▲研修所西十字路そばの庚申塚
目録
【初回】(研修2日目)
→行程(Googleマップ)
1704,研修所事務室で自転車を借りる。
貸出簿に記入。示された場所に行くと,多少古いけど電動付き。坂は難なく越えれそう。
1706,研修所の玄関を出て西へ。
すぐに十字路に出る。何の目印もないけれど,Googleマップにより南行。
東の道端に立派な──というか今から見ると明らかに不気味な──庚申塚が左手東端に現れた。あの閑静な研修所から直線距離で500mも離れてない地点です。
磯部温泉の表示も現れました。
その坂を登りきって,1708,T字に行き当たる。「嶺281」と住所表示。
▲嶺中組ゴミスティーション。「ステーションでは?」と突っ込んではいけないことになっている。
ところで?どこへ行こうとしてるかと言えば…
仮の目標は和菓子屋です。
でも本音は──地図上,研修所から南には見るからに迷路のような道がある。これを何とか抜けて,南の国道まで行き着いてみたくなったのである。
再びマップを睨んで右折西行を選択。少し細かい道行きになる。嶺公会堂前バス停を過ぎてから南西へ左折。嶺中組ゴミスティーションのY字でさらに左折南行。これでいいはずです。
道は一気に下る。後でマップを見直すと,この東西に小さな川が走ってて,谷状になってる。
人家は一挙に絶える。道行き中,一番心細くなった光景でした。地面を描く線が,まるで西日本とは違うんである。
▲南側の東西への帯状の谷
1716,studioEXの三叉路に至る。右折西行。
谷の南側に出たのだろう,この道から再び建物が増え人心地がしてきます。
1717「この先車両の通り抜けはできません 安中市」
とある十字路を道なりに南へ。右折,と言っていいのか,Y字が2つ重なったような道をとにかく道なりに行くと南行します。
公園。周囲は結構住宅地になってきました。
左手に太陽光発電スペース。
1720,再びT字路。というか,車道に合流した感じです。「㈱ユタカ」と表示が出てる側へ左折南行。
もうこれをそのまま走れば国道18号に直交するはずです。
1722,信号のある十字路。
東西の道が県道216号。結構な交通量です。
県道を渡りさらに南に進む。右手西端に「スナックきよか」。左手東端には「満福寺入口」バス停。運行会社はアークバス。これが初日に追い越した黄色いバスでしょう。
▲菓舗たむら
1725,「菓舗たむら」到達。
本日の一応の目的地です。
研修所から曲がりは計7つ。この初回でも記録しつつ地図に悩みつつで20分強,土地勘が出来たら10分でしょう。
ここは磯部温泉入口の十字路の北東角に当たるようです。
東隣はサンキというスーパー※。ここにはマルエドラッグ,ダイソーが付設されてます。
※ 後日,改めて中を窺うと家電量販店でした。
北西角には「うどんそば山田」と「食の駅ぐんま」。さらに西には「レストランニユーアルプス」,ドラッグストアの「ウェルシア」が見えております。郊外店舗の集積中心という色彩。
転じて南西角には「磯部温泉←温泉街」「温泉マーク発祥の地」※との看板。こちらはもろに温泉地の入口の風情です。
※wiki/温泉マーク には「磯部温泉発祥説」と「ドイツ発祥説」が併記
「たむら」は,高崎で濡れ煎餅に感激してから,安中界隈の和菓子店を探すとヒットしたもののうち,研修所に一番近かったところ。
ただそれだけだったんですけど,これがなかなかのものでした!
この初日は4種ほどを,出来るだけ分野を散らして最小量で購入。どら焼きやガレットも驚くほど端正に上質でしたけど,刮目したのは看板商品・磯部煎餅。
軽い!
「ウェハースだな」と言い捨てた人がいるほど,ポロポロです。けれど明らかに煎餅。濡れ煎餅とは全くの対極ですけど,軽快にして塩で締まったこの味覚は,確かに微妙ながら粉食文化※※の土地らしい独自性を垣間見せます。
「磯部煎餅」名の商品はたくさんあるようですけど,東のスーパー「ヤオコー」ではこの「たむら」のはないようでした。
※ 参照:菓舗たむらHP
※※ 参照:元 明和学園短期大学 野口泰子 ぐんまのおっきりこみと伝統食
なお,この「おっきりこみ」なるものも今回は謎のまま残りました。
国道18号を東行。
1751,セブンイレブン到達。車道南側。東に歩道橋。西にふく整骨院。かなり交通量あり。
帰路をとる。
歩道橋の交差点を北行。「安中市原市」と住所表示。
中学校があるらしい。
生徒が多数,東西南北へ道端を流れていきます。けれど都会の子どものようなはしゃぎ方はなく,静静と歩き挨拶までしてくる始末で,走行は極めてスムーズに行けました。
公立碓永病院を右手東方に見て通過。
碓永病院北交差点の信号をさらに北行?いや,ここで左折西行してみよう。県道125を西へ,これで研修所の玄関直行の道があるはずですが──。
▲八咫川を渡る。研修所玄関直行の侵入路の南側入口。
道は大胆にうねり,下っていく。下りきった先に小さな谷間が見えてきました。深みには川の流れもあるようです。これが八咫川※※でしょう。
1805,八咫川を渡ってすぐ細道へ右折北行。
研修所地図には看板ありと書かれてるが見当たらず。
※ 暗かったから見逃したのだろうか。明後日には見つけられた。道路南側。
※※ どこかで見た漢字だと思ったら──「八咫烏」(やたがらす)の八咫です。このカラス,日本神話の神武東征時に神武帝を大和の橿原まで案内したとされる。なぜ群馬にこの名が?(同種の疑問を示したHP:あんなかみんなのサイト/サッカーの守護神・導きの神「八咫ガラス」を追って)
▲研修所直行侵入路の東,大きな株のねぎ畑。下仁田ネギの名で知られる下仁田町は安中市南方20km。
そこからは,道はくねったもののあまり迷う余地もなく道なりに研修所に出た。1810,早すぎたけど帰着。
自転車置き場にあったチャリは16台。研修生2人に1台だから普通には借りられる計算だけど──後から聞くと,自転車は全台借りられて無くなっていたという人もいた。
でもこの地形と土地利用,少なくとも西日本とは異質な手触りをはっきりと感じます。時間の許す限り,これは走ってみたい!
▲研修所直行侵入路北端。つまり研修所玄関の南側すぐ。