001-2第二投\安中\群馬県

【2回目】(研修3日目)

→行程:Googleマップ
711,工事検査の授業がやや長引いたけど,無事に自転車は確保できた。二度目の出撃。
 忙しなく貸出簿を書いてると,昨日は前の方の下の行で「〃」とした「用途」欄に戸惑う。すると事務員がそれを察して「買い物,と書いて下さい」。
 なるほど。
 国の研修所だからあくまで自転車は「研修生の便宜」を図るもの。「散策」とか,間違っても「探検」なんてのは許可し難いわけで。
 …。
 そういえば,思いだした。
 昨日も結果的に「たむら」で買い物をして,さらに結果的にその一部(売り子のおばちゃんのサービス分)は毎夜の「情報交換会」のつまみに供したわけである。もちろん,はるばる会計の粋を会得せんとやってきた学徒たる小生もまた,日々の学習と他県の同志との結束がため,最小限の酒とつまみを購入する目的でペダルを駆っているのである。
 だから,もし本稿に,買い物場所以外の場所が出てきたとしても,それは,

純粋に道に迷ったのである。

瀬戸内の田舎者が,見知らぬ土地で期せずして最短コースから外れたとしても,これはやむを得ぬ僥倖,いや不幸な遭難の類いである。まして職務専念義務(地方公務員法第30条)上の咎など,誰も責めることはできぬであろう…きっと。いやまあ,そんなに強くには。


▲九十九川を渡る。

二次遠征,じゃなくて研修三日目は,最後の実習授業後が危ぶまれるような暗天。実際昼間は雨が降ってました。けど,やはり半・閉所恐怖的に,そんなの全く構わず玄関を飛び出してました。
 西十字路を本日は直進西行。
 車道に出てさらに右折西行。昨日「ごみスティーション」に入った車道です。

1715,九十九川を渡る。

道266号に合流したところから右折北東行。
 後閑小学校南西交差点。県道216はここで西へ分かれる形になるけれど,自転車は直進。
 すると後閑川を渡った北で,後閑小学校に突き当たります。


▲九十九川から西方を遠望

721,小学校前三叉路を左折北西行。九十九川から北東に別れて流れる小さな川に沿っていく形です。
 読んでる方は,特にこの土地をご存知の方ほど疑念が湧いてきたかもしれない。──どこ行く気?そっちは店も何もないぞ?
 けれど,既に前述したとおりである。道に迷ったのである。全く何という不幸な遭難,日頃の行いが悪いに違いない。

だまあ,敢えて言うならばです。
 研修所の教室からこの方向に,何とも魅力的な丘が見えて,地図上そこに「後閑城址」と書かれてて「へえ~」と思った記憶はある。今気がつくと,ほぼその辺りに来てるようです。いや偶然というのは怖いものである。
 後閑城址公園西入口との標識に従い,いや偶然見かけた場所から右折北行。曲がり角に案内表示のある杭もあったから,もう間違いない。
 アスファルト不良。今日の最後の授業はここでやれ。さしもの電動アシストでもこれはこげない。しばらく自転車を降りて押す。


▲後閑城の見事な郭遺構

731,後閑城頂上に立つ。

 もう汗だくですがな。
 登り坂が絶えた辺りが駐車場などキレイに整備された園地になってます。そこからフラフラと,それなりに長い階段を歩いて登りきると「安中市指定史跡 後閑城址」の立て札。
 おい。
 おいおいおい…。


▲後閑城址頂上

申塚が囲む園地。
「百庚申」と立て札がある。風化した解説文には実際は120と少しあるんだそうですけど…。
 頂上の丸い園地がずらりと並ぶ庚申塚で縁取られてる。どれも霜月に晒された古武士の如き面の石ばかり。──荘厳です。
 と当時のメモには書いてるけど…。

後から見ると,ハッキリと怖い。

れではまるで沖縄の御嶽です。
 でも当時は疲れたからか,短い外出時間の興奮ゆえか,結構感動した記憶がある。
奥には花雪亭なるあずまやがあり,ここで少し休憩。
 眺めも凄かった。榛名山も妙義山も一望です。暗い空で,これまた不気味ではありましたけど。
 不気味だよ,はっきりと。


▲庚申塚の向こうに榛名山の峰峰が…曇っててよく見えない。

り初めて,ようやく歴史好きとして冷静になってきました。
 頂上にあった絵図からすると,今は駐車場になってる場所が丸々西第三郭のようです。ということはかなりデカい城址だぞ?立地も構造も実戦型でこのサイズ。
 広島城みたいな象徴城郭じゃない。高田郡八千代町の根の谷直上の山城群※※が想起されます。碓井峠を越えて僅かずつ入って来る侵入軍をここを根城に暫減させる,そのための縦深陣地だったのか?

馬の戦国史は末期でさえ判然としないそうです。
 安中氏という大名が,もう少し西の安中城にいたことも史実らしいのですが,「関東地方の城」※の記述を借りると…「華々しい歴史には登場しない城です。」
そもそも本丸最上部が庚申塚のストーンサークルになってる由縁,これが全く分からない。何かの鎮魂なのか?

※参照:関東地方の城/後閑城
※※ 西国の山城/阿賀城
※※※ wiki/安中氏

743,帰路につく。舗装のいい加減な坂道を下る。これはこれでまた,怖い。
 1746,小学校前三叉路を今度は東へ──とペダルを思い切り踏んでたら,対抗車,というか自転車に衝突しかける。えらく似たよな自転車と思ったら研修生でした。やはり道に迷ったと思われる。

749,金蔵入口バス停。南に伸びる高架の道は,確か行きにバンで通ったとこです。
 さらに東へ。路肩はかなり狭い。店舗どころか人家も少ない。この北側エリアは自転車で疾走するには気分が良すぎる。もとい,遭難とこういう大変なことになるので今後の参考にして頂きたい所存。


▲九十九川の橋から西を望む。

758,北のセブンイレブンに寄る。下後閑の交差点のT字前。そこで,はたと思い出す。

そう言えば買い物に来たんである。

 今まで忘れていたような書き方になったけど,いや何を言うか!もちろんここが本日の目的地である。勉強し過ぎて頭がうっかりしていただけである。
 一服。
 買い物目的の割に買う物に困ったけれど,今日最後の授業と城址で結構,蚊の餌食になってしまった。虫刺されが見つからないので,代わりにニベアを買っとく。
 ちゃんと,買い物したぞ。どうだ!

道216をさらに少し東へ。宮川を渡る。
 花ノ木橋で九十九川を渡る。右折南行。この辺りの道は緩く蛇行してて方向を見失いそうになる。
 坂登る。途中,跨橋を潜る。
 1809,かなり時間もおしてきたところで頂点に。──さてどこが入口だ?

修所へはこの南北の道(一応まだ県道216)から右手西方に入らねばならない。でもこの侵入路が見当し辛い。
 電柱下に消火栓とある道に目星をつける。右折南西行。
 左手に墓。一度高台に出て,そこから回り込むような道。右手に桑畑。
 1815,研修所が見えてきた。帰着。

お,研修所の自転車返却時間の〆は1845,夕食時間は1900である。しこたま迷って大変だったが,所定時刻に帰ってこれた。模範的な行動と言えよう。


▲研修所玄関を東側より

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【往路】(研修所送迎バス)

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