外伝17-045 魯の道や紆余曲折の果ての青/平原路

~~~~~(m–)m~~~~~(m–)m~~~~~(m–)m本編の行程:Googleマップ(経路)~~~~~(m–)m~~~~~(m–)m~~~~~(m–)m

西柿西和鶏蛋をスープにしたような

▲再び出た龍江路は北北西に坂を登る。

島の街の面白さは,まさに江本論文(前掲)の言う「コントラスト」です。
 1033,龍江路の西の突き当たりの龍口路に出ると,街路樹の影の程好い道ゆきになりました。美しいんだけど,中国下町の普通の景観に近い。
 華岗故居前。右折北行。
 ここまでで初めて普通の街の賑わいになってきた。そう言えば,そろそろ腹が減ったな。

▲金麦園快餐で朝ごはん

ぜかGoogleマップに記述されてます。「龍口路」店となってるからチェーンでしょうか。
1053金麦園快餐
トマトと卵のスープ
餡入り焼餅,漬物(筍塩辛,昆布の塩辛)370
 旨かったのは旨かったんだけど…謎の味,という印象が残りました。
 特に西柿西和鶏蛋をスープにしたようなほんのりと甘く酸っぱいスープ。旨さという点では絶品です。焼餅の餡も野菜を煮込んだような,ひじきのような不思議な旨さ。
 でもこの味覚って…どこの料理?
 日本で出されて中華かと言われたら,あえて言えば,と中華に分類する味です。でも,じゃあ上海や広東,四川のどの部類?というと迷う。ほんのり香る,という感覚の中華。これが山東や北京の本流かどうかは全く自信がないから言わないけど──さりげないのに未知。そういう味覚でした。
 ──今考えると,山東らしい味覚の初体験でした。食材の旨味を引き出すという点では,思想的に和食に似てるけど,引き出す戦術が異なる。和食は出汁で,あと広東なら焦点外の部分をカットすることで引き出すところを,山東は八角など中華スパイスを触媒に使う。油のドレッシングとは違うアプローチの差に,この初食では戸惑ったんでした。

青島基督教堂のパティオは大学前ロータリーに

▲龍山路の土塀

江路が龍山路にぶつかり果てる。左折して西行へ。
 1108,青島大学附属医院南門前のロータリ(場所ーGM.)。ロータリーと言っても,道をかなり複雑にしてロータリーっぽく設計したようですけど,実際は広場のようなワヤワヤした風情。
 江本論文のドイツ時代のマップを見ると,やはり教会前のパティオだったようです。つまり,現行の設計思想より百年前のそれの方で活用されてるちょっと面白い場所。

▲青島大学附属医院南門前のロータリー

ータリーの南は青島基督教堂。
 ここは観光地らしく外来の人がうろうろしてる。…ってわしに道訊くな,あんた地元の人だろ,おばちゃん。
 まあ経験上──道を訊かれだした時点が街歩きが順帆になった段階です。
 久しぶりに農夫山泉を買う。2.5元。

至福の平原路を登る

▲平原路に入る。

雑なロータリーです。
 地図をよくよく睨んで道を選ばないと,ここは怖い。間違うととんでもない場所に出てしまいそう。
 1116,大学の西側外縁に沿う平原路を北西へ進む。
 にしても上の写真,完成予想図のマンガみたいなトーンで撮れてます。採光もあるけれど右手を行くカップル,特にお姉さんの真っ赤なシャツのせいでしょう。

▲平原路中段辺り

え?
