m19Dm第二十三波m妈祖廟の暗き棺に始まれりm1安平まで

本歌:冷蔵庫暗き棺が立っている〔松山東〕

🌬  🌬  🌬  🌬  🌬台南 三訪~~~~~(m–)m
沖縄から初の国際線。
今回初めて
海域アジアとして
開台の地・
台南へ入ります。
凡例 南∶台南
[前日日計]
支出1400/収入1350
    ▼14[205]
    /負債 50
[前日累計]
利益  -/負債 240
§
→十二月三十日(一)
1703水仙宮三兄弟魚湯店
魚酥飯
骨肉湯300
1747小公園担仔麺
担仔麺300
1904肉伯火鶏肉飯
火鶏肉飯
扁魚白菜湯
小菜500
2000黒糖太陽餅250
[前日日計]
支出1400/収入1350
    ▼14[206]
    /負債 50
[前日累計]
利益  -/負債 290
§
→十二月三十一日(二)

 

奥武山とガーナー森の改札を出る

🚈🚈
もろまち駅ゆいレールプラットホーム。0723。
 県庁前辺りで車内はもう超満員に。スーツケースだらけです。離陸は0945,普通なら充分な時間だけど……行列が懸念される。もう少し早く出てもよかったか。でも行き先は台湾だから……周りの言葉を聞いてるとほぼ大陸っぽいし。

▲「ケーブル噛めばいいさあ」

いレールが右に湾曲,国場川を渡る。奥武山公園のアナウンスを聞く。この「奥武」も,昨日の奥武島と同じ「おう」の読みです。この読みは何か伝統的なものがあるのか?
──この点については既に(後に)谷川健一説を見てきました。「おう」≒青≒洞窟≒異世界(死)です。

(上)現・奥武山周辺古地図 (下)妖怪・ガーナー森(むい)

武山が島だった頃,この南,空港行きゆいレールだと左手に「ガーナー森」という小島があり,これが妖怪と見なされていたそうです。

ガーナー森は、夜になると漫湖から陸地へ上がり、集落の家畜や人を襲ってくるので村人は困っていた。それを見ていた神様は、ある日天から石を投げ、ガーナー森の尻尾を漫湖に押し付けた。これでガーナー森は湖から動けなくなった。村人たちは神様に感謝し、また、ガーナー森を見張る意味もかねて、集落内に石獅子を立てた。
*琉球おきなわ説話/ガーナー森【那覇市の史跡】
URL:http://okinawa.seepoo.info/ganamui-001/

 ゆいレールに乗る現代人には滑稽無稽に聞こえるこんな魔の島々が,久米村の古・那覇港の入口を守っていた。現代人観光客を乗せたゆいレールも,この二箇所の魔所の間を通るわけで,ひょっとしたら現在も稼働する呪術的「改札」なのかもしれません。

▲紅芋「BENNY」

黒猫宇宙服ツーリスト

羊はやはり恐るべしです。やっと自分のゲップに羊臭を感じなくなりました。
 小雨。空が真っ黒ですけど,意外に雨量はない。
 赤嶺を過ぎた左手にゆいレール車両のたまり場。地上の車両って新鮮な光景です。空港手前で地上レベルに降ろす軌道があり,そこから降下するらしい。なぜか初めて見た。
 さて?那覇空港の国際線ってどうやって乗るのかな?

▲「富士山溶岩使用」

つものカウンターロビーの北側に,国際線だけのロビーを見つけました。赤い表示のDフロア──「国際線エリアオープン!」と看板が出てる。最近変わったんだろか?
 でもそこから少し迷う。ついにインフォメのお姉さんに訊くと……B1-6へ行けとのこと。よく見ると確かにモニターに小さく表示が出てる。行列は30人程度。ドトールの直下でしたけど……出発はやはりさっきの2階からみたいで,迷ったのかどうかも分からなくなる。
 とにかく0831。4階ドトールでエスプレッソを入れてからゲートへ。

