m022m第二波m月円し翅展げゆくピアノの音m紫陽

バスが導くXへの道

スの楽しさは予期せぬルート,時によっては予期せぬ目的地に行ってしまうことである,という感覚は旅行者的にはとっても危険かもしれません。
 Xはもうニヶ所見つけてました。だけど陽のキツさにたまらず帰宅しようとしてた矢先,倒れるように乗った27路バスは──
 何と!右折したぞ?
 バス停晋安区委で下車。2つ目のX南側まで導かれた,というより尻を叩かれた格好で見事に連れて来られてしまいました。

~(m–)m 本編の行程 m(–m)~
①★GM.(経路):岳峰路~紫陽
GM.(経路):東街口~

沖縄煮付けを思い出すスープ

はこの北方。東へ戻って岳峰路から左折北行する。
 でも歩き初めてすぐ,良さそうな快餐を見つけて,要するに腰を下ろしたくなって──
1408家香汇中式快餐
肉団子
カリフラワーと細切れ肉の炒め
昆布と排骨の湯500×.8=400
 肉団子の芯に染み入った汁が,柔らかくハムのように肉そのものと絡み合う。

▲1411ビバーグ兼快餐

は──これ偶然なんだろうか?昆布と排骨の出汁が濃厚に効いてる。旨い。でも戸惑いがあった。これはホントに沖縄の,例えば煮付けとかの味にそっくりです。これほど通じ合ってる食文化なのか?という実感を舌が覚えてしまってる。
 細かい味覚といえば豚と組み合わせてあるカリフラワーも良かった。豚肉に施された細かい包丁はカリフラワーと合わせるためになされてるんだろうか。そのためか炒めタレがしっかりまとわりついてます。

▲1435岳峰路の寸景

峰路そのものは,どう贔屓目に見ても新市街の通りです。
1439,北の橋を渡る。でもこの東まで再開発がキテる。

「遅かった!」パターン

▲1441北の橋

,Xは橋向こうから北だったんだけど……その道がモノの見事に工事中。
 ここもか!「遅かった!」パターンの連発となりました。
 と,繰り返し書くので,この遅かったパターンの画像をご覧頂きましょう。中国のソレはなかなか衝撃的です。

▲1443「遅かった!」パターン画像

▲1444「遅かった!」パターン画像2。中央の蝙蝠傘の影が怨念のように揺れてます。


折西行。水路沿いの岳峰横路を行くけれど,当然ここは再開発済みのクリーン・エリア。
 1449,左折南行,長楽北路へ。
 福新路が見えた。もうワンブロック行くと地鉄・紫陽站があるけれど……バス停の紫陽站でバスを探してみることに──という行動パターンなぞは,冒頭に触れたバスの危険な魅力にすっかり憑かれちゃってますね。

▲1451長楽北路の歩道を行く親子

02路という好い路線を見つけてしまった。1510,乗車,さらに西へ。
 バスは福新路にまっすぐ入り,宿の前も過ぎ……後は五一にぶつかってどっちへ行くかなんどけど……?
 右折!よし!
 東街口のバス停で下車。三箇所目はこの北。これでもうXの手持ちは切れます。

~(m–)m 本編の行程(再掲) m(–m)~
GM.(経路):岳峰路~紫陽
②★GM.(経路):東街口~

ただあなたの太陽を造りたい

曜日の午後の東街口。華やいだ繁華街になってます。それも若い層が多い。
 中国ではすっかり有名店になってしまったCoCoも,えらく小綺麗な店構えで盛況に客を入れてました。
 1522,とりあえず西行。
 1533,左折北行,太陽巷へ。

▲1533太陽巷を自転車2台

阳巷(太陽巷)。
 この印象的,かつ中国語ではなかなか出ない地名が,なぜここについてるのか,結局分からない。
 太陽の語感は中国語でも日本語に近いらしい。こんな名曲がある。

无畏风雨
别忘记还有我站在这里
我只想做你的太阳
你的太阳
在你的心里呀
在你的心底呀

──風雨を怖れるな 私という駅がここに有ることを忘れるな 私はただあなたの太陽を造りたい あなたの太陽は あなたの心の中にある あなたの心の底にある
※ 百度百科/太阳 邱振哲演唱歌曲

▲1535太陽巷をオヤジ一人

連続するT字の道


536,賢南路にぶつかる。右から曲がって北上。一段だけ道が家の地盤より低いイギリス的景観。

▲1538賢南路近く,覗きこんだ路地

たT字にぶつかる。衛星街。このT字の多さって何を意味してるんだろう?

