外伝17-043 魯の道や紆余曲折の果ての青/金口路

~~~~~(m–)m~~~~~(m–)m~~~~~(m–)m本編の行程:Googleマップ(経路)~~~~~(m–)m~~~~~(m–)m~~~~~(m–)m

金口路を登る:何だ?このマヨイガの気配は?

▲金口一路の坂道を昇る。

才中学を過ぎた金口一路の坂道は,アメリカみたいなギラついた虚無感を漂わせてます。
 こりゃ目算を違えたか?
 金口一路は南へ折れた。とにかくこのまま道なりだと方向が違う。0942,左折して東方向へ。
 路地に入る。
 途端──空間が転移する。
 何だ?このマヨイガのような気配は?

▲東への登り階段に入る。

でもはっきり覚えているのはこの地点。→GM.
 この階段道も,この分かれ道も通り名は付されてない。金口一路から三路への渡し道なんですけど。
 誰にも会わないのに人の気配がある。
 古跡でも廃墟でもないのに芳香がある。
 私道ではないのに入るべからざる結界を感じる。

▲階段の途中の右脇道

,この一帯は結局何なのか?
 分かりません。
「青島 金口路」でググると中国語での記録はかなりヒットします。でも昔から有名人が多く住んだとか,老街が一番残ってるとかの記述だけで,ここが何なのか書かれたものがない。
 ただ,人民中国(→巻末「魅力の青島」)など幾つかの書きぶりは,青島が1930年代頃に文学者を中心とする新進の地で,この金口路から小魚山公園辺りがその中心地域だったことを示しています。
 近代日本語で言う軽井沢のような土地だったらしい。

▲出口。金口三路へ合流。

口三路へ出る。0947,無名の脇道の階段の登り詰です,
「勘で右折東行」
と書いてますけど,実際は南行してます。この金口一~三路というのは,おそらくこの丘が開発,というより人気を高めるにつれて漢数字順に継ぎ足されて行ったのでしょう。およそ都市計画的なラインではありません。一路は太平路から分かれた後はくねりまくって小魚山まで伸びてます。おそらく等高線ライン。それ以上需要はないと思ってたんでしょう。

あの朱樹屏の故居!

▲金口三路。西へ振り返る。

後に出来たであろうこの三路の写真が,中国語サイトでは頻出してました。
 緩く上下にうねりながら続く瞑想をしてるような静かな道。
 0949,「東」(正しくは南)の端で金口二路へT字に交わる。もう地図を見ないと危険な道になりました。えーと?左折二回で二路を北行するしかないのか?

▲旧址:朱樹屏故居

折二回をした角地が有名人の故居だったらしい。
 何と!あの朱樹屏です!
 ええっ!ご存知ない?そーゆー方はこちらをご覧下さい。→ 百科知識(中国語)/朱樹屏
 わしも全然知らんので,ずっと読んでみたんだけど…海洋学者で水産振興に尽くしたってことしか,やっぱり分からん。
 ただこの人──「“文化大革命”中,他受到殘酷迫害和人身摧殘。1972年病重,周總理獲悉後立即指示:“聽說樹屏同志病了,請認真治療。”」とあります。文革で「残酷迫害」,具体が一切書いてないとこがコワい。1976年に亡くなってます。

▲坂の頂点にて

樹屏故居を過ぎて少しで二路頂上地点に着きました。
 0957。
 観光客はこちらから入って来て故居まで行って帰るらしい。この辺りはやや閑静で和やかな町並になってて,一路から入ってすぐのようなマヨイガ感はありません。
 金口路は,生活の便より住み易さを追求してるからなのでしょう,ほぼ抜け道はないようです。次に行く機会があるとすれば,一二三路の名がない道を地図を便りに探していくと思います。

魚山路:昔ビスマルク・バラック,今は中国海洋大学

▲大学の駐車場と赤い車

山路に出る。1001。
 本格的な車道,交通量あり。北へ左折する。
 対面は中国海洋大学の大きな敷地。確かトイレを借りに潜入できないかと伺ったけど,セキュリティが固そうだったんで断念。
 ──それもそのはずです。ここは中国の全国13校の重点総合大学の1つ,かつ中国では北京大学に次ぐほどの古い高等専門機関らしい。著名人が金口路地区に住んだ理由の一つに,青島に早くから(济南にある山東大学より早いらしい)国立大があったからというけれど,これが海大の前身,1930年設立の国立青島大学。
 なぜここにそんなものが出来たのか,どうも釈然としない。ドイツが現大学の場所に造った「Bismarck barracks」(中国名:俾斯麦兵营)というものの跡地に,高恩洪という軍閥の有力者が建てた私立青島大学が始まりらしいけれど──やはり語られない部分がありそうな気がする。
 1011,大学路を北西へ跨ぐ。

▲龍口路から龍江路へ折れた辺り

口路と名を転じた道が,また緩い登りになる。
 おや?
