外伝04━━━〓睦月之講━━━〓
錦・池政亭の月替わり定食(堀川牛蒡の天ぷら)

Ψ 小寒~大寒
δ 白味噌雑煮
  祝い肴三種
θ はなびら餅

 2012年,マクロスと地球の前にゼントランディー第118旗艦艦隊480万隻がついにその姿を現すのであるが,体重半減後の療養期にあるわしの前にも想像を絶する巨体が出現した。
 京都です。
 この深い懐を持つ土地と食文化に,目覚めたばかりのわしの味覚は途方に暮れてます。
 ちなみに,各章の頭に掲げたのは,各月の24節季に,旬の京料理と和菓子。(「京都の事典」(木野木啓人他著,ランダムハウス講談社,2007)による。)
 大学時代は関西だったとは言え,今のわしは完全な京都初心者。だって学生時代はもちろん1年前まで日本食なんか大嫌いだったんだから。
 ――例えば,書いてみたものの,「祝い肴三種」の意味が分からん。ネットで調べたら…田作り(カタクチ鰯の煮しめ),数の子,黒豆なんだってね。
 …へえ~。

 昨年6月――体重半減のリバウンド防止として食感育成に着手。
 今年の正月――味覚の大変動の中で,沖縄旅行のフォローアップのつもりだった正月の関西旅行。京都の存在感に初めて打ちのめされました(1日目)。
 その2日目に,錦市場の八百屋さん・池政に巡り会うのであります…
 その折の衝撃を,彼は(わしだけど)以下のように記しております。

 ――京都の本質は山里なんだ。霜のまだ溶けない嵐山の山河で確信しました。

▲寂寥たる嵐山――京都の本質は山里

 突如として話はデカくなるけど――九州から東征してきた邪馬台国分派がようやく築いた新天地が飛鳥や奈良だよね。それが内部抗争と制度疲労で行き詰まってどないもこないもなりまへんって状況で,起死回生のヤケっぱちに,当時の世界観からすりゃトンでもない北の果ての偏狭な山里へ一気に遷都しちゃった!その土地が,当時は出雲や大陸からの移民の難民キャンプ地だった今の京都。
 小松左京の「遷都」に移転決定前の山城に立つ桓武帝が,「ホントにこんなとこへ都を?」と馬上で呆然とする描写がある。
 決して合理的な選考じゃなかったはずです。家康の着目した江戸に比べ,はるかに不利な地勢の選択でしょう。
 中世の物資の供給や流通上は元々無理があるし,軍事的にもこんな攻められ易くて守りにくい地勢はない。当時技術的に移転可能な範囲でだけど…遠くの場所でやり直せるなら私どこへでも行くわ…ってのが本音クサい。奈良時代末の日本はそれ程時代に追い詰められてたのね。
 かくして山城国のこの盆地は,一躍日本史のど真ん中に躍り出る。この出生の数奇さが,京都の独自性の根源なんでしょね。

 ――第三次の買い食い爆撃の後,目指した「うさぎ亭」が見つからず,結局11時半まで待って錦市場の池政に入りました。
 店頭は京野菜を専門に売る八百屋さん。その奥手の露天のベンチみたいなとこに座る。メニューは月替わりのお昼の定食のみ。
 このシチュエーションで普通なら1800円は馬鹿高なんだけど,食い終えた実感は――倍だって払うぞ!!
 鰆の照り焼き。
 堀川牛蒡の天ぷら。
 百合根のあんかけ。
 白味噌。鶴を形どったニンジンと亀の大根が入る。
 煮物。れんこんと大根が主体。
 こ…これが京都の実力かあ!!――どれもこれもが淡白で超奥深い。食って「あ!ウメー!」っちゅー短絡的な味覚と別次元の,胃からコダマのようにエコーしてくる満足感。
 完敗だって痛感。今のわしにはまだ,ここのおばんざいを完全に味わうには力不足にも程がある。3割も理解できてないと思う…中途半端なグルメでスミマセン…修行してから出直しますんでその節はまたよろしくお願いッス…


