▲宮崎県宮崎市青島地域自治区の青島(あおしま)。鬼の洗濯岩が周囲を囲む海岸延長860mの架橋島。特別天然記念物「青島亜熱帯性植物群落」は新第三紀前の植物群の残存説も。古代から神域とされた模様で青島神社が所在。
…いや,青島(チンタオ)を調べてると必ず誤ヒットするもので。本稿とは一切関わりないけど,市のHPはこちら→宮崎市観光協会/青島
本編の行程:Googleマップ(経路)
海を見てハイになる種族,飛び込む種族
中国元を求めATMを探し,青島駅の地下街へ密かに潜入した我々,というかキョロキョロしつつエレベーターを降りたワシ。
青島益群地下商城と表示。──「益群」の意味がよく分からんのだけど,「青岛益群漆业集团」という地場の企業グループが存在するらしいから,そこの出資みたい。
地鉄口の青島銀行ATMは出せなかった。南側の地上に出て,海際の招商銀行ので出せた。
俗世の愁いを去って振り向けば──
海じゃ!
瀬戸内海人は海を見ると意味もなくハイになる種族です。
バス停「郯城路火車站」。路線を見ると26,308,501,504,G1,観光11路が通ってました。目指す2山は弓状の美しい形の海岸弧の反対側。全部歩いても1kmちょいです。
鉄ちゃんではないけどややそんなウイルスにも感染してるワシとしては,地下鉄に乗る気も少しあったんですけど…空は快晴。海の美しさについ歩き出してしまいました。
海を見るとキレてしまう遺伝子が漢民族の中に組み込まれてるのは,まあ承知してたけど。
海際はその習性そのままに記念写真を撮影する観光客だらけ。
まあ確かに,黄河も干上がるかどうかという現代大陸中国です。こんだけの水の塊がありゃキレもするわな。
にしても──まだ泳いでる奴がいるのは流石です!9月も後半,肌寒いこのみそらに…ってお前らも明らかに震えてるじゃないか?なぜ飛び込んじゃうの?
絶対行く気はなかったけど,物凄い行列が続いてるのは回澜閣という海の中の八角堂。
こんなネット上のガイドを見つけました。ちょっと筆致の楽しい日本語だしガバッとご紹介。無風又は満潮時に通ったら,好きな観光客なら行って損はないかもです。ワシは行かんけど。
「秋,潮が満ちる時,とくに西側の堤防の景色は最も美しくなります。波が海岸に当たり,数十メートルの高波が轟々と上がる様子はとても壮観です。引潮になった後には,海水は100メートルも退き,岩礁とビーチ,蛤拾いをする観光客で賑わいます。近年,青島は『鴎を引き留める』という活動を催し,秋と冬風がなく,波が静かな時には,千万匹の鴎が青島湾で旋回していて,青い空,遠くの回瀾閣,近くの景色を観賞する人々,すべてが調和のとれた図画のようになるようです。」
※中国旅行 / 旅行ガイド / 青島旅行 / 観光スポット /あなたも好きかも…桟橋
あと,あの中国人が日本でも皆さん持ってる自撮りの棒は「自拍器」というらしい。どの屋台でも打ってるから今回判明したので一応。
時を駆ける桟橋王子
人がやや少なくなってきたので,ようやく落ち着いて海岸線を観察できるようになりました。
西の海岸線の向こうには,小さな丘の赤煉瓦群。──台西と地名のある主に日帝時代に開発されたこの地区,今回は見逃してます。遠目には少し魅力を感じました。
東の海岸線の一番向こうには,灯台のある小島。あれが小青島か。
そこから北の奥手に三重の塔の立つ山。小魚山らしい。
その南麓にも,西と似た見栄えの赤煉瓦の群がある。朝の予感もある。当座,あそこを目指してみるか。
方向は東南東。直線距離は1km程度だけど,問題は坂道と路地の入り込み度合いです。
地下鉄の線は完全に捨てる。シンプルに海岸線を行こう。0855。
安徽路で海辺を離れて太平路の北側歩道へ。T字路の南西角にマックと──おおっ,最近頑張っとるなあCafe bene(韓国系カフェ)。
南東角の陽光というイートインのパン屋にも…朝飯まだなんで,かなり惹かれたけど,そのまま東行。
青島日報前通過。
さらに桟橋王子飯店?どんな王子やねん?桟橋にたたずむ寂しいプリンスか?
