イーカートンをゲットして伊勢丹からの地下潜り
南京路に着いて見回すも?地下鉄らしいマークがないぞ?
道端でダラけてるおっさんに道を訊く。どこかの警備員らしい制服だけど,どこを警備してるのかは不明。とにかくおっさん,東方を指し示す。
「大概一百米阿」(大体百メートル!)
何か陽気やね天津人。どうも山東の男気とは少し違うけど。
赤峰道との交差点にはすぐ着いた。
北西に伊勢丹?ああ,この地下に地鉄站の入口のマークがありました。駅名は营口道。1と3号のジャンクションです。
1349,やっとカードをゲット。「一卡通」じゃなくて「城市卡」と書いてあるけど…まあいーんだろ。
方向別に乗り場がどれも違う構造パターンでした。それも,主要駅じゃなくて終点しか書いてない。えーと?1路の劉園方向?ああいけない,反対方向の財経大学へ行きかけてしまってた。
西南角まで4駅,3号乗換で1駅か。
列車が来た。先下后上(降りる人が先:中国の交通標語),と避けてると後ろの岩石めいた顔の女がするっと先に乗車する。思わず「おおっ!」と歓声。流石は中国人である。
号号毎の色で,車内が完全に統一されてるみたい。1号は赤。だからドア,手すりが真っ赤。ゴレンジャーか?
地図の書き方,現在地の点滅は日本そっくり。おかげで駅名,乗換は不安がない。
すぐ乗換。今度は「開往浜海国際机場」という方向。天津の空港でしょう。このまま4駅で天津站。反対側終点は「营庄」。
本編の行程:Googleマップ(経路)※鼓楼周辺
嗚呼感動の天津鼓楼 豪快過ぎる空振り
西南角という駅名は,あまりと言えばあまりの素っ気なさだけど,地上に出てもそうでした。
ただ,何の西南角かと言えば,鼓楼の,ということでしょう。
1417,D出口から北へ。
出たのは南馬路。広い車道です。こんなところに楼閣が?
四半世紀前には,ここに鼓楼なんて見過ごしてた。だから来たこともない。ホントにあるのか?てゆーか天津に城なんてあったの?──と鼓楼という地名だけを頼りに来てしまってます。
晴天続く。今日の夕方は川辺が楽しみ。
薄まる期待と人気 されど鼓楼東街を行けば
▲天津鼓楼南の大通り…は交通量が無茶苦茶少なくて…横断しやすくて良い。
1431。城厢中路を右折した途端げんなりする。
文化街かよ!
後で調べたところでは,確かにこの地区は天津の最初の拠点らしい。ただ,清代(光绪年間)に八国聯軍が焼いた後,1952年に道路の邪魔だと撤去され,ようやく再建されたのは21世紀になってから。──つまり観光用です。
※ arachina/天津鼓楼
東西ともマンション群が立ち並ぶ。期待は一気に薄まる。
薄いと言えば,人気も薄いようで,あんまり観光客もいない。折角でっちあげたけど失敗,というパターンか?
西に続く古玩茶叶珠宝街。もっと人がいない。引き返す。
北東角に入りかける。車列のみの裏道。引き返す。
東の鼓楼東街へ。
ここはまあまあ。ただし脇道は皆無です。
後の調べでは,この鼓楼東には広東会館という,おそらく広東出身者の同郷連絡組織があるそうです。
真偽はともかく「驴打滚」という小さな一六タルト状のものが名物としてあるらしい。→真相※
同じく「天津三絶名小吃」に「耳朵眼炸糕」というフライケーキみたいなのがあるとのこと。→真相※※
※ 百度百科/驴打滚(読みはlu2da3gun3:ルーダーグン)「东北地区、老北京和天津卫传统小吃之一,成品黄、白、红三色分明,煞是好看」
※※これは全くの勘違いで,「耳朵眼炸糕」はお店の名前でした(→鼓楼散策&『耳朵眼炸糕』ランチ)。だからフライケーキが何のことだったのか,そこんとこはもう…。
中国ヨーグルトが呼び覚ます遠い記憶
バス停を見つけて帰れそうな雰囲気になったところで,济南から気になり続けてたこいつに手を出す。
1507華明牧場 伝統凝固型酸奶(ヨーグルト)100
おおっ!いいぞ!