▲池政の昼定食

 ――これまで全く興味のなかった素人の自習ノートなんで,南倍南さんを始め玄人様におかれては温かく見守って頂きたく存じますんですが。(一気に弱気)
 11月。鰆(さわら)の幽庵焼き。
 12月。聖護院カブラの千枚漬,すぐき漬。
 1月。白味噌雑煮。
 京都初心者向けっぽい「京都の事典」(前掲書)によると――京都には,こんな感じの季節に応じた産地や旬のアタリ料理がある。そんな感じで,京都のおばんざいには慣習や決まりごととして細かく社会システム化されてるみたい。
 「おばんざいというのは,ケの日,つまり普段の日に食べるおかずのことで,お番菜とも書く。番の字は,番茶や番傘に使われるのと同じく,粗末な,普段の,という意味がある。」
 「月に数度,何日には何を食べるかを決めていたもので,ある家では,朔日(ついたち)は,小豆ご飯,なます,にしんこぶ。別の家では,十三日は,小豆,小芋,焼き豆腐を入れた白味噌汁,二十一日は茶飯,豆腐のおすまし。月末にはおからを食べることを決まりにしている家もあった。 今日,おばんざいの代表的な料理としては,おからの炊いたん,ひじきの炊いたん,大豆と小海老の炊いたんなどがあげられるだろう。」(前掲書)
 へえ~全然知らんかった…
 ただ,この本には「いま流行のスローフードのスピリッツは精進料理にあった」なんて記述もあるけど――そーゆーのとは違うと思うわ。
 つまり。貧困な食材しか入らないこの無理矢理な急造の都には,地勢的な実力以上に,多量かつ最高ランクの美食を供給しなけりゃなんないプレッシャーがかけられたからなんだと思うわけ。
 これは,日本の社会史上この上ない難題だったはず。だからこそ飢饉や経済破綻も繰り返された。
 けど,それこそが,日本史上最高級の美味を生み出す環境になった。そして――最高に緻密な食文化システムを。
 漬け物や寿司など保存食を特色とする京都料理。
 カロリーや鮮度に乏しい,貧困な食材しか流通できない悪条件下だからこそ,食材選別と調理方法の工夫が生まれる。長い歴史を通じて,その工夫が人間に適した食文化スタイルを形成してく。思うんだけど…それが美味の唯一の条件なんだよなヤッパ!
 そこんとこで――体重半減のための低カロリー生活のもとで鋭敏になったわしの舌と,劣悪な食材環境下で生み出された京都の美味とが,原理的にクロスするんだって感じたわけさあ。

 ――京都最後の1食はグリグラカフェへ。
 木造の町屋,15席位のメチャクチャちっちゃい店。
 お家の昼ご飯1000円プラスコーヒー100円としました。
 釜炊きご飯,白味噌汁,椎茸と筍の煮込み,春菊のチヂミ,豚の角煮,杏仁豆腐。
 「自分たちが食べたい料理」を出すモットーの店だって。京都風の日本食を中心に,韓国,中華がプラス1品…おまけに豚角煮,つまり沖縄料理のラフティーときたもんだ!
 オシャレさはともかく味は正直カフェとして抜群じゃないけど,食感覚の健全さに共感。③那覇の豆腐屋食堂と同じ納得がありました。食の「標準時」みたいな心地良い平衡感覚。
 ところで3食目はって?
 四条京阪へ。京橋で東西線に乗換えて新福島に最大戦速!リミットは15時!
 もちろん,チョウクのミルスを今度こそ手で食うためであります!

 ――とゆーわけで多忙を極めたんで,第三次爆撃の戦果を味わうのは広島に帰ってからでした。
 最後は京都だけに清水の舞台から飛び降りる高ッい買い食い。
 うちだ:緋の菜漬,すぐき漬,千枚漬

 田中鶏卵:だし巻き
 魚重:なれ寿司
 どれが高いか関西人なら一目瞭然――なれ寿司です。300g位のセットに2600円払ったけど…食べて納得!ブッ飛ぶの妙味でした!魚も米も糠も渾然一体に超臭いッ!のに超ハマる!!…これは他の何にも例え難い。是非トライしてね。
 スグキ漬もお握り1個位の塊が800円した。けどコイツも最高!酸っぱ辛いのにほんのり高貴な甘さ。
 実は昨日高知ひろめ市場近くの漬け物専門店でスグキ漬けを売ってたんで,「高知でも取れるの?」とオバチャンに訪ねたら「これは京都だけです。
 けど京都でも扱う農家は年々減ってるの」だって。この味の理解できる消費者がいかに減少してるかを痛感――ってわしも理解して1週間ですけど。


▲広島人として気になってしょーがない衣笠丼。やっぱり…超濃口でグジャッとしてんの!?

 とゆーわけで本稿は――四十前にしてやっと京都の凄さを思い知った珍しい日本人が,これから12月,毎月1回の通いでお勉強させて頂いた講義ノートってことになると予想されます。

 とりあえずのターゲットは,先述しました錦市場の八百屋さん・池政の月替わり定食。
 町屋のシキタリに割と忠実になぞってるっぽいこのお店で,京都の旬の食文化をかなりフォローできるはずッス。
 ただ,この町は単に伝統に忠実なだけじゃない。新しい料理も貪欲に吸収する気概を感じる。
 最近思うのは――喰いもんの美味さって,技や食材だけじゃない。特に食材的には京都って広島にも劣ると思うし。
 1割の技と2割の食材の質,3割のバランス。あとの4割,これは遊び心じゃないのかなあ?
 飛び跳ねる,冒険する,ジャミング(掻き乱す)する,挑戦する,スイングする――例えば超老舗の料理は,確かに完成されてるけどそれが乏しい。面白くないの。
 歴史ある京都にもそーゆーのは多いけど,基本的に工夫に工夫を重ねてきた食文化だから,今もその厳しさを食に対して持ってる気がするわけさあ。何となくだけど。

 以上が京都体験2日のファースト・インプレッション。わしが現在持ち得る食文化に対する一番トンガった見解です。
 飽きっぽいわしがホントに毎月通いつめれたなら――
 1年後,リバウンド防止も含めた体重半減が本当に完成した段階で,わしの食の感性はどこまで行ってるんでしょう?

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