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アウグスツスブルク→リンツ→チェスキー・クロムロフ

▲リンツ駅待合室の電光表示。5行目に「C.Budejovice」。
この表示スタイルは,今のところ世界各国共通だから抵抗なく読める。これがタイムテーブルになると,欧米のダラダラ表示スタイルは,情報量は確かに多いんだが,日本人にはややとっつきにくい。

 漠然とだが,システムの触感が変わった。
 オーストリア・リンツを1時過ぎに発した列車 REX1934は,一路北上。14時45分,Horni Dvoristeという駅に入った。
「ほるに・どぼりすて」?
 道頓堀に放って捨ててまえ!!みたいな語感の違和感といい,駅名表示の形式の違いといい,線路の突然の複線化といい――恐らくチェコに入ったと思われる。
 ただ地勢としては,一時少し森が深まっただけで地勢にも何ら変化はない。独墺間もそうだったけど,この抵抗感のない国境越え,EUってシステムはやっぱ大したもんだ。
 けれど不気味なのは…線路の音に明らかな雑音が入ってきたこと。特にカーブではデカく響くみたい。そのせいか車速はどんどん遅くなる。
 線路も,なぜかやっぱり単線に戻った。この脈絡のなさが,共産官僚主義を感じさせる。
 牧地の整備もハッキリとレベルが落ちた。
 14時52分,どこかに止まったが駅名表示が見当たらなくて確認出来ず。Ribnykという文字がそうだったのかもしれんが,アレ何て読むんだ?
 さっき乗り込んできた女性3人が車内に響かせるお喋りは…どうもドイツ語じゃなくなったっぽい語調。イントネーションもだが,やはり語気が全く違う。濁音がやたら多い印象。
 右手にやや視界が開けた。牧地,まだらの牛数十頭。
 15時5分。駅名はPesemiceだと思う。駅舎が一気にみすぼらしくなり,駅名表示も1つしかない。
 覚悟する。どうやらチェコは,ドイツよりは遥かに気を引き締めてかかった方がよさそう。プラハの宿も取りにくいと聞くし。
 15時8分,Bujanov。…ブジャノブ?ちょっと日本人の名前みたい。
 15時12分,Omlenice。林の中の駅。
 土地利用が単調になった。
 検札の回数もやたら増える。ほぼ2駅毎くらいで来る。キセル対策か?…ってことは治安が悪い?
 15時19分,Kaplice。時間的にはさして遅れはない。
 駅脇にやっと道が見えるようになった。ただし,離合できないような細道。
 15時22分,駅名表示のない駅。小雨ちらつく。右手森の影に,灌木に囲まれた方形の貯水池。
 15時27分,Velesin。ホームに立ちつくす,つなぎのジーンズの男。その腕の中から,赤子が列車に手を降ってる。
 迷彩色の若い軍人数人,臨席に着席。他に乗車多数あり,にわかに賑わう車内。
 右手,チェコに入って初めてビルが見えてきた。が,すぐに途切れる。ホーム待合室にFreedomのスプレー文字。
 15時35分,Holkov。駅周りには,牧場の中に駅舎と3軒ほどの家屋あるのみ。
 15時40分,Chulmec。チュルメク?ここも森しかない駅。しかしこの混み方ってのは…みんなブディジョヴィチェへ向かう客か?そんなデカい街なのか?けど全然まだ畑と森だらけだぞ?
 15時42分,Kamenny ujezd。左手の高みにやや大きめの集落。
 15時46分,Kammeny ujzd。車速,にわかに上がる。車輪の音も現金なほど静かになった。頻用路線だから整備されてるってことだろう。
 15時49分,Vcelna。家屋の数は増えてきた。でも全然街っぽくないけど?
 15時51分,唐突に…左手に街並みが見えてきた。列車は,市街左手外周を大きく回り込みながら近づいきます。
 どうやら,着いたらしい。何とかなるもんだな。
 さて,当然まだチェココルナを持ってない。両替,最終目的地へのバス探し,宿確保,その後日暮れ前に少しは町を歩いとく時間をキープしたい。
 戦闘モード切替。
 16時近く,終点チェスキー・ブディジョヴィチェ到着。