タイガーエアのキャラ・黒猫宇宙服ツーリスト

IGERAIR×BURARA」と書いてある猫が宇宙服着てる漫画。どうやったらその組合せになる?とにかく不思議な路線に乗るらしい。
 荷物預けは5千円ちょいかかると言われて止めた。でもラッキーにも,久しぶりに手荷物検査で止められずに通れて一安心。
 ここのイミグレは,今や見かけなくなった古き良きカウンターでの人力チェック方式。久しぶりにパスポートに日本の印鑑が押されました。0859。
 さて,財布の中味を変えなければ。

雨とマツキヨと一風堂


湾は時差1時間。時計の短針を戻したのが1033。80分で桃園空港に着陸いたしました。
 よっしゃ台湾だ!……って,ここも雨やんけ?
 1046,イミグレ前は……うおお,凄い行列である。こんなだったっけ?日本人ばかりではないし,何が起こってるのか不詳。前進スピードもカウンターが多い割にそれほど速くはない。
 やむを得ずスマホの調整で時間を潰す。──流石はOpera,一番先に繋がりました。1057,au世界定額をオン。──とやってたらイミグレ行列はあと3人になってました。この人数を10分強で処理するとは,やはりどこかの大陸とは違うのう。
🌧🌧🌧🌧🌧🌧
108,建物を出る。
結構な大雨でございます。
空模様から見て,すぐには止む気配はない。天気予報を,台湾でなら見れそうなので当たってみると──AccuWeatherというサイトを見つける(URL:https://www.accuweather.com/ja/tw/taipei-city/315078/daily-weather-forecast/315078) 明日には小雨とのこと。その後は曇りから晴れに転ずる模様。
 そうか。雨の台南か。それはそれでいいかもね。
Walking qi-yue
を目指すので,台湾新幹線の桃園駅へ動く。
 この移動は経験済です。専用のバス路線がある。

(バス)
①「高鐵接駁車」表示に沿って進む。
②統聯客運の「705番」バス
③(2017年4月~事前購買ではなく)バスに直接乗って運賃(30元)を払う形式に。釣りは出ない。
④「悠遊カード」使用可

──でもそうか,MRTが出来たんだった!これで台北と逆に進めば──

(MRT)
①「往中壢」・「往環北」と書いてある方の乗り場に来る電車に乗る。
台北行きとは逆
②普通車は15分に1便
③所要約20分
④片道35元。「悠遊カード」使用可

 記憶通り台湾MRTのCDで台湾元を補充。悠遊カードの残額をチェックして──1123,第一航厦(ターミナル1)駅からMRT発車!
🚈🚈
ニ航厦到着!
 え?──隣が終点?台北からの快速はここまでで,それより先は乗り換えになるようです。待つ列車は環北(中壢の2つ前)行き。
 全然速くはない。これなら断然,バスの方が正解でした……。
 1129,第二航厦から再乗車。桃園高鉄まで残り5駅。
 車内広告「Go Go!Power Passenger 馳出你的正能量」──なかなか縁起いいやね。
 1135,大園で地上に出る。明るくなった車内は……あれ?えらくタイ人が多いんじゃないか?
 雨は小降りになってきました。
🚈🚈🚈🚈🚈
湾新幹線の駅内。外資系の看板に混じって,マツキヨと一風堂が目立ってます。
 1158,プラットホーム。台湾高鉄の自由席は10~12号,どこかの大陸新幹線と違い,日本と同じく乗り場に車両番号も書いてあるから安心して乗車できますね。1150元。
 1210定刻,乗車──とここまでは大きくは何事もございませんでした。従って,写真は一枚も撮っておりません。
 一枚目は,コレ!

