目録
トラック溜まりに山賊駆け回る
快哉亭以南は新市街が続く……のではないか?
0919,建国東路と民主南路の交差点付近。ここから辺りを見回してるとそう思えてきた。
なのでしばらく迷いを持ったけれど,結句,建国東路の東行を選ぶ。
南側に「宣武」と看板を掲げる市場が現れる。0927。入ってみよう,右折南行。
古そうな屋内市場です。場末感もいい。
今回の購入予定商品,靴紐,ネクタイともどーしても見つからない。そのまま南へ抜けてしまうと,その界隈はバス溜まりになってました。
※ 每日頭條/徐州宣武市場要拆遷了?不可能
~2019年夏頃に解体が決まった模様
▲0941宣武市場南の「物流トラック溜まり」。看板は物流便を売り出してるんだろうか?
その向こうに物流トラック溜まり。
ここの雰囲気は凄まじかった。スゲエ殺気を帯びたおっさんだらけ。山賊か海賊の経験者としか思えん。そんな奴らが汗を浮かせて走り回ってる。
物流通りを抜けて0946。続いてたのは新生街というドサドサの通りへ。
ま……まあ,治安の悪さは感じないか。さらに南行。
家並みの向こうを観察する限り,重慶ほどじゃないけど,西側に見える市街地はやや高台になってるようです(→前章/レポ:快哉亭は三角城の東南角④ 試論:重慶との地形の類似)。
0958。その西側に,凄い横道が増えてきた──と百度地図を開くとまさにXで目星を付けた地点でした。新生路15辺り。
凄いぞ!ここの情景は,次章に特設にてご紹介します。
逆に言えばまあ……当面の目標にしてたこのスポット以外の拾いモノはあまりなかったてことで。
町の土地勘は掴めたから佳しとしたいけど。
で1019,出た車道は和平路。そろそろ西行しようかな。
黄河だとは思えない
マニアという人種はどこにでもいる。
下の写真の,気だるげに自転車を駈るオッサンには悪いけど──後方の派手な橋にご注目。
現代徐州の誇る和平大橋です。2007年竣工。鉄道を走らせる巨大な橋の勇姿は,橋への愛情を匂わせる下記HPを見よ!
※ 中国桥/徐州市和平大桥
てゆーか,そのサイト名の露骨さは何とか工夫できんのか?まんま過ぎて好きだけど。
廃黄河?
1027。「水路沿いを北西へ。幅15mほど,百度地図に名前はない。」とメモってます。確かにとても黄河とは思えない細い川に,この辺りではなってます。
道には蘇園街とある。
1041馬鞍橋。そのまま行く。
よ~し服務するぞ服務するぞ
項王路という,歴史マニアなら「おお~!」な名前の道が西に現れました。1046,解放路沿い。この道を西行に転ず。
え?この道は大きな起伏で登っていきます。地図を見ると戯馬山(戏马山)の南麓にあたる場所らしい。──この山もよく調べてる人なら「おお~!」なんだけど,もちろんワシは行き当たりばったりだったので平気で「北へ折れると户部山の文化街だけどスルー」と冷淡に書いちゃってます。
項王路はこの南麓で途絶えてる模様。当時は工事をしてて抜けたくもない風情でした。
なので1057,道のどん詰まり辺りから南に入る。やや面白そうな傾斜面です。
户南巷という道。半分近くが取り壊しを待つ模様でした。──この界隈は,他の発見もあって翌日再度訪れてます。
労働路に出ました。1105。西行。
程よい賑わいの好い道です。道の名前は文革で改名されたっぽい,ということは下町の気配があります。
赤地に白抜きの横断幕──「地快征収有期限 真誠服务无止境」(旧市街の接収には期限があるぞ,誠心誠意「服務」(共産的労働)するぞ)──平たく言えば「早く立ち退け」ということらしい。
ぎすぎすした緊迫感のある「下町」で,なかなか気に入って,食堂に立ち寄りたくなりました。
1113蘇記丸子湯300
伝説に曰く是れ北魏道家のヴェジタリアン
烩面(→中原鍛練編参照)に負けない超太きしめんです!