 さて第一目的地のことです。
 ドイツ到着から約34時間,2つ国境をまたぐ強行軍で目指した町,それは,どこか?
 チェスキー・クルムロフ Cesky Krumlov。
 チェコ・南ボヘミア州の小都市。クルムロフは「川の湾曲部の湿地帯」,チェスキーは「ボヘミアの」を意味する。モラヴィアにあるモラヴスキー・クルムロフとは別の町だが,語源的には地名表示なわけです。1920年以前の古称はクルマウ・アン・デア・モルダウ,さらに古くは単にクルマウとされる。
 13世紀建設の世界遺産。
 旅行者間では「世界で一番美しい町」として知られます。
 前々からヨーロッパで一番行ってみたかったこの町が,今回のドイツから無理すれば行ける場所だって気付いてしまったがための今回のルートです。
 てことで16時15分,クルムロフ行きバスにギリギリ乗り込んだところです。ふう。
 下車から15分間。まずは駅構内にCDを見つけ,クレジットカードで2千チェココルナ(以下「kc」と略)をゲット。
 バス停らしきマークが示す方に歩くと,地下道をくぐる。駅左対面のマーキュリーってショッピングセンターにターミナルが入居してるらしい。3階まで駆け上がると,電光表示の発車時刻表。プラットフォーム1番らしいと見当をつけて探す。乗り込んでく客に「クロムロフ?」と確認すると頷いてたからきっとコレ。
 値段は分からんし,いずれにせよ小銭はないから千kc札を運ちゃんに差し出すと,苦笑しながらチケットをくれた。
 すぐ発車。
 バスで走る限り,ブディジョヴィチェ自体は酷く寂し気な街に見える。まさに社会主義国という風情。さっきのショッピングセンター,マーキュリーには思いがけず品が溢れてたが,まだ消費生活が一般化はしてないって段階か?
 車がヘッドライトをつけ始めた。5時間際にはクルムロフに入ると思うが…。小雨もちらつき始めた。この後のクロムロフ歩きを考えると状況は良くない。
 16時半,森の中を通過。街並みの中なんだが自然林も残ってる。
 で,線路を渡る?さっき列車で見たらしき沿線の景色です。集落を過ぎると牧場が広がり始める。
 また森に入る。緩い傾斜が続いてるようだ。
 ビシッと本格的な乗馬スタイルの女性が馬を引く姿。
 生活感ある大きめの教会。
 広い池のある公園。
 灌木下,雨宿りの女の服の赤。
 何となくチャチいハイウェイに乗る。チャチいと言えばこのバス自体,車速はかなり遅い。見かけはキレイなんだが…実に共産主義的らしい。
 溜池多数。
 畑の中にあるあの,樽みたいな白い塊は何だろう?大型カマンベールチーズに見える…のは空腹だからってだけ?
 16時45分,Dolniなる表示のバス停。左手には300戸はありそうな集落。ただしこの不自然さと各家屋の完璧な一様さから見て,官制住宅的っぽい臭いがする。国営農場の名残か?バス停脇にはスーパーみたいなのもあるから,ギリギリ生活は出来そうだけど。
 けれどこの大地――社会的な歪みとは別に,その先に左右に出現した,残照のマダラに差し込む曇天下の牧草地の広がりは――単純にかっこよかった。
 ただし,車外の荘厳さの一方で。バスの車内の音楽環境は…ムチャクチャ。勇ましい英語のハリウッド映画主題歌が流れたと思えばチェコ語のバラードが,分野ハチャメチャに流れてます。
 こ…このコンセプトはッ!どうやら,運ちゃんの好きな曲特集っぽいね。

 広い窪地にまばらな家並み。
 5時近く,バスは,もう間違いないチェスキークロムロフの盆地へゆるゆると下っていく。
 バス溜まりの広場みたいなとこに停車。全員が下車するからここに違いないんだが…。
 降りても分からん。クロムロフ市街はどっちだ?歴史的っぽい街が見当たらん。降車客も左右いずれもに流れてく。――クロムロフはこのターミナル側の新市街もかなり広いらしい。
 刻々に暗さ増す。小雨。
 高台のある方向へ歩こう。この20mほどの高みが旧市街との間にあるから見えてないとしか仮定しようがない。
 登り切ると――今度こそ,疑いようがなかった。
 チェスキー・クロムロフ。

▲バス停からの丘上から,ついに望めるチェスキー・クロムロフの街

 高台を下ると,旧市街南側の道路。それを渡った先には川が流れ,この川を渡った所が城門。川の向こう岸には城壁が伸びてます。
 城門をくぐると,とたんにズラリと石造りの家屋が並ぶ。互いにバラバラな構造と敷地の形で雑然と,けれどどこか調和を持って景観を形作ってる。
 壮観です。
 門を入ってすぐのパティオペンションを当たると,すんなり部屋が取れた。安い部屋を選ぶと,最上階の屋根裏みたいな部屋になった。天井が傾斜になってて,机の向こうに木枠の小窓。個人的には趣味である。優雅な住まい。
 宿は多そう。ツアー客用の大きな資本のホテルは主に郊外らしく,街中にはいかにもヨーロッパ客向けの,個人宅を改修した感じのペンションがほとんど。2泊目を選べと言われたら迷いそうなほど,どこも魅力的。
 いい宿である!いい宿だけに,あえて名前は伏す。言い換えると,なぜか忘れました…。