▲「桟橋王子飯店」PrinceHotelという変にゴージャスで,笑えるネーミングのホテル
と当時はネタ的に撮ってますけど──前掲江本論文の図によると,太平路は,日帝時代には「舞鶴町」,そしてドイツ時代には「ホーエンツォレルン街」。南ドイツの貴族の姓で,ドイツ皇帝やルーマニア国王を輩出した名族です。この時代,海岸線は「ヴィルヘルム皇帝浜」と呼ばれ,一つ北側の道(現・広西路)は「ハインリヒ皇子街」。
江本論文図のこの位置には,この「皇子」街と海岸線との間のブロックにホテルがあります。その辺にいわくのある古いホテルなんでしょう。
そんな名前を,例えば文革中も残して行くのはとんでもない苦労があったはずです。「桟橋王子」はその辺りの苦肉の改名の痕跡だったんではないでしょうか。
▲ホテルの界隈を過ぎるとまた一変,閑静な海岸通りに。個人的には一番いい雰囲気でした。
歴史嫌いな方には申し訳ない。も少し掘ります。
「ヴィルヘルム」と「ハインリヒ」。
となると,前者は皇帝ヴィルヘルム2世。後者はその弟のハインリヒ・フォン・プロイセン(Heinrich von Preußen, 1862- 1929年→wiki)と推測できます※。海軍軍人を志した異色の,あるいはやんちゃな皇族で,経歴の中には東洋艦隊の巡洋艦戦隊指揮官として青島市に赴任してた時期がある。お飾りではなくて,この人は軍政分野で活躍し中国宮廷に招かれた最初のヨーロッパ王族になったそうな。1899年には東洋艦隊司令長官に就任。──まず間違いなく,この人物が青島経営のトップだったと目される。
もう一本北の湖南路は,ドイツ名「イレーネ街」。これはハインリヒの妻(従妹)イレーネ・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット(Irene von Hessen-Darmstadt, 1866- 1953年→wiki)の名でしょう。この奥さんは旦那の青島赴任に同行していたらしく,ツーショット写真が残ってました。→写真(48巻末小レポ:青島物語より)
──というフェミニンな,てゆーか奥さん喜ぶなら地名にもしちゃうぞ文句あるか的な,粋な命名から一転!日帝時代にはこの2本は佐賀町と久留米町に改名。で今は広西路と湖南路。あーあ,東洋人って硬いね。
さて!そろそろ現実の大陸中国に戻ろう。0917,青島路を跨ぐ。
大分,観光ムードは薄らいできた。
▲青島物語より。現太平路の海側からの写真。青島物語によると③が「プリンツハインリッヒ・ホテル」だという。これが「桟橋王子飯店」と類推される。
ハインリッヒ王子の青島での写真は,断片的に幾つか残ってました。別章にまとめてます。→48巻末小レポ
ロシアやフランスはともかく,東アジアに初めて「植民地」を持ったドイツは,かなり本腰でこの町を造った手触りがします。
※青島物語「③ 旧プリンツハインリッヒ・ホテル
舞鶴町にある独逸時代の旅館である。階上階下を合わせて約40の客室および、大食堂、読書室、舞踏室等が設けてあり、青島における大建築の一つである。目下、階下を偕行社(陸軍将校クラブ)に充て、階上を官吏の宿舎に使用している。」
天后宮から総督府への目抜き通り
▲太平路東側の歩道沿い。この辺りにも洋館が並んで,閑静で,いい雰囲気です。
青島路。北に総督府(日帝時代には青島守備軍司令部)の立つかつての目抜通りです。ドイツ統治時代のヴィルヘルム通り,日帝時代には不入斗通りという不思議な名前になってます。