 大学近辺に出て,これはここまでということか?と帰路の気分になってたら…またまた何か雰囲気出てきたぞ?
 ──ここを調べてる途中,「青島暮らし。」という素敵なプログを見つけてしまった。「自ら希望を持って、もしくはやむを得ず、青島に来ることになった全てのひとへ。」という副題にも惹かれますけど,ここで2つ,この龍山路と龍江路の凄い雰囲気のお店が紹介されてました。
 メモ代わりに転記して,第3章の筆を置きます。
Day & Night (不舍昼夜咖啡馆)
住所:青島市市南区龍江路4号
味:★★☆☆☆ 雰囲気:★★★★☆
外国人OK度:★★★
Nora Cafe (诺拉的手作咖啡)
住所:青島市市南区龍山路20号
味:★★★★☆ 雰囲気:★★★★★
外国人OK度:★★★☆
※ LIVEDOOR BLOG/青島暮らし。

※ 魅力の青島

/青島の著名人の故居
「20世紀30年代の青島には、才能のある人々、有名人が集っていた。中国現代文学のキラ星のような人々、聞一多、梁実秋、沈从文、洪深、老舎、王統照などがこの心地よい気候の土地で、創作をし、青島の都市文化の開拓者となり、若き青島にアカデミックな空気と文化的活力を与えた。青島の歴史は、彼らの創作活動により、厚みが加えられた。青島の文化は、これまでになかったピークに達し、当時は、北京、上海に次ぐ現代文化の中心都市だった。」
「青島という新しい都市がなぜ、これほど多くの著名人を引き寄せたのだろう?またなぜ、これほどの短期間に彼らは創作と研究の生涯における非常に重要な作品を成すことができたのだろうか?」
「当時の青島の新聞業は発達し、30年代の青島の中国語の新聞は、『青島時報』『青島民報』『正報』『青島晨報』など20社余りがあり、外国語の新聞は、『タイムズ』『大青島報』『青島公報』など10社近く、青島の人口からすると新聞の普及率はかなり高かった。また外国語の新聞の数量は、北京、天津、漢口などの都市をはるかに超え、上海の11社に迫っていた。」

[前日日計]
支出1500/収入1100
     /負債 400
[前日累計]
     /負債1319
§
→九月十七日(一)
[41青島駅] [42海水浴場][43金口路]
[44龍華路]
1053金麦園快餐
トマトと卵のスープ
餡入り焼餅,漬物(筍塩辛,昆布の塩辛)370
[45平原路]
1203沂蒙山全羊湯
全羊湯,餅(1)21元300
[46黄島路]
1556姐一家特色鍋貼
牛肉鍋貼(小)20元500
[47観海山][48中山路]
1758生活林
月餅,桃ス400
[49河北路]
[前日日計]
支出1500/収入1570
負債 70/
[前日累計]
     /負債1249
§
→九月十八日(二)

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