイホームしろって??うん、まあ、そこはねえ。ははははは………ということで出発!
弘化3(1847)年肥後海中のアマビエさん

日夕方17時に、Covidワクチン一回目接種。17時半には発熱、18時頃に37.8度まで行った後急速に低下、19時には36度代に戻る。よく聞く接種場所の痛みは夜に少しあった程度。
 関係あるのかどうか、腹がどうも痛みだす。15時頃には臍下の刺すような痛みになる。全く飯を喰う気にならない。便秘のような症状と思い、下剤2錠を飲み朝までに流す。夕方腹に手かざしして3時間ほど寝ると痛みは消えたけれど、今もまだ鈍痛は残る。ただ食欲はどうにも湧かない。げっぷはよく出るけれど胃痛も吐き気もない。
 まあ歩くには支障がなさそうで、気力には欠けるけれど知力と体力に問題はない。
 やはりmRNAワクチン体験というのは……なかなかのものである。そういう状況下での歩きでした。どうだどうだ?

~(m–)m 本編の行程 m(–m)~

安芸郡坂町の駅に降りて

へ。1315、坂駅東の丸子踏切を東へ渡る。パルティフジ向かい。
 ad坂西一丁目6。山際の路地へ。南向きの小さな祠、記名なし。山裾に墓地。
 祠裏に古びた石垣。1320。

1321坂西一丁目の石垣

折北行。1324坂駅東、ad一丁目10。
 1326、豊田内科医院前で少し下りになる。総じて坂駅-パルティのラインは、低い丘状らしい。
坂駅の北北西ライン

芸郡沿岸部の地勢は、概ねこの南南東-北北西の峰が海に没入している感じです。
 このライン群が狭い平地を点在させ、古くは浦々を、今は呉線各駅の周辺街を生み出してます。
呉線 広島-呉間路線図
1329分岐する階段道

靜かなる西林寺掲示板

柱に「頭部ルート 森条口 300m先右折」と右手への矢印表示。東に切通しが見える。
──坂町HPによると、ここから頭風(ずぶう)みはらし公園の尾根部まで登れたらしい。

頭部(ずぶう)・水尻ルート マップ(頭部部分)〔後掲坂町/頭部・水尻ルート 〕

れどこの時は右折東行を選択しました。1331。
 右手から覆いかぶさるような街路樹。
1332坂西一丁目14の緩斜道

通しは岩肌が見え、やや古い。基部に彼岸花。
 ad一丁目14。緩く登り始めた。右への緩やかな湾曲は、地形に沿ったものでしょう。
1336

西林寺掲示板」と時計のあるベンチ。1337。
──西林寺はこの地点から500mほど南東の寺(→GM.∶地点)ですけど、集落全体が檀家なのでしょうか。
 法句「宝の山に入りて 手を空しくして 帰ることなかれ」と表示あり。
1339清々しい休憩所「西林寺掲示板」

の危険区域図あり。この図中、この位置の字は「亀迫」と記されていました。
 もちろん何にヒットするわけじゃないけれど、何か壮厳な感じを受ける木陰だったのでした。
1341「西林寺掲示板」の暗がりを振り返って

旦僅かに下る。1344。
 森条口の矢印が右を指すけれど直進……いや、森浜住民協倉庫から山手の道を行くことに。ad一丁目20。
 一気に登りに。北にサンスターホール(→GM.∶地点)。
──後日、この山手部の地理院地図を確認してみますと……

坂西山手の蟻の巣道

坂西一丁目山手の小路

──なくともこんな蟻の巣のような配置の道は、ワシは見たことなかったです。パターンが全く読めません。でも等高線には絶妙な沿い方をしてる。間違いなく古い区画ですけど、どういう経緯ならこの道が残るのでしょう?

349。平坦になった。山裾の家屋群、一部古いものもある。
 空地に古井戸一つ。1351」──と当時は割とのどかに歩いてるんですけどね……。
1351坂西をちょっと遠望

352、車道を跨ぎそのまま直進。跨ぐと二丁目になった。ad3。
 前方に竹林の山。左から回ろう。並走する車道側を進む。
1358山手の集落を行く

──直、どこを歩いたのか正確にはよく分かりません。
 1356、竹林にぶつかりT字。右手へ。
 掠れたピンクの花ばな。
1400山手の家並を仰ぎ見て

1キロ余なのに暴れ川

4時を回りました。GM.の位置情報を取得すると、次の目標に据えてた荒神社は北の川向こうらしい。
「総頭川」(そうずがわ)とある。
──先の「頭部」(ずぶう)といい、「頭」、あるいはその相当音が何か意味を持つのでしょうか?

総頭川(色別標高図)〔後掲国土数値情報河川データセット〕※赤文字:引用者追記

級河川、全長1.2km、流域4.7k㎡の小さな川〔wiki/総頭川〕です。にも関わらず、最下流、おそらく近世以降の埋立部は水害の多発エリアです。



 八幡神社の秋祭を告げる掲示板で左折。
 1403、総頭川にでる。まだ工事中でした。ad二丁目7。

荒神社と北への路地

1409坂東・荒神社

事地図にある迂回路を辿り、荒神橋らしき橋を渡る。正面右手に荒神社。1406。
 ここはad坂東四丁目3?川で東西が別れてるらしい。
1411荒神社本殿の広間

イレがない!……のは致命的でしたけど、かなり古色な社です。
 脇の社は皆無。完全に一基のみで・周囲の筆もここを避けた四角を辿ってます。
 しかもなぜか北を向いてます。
 その北正面へ進むことに。1414。
1415荒神社から北への路地

と──この道は途切れてました。
 どういう配置なんだろう?引き返して下る。
1416荒神社から北への路地の行き止まり手前

明43水塞碑 46人

421、彼岸花三丁目11。
 1431、サンスター・ホールまで行き着き、ようやくトイレを借りる。ふう〜ッ!
 嘗めてました……公園にも神社にも便所がないし、公民館やJAは閉まってるし、ここだけの話……修繕後の川には降りれないしで。
 1458。東一丁目12 八幡山八幡神社。明43水塞(?)碑あり、死者46人。──つまり死者のなかった平30より悲惨な水害が、20C初年に起こったばかりであると記録されてました。
 側溝に沿うS字の連続。1504。

1505側溝に沿うS字

るりと坂駅北側に回り込む格好で駅に戻りました。
 予想よりはるかに刺激的な道行きになりました。これは……退屈どころか忙殺されそうな予感、を初めて感じた初日だったのでした。