外伝09♪~θ(^1^ )HK-File10:広東粥

▲明苑粥麺 皮蛋痩肉粥

 皮蛋痩肉粥。
 広東粥の代表選手の一人であり,わしが一番惚れてる広東粥です。
 皮蛋(ピータン)って,日本の中華料理屋では豆腐と一緒に出てきたりするアレ。白身が黒く透けて,黄身はグロいオレンジ色に変化して…あんなになるまで発酵させてんだから,本場のは日本でのアレより遥かに臭い【→File03漢方系参照】。豆腐と合わせたら大変な味になる。
 一方の痩肉は,鶏肉のセセリの事が多い。漢語としては「脂肪が少ない」って意味らしい。つまり赤身の肉の総称。脂身のことは「肥肉」と言う。
 この両者のマリアージュって,聞くと何かあんまりピンと来ないんだけど…発酵臭と臭み肉を掛け合わせても,もっと臭くなるだけに思えるのに,これが素晴らしい!
 台湾で,口内炎抱えた状態で仕方なく買ってみたのが馴れ初めだけど,今じゃすっかりジャンキー。でも日本じゃまだお目にかかったことがないんだよな。

 マカオ2日目の朝,セナド広場脇。
 明苑粥麺って店が賑わってたんで入ってみました。
 おお!やっぱあるじゃないか!!
皮蛋痩肉粥 21パタカ
 湯麺,バン麺,炒粉麺がよく出てる。7割位か?メニュートップは浄黒椒雲呑25パタカ。でもここは――わし的には迷いなく広東粥!
 店内,ほぼ満席。夜もこんなだった。隣すぐの黄枝記と並ぶほどの混雑ぶり。黄枝記は日本人観光客だらけで,中国人もその手が多い様子だったけど,ここはもちろん地元客だらけ。両者の店の群が微妙にズレてるのかもしれん。
 一口。
 …劇的なお粥。
 一口で,米の香りが口いっぱいに拡散する。甘さが尾を引くコシヒカリ系の日本米じゃなく,薫り高い台湾米系の米の香り。
 その後ろにある複雑な出汁のようなものがこの米の味を引き出してるようなんだけど,皮蛋とせせり肉の他に,どうもカニ臭いものが微量に入ってるみたい。これが絶妙の薄さで尾を引く。しばらく口を離れない尾の引き方。米粒の形がほとんど見えない位煮込んだこの形状がそうさせるのか?
 衝撃的な旨さでした。やはり本場!しかもこの細やかな味わいは…広東の味覚センスの凄まじさに既に脱帽です。

▲生記粥品専家 魚[月南]魚球粥,香鮮魚餅

 香港初日,上還[田/華]街へ。
 マカオでアレなら香港ならどんなスゴいことになってんだ?
 入ったのは,歩き方にあった生記粥品専家。お粥の専門店って看板。日本じゃ経営成り立たんだろが,その後の見聞では,香港で粥品専家や麺粥専家を名乗る店は多い。粥のステイタス,まるで違う。
 店内は狭く,奇妙に不規則に奥へ伸びる。壁向きのカウンター席と,相席の4人掛け程度の丸テーブルのみ,計20席というところ。常連の個人客がほとんどみたい。
 壁に貼り出された粥の種類は30種以上。どれ一つとして分からない。
魚[月南]魚球粥 35HK$
香鮮魚餅 10HK$
を注文した。理由は非常に複雑で筆舌に尽くしがたいが,あえて一言で言うならば,勘だ。もう一言言うなら,何とか読めたからだ。
 来たものを見ると,魚[月南]は魚肉そのもの,魚球はツミレ,魚餅はお好み焼きみたいなもんでした。魚は何なんだろ?上品な味わいの白身魚で,多分台湾でも出回ってたアレだと思う。アレってのは…アレですよアレ!名前忘れた…。
 ツミレのシコシコした歯ごたえがたまらん!アレから出た薄く繊細なダシと米の絡み合いも官能的!この島って,こんなに細やかな味覚センスなんやなあ!とか感激はしたんですけど,やっぱ初体験でよく理解できんかったとです。
☆一見大変いい加減なレポートに見せながらも,旅人のダイレクトな感覚を的確に伝えている点が評価される。[審査員長:宮部みゆき評]