▲1542衛星街の商店軒先

うけど左から回って北へ。五显巷。
 片側二車線の車道。ただしすぐ鼓東路をまたいで片側一車線の尚宾路に。鼓東路は鼓楼からの東道でしょう。
 何気ないけど木漏れ日の美しい道です。

▲1551五显巷の木漏れ日の車道

■資料:太陽神・帝俊について

 アンディ・ウィアー「火星の人」で中国のロケット「太陽神」が緊急にヘルメスへの補給の役を買って出るシーンがある。
「太陽神」という語は,聞き慣れない観念ではあるけれど中国語にも存在するのではないか?
 そう思い立って調べてみると──これほど重厚な歴史を持つ国にしては稀なことに,ほとんど唯一の神が浮かんでました。
 帝俊。(ピンインdi4jun4)
 別名を羲和,日主,东君(東君),太阳星君など。炎帝神农氏(神農氏)※にも比定されるらしい。
※ 百度百科/太阳神 中国神话中的太阳神
※ 前掲:淮水編/Category:上海謀略編 Phaze:ポイントにはマンション/■レポ:薬王廟と巡道街に見る清末の光景

 ただ,どうも別名の多くは他の神格のダブルイメージか後世の付加かと疑われる。それはそれで面白いんだけど,後に回そう。

① 帝俊一次資料の不可解なる記述

 神格はほぼ帝俊一身に統合されてる。相当の求心力のあるイメージと推測されます。
 以下は「山海经」(山海経:戦国~漢代に徐々に形成。中国最古の地理誌)中の帝俊の記載です。
 ワシの語学力では全く歯がたちません。それとも記述自体が滑稽無糖なんでしょか?

大荒之中,有不庭之山,荣水穷焉。有人三身,帝俊妻娥皇,生此三身之国,姚姓,黍食,使四鸟。有渊四方,四隅皆送,北属黑水,南属大荒。北旁名曰少和之渊,南旁名曰从渊,舜之所浴也。《大荒南经》

──烏が既に登場してる。でもそれ以外はどうも読み取れない。

东南海之外,甘水之间,有羲和之国,有女子名曰羲和,方日浴于甘渊。羲和者,帝俊之妻,生十日。《大荒南经》

──「东南海之外,甘水之间」というのが現在の地理感覚からすると全く分からない。東シナ海の外になぜ川があるのか?
 解説の対応部分を見てやっと少し分かった。

帝俊有三个妻子,一个名叫羲和,住在东方海外的甘渊,生了十个太阳;另一个名叫常羲,住在西方的荒野,生了十二个月亮。他还有一个名叫娥皇的妻子,住在南方荒野。

※ 新浪网/“中国太阳神”到底是谁——赵玉仁
──(山海経簡訳)帝俊に三人の妻があった。その一人は名を「羲和」といい,東方の海の外の「甘渊」(「甘水之間」),十個の太陽を生んだ。
 ちなみにもう二人のうち,「常羲」さんは西の荒野で12の月を生んだ。最後の「娥皇」さんは南の荒野へ行って,なぜかこの人だけトンでもないものを出産していない。

大荒之中有山名曰合虚,日月所出。有中容之国,帝俊生中容,中容人食兽、木实,使四鸟:豹虎熊罴。
有司幽之国。帝俊生晏龙,晏龙生司幽。司幽生思士,不妻;思女,不夫。食黍食兽,是使四鸟。
有白民之国。帝俊生帝鸿,帝鸿生白民,白民销姓,黍食,使四鸟:豹、虎、熊、罴。
有黑齿之国。帝俊生黑齿,姜姓,黍食,使四鸟。《大荒东经》

