m114m第十一波m闽南語 解夏を漂うニッポン語m文昌帝君

~(m–)m 本編の行程 m(–m)~
GM.(経路)

誰が何と呼ぼうと民享市場だ



▲再掲:民享市場(寺院前風景)
外伝06@(@_18_@) 素描・民享市場 (@_18_@)

享市場」と以前から勝手に呼んでるこの市場(一般に通りのいいのは「雙連朝市」又は「雙連菜市場」)の中心宮,文昌帝君。看板には「台北文昌宮」とあります。
 特別編仕立てでお送りします。

公務員試験専用神

▲1226文昌帝君祭壇前

聨「昌期應福禄權衡化作師君」
右聨「文徳垂陰[アルトウ+ノホ/馬]孝友源尊天地」
 左殿は関帝っぽい。
 右殿には「文魁夫子」とある。解説では「魁星爺」。
 本殿と右殿の間には「文魁昌化」とあり,こちらがメイン,あるいは名前の元のように見える。何でこんな半端な位置にあるのかは不明。

▲祭壇

りつく島もない不思議な廟です。
 文昌は文星を指し,学問,と言っても古くは科挙の神様で,現代は試験の願掛けに霊験あらたかと言う。魁星は,文星と同義に用いられることがあり,その場合は北斗七星の柄杓の先の第一星を指すという。
▲「三才図会」(1607(明万暦35)年に描かれる「魁星図」。踊りたい年頃の神様らしい。

魁星爺を熱く歌い上げる

の時はスルーしてるけれど,先に触れた演劇神・田都も祀られてるらしい。
 何なんだろう,ここは。
 官定の神様のいない,台湾民間信仰の集合団地のような,やはり不思議な廟です。
※ m102m第十波mm艋舺天后宮/■疑問点:劇団員は劇場神の為に闘う?/画像集:田都と西秦の並ぶ双連文昌宮
▲再掲:双連文昌宮福徳誕布袋戯
中国祭祀演劇関係写真資料

▲宮の裏手はただの公園

方は文昌広場という公園。やはり日本の奥山の御神体とかいうのと根本的に性格が異なる。カミの斎く場所というより,祀る建物,という性格になってます。
 歌にもなってるみたい。「……爺」がついてる点も気になります。

▲魁星爺 (道教閩南語演唱)林正明, 林美喜 2007


れはそれとして,民享市場はやはり好い!
 これだけ訪れて,なおも7枚も撮っております。よく飽きんもんだ,と自分でも感心しますけど──この気だるい変化が,何というか,麻薬です。
 なので,この7枚をもってひとまずのエンドロールとさせていただきます。

仕事が雑で好いじゃないか

▲(民享市場1)1217あのパティオに着いた!

の市場のラインは,地下鉄淡水信義線の地上部に伸びるパティオに沿います。
 のどかな緑地で,ご老人やらなぜか暇な人やらの姿が常にある。

▲(民享市場2)1218この雑然とした,というか雑な仕事ぶりが途方もなく好い!

の南北のベルトが何の後なのか,どうも分からない。戦後の地下鉄工事の地上部の有効利用,いやそれは間違いないけれど,それだけなら,なぜ宮が集中するのか分からない。
 かといって,これだけ再開発してるから,かつての町筋を推測もしにくい。

売るのも買うのもダレている

▲(民享市場3)1219 のわのわのわっと人だかりの暗がり。衣類の大安売りみたいな店らしい。

れはともかく,ここは客層がどうにもダレてて好い。
 簡単に言えば,香港にはこの空気は,ありそうに見えて絶対にない。大陸中国にも記憶がない。
 売り手も買い手もダレている。こういう市場ば,香港なら淘汰されるでしょう。

▲(民享市場4)1220 尻を並べて物色中……な女性軍の後ろを怪訝な目で遮る男性軍一人

気の質からだけで予想,というか予感するなら──東南アジアの海辺の市場を彷彿とさせる。ここはかつて河畔だったのではないでしょうか。
 正午を回って一段落のユルい時間。市場は大抵,朝か夕べがソレっぽいけれど,ここだけは昼過ぎのこの時間が好い。

寧夏市場 晴光市場 建成公園 永盛公園

▲(民享市場5)1234 奥は段ボールの何やら。手前は糸瓜一籠40元成。


立たないけれど,ここのちょっとした洋館の造りも捨てたものではない。市場の猥雑さを仮に剥ぎ取ったなら,トム・ソーヤに出てきそうな軒並みになる箇所もあると思います。

▲(民享市場6)1236 廟手前の,よく見るとアメリカンな洋風建築

西南に寧夏市場,北東に晴光市場。少しズレた南南西には建成公園,ほぼ真東に永盛公園の緑地。このベルトの北東延長には行天宮。
 朧気な斜めの帯が見えるようにも思えますけど,この章はエンドロールです。微妙にハズれた漢人世界・台湾そして福建を,話は一度離脱します。

▲(民享市場7)1237 必死っぽい物売り男の後ろ姿と対照的な通りががり女の飽き飽き視線