▲妹記粥品 馳名及第粥

 先ほどは宮部先生から及第点を頂き恐縮でございますが,次に食ったのは及第粥。
 中国語を学んでいない読者のために解説すると,読みは「カッダイジョッ」である。意味は,豚のモツ鍋。…って粥じゃないのかよ!?ソレで合ってんのか?
 ここは旺角,花園街熟食中心。市場ビルの3階(日本的には4階)の一角,妹記粥品。
 こんな庶民派一直線なシチュエーションだけど,観光客も来るんだろか?それとも経営努力の空振りか?この店のメニューは全品和訳付き。例えば注文した2品は
「馳名及第粥 21
(カッダイジョッ:豚のモツ鍋)
生魚皮 15
(サソユーベイ:ボラの皮)」
って書いてあったわけだで,だからもちろん「及第」が何なのか全然分からんので,そもそもカッタイジョって北京語読みじゃないし,やっぱり何か微妙に間違ってる和訳だと思うし。
 じゃあ?結局,カッタイジョは何だあ?
 それは…。
 ふっ。食った者にしか分からない,秘密の味なのさ。(完)

ではあまりに内向的なエンディングなんで,はい,ゴメンナサイ,そろそろ真面目にやります。
 まろやかな粥です。
 具からそんなに出汁が出てるわけじゃなく,具材そのもので食わせる感じ。
 モツも美味いが,極めて薄く上品。およそ「モツ鍋」なんて表現は似つかわしくないぞ,訳した知らない人!
 特筆すべきは肉丸(ミートボール)。全く食ったことのない独特の爽やかさのある,斬新な味覚。何かの香菜が入ってるか煮染ませてあるんだろけど,肉のすり身と味も歯ごたえも完全に一体化して全く分からない。
 これらナイーヴな味覚の素材が,ただ一緒に碗に入ってますよ,ってだけ。料理としてはシンプルなんよ。けど,その潔さが逆に凄みを感じさせる。
 こんな粥ってあるのか!!
 とゆーか,粥ってこんなにダンディな食い物やったんか!
 秘制肉丸粥21HK$ってのもあった。さらに変わった製法してるとしたら…何が出るんだ,これ以上?
 魚皮は,瀬戸内海ではよく食う味だったけど,それだけにクオリティが理解できた。まさにプリプリ,味も蛋白に極めて上質。何で?漁場としては瀬戸内海が香港近海に負けるはずはない。食材の選別眼?
 総合して,ここのメシ,素材の揃え方が何かしら特別なんだと思う。ただ,それが「すッ凄い!」と分かるのが精一杯。わしにはハイレベル過ぎた味覚みたい。
 降参!