──4つのファンタジックな国でそれぞれ姿を変えて「使四鸟」(4匹の烏を使わせた?)してた。不思議なイメージです。

有五采之鸟,相乡弃沙。惟帝俊下友。帝下两坛,采鸟是司。《大荒东经》

──烏とお友達だった,としか書いてない箇所です。

有女子方浴月。帝俊妻常羲,生月十有二,此始浴之。《大荒西经》

──艶かしそうな表記だけど意味不明。「方浴月」は月に受精するようなイメージだろうか。帝俊の妻「常羲」が12の月を生むくだりです。
※ 新浪网/“中国太阳神”到底是谁——赵玉仁(日照太阳文化研究会副会长)
 以上が,まとまった最古の一次文献史料である山海経の記述らしい。帝俊自身が太陽神である,という表記は,ここには出てこない。
 ではなぜ帝俊が太陽神とされてるかというと,民間での扱い以外には,春秋の記事を漢代にまとめた「淮南子」巻七「精神訓」に「日中有踆烏 而月中有蟾蜍」といった,太陽と結びつける記述が出てくるかららしい。

▲山東日照天台山推定位置

② 帝俊の造形

 この信仰は,というわけでまるで訳が分からない。現在はっきり信者がいるようにものでもない朧なものです。
 造形としては山東日照天台山という場所がその聖地とされるらしい。
 けれどこれがまた……中国語サイトに「R204を南行,涛雒古镇を過ぎ,竹子河を西に渡った西南に見えてくる」とあるけれどGM.ではヒットしません。しょうがないから現地に挑む気になった方のために,上記地図と推定位置だけ挙げておきます。
 けどいずれにせよ山東省日照市。それはどこ?とワシも地図を拡大しましたら……青島の南西。緯度で言うと東海道新幹線とほぼ同じです。
 で,この山の頂上にあるこの岩が,帝俊の「神像」だとされてる。

▲天台山頂神像[前掲赵記事]
※ 毎日头条/日照有一座山,名曰:天台山!

 ……全く分からんじゃないか!
 でも,である。あの中国において,だからと言って分かりやすい造形を付加してないわけです。その辺にむしろホンモノっぽさを感じもするんですけど?
 もう一つ,造形というかモチーフとして流布してるのが,三本足烏,あるいは鶏です。これは何と,北京の日坛公園の祭日壁画の中にいるらしい。
 北京は中国史上は東北の辺域です。帝俊太陽神新興域たる東夷の地は,山東のみならず北京域に達するほど広かったことになる。

▲北京日坛公園祭日壁画中の太陽の中にいる三足烏

③ 三足烏モチーフの微妙な広がり

 モチーフとして一番流布してるこの「三足烏」形は,帝俊自体を象徴しているようです。そもそも──

“夋”这在甲骨文中实为是个鸟的形象[前掲百度/太陽神]

──「俊」字は甲骨文の中では一匹の烏の形象をしている。
 だから,三足烏の象徴は,正確には太陽自体のそれとは微妙にズレている。太陽に住んでいる鳥です。

传说是一只金乌,有三足,中间一足为男根性崇拜,在汉代前后,因人们的审美及风俗的原因改为三足,故有太阳神鸟之说,帝俊是东夷人的祖神,也是东夷人眼中地位最高的神

※ wiki(日本語)/三足烏
 付随する特徴と言えるのは,①三本目の足が男性神であることを意味し,②東夷の最高神と扱われたことです。
 この象徴の歴史は,古い。

最も古い考古学的遺品は紀元前5000年の中国揚子江下流域にさかのぼる。[前掲wiki]

 だからイメージの分岐も多様です。ここで分岐していないイメージ部分が最もコアなはずですけれど──

三足烏(さんそくう、さんぞくう、拼音: sānzúwū サンズゥウー)は、(略)黒い烏は太陽の黒点を表しているという説もある。日烏(にちう、拼音: rìwū リーウー)や火烏とも言い、月の兎の月兎と対比される。しばしば3本の足をもつとされるが2本の場合もある。また、金色という説もあり、金烏(きんう、拼音: jīnwū ジンウー)とも呼ばれる。
太陽にいるのは烏ではなく金鶏(きんけい)であるとの神話もある。別の神話では、太陽は火烏の背に乗って天空を移動する。ただしこれに対し、竜が駆る車に乗っているという神話もある。[前掲wiki]

 バラバラです。ほとんど,鳥である,ということ以外はコアではないように見えます。
 最大かつ唯一の特徴たる「三本足」についても──

『淮南子』の巻七(精神訓)では、月日説話に「日中有踆烏 而月中有蟾蜍」の記述もあり、太陽と鳥の関連を示している。後の『春秋元命苞』に「陽数起於一、成於三、日中有踆烏」がみえ、太陽の中に鳥がいるという話は古いが三本足を有することについては後のことではないかとされる。[前掲wiki]

