目録

平成三十年付けの「御先祝女神墓」をダミーと見て、さらに金満御嶽の奥へ。
階段上で猫が見張る右脇階段を登りますと……。
あった。1025、金満御嶽。

手前に南山拝所?──なぜ中山のド真ん中に?
手前香炉4つ。一つに「下之御嶽」の文字。
ただ……この祠の拝む方向は、北だと思います。南山拝みならなぜ北を向くのでしょう?

奥に、さらに香炉二つ。
一つに「上沢岻之殿」とある。さっきの「下」と対になってます。
斜めにさらに一つ、「金満王滑」読める文字。※案内板によると「王骨」か?
右手に読みにくいけれど案内板。
公芳嶽と敷地天続城、沢岻部落の創設者である沢岻世主の御出立した拝所と住居跡である此の敷地は(略)此の敷地に安置した嶽々は次の通りである。
公芳嶽、天続嶽、王骨、先火の神、ツボウカー、ショウジガー
昭和四十七年九月吉日浦添市学沢岻(個人名)〔案内板〕
つまり「上沢岻之殿」が、「沢岻世主」が住んだ根屋であるらしい。


天続々女神とは、
「天続」は意味不明でしたけど──後に後掲追跡アマミキヨ〔2024〕が「語り部」の曰くとして、「琉球祖先宝鑑」(昭和8年刊、慶留間知徳・著)に載る沢岻世主の「長女 天続首大神」だと推定されていました。

なぜ南山で大里なのか?
右手に「七増田之拝所」。この前はやや複雑な配置だけれど香炉は計九つ。
正面の祠には「大里城番□」とあります。──ええっ!大里??

先の南山拝み祠といい、突飛ながら……やはり南山と関わるのでしょうか?
「・天孫氏は天孫三世とされる沢岻世之主の先祖にあたる。
・沢岻世之主の父親は今帰仁按司、祖父は北山大按司、曾祖父は天帝子(免武登能太祖) とされ北山系で今帰仁は故郷とも言える。
・伊平屋は金満按司とその妹の公芳が一時期住んでいた場所。
・明東 (ミントン) はアマミキヨとシネリキヨが久高島から渡り住み始めた聖地で、沢岻はシネリキヨ系の子孫とも伝わっている。」(天孫氏・伊平屋については後掲画像参照)

九つの中一つに、「城」と一文字だけある香炉あり。

更に!「天孫氏世伊平屋」の文字もはっきりある香炉。
解説は、村中の拝所をここに集めて維持したという偉業を誇る内容でしたけど……だと考えてもなおさらに分からない。
何なんだ、この途方もない場所は?

最奥の左手奥9香炉が元々の信仰の中心と──通例なら考えるべきでしょう。それならば、天孫たる大里勢力、つまり尚巴志からの第一尚氏を拝んでいます。
なのに南山も拝む。
※ 上記kazuさん(2022)の推定が正しいなら、血筋としては北山系とも言う。
そんな拝みをした人々は、どういう立場の集団であり得るのでしょう?
とても答えに近づく間もなく……すごすごと離脱。
カムジャタン&沖縄風消毒液
GM.(経路)
1051高架でR330を越えて……パイプライン。左折か?
1055、古島。右折しとこう。
1101、安謝交差点を左折。

1120宮良そば那覇店
赤骨汁(カムジャタン風)500
宮良そばの、こちらの店は初めてでした。でもカムジャタン??──でもメニューには「감차탕」とハングル文字まで書いてあります。
余程感化されたのか、那覇出店時に目玉を要求されたのか、その辺が嫌で来てなかったんだけど……今回はそういうアレンジだからこそどうしても食べたくなってたのです。
だってオリエンタル食堂の骨だって明らかに北部土着のものじゃないでしょう?この「骨」という料理は、邪道と言えば全てが邪道です。
ただ……ほとんどの客が骨です。本店とは客層が違うみたい。場所がホテル内、しかも辻ですからね。

ホテルからの出口に消毒液の「沖縄風」というのがあった。どうせならそっちに、と観光客気分で手にドバっと吹きかけると──ムオンと満ちるは泡盛臭。
おい。バイクこれから返却するのに……ポリに捕まったら限りなく危険なのはもちろん、バイク屋も危なく思うのでは?その辺、どうよ沖縄風って?
国際通りからとまりん ぱっぺーた
1246バイクを返し、古波蔵からバスで最も近い開南へ。と思ったら……?
なぜか牧志駅前で降りれました。ラッキー。
国際通りで雑多なお買い物の後、スタバでアメリカーノ。一度は……ということでしたけど、修学旅行が山ほど来てるらしくて……。