酸味がごつんと来る!これは疲れが吹き飛ぶぞ!→老酸奶
吹き飛んだところで大营門方面へのバスを探す。
天津のバスは,右手バス停側に全バス停名のリストを掲げてあるようです。あと,下車口のドアが開くと,ドア上部に路線番号が立ちあがるようになってる。
観光1路のほか,606,641,652,659,693,962と…。
そう見てるうちに,六,七,八里台というバス停名を見つける。
え…?
ここれだった,確か!
──留学生証を持ってた頃,天津の大学に何泊かした。あの時のバス停が,確かに…。
記憶が朧で探し出せてなかったんだけど…そうか,南開大学の東門だったか!ここからも675路が行ってるけど,これは明日にするか。
※ 百度百科/八里台(中国語)「这片区域距天津老城南门有八里的距离,便因此得名。」:この地名,ずっと謎だったんですけど,何のことはない。この日に訪れたかつての老街から八里離れてるからなんだって。中国にも一里塚とかがあったんだろうか。
652路が来た。1524,乗車。一卡通は使えました。
城厢東路をおそらく南行。もうラッシュなの?かなり混んでます。まあ,休めていいけどね。かなり足に疲れがたまってきた。
1527,おそらくさっきの南馬路に達す。十字路南西角に建雲天酒楼。
直進。道は营业大街
1531,東西に荣安大街。越える。西にスタバ。
左折。荣安大街。静かな道ですけどさっきの道との関係は?
1535 ,おや?いい区画です。住みこなされた感じの洋館が多数。
見た感じ,裏道もちらほらあるようです。
1537,バス停は哈密道。
あれ?もうこの辺か?早かったな。
1540,滨江商厦站で下車。さあ,ここから本命の租界歩きです。
■小レポ:老酸奶(ラオスワンナイ)
実食したら旨かった,というだけで何も調べてませんでしたけど──それに四半世紀前の留学時代にもヨーグルトは食べてたし。
ただ,調べると…これは本格的に中国由来のもので驚きました。
元々,青蔵の特産らしい。ヨーグルトに碗で個別に発酵させ,凝固剤を加えて固めるゼリー(百度の表現だと絹こし豆腐)に近いもの。
百度は,2008年に全国展開し,それ以降「北京老酸奶」などの「もどき」が普及したけれど,それは厳密には「酸奶冻」だと記す。
青蔵の本場モノも,北京では食べれるようになってきているらしいけれど,ワシが今回食べたのは「もどき」でしょう。
つまり今中国で最も流通してる「老酸奶」は,欧州やインド由来ではなく,チベット由来ではあるけれど今世紀になって漢民族が創造した「新食品」ということになる。
極めて現代中国的な食べ物なんである。
※ ユートラベルノート | 北京 | カフェ・ベーカリー/食
青蔵老酸奶(日本語)
※ 百度百科/老酸奶
「在普通酸奶的基础上,人们添加了多一点的凝胶剂或增稠剂,就成了“老酸奶”。严格意义上来说,市面上的“老酸奶”产品,应当叫做“酸奶冻”。」
「老酸奶是青海地区的传统饮食,已有近千年的饮用历史。」
「2008年,青海一公司推出白底蓝花塑料碗包装的老酸奶制品后,其味道迅速获得消费者的普遍认可,此后,国内多家知名奶企都蜂拥而上争相“模仿”,以致出现东北老酸奶、蒙古老酸奶、北京老酸奶等,呈现遍地开花之状。」
「老酸奶与一般普通酸奶的区别在于,凝固状态不同,老酸奶为固态,一般的酸奶都是液态,老酸奶外观如嫩豆腐,口感细腻爽滑需用小勺舀着吃。」