不均一だけど平均でも5cm,一番太いのは7cmはある面。でも薄くてホロリと舌に蕩け,そこのとこは烩とは全く異なる。
味覚は辣。元の味は醤のようで,きちんと辛く,出汁がいい意味で濁ってる。
それにシェンツァイと脆肉がどっさり!とワシ的にはポイント高い。
一見四川だけど味わうほどに徐州です。
徐州名物というよりこの店独特の碗らしい。
传说是北魏道家的素食配方,后来流传民间,经过代代相传,距今已有上千年的历史,苏记丸子汤据传,清朝末年,由家住苏园巷的苏长科做起丸子汤
──店は清末の創始。けれど「丸子湯」製法は北魏の道家由来の素食だという。
※ 毎日头条/中华美食文化“徐州苏记丸子汤”
道教由来──この彭祖の町はどうもその臭いが濃い。
蘇記(苏记)丸子湯の南対面には土城巷という市場がだらだらと下って伸びる。
ちょっと踏み込んでみたけれど,店は普通の市場です。そう長くもなく終わってる。雰囲気も地勢もいいんだけど,奇妙な半端さを感じる市場です。
この市場を引き返した北口,丸子湯近くでもう一店入ってます。
1139徐州名吃 怪味魚把子肉
把子肉としいたけ,湯葉,白米飯370
見るからに身体に悪そうな
济南で見た「把子肉」(→中原編/体に悪そうな謎の薬膳・把子肉)とここで再会する。
他にも幾つかこのメニューの店はあった。
把子肉の鍋と他のトッピングの鍋が分かれてて,どちらもから選んで皿に盛ってもらう。肉は8元,魚は15元だけど,その他は1~2元らしい。ワシの場合で11元でした。飯はノーカウント。
って,このシステムは济南でも同じでした。こうなるとほとんど台湾卤味をご飯で食べてる感じです。
やはり身体には明らかに悪そうだけど──食べる。
え?
これは!台湾卤味そのものです。ただし,台湾の場合に最後にグッと来る,最後の味覚が──ない!すっと引き際のいい卤味です。尾を引かず,後味が潔く途切れる。
店名から分かるとおり,この肉の煮汁として発達したのが由来であろう「怪味」も並びで売られている。
もう十年以上抱えた疑問です。台湾卤味ってどこから来たのか?──それに,「道教由来?」という答えの可能性を感じた一食だったのです。
あかん,この辺りにいたら食いまくってしまう。1202,彭城路を北行。
──この彭城路から北の富庶路へ伸びる南北のラインこそ,徐州三角老城の中心線でした。ただし,このラインは見事に現在再開発中のエリアに重なってます。間一髪で来るのが遅すぎた場所でした。→巻末保存用転載写真参照
虚構なのか,本来そうだったのか?
▲1213「美冒」ウサギちゃんキャラがキャピキャピ過ぎてつい一枚。
徐州には「老徐州」とか地元愛を誇る表示が,他と比べても多い。
これは,相当痛みを伴う四半世紀だったでしょう。
先の戸部山が文化街の中心になってて,この彭城路がその西麓になる。「この『老城』には中心に楼閣でなく山がある。他の古都にはない都市構造です。
虚構なのか,本来そうだったのか?」と当時はホントに首を捻って悩んでます。そりゃそうだ,西安や上海の感覚で見ると,本当にこの徐州は読めません。
1228,彭城路の北側で大きな工事現場に突き当たる。
これを避けて何とか淮海路に出た。ここに彭城飯店(銀座)とあるバス停が現れ,ここから少しバスに乗って淮海路に一旦帰還しました。
大同巷北入口でスイーツ購入。疲れた!
1239祝福記糕点
蛋糕(古早味)250
■保存用:徐州彭城路界隈の古写真
個人的には……あまりに衝撃的なので,3枚だけ転載しました。
ここのサイトは,基本的には徐州の近年の目覚ましい変化を誇るもので,雑多な古写真が羅列されてますけれど,本当に少し前まで──まさにワシが留学してた頃まで──こういう光景が存在したらしいのです。
このイメージは,まさしく本章及び翌日再訪の户南巷,次章の提東里,それから次々章新庄巷で見た光景です。あれらこそかつての徐州の景色だったであろうことを,このサイトの画像で確認できたと思ってます。
▲南門大街,つまり現・彭城路の写真。年代不詳。
元キャプション──「南门大街(彭城路)旧时有丝绸布庄、茶馆酒店、南货酱园、客栈药房以及许多手工作坊。」
▲同じく彭城路。何とこれが1985年,35年前の写真だという。
元キャプション──「难怪有个彭城路宽段,原来还有个窄段……」
▲場所・年代ともに不詳だけど凄い写真です。
元キャプション──「对于在中枢街住了十六年的本编来说,这样的中枢街,我不敢看,怕止不住眼泪。」──確かに涙が出そうな画像です。
※ 江苏发展大会/这一个世纪,徐州人是这样过的……