一応一度だけ国際通りを通ってみるけど……やはり、もう何も感じないなあ。今回のひねくれた行程からすると、「観光地沖縄」はもう刺激に欠けます。──ましてや、観光地じゃない沖縄が、観光地のすく隣にあるんだから。
とか知った気分で歩き出しだけど……1450。リブマックスは那覇市街地に2軒もあったのかあ!予約したのは県庁近くの方で──それならゆいレールで県庁前へ行くのだったあ!
という、何とも素人っぽい間違いの結果、とまりん前からR58をあと1km歩く……ので、その前にとうとう一服してしまいました。


11554、久米二丁目到着。ふーい。
流石に30分休みまして──でも今日はもうひと歩きして、那覇湊の名残りを確認しなきゃならんのです。1627、リブマックスから西へ東横インまでまず動く。
いつも邪魔に思ってた三角地。
ここが久米大門跡です。
ちゃんと名前の札が、by「久米1丁目自治会」で掲げてありますけど……良いのか?

案内板から気になる部分だけ。
3 天尊廟・天妃廟
天尊廟は、現世の邪悪を絶滅して衆生を救助する「九天応元雷声普化天尊」(くてんおうげんらいせいふかてんそん)という道教の神を祀る廟。創建年は不明だが、中国渡来人が浮島に住み着いた際に建立したと伝えられる。〔案内板〕
あんまり認知してなかったけと……波の上の天妃は、天尊廟でもあるらしい。
2 浮島を結ぶ道(橋)─長虹堤(ちょうこうてい)と泉崎橋(いずみざきばし)
(略)泉崎橋は、泉崎と久米の間に架けられた石橋。当初は木橋(築造年不明)であったが、1717年に石橋に改められた。この界隈は泉崎や真和志方面から那覇に入る交通の要衝で、明治から昭和にかけて、橋のたもとである孔子廟の前は人力車の待合い場所となっていた。沖縄戦で破壊されたが、1958年元の場所より100mほど下流に再建された。〔案内板〕
この孔子廟の位置は驚いたことにまさに、この日のリブマックスの建物でした。


久米大門の三角地より
とするとこの三角地の二つの岩は、向きからして大門の基部で、この三角地はそれを守るための緑地なのでしょうか?

二つの岩に脚を踏ん張った大門を想像しますと──その正面に方向はまっすぐ現・市役所を向きます。
うちなんちゅ、というか久米三十六姓の嗜好からして……故意てある可能性も高いと思います。

1652。道を渡りGRGホテル側を進む。上下天妃の東側海岸、ここが荷揚げ場だったはずです。
路地を覗こうとどうしようと、古い飲み屋が多い……という他には痕跡は全くない。

泉崎橋と顔見世の白昼夢
以下、ネット上にあった泉崎橋の画・写真を4枚。橋そのものはそんなに鮮明(実証的)ではありませんけど、橋界隈の空気感の想像を形成してはくれます。
ここは確かに、久米の「シマ」の南口の水辺だったのです。




ad.東町9で右折西行。ここが顔見世(後掲kazu2019参照)の位置に該当するんですけど──東町北公園、というまどろこっしい場所。でもこれは、地名の固着度によるもので、要は永く生き継がれた土地なのです。
那覇市庁舎から250m離れた久茂地川 (くもじがわ) のほとりには那覇役所跡がある。案内板によると、琉球王国時代には那覇四町 (なはゆまち) [東村、西村、若桜町村、泉崎村]を統括する顔見世が役所としてこの地にあった。明治12年の琉球処分で沖縄県となった時に、久米村、久茂地村、泊村も含めて7町を統括する顔見世役所となり、翌年那覇役所と改名された。明治26年に那覇役所が (この後訪問するのだが) 東村の天使館跡に移転し、ここは戦争で焼け野原になるまでは琉球新報の印刷所としての(ママ)使われた。〔後掲kazu2019〕

全く特色のない公園。ただ、やや大きな樹木がある。根元を窺うけれど祠はない。
一応ここから元・下天妃とされる東町郵便局に歩く。やはり特筆するものなし。
上天妃門扉石垣 末の華

1709、上天妃の石垣を確認する。
やはり精緻な切込積です。──考えたことなかったけど、これは古琉球的ではなく、薩摩以降の日本武家屋敷の石垣です。それが中国式の中にうまく取り込めてる、とは言えます。

──以上はかなり浅い理解。後でもう少し勉強すると、「相方積」(日本国内では亀甲積)という〔wiki/石垣の積み方〕、切込積のうちでも最末期(江戸後期)のもの。
石門に続く石垣は、その積み方が御物城(オモノグスク)〈那覇軍港内〉や読谷村の座喜味城(ざきみグスク)の石垣に似ており、布積みからあいかた積みが用いられるようになるころのものと考えられている。〔後掲那覇市観光資源データベース/上天妃宮跡の石門〕
「連続した面の組み合わさった線形は安定的で石の硬質感を感じさせない柔らかなリズム感」〔後掲風景結々〕が特徴。風景結々は「沖縄独自の工法」としてます。
ただそうなると、この石垣は、石垣文化の最末期、18C頃のものという可能性が濃くなります。つまり、決して古くも、純琉球的でもないみたい。

上天妃裏には鉄の暴風痕
北側学校側の工事はあらかた竣工したようです。何か出たのでしょうか?