▲リッチで優雅な台湾新幹線

車内には大きな怪物

うっ!座れん!
 1210,たまたま席がなく,とかではない。全然ダメです。通路までぎっしりと立ち客で埋まり,立つ場所さえも苦労する混雑ぶり!
 1221,かなり乗り降りがある。次の駅(おそらく新竹?)で座れました。電光表示に「台南1332」の文字が流れます。てことは──所要80分,那覇からの飛行機と同じ所要時間。

▲車窓風景(嘉義近辺,山側)

248,台中。
 雲は低いけれど雨は上がってる。
 1311,嘉義。
 東の山裾に白いもや。けれど南の天には晴れ間。要するに荒天らしい。
 1332,台南下車。

▲1332台南到着

RA(台湾国鉄)の接続駅・沙崙車站から1336,台南行き列車に乗換乗車。──親切なメガネお姉さんに教えて頂いたけれど……切符は自販機でしか買えない。しかもコインしか使えない。入国間際は両替に少し苦労する。25元。
🚈🚈
も照ってきた。眠くなってきた。
 台南だなあ。
 えらくのんびり走る列車です。車内もがらがら。千と名無しの乗った列車みたいです。
 対面の席で焼き芋を貪り食ってたオバハンが,食べ終わったのかリップを入念に塗ってます。
 その隣に乗ってきたのは美人のお姉さん。その手にはしかし──白の布袋にゴジラみたいな漫画。日本語の文字「大きな怪物」。──それ欲しいぞ。
 車両が停まったのは保安站?セキュリティが半端じゃなさそうね。
 台南が近付く。

こんな人(じゃないけど)たちだったと思う。「大きな怪物」

て。この3泊は宿をとってない。どこに行くか分からんからです。だから今日も,前回同様に駅前で適当に探すつもりでいます。
 本日の日の入りは1720。3~4時間で安平天后宮をまず回ろう。──安平までのバスは……2,77,それから謎のDouble Decker Bus West Circularというのが結んでるようです。
 沖縄から台湾往復という行程をセットしたのは,もちろん媽祖繋がりの旅行にしたかったからです。この二つの島は,海域アジアに隣合っている。それを実感したかった。

ノスタルジック・台南

▲台南駅

南着。1408。
 やはりこの駅は,好い。とんでもなく古臭い。昭和の日本にごろごろしてた駅舎の雰囲気なのです。

▲台南駅

418。10分で見つけた光華観光商務(≒ビジネスホテル)に入居してます。
 こっ!これは……!いいぞ!イチイチ設備が古い!ラブホみたいとも言うけど,いちいちノスタルジックです。

▲宿の隣にあった魅惑の路地

▲台南駅前ロータリー

を惜しんで1429,駅前ロータリーの西側へ。
 ここが北站(≒北バス停)。南西方向へ行くバスがロータリーの南站から出るらしい。二桁代のバス路線とは別に,赤・青・橘・紅,それから高鉄と結ぶ水色バスがある。これは車体の色が,というんじゃなくて単に紅1とか呼んでるだけみたちなんだけど。

▲1442バス停

始まりの棺の宮

っ?2路は南站なのか!
 1452,南站へ移動。逃した2路を悔しがってたら,すぐに来た99路に乗れました。車体には台南公園-観夕平台の文字。
 ロータリーは走る車には便利なんだろけど一見の観光客には迷いを増すばかり。
 既に全くどこなのか分からん。ただここ……今までの来訪では気にしてなかったけれど……騎楼だらけだぞ!
 あ,府前路を西行してる。
 忠義路に右折。
 Googleマップが全く位置情報拾わない。車内の路線図近くへ席を移動し,目で追い続けております。
🚌
っと位置情報が出た。1507。
 城域の南西まで来てました。今,海安路に左折。この道沿いに旨そうな店多し。牛肉湯というのもメジャーらしい。
 永華路を西行へ。
 台南市議会の巨大な丸ドーム。市政府もここにある。スピード上がる。
 造船公司が見えたところで左折。ここをぐるっと回って北上する。一瞬,西の川辺が見えた。自然海浜です。
🚌
折。安億路という豪気な名称。船のたまってる光景,港と言ってもいい風情です。
 さらに左折。橋をわたった。潰れかけた銀楼。
 1531,バス停「安平古堡」下車。