▲漢代壁画中の三足烏

 これが意味することは,割とシンプルです。
① 太陽を示す鳥,というのが信仰の本体であり,他は付加的・脚色的な属性である。
② 属性部分の中心は「三本足」で,これは男性性の強調が疑われる。 
 三足烏イメージは朝鮮・日本にも入ったとされています。男性原理に整頓されると受け入れやすかったのでしょうか?ただ,どうも日本のそれは「三本」という部分が欠落してる。
 なお,このイメージに近い手塚治虫の「火の鳥」は,むしろ極めて女性的に描かれてます。この点は史実と少し,ひょっとしたら意図的にズラしてあります。

三足烏(삼족오 Samjogo サムジョゴ)は、高句麗(紀元前1世紀~6世紀)では火烏とも言われた。[前掲wiki]

日本では八咫烏(ヤタガラス)と呼ばれ、古事記の神武東征において神武天皇を導く役割をしている。[前掲wiki]

烏は様々な民間伝承や熊野大社の例から、古くから日本人の生活に深くかかわりを持つ鳥として認識されていて、太陽の中の三足の烏が住むという大陸からの伝承の影響もあって、神話の中に神の使いとして大きな役割を担う霊鳥として登場するようになったと考えられる。
 ヤタガラスを祖先神として奉ずる鴨氏は、大和国と山城国にわたり大きな勢力をもった豪族であったゆえに、鴨氏の祖先であったヤタガラスをあげて皇祖神アマテラスと結びついたと考えられる。

※ 東京大学大学院人文社会系研究科/太陽神論

④ 日照天台山の位置と本体としての義和

 山東日照天台山のある現・山東省日照市は,これまた謎深い土地です。

莒文化は山東省東南地域の文化で、日照市の莒県がその中心地域となる。歴史上の莒国(前720~前468年)の都がここにあったのだ。莒文化は古代の莒地にさかのぼることができる。莒地とは古代の莒集落の活動地域だ。夏王朝の時代に莒地は莒州と呼ばれ、商(殷)の時代には莒方国、周代には莒国と呼ばれた。春秋時代になると莒国は強大となり、斉、魯と鼎立するようになった。

※ 人民中国/「山東三大文化」の一つ
「莒」?全く聞かない名前です。情報源の偏在と根拠記載の少なさからして,存在の確からしさはやや危ういらしい。
 ピンインはju3。
 その位置と現地名「日照」は,百度ながら次の文脈が非常に分かりやすい。

根据《禹贡》成书时的地理知识或九州的概念,其时胶莱平原尚为海洋或沼泽之地,山东丘陵为海岛,日照地区当时位于华夏的最东端,正是太阳从大海中升起,“日出初光先照”的地方;太阳崇拜在这里产生自有地理上的道理[前掲百度]

──「禹贡」(書経の一篇。紀元前の地理誌)成立時の地理知識と九州概念では,胶莱平原はなお海洋と沼地であり,山東丘陵は海島でした。だから日照地区は当時,華夏(夏代中国領域)の最東端で,正に太陽が海から上がって来る,「日が最初に光り照らす」場所でした。太陽崇拝がこの地に生まれたのはそういう道理です。

▲商・殷期の城邑配置
※ 外伝17:蓬莱浮現編-001首頁及预备・再掲

 前掲「山海経」の義和の記述を思い起こしてみます。──一个名叫羲和,住在东方海外的甘渊,生了十个太阳
 巨大な沢地が蓬莱島の周りを囲んだその東,太陽が昇る土地は,まさに太陽の生まれる場所に見えたでしょう。
 義和の象徴するのは,男性原理の「鳥」以前の,女性原理に彩られた太陽球そのもの。「鳥」は黒点などの連想から,あるいはチベットなどにある鳥の信仰が,あるいは太陽信仰の付加部として,さらには主人たる男性として,後に付加されたもの,と推測するのが自然に思えるのです。
 何を言いたいのか,もう察しがついてる方も多いと思います。女性原理,太陽,そして(この地名がどれだけ古いか分からないけれど)「照」らす,です。
 卑弥呼,あるいは天照,もしかすると対馬の天道へ繋がるような古神が,中国東夷の地にはあった,ということです。