今は静かなこの界隈が,元々の青島港で,そこから北を見上げると総督府,さらに双海山(独:総督山,日:八幡山)がそびえるという景観だったのでしょう。
0922,江蘇路を跨ぐ。夜はこの海辺に露店が出るらしく机とビーチパラソルが並ぶ。
0924,青島天后宮。青島市民俗博物館とある。
青島天后宫の創建は明代。1467年とされる。
当時,ここは青島村の一部で,村民が網漁をする場所だった。青島村の名はこの海岸弧東側岬の先にある小青島に由来するそうです。「小」の字は後から付いたものでしょうから,元々「青島」とはこの島の名前だったらしい。
その湾に明代中期に桟橋が出来,海上交通の拠点になっていく。福建から来た人々が天后信仰を持ち込み,この宮が作られたという。もっとも,20世紀まで道教全真随山派の信仰拠点だったようなので,元々の何かの土着信仰の場がそういう形式を得ただけなのかもしれない。
飾られていたマンガを信じるなら,ここが植民地時代初めまで青島で最も賑わう市場だったことになる。
「在青岛建置之前,天后宫所在的前海一带原为渔民们晒网捕鱼的地方,当时出现了较大的村庄青岛村和会前村,天后宫即为青岛村(其名源于海中的岛屿小青岛)的一部分」
「明代中期,附近的渔船码头青岛口(即今天的栈桥海面)海上航运业逐渐开放,随着与江浙闽粤贸易的发展,福建一带的天后信仰也传播到青岛」
「当地百姓则称之为“中国大庙”,为当地渔民商贾等供祀“天后圣母”,祈祷航运和生活平安的场所,奉道教全真随山派,20世纪20年代时其主持道人曾与崂山太清宫同属一派」
※ 維基百科/青岛天后宫
青島太平路小学を過ぎる。
0929,三叉路,左手に常州路が分岐。悩む道だけど,もう少し先で折れるべきか。南東に曲がった太平路をさらに進む。
0931,青島地鉄(地下鉄)人民会堂站。深緑基調のガラス張りの駅舎で,何かことごとくセンスいい。
青島地鉄は2015.12に開業したばかり。この駅を通ってるのは3号線,終点は青島北站。つまり今日買った新幹線が北站発だったとしたら地下鉄で行けたわけです。
▲実験小学のとんがり帽子。古い建物っぽくはないから洋館の町とのアイデンティティからの造形でしょう。
再び三叉路に出た。0935。道の対岸南側には山東省青島実験初級中学。門の看板は異なってて,本音らしき「山東省中学育才中学」と記されてる。
この地点は太平路の東終点。延長線に当たる金口一路は南東へ登り,ほぼ真南に折れる莱陽路は太く平坦な海岸道。
地点としては山側へ入るべきはこの辺りでしょう。見た目はそれほど惹かれない。寂しげな道です。
右折。にしても金口一路とは…「お金に向けて一直線」みたいな率直なネーミングです。
支出1500/収入1100
/負債 400
[前日累計]
/負債1319
§
→九月十七日(一)
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1053金麦園快餐
トマトと卵のスープ
餡入り焼餅,漬物(筍塩辛,昆布の塩辛)370
[45平原路]⇒
1203沂蒙山全羊湯
全羊湯,餅(1)21元300
[46黄島路]⇒
1556姐一家特色鍋貼
牛肉鍋貼(小)20元500
[47観海山]⇒[48中山路]⇒
1758生活林
月餅,桃ス400
[49河北路]⇒
[前日日計]
支出1500/収入1570
負債 70/
[前日累計]
/負債1249
§
→九月十八日(二)