▲クルムロフの通りにて

 降り続く小雨を押して,古鎮に出る。
 城門から歩いて来た道の先へと進む。
 右手に小さな谷を見下ろす道になった。谷の下には大きめのホテル。その真上辺りに小さい公園があったんで,一服しながら歩き方の地図をチェックする。
 いかにも迷い易そうなこの道をちゃんと進めたなら,パティオ,橋,城と現れて来るはず。ここに谷があるってことは――。
 クルムロフの旧市街は,川を挟んで城エリアと市民の街エリアに分かれてることになる。
 つまり,街をすっぽり内包するイタリアや中国型の街じゃない。河辺の街がまず栄えて,そのそばに権力者が城を築いたパターン。
 鳥瞰したイメージだとこんな感じか。――街エリアはモルダウ川の蛇行部に建設され,今は流れの浸食でほとんど中洲になろうとしてる。蛇行部の対岸は元々崖で居住の用に供しにくかったけど,後世になって軍事的に再評価されて山城が造られ,その門前町が出来た。
 モルダウの浸食は進んでて,旧市街の中洲は自体,川面から高低差がある。今辿ってる道は,中洲の尾根とでも言うべきラインらしい。
 この道を,おそらく中洲の最高部まで進むと,細道から一気に広いパティオに出る。小学校の体育館程度の面積だけど,旧市街の筆並びの雑然さとの対照で際立つ。かなり初期に造られた広場のはずです。
 すると,このパティオから,橋へと下る広めの石畳の道が古いメインストリートか?モルダウの物質を港で荷揚げし,その荷をパティオの市で売ってたんだろう。
 パティオから坂道を降りきると細い橋。大河モルダウもこの上流部ではまだ30mほど。
 橋中央にキリストの十字架。
 ぐいっと見上げるクルムロフ城。

▲川の流れる谷底から見上げるクルムロフの城

 城側の道は,やや東にある城門まで続く。すなわち左手にクルムロフ城,右手にモルダウ川…という位置関係だけど,やはり3階建て位の家並みが両側を埋めるんで見えない。
 雨がますます強くなる。城門まで行って引き返したが。
 けれど,この街…なのかチェコという国なのか,単に古い,情緒ある街ってだけじゃない感触を覚え始める。→クルムロフの変なモノ写真集
 かなりセンスがいい。ふと覗き込んだカフェや居酒屋,それから個人宅の庭先が,ハッと目を洗うように美しい。観光客を間違いなく意識はしてるんだが,作り込み過ぎてはいない。アメリカや香港めいた目立てばいいというセンスと全く異質。極めて生真面目に,微妙なところで個性的な魅力を作り出そうとしてる。それは,古い時代の建造物そのものにも現れてるし,現代になって付与されたであろう造作にも言える。
 そして,その裏返しなんだろうが――よくよく見るとどれもが,何となく,ちょっとずつ,変なんである。センスが尖り過ぎて不可解なとこまで突っ走っちゃってる魅力というか…老舗の喫茶店みたいなガラパゴス的進化を遂げちゃってるというか。
 そうなると普通は街の光景から浮いてしまうんだろうが,それがチャンと馴染んでる。ヨーロッパの市民感覚の根っこを垣間見るような,個性と社会の絶妙な調和。
 翌朝,街角の石畳から突き出た二本指にギョッとすることになる…。

▲川にかかる橋上のキリスト像

 マジで夜になってきたが,元より商店が溢れてるよな街じゃない。慌てて晩飯を買い込んだ。
「Pekarstvi u preclicku」という看板のカフェみたいなとこ。袋には「Pekarna sanin」とあった。どうも語感に馴染めない。
Kureci bageta
Oblozene vejce
丸い棒
Dobra voda(水)
計100kc位
 なぜか持ってきてた先週の食い残しの
Iku farm pickle(高知県土佐郡土佐町相川 ピクルス屋いく農園)
を合わせ,宿で食う。→写真
 うう!?何て言えばいーんだ?
 パケットは,パン生地も日本並みなら中のコロッケみたいのも日本と全く同じ。
 ベジチェとされるカップも,ポテトサラダの出来損ないだなこりゃ。
 丸い棒は,回りがサクサクしてたが中は…まるでコロンを食べてるみたい。
 特筆すべきはイク農園のピクルス!ヌカみたいでチャンとピクルスしてる酸っぱさで…ってこれは高知県だけど。
 とゆーわけで見事にスカっちゃいました。
 一食目ながらどうも…チェコの食い物ってドイツのあの端正さとは全く一線を画してる…よな予感。プラハでチェコ料理をチャンと食べて判断してみようと思うけど…少なし…パンの国じゃないんじゃない?
 二兎を追っちゃってる予感。

§SixWord:ぐずぐずしゃべってるくらいなら,歌う。