⑤ 日照老母庙,巫女墓と仄かな古代日本の香

 日照には,これまた奇妙な伝説が伝わる。清代の「天外来客—陨石收藏录」(宇宙から来た客──隕石収蔵録)と漢代以前の「淮南子·览冥篇」が原典という。

对于老母庙的历史,清朝王陨在《天外来客—陨石收藏录》中记载:“日照陨:沂州府日照县南40里石盆山;《淮南子·览冥篇》云:‘往古之时,四极废,九州裂,天不兼覆,地不周载;(略)幸得女娲补天于高山之巅,羲和浴日于东海之滨,救得万众生灵;乃建老母庙于山下以祀女娲羲和,堆陨石于高台以祭太阳神灵”。[前掲百度]

 日照県南20kmの石盆山に隕石が落ちてえらいことになりました。羲和という人が海で「日を浴び」て幾多の人々を救いました。だから山麓に老母庙を建てて太陽神をお祀りしました。──という話です。
 帝俊も三足烏も出てこない。また別に興味をそそられる隕石の方は置いても,それらと統合される前の太陽神信仰が存在した雰囲気です。
 この老母庙(廟)は,天台山麓で未だ信仰の対象になってます。

▲山東天台山麓の老母庙

 老母庙の庙会は,太陽神の誕生日とされる農暦6月19日に営まれてる。周囲数百kmの村々が参加する盛大なものという。

老母庙庙会(太阳节)起于何时,不见记载;(略)每年一度农历六月十九太阳神生日这天,天台山下的老母庙都要举办庙会,这是涛雒也是日照的一大盛事,周围几百里的乡民都来赶庙会,祭太阳,祀老母,祈求五谷丰登,幸福安康;(略)北魏时期,慧深法师在天台山老母庙附近建天台悯寺;由于农历六月十九日也是观音菩萨的成道日,佛教文化很自然地融入了当地的太阳节习俗;[前掲百度]

 この日は観音菩薩の成道日で,こういう形で北魏代に仏教と習合してます。
 それともう一つ,この場所には巫女がいた,という話がちらほら出てくる。相当枝葉がついてるらしいけれど──

东海居士写过一篇名叫《女巫谷奇遇记》的文章,录于此供大家欣赏:“惟扶桑山中,曰女巫之谷有女巫之墓,在东海一隅。每每月落星稀之日,鸡不鸣狗不叫之时,可闻谷中声响:时而人声鼎沸如闹市;时而劳作之声不绝于耳;时而八音之乐悠悠;时而歌舞之声绵绵。乡人莫敢近者也。有好事者男,于夜深人静之时往而窥之。遇一年轻女子,披发长裙,相貌清丽。随女子拾阶而上,但见古木参天,野花遍地;路人衣着简朴,举止有礼。谷顶有女子芝兰之室,曰:神巫雅居。神巫者,氏族部落首领也。遂生情缘。说不尽柔情脉脉,诉不完爱意绵绵,自有族人殷勤服侍。然玉鸡一唱东方渐白,女巫恋恋不舍,乃轻歌一曲曰:“上邪,我欲与君相知,长命无绝衰。山无陵,江水为竭;冬雷震震,夏雨雪,天地合,乃敢与君绝”,又指天为誓,情定三生方去。男子醒来不见部落与女巫,惟见谷中积石一堆,又见石上诗文,方知是女巫之墓,遂自殉于墓石之下,一点灵犀追随女巫而去。有道是:问世间究竟情为何物,直教人如此生死相许?乃记。”[前掲毎日头条]

 話そのものは長いけれど,誰も近づかないその墓で,巫女(の亡霊?)を見かけた男がこれと仲良くなりすぎて殉死するに至るというもの。
 日照天台山のこの巫女の墓と伝わるのは,次の写真の遺構だという。
 年代は分からない。でも日を祀る巫女が,九州の真西千kmにいたわけです。

▲山東日照天台山の伝・巫女墓

 こういう状況を見てると,ここで言ってる「東夷」という集団についても,漢民族東方グループ,という捉えだけでいいのか?という疑念が生まれます。
 現・淮水流域の東がすぐ海で,蓬莱島と日本が浮く「大・東シナ海」とでもいうべき海域があった時代,そこに「古代・倭寇」のような境界人の集団があって,太陽神を崇拝していた。そんな夢想に行き着いてしまうのですけど,やはり何もかもが朧です。

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