外伝17-084 租界跡赤煉瓦剥ぐ初秋かな/解放北路まで

~~~~~(m–)m~~~~~(m–)m~~~~~(m–)m本編の行程:Googleマップ(経路)~~~~~(m–)m~~~~~(m–)m~~~~~(m–)m

租界以前の天津の町並みは?

▲河北路,南北はハルビン路近く

楼から戻るバスを降りたのは1540。バス停は滨江商厦站,ハルビン路と河北路の交差点のすぐ東でした。
 ここを通過するバスは1,610,611,619,652路。細い道ながら要所になってるルートらしい。
 やはりいい下町風情の通りです。
 よし。租界エリアへ東行しよう。

▲河北路。营口道をまたぐ辺り。

545,赤峰道通過。大营街の交差点では目抜通りになってる道ですけど,この辺りではこれすら二車線一通の細い道です。
 天津の元々の町は,この位の細い道が縦横に伸びていた。それを現代風の車道になかなか変えれないほど,その感じで中心街区が出来上がってしまってるのでしょう。
 北に耀華小学。
 1551,营口道通過。この道でT字になったかと勘違いしたほど河北路はほぼ南,正確には南南東方向に転じてます。
 ということは,どこかで東へ入らにゃならん。ただ,雰囲気は相変わらず好い。左を伺いつつ,とりあえずさらに南行。

▲唐山道

うやく東へ曲がる気になったのは1555。
 唐山道,これを行こう。東行。
 1558,新華路を通過。大したものはないけど落ち着いた道が続きます。このまま行こう。

三徳里:まだあるんだ,こういうところが

▲三徳里。今回の天津で初めて見つけた路地道

徳里という道を見つける。1603。良さそうな路地です。左折北行。
 10分近くかけてゆっくり歩く。

▲さらに三徳里

▲さらにさらに三徳里

──るんだ!まだ,こういうところが。→場所:GM.
 四半世紀前の天津でハマったのは,こういう名もない路地でした。素っ気ないのに生活臭がある。場末っぽいのに人通りが絶えない。

▲さらに続けて三徳里

▲まだ続く三徳里

のところ,今日着いてからの手応えではかなり少なくなってきているように感じてました。ですけど,無くなってるわけじゃない──。
 出たのは营口道。東行。

▲三徳里。出口辺り。

旧租界:解放北路への東行

う一本,試しに南の道に入ってみる。1613。信义里と表示がある。
 1616。これは行き止まりでした。
 この北にある大阪丸ビルの輪郭をギザギザにしたようなビルが見える。だから少し安心だけど,方向を見失いそうなほど曲がりくねってました。

▲营口道寸景

622,新華国金中心とあるビルのふもとを過ぎる。
 今越えたのが大沽北路か?もう2ブロックで解放北路に出るはず。そのまま北東行。
 右手南東側に天津金融工作局。な,何だその怖~い名前は?
 1627,左手に吉林路。
 1630,解放北路の手前で一服。
 路面が石畳になりました。

▲中法工商銀行角。营口道と解放北路の交差点。

■小レポ:天津イタリア・オーストラリア風情区”の開発・保存

 天津行政側は,イタリアとオーストリアの租界部分を観光用に開発しようとしているらしい。
 天津には,1860~1947年の87年に渡り,9か国の租界が存在した。イギリス,フランス,アメリカ,ドイツ,イタリア,ロシア,日本,オーストリア=ハンガリー及びベルギーです。
 なぜ租界全体でなく,この二か国なのか?
 この点について記述は少ない。政府系らしい「chinahighlight」は,「歴史人文的な内容を持っていて,アジアで最も大きく,保存状況が良好なイタリア風の建物群」に絞ったような文章がある。
 なぜ他の国の部分は「保存状況が良好」でないのか?
「 中国に返還された後、 租界地域は長期にわたって水害、 戦争及び大地震の被害を受け続けてきた。 さらに1960年代 から文化大革命による人為的な破壊が加えられ、 租界地域の建築は海河上流あたりしか残ってないのが現状である。」(張慧娟論文)
 毛沢東が中国の美しい街として北京の胡同と天津の洋館街を挙げた,という話があるけれど,それでも租界返還後ごく最近まで,租界の歴史は天津の「恥部」だったし,今も基本的にはそうなのでしょう。
 天津は文革期に,「天津大動乱」と呼ばれる政変を二度経験している。その時期に租界,特に怨恨の的だったであろう日本租界跡は破壊されたとしても不思議はない。それを今になって保護しよう,というのは今も政府内部に反論があるのだろう。逆に,それほど槍玉に上がらなかったイタリアや既に国として無くなったオーストリア・ハンガリー帝国は,破壊の程度が比較的少なかった。だから観光に供せられる程度の連続性を保ってる。──という根拠史料をほとんど見つけられなかったけれど,その辺りの記述が全くない事が,むしろその傍証のように思えてならない。
※ chinahighlight/イタリア風繁華街※ 4travel/天津3★旧イタリア租界のおしゃれスポット~意式風情街~
※ ab-road/旧市街が租界建築の博物館! コロニアルな天津の街歩き
※ 愛知大学/天津租界観光開発に関する一考察 組織論的な観点からの分析 張慧娟
※ 百度百科/天津租界/保护开发
「1999年,天津市决定与意大利合作开发天津意大利租界,建立中国·天津海河意式风情区。2002年起,天津市人民政府为进一步增强城市活力、发展城市经济,正式作出决策进行海河开发计划。天津市政府出资成立天津市海河风貌建设发展有限公司开始对原天津意租界、奥租界等所在地域的历史街区进行保护性开发,并依据原租界地建筑风格分别命名“天津意式风情区”“天津奥式风情区”等,其中意式风情区又名“新·意街”。新意街一期工程于2005年完成修缮并招商引资,2008年对外接待游客。如今,原天津意租界正在进行第三期的修缮工程,已经成为中国国家4A级旅游景区。2010年3月起,天津市开始在原天津英租界以解放北路为核心,对泰安道及周边地区的历史街区进行修缮并建设配套建筑,将形成泰安道英式风情区,该工程将于2011年正式完工。此外,原德租界、法租界等的相关租界的历史街区也正在保护性开发中,并陆续接近尾声,成为天津市具有代表性的旅游资源。」

[前日日計]
支出1500/収入2070
負債 570/
[前日累計]
     /負債 769
§
→九月二十一日(五)
0523稲禾永和豆浆
早飯(シーファン,菜包,シエン蛋,小菜)370
[81天津ハルビン路まで]⇒[82ハルビン路熱干面]
1249熱干面20元400
[83天津鼓楼]
1507華明牧場 伝統凝固型酸奶100
[84解放北路まで]
[85解放北路から帰着]
1745(河北路)老津味
何とか肉トン何とか餐30元550
1831栗記仙豆糕
芋泥乳酸
ロール350
[前日日計]
支出1500/収入1770
負債 270/
[前日累計]
     /負債 499
§
→九月二十二日(六)

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