🚌

小雨。でも傘は忘れてきました。
 煉瓦のごっついお城が目に入る。ゼーランディア城ですけど……これはスルーして──西の裏手,煉瓦城の南へ入る。
 あった!
 1540,開台天后宮。──文字通り,台湾開闢の地を証する媽祖宮です。台湾に降りて5時間余でした。

▲1540宮に到着

■整理:フォート・ゼーランディアの250年

簡史と名称

1623年 オランダ,「一鯤身」に簡易な城砦を築城∶Fort Orange(漢語∶奧倫治城)

1624年 オランダ-明間の講和成立,澎湖に明,台湾にオランダの進出を了解
1627年 オランダ,先の砦を元に要塞を建設(1632年第1期工事完了)∶Fort Zeelandia(漢語∶熱蘭遮城)

1662年 鄭成功が同城を攻略,鄭氏政権3代の根拠となる。

1670年 オルフェルト・ダッペル(Olfert Dapper,オランダ人地理学者)描画[出典∶wiki/安平古堡(パブリックドメイン)]

▼ 注

1683年 台湾が清に移管。安平城は軍装局としてのみ使用。
1868年 イギリス軍艦の攻撃。砲弾が城内火薬庫に引火し爆発,城は廃墟と化す。

John Thompson(英∶写真家・地理学者)1871年撮影 *原典∶同wiki(パブリックドメイン)。撮影場所・方向の詳細は推定出来ない。現在見つかる最古の写真映像ですが,既に城壁が崩れ周囲には民家が点在するだけの状態になっています。

1874年 清(福建巡撫・沈葆楨),ゼーランディア城の煉瓦を億載金城建設の資材に転用

日本統治時代 城垣は整地。日本式宿舎が建設。

同(「日治時期舊照片」(日本統治時代の写真),年代・撮影者とも不詳) 現在の城に現存する洋風建築物は1930年築の日本の税関舎なので,この建物前と推定される。

戦後(国民党政府統治下) 城址を「安平古堡」と命名,残存する城址の保護を決定(現在は一級古蹟)

旅行用メモ

 城そのものは1874年段階で壊され(初め)ている。また,城としての実用は清移管の1683年に既に終わっており,当然それに付随して,天后や老街の機能も失われたと推測される。
 よって,いわゆる古鎮とは考えない方がいい(トンプソンの1871年写真にも町や港らしい光景は写っていない)。
 その後の時代においては専ら初の台湾統治機構が置かれた「象徴」となった場所だと考えます。「開台」という冠が,そのことを端的に表現しています。

▲「台湾に行ったこととは言えません」……きっちり五七七の韻を踏んでて,間違いを指摘しにくい。

■ツール:臺灣府志七版

 台湾編初回となる本章段階で,台湾史の基礎史料「臺灣府志」について,版と年代を一覧にしておきます。〔後掲維基百科/臺灣府志〕
 現存のものは合計で7版あります。著者代表の姓により略称され,蔣・高・宋・周・劉・范・余志と呼ぶ。うち刊行されているのは宋史以外の6版です。
 以下,ツールとして簡記します。

※(職)著者名「史料名{リンク→中國哲學書電子化計劃}」編纂開始年〜完成年
①(台灣府知府)蔣毓英「(康熙)臺灣府志」1685(康熙24)〜1689(同28)年
②(福建分巡台灣廈門道)高拱乾「臺灣府志」1694(康熙33)〜1696(康熙35)年
③(鳳山縣知縣)宋永清「增修 臺灣府志」1710(康熙49)年〜同年 ※未刊行
④(台灣府知府)周元文「重修臺灣府志」1712(康熙51)〜1718(康熙57)年⑤(福建分巡台灣道)劉良璧「重修福建臺灣府志」1740(乾隆5)〜1741(乾隆6)年
⑥(巡視台灣監察御史兼提督學政)范咸「重修臺灣府志」1744(乾隆9)〜1747(乾隆12)年
⑦(台灣府知府)余文儀「續修臺灣府志」1762(乾隆27)〜1763(乾隆28)年

「m19Dm第二十三波m妈祖廟の暗き棺に始まれりm1安平まで」への2件のフィードバック

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