▲[弓爾]敦粥麺家 生菜魚丸粥+鮮[魚完]魚片

 最終日,出国を数時間後に控えた午前11時過ぎ。
 佐敦に帰ってまだほんの少し時間が余った。
 ホテルのすぐ北のブロックにある,前から気になってたお粥屋でシメることにしました。
 意外な客の数に驚く。そんなに狭い店じゃない。テーブル席,円卓席,合わせて40席ほどがほぼ満席。中途半端な時間にめ関わらず,地元の常連客中心っぽいにも関わらず…どうなってんだ?
 [弓爾]敦粥麺家。ネイザンロードの名前をかぶせただけの飾り気のないネーミング。
 注文。
生菜魚丸粥 28HK$
鮮[魚完]魚片 25HK$
 生菜はレタス。レタスをわざわざ熱い粥に入れる?けど,鹿児島ラーメンで,キャベツを軽く茹でて野菜味をまとわせるよな技法もある。何をして来るのか期待して試してみました。
 碗が来る。
 え,コレ?
 野菜らしき緑の帯が数条泳いではいるけど,どう見ても…白粥?
 匙を口に運んでも,うっかりすると,ホントに白粥のように感じられる。
 あ。でも違う。
 微妙な,非常に微妙な,出汁の存在に気づかされてきた。
 形状を留めない米の味覚と,本当に一体化してる。ギリギリ気付くことが出来る程度の,ごく淡い,広東的なまろやかさを極限まで出したよな出汁が,既に米にがっしり染み込んでるらしい。
 この味覚の周波数域に舌がチューニングされると,他の食材も味わいとれてきた。
 燻製と蒲鉾の中間みたいな魚丸のしっかりした魚肉味。ひらひら泳いでるレタスからも,やはりごく淡い野菜のエグミが粥の中に拡散してきてる。
 それだけでも夢見るよなまろやかさの粥の水面を,その拡散する淡白な味覚の波紋が,幾重にも重なり合って寄せて,味蕾の岸を柔らかに刺激する様は――。
 やっと広東の味覚の音感域が幻視できた気がする。
 後で調べてみたらこの[弓爾]敦,粥の店としては香港最古かもと言われる店らしい。歴史に磨き抜かれた繊細さ。とゆーより讃えるべきは,ここまで繊細な味覚を育んでいける香港人の味覚センス!
 粥以外にも魚皮が有名らしいけど,既に売り切れてた。みんなが頼んでるのは生片ってのみたい。なんでついでにオーダーしちゃったコレ,一見刺身。
 生姜と,恐らくワケギだろうか?上に薬味がたっぷりかかってる。
 とりあえず,醤油をかけずに一口頂いてみる。すると?
 ──刺身じゃない!
 あえて言えば,カルパッチョなんである!ゴマ油だと思うけど,ごく僅か,丁度よく絡めてある香油が,上の香菜とともに生魚の切れ身,はまちに似た白身魚だけど,この刺身をよりプリプリとした食感に変えてる。
 しかし――中華世界では大抵刺身ってヒドいのが出た!って話しか聞いたことがないぞ?なのに最後に突然駒が出たわけで,わしの日頃の誠実な言動の賜物…んなわけないか。
 この香港って土地には――最後の一食までガクガクに翻弄されっぱなし!

 日本国内で,舌が最も繊細な土地は京都,と以前は思ってた。
 今現在は――全国一千万人の京都フリークが目を剥きそうな発言をあえてすれば,松江だと思ってます。
 店の数や技術レベルでは大都市に適うはずもないあの小さな町。おそらく松江の舌ってのは,江戸期の城下町が形成される以前に磨かれていたからだと推測してます。
 蕎麦食によって。
 あの蕎麦って食材は,限りなく繊細だ。香り,穀物味,喉越し,歯触り。今のコンビニ食を食い慣れてたりすると,どれ一つとして味覚できないほどの繊細さ。
 言いたいのは――松江の舌にとっての蕎麦が,広東においては粥だったんじゃないかなあ…って仮説です。
 潮州の名産食材だった海産や山野の干物類を使い,おそらく大陸で最も出汁文化の豊穣だった広東だから,米食が入ってきた時,これでご飯を煮る食事の形態が作られた。この粥の繊細な味わいにチューニングされ,感度を高められた舌を持つ集団が,後に長江を越え,珠江を越えて南下してきた漢民族の料理に出会い,さらに英国の食文化に出会って,これを咀嚼してしまった上に出来上がったのが,今の広東食文化…なんちゃうかなあ?
 つまり,最初に粥食う舌ありき。
 これが香港の食の凄みを,今作りだしてるんじゃないか?証明も検証も出来んけど,そんな風に考えてますが,どう思われますか?