土地活用的にですけど、三角地周辺以南は、それ以北の飲み屋街と打って変わってホテル、駐車場その他大建物が多い。不動産活用を怜悧に行って、結果として外資を誘致する運用傾向が、露骨な所有者層がいるとも想像できます。

ということで、また大汗をかきました。
ミリオンのルートビア500mlをもう一本。
パレットくもじを凝視の孔子様

一応さっきの孔子廟跡を見ると──ああ、この像はそういうことか!ただいま再建中でした。しかも、何と四日後に竣工。主催は「一般社団法人 久米崇聖会」とある。……でもこの状態だとほとんどみんな、もう見てるけどね。

裏手はかなり掘り返して、まだ四日後にはできそうもないのに──ああ、9/28は台湾の教師節、つまり伝・孔子のお誕生日でした。沖縄に孔子、つまり久米三十六姓の文明のシンボルがついに帰ってきたぞ、と多少無理してでも公にしたいらしい。
孔子様の視線の先を撮影。1730。帰る。

斯くして──夕方の久米歩きはやや不完全燃焼に終わりました。この燻ぶりは、次回の御物城見物行で再燃することとなりました。

※御物城跡(→GM.)
でも今回はこれで打止めにて。ただ──色々と満載な回でしたので、蛇足ばかりまとめてもう一章設けてます。すみません。

〉〉〉〉〉参考資料
/Okinawa 沖縄の旅 Day 10 (11/08/19) Fukushuen 福州園
2019.08.12 03:47
URL:https://search.yahoo.co.jp/amp/s/amp.amebaownd.com/posts/6748486%3Fusqp%3Dmq331AQGsAEggAID
/Okinawa 沖縄 2022.02.11 10:01 #2 Day 164 (10/02/22) 旧浦添間切 (1) Takushi Hamlet 沢岻集落
URL:https://search.yahoo.co.jp/amp/s/amp.amebaownd.com/posts/32271079%3Fusqp%3Dmq331AQGsAEggAID
(QAB)QAB NEWS Headline 天妃小学校で不発弾 子どもたちに影響も
URL: https://www.qab.co.jp/news/20180814105467.html
(うによ)宇仁義和; 当山昌直; 岸本弘人 2014「R.C.アンドリュースが1910年に撮影した那覇の写真」『沖縄史料編集紀要』(37): p69-84
PDF URL:https://nodaiweb.university.jp/muse/unisan/files/uni_etal_2014_Okinawa.pdf
(おきなわけ)沖縄県教育委員会 琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ/歴代宝案訳注本 1-41-04 琉球国王より暹羅国あて、達古是等を遣わして速やかな交易を請う咨(一四六四、八、九)
URL=https://ryuoki-archive.jp/ryu-detail/?id=2553
(すいこ)酔古ざつがく 那覇 泉崎橋
URL:https://geo.d51498.com/kikuuj/zatugaku/izumi/izumi.htm
(たびら)石の積み方でわかる時代の変遷|中城城跡では、琉球のグスクで見られる3種類の石積み技法をすべて見ることができる | たびらい
URL:https://www.tabirai.net/s/sightseeing/column/0003440.aspx
(ついせ)追跡アマミキヨ 2024-08-31 20:06/琉球玉依姫〈32〉ヒミコの別名
URL:https://mintun.exblog.jp/242926662/
(なはし)那覇市観光資源データベース
/上天妃宮跡の石門 URL:https://www.naha-contentsdb.jp/spot/410
/沢岻親方の墓 史跡 URL=https://www.naha-contentsdb.jp/spot/686
(はいほ)ハイホーの沖縄散歩=那覇地区=真珠道(まだまみち) URL=https://sanpo.ifdef.jp/naha/madama.html
(ふうけ)風景結々~沖縄らしい風景づくりポータルサイト~ あいかた積み | おきなわ景観素材データベース
URL:https://www.fukei-okinawa.jp/database/00011489/
(めいじ)明治大学/生田情報メディアサービス おもろさうし原文 URL=https://www.isc.meiji.ac.jp/~meikodai/datebasa/omorosaushi.txt