 大学脇の抜け道かと思いきや,これまた素晴らしい坂道です。大学の壁に出入口があって学生も出入りしてる。そういう学生街ということもあるんでしょうか,しっとりした雰囲気で店も意外なほど充実してる。
 ただ…次の丹念な記事を見てると(しかもほぼ同時期!)まだまだ歩き尽くせてません。疲れも来てたのは確かだけど…結構この平原路からは細い脇道が登り下りしてるみたい。こんな坂あったのか~!という写真が一杯あって…とても悔しいっす。
 江本論文の図を見ると,ドイツ時代の図の大学の場所には「公立病院」と記してあり,日帝時代のには現平原路が「病院通」として書かれてます。
每日头条
/青岛平原路有个“奇观”(青島平原路はある意味「奇観」)2018-09-20

▲最初の五叉路付近

原路の頂上部は五叉路になってます。
 少し左手に進む現象路,右折する現象一路,そして左折の観海二路。
 この一角に,狙ってた焼き餃子(鍋貼)の繁盛店が並んでた。学生相手らしく20元ほどで高くはない。こういう激戦地は味も確かだろう。でも今は少し混んでるし,こっちも結構腹が膨れてるし…。

※ 百度/青岛锅贴
「青岛锅贴是山东青岛著名的地方小吃,锅贴底面呈深黄色,酥脆,面皮软韧,馅味香美。」:青島焼き餃子は山東省青島の有名なローカルフード。焼き面は深い黄色で,歯応えよく,皮は柔らかく粘り,具の香りが美しい。
 で,どっちだ?
 右手の現象一路がいい感じの坂道に見えたんだけど,この道を行くと現象山公園に登るしかなくなる。
 となると──1131,五叉路から左折,観海二路へ南西行。

観海路を迷走して見つけた至宝の黄島路

▲観海二路の小店の並び

りゃまたいい!
 ここの写真でも前掲“奇观”プログには白旗ですけど──入りたての辺りのゴミゴミさはいい。五叉路から左折するとすぐT字,というか二路が左右2本に分岐。右折西行するとすぐに階段にぶつかり左折。
 この配置は…現象一路と二路は現状,観海山を巡る環状を成してます。おそらく現象二路の居住エリアが充実するに連れ,五叉路へ無理矢理接続させる必要が生じたのでしょう。

▲現象二路の下り階段前の屈折部

道がなかなか見つからなかった。
 シックな住宅が並ぶ二路でしたけど,南向きに入るとそのまま延々続いてしまう。
 金口路と似た造りです。抜け道だらけの平原路側唱とは大違い。家並みは似てるのに道の配置だけ異なる。
 江本論文のドイツ時代の地図では,この双観山はまるまる「総督山」と書かれてて観海一,二路はない。日帝時代のには今のと同じ道があるから,総督府の裏地みたいな場所を日本が開発して宅地化したのでしょう。
 東西の微妙な違いの訳は見えてきませんけど。

▲観海一路への抜け道を過ぎ,一路側から振り返る。

っと見つけた西の観海一路への抜け道を下る。1137。
 一路へ,右折北行。少し商店の並ぶ通りを過ぎて──
 あら?これはさっきの五叉路の一つ北の五叉路だわ。

▲観海一路の北口辺り

 五叉路(場所→GM.)と書いたけど,正確には南北に近い安徽路の東側に観海一路と現象路が合流してる。その合流点の西側対面に,黄島路へ階段が降りている。
 不思議な配置です。
 江本論文には全く記述はない。でもどうやらこの界隈が最も古い中国人地区らしい,というのは,宗主国側の特記がないという点から逆読みできるかもしれません。

▲家の門の中には,柵がなければ辿ってみたい階段の坂道が続いてます。

うけど黄島路をとる。
 朽ちかけた階段で下る。方角はほぼ西方西。
 正解でした。
 歩くにつれ,中世の街のような渋い家並みが延びていきます。

▲黄島路の南端付近

の石畳の道,いい味出してます!
 最初の十字路の向こうには小さな市場が続いてる気配。イタリアの小さな街の市を思い出させます。
 しかしまあ──第二の五叉路から100mしか離れてない場所がこれです。青島のコントラスト,これはもう魔術的です。

▲家並みの渋い岩壁。短冊のようになってるのは電話番号でした。

[前日日計]
支出1500/収入1100
     /負債 400
[前日累計]
     /負債1319
§
→九月十七日(一)
[41青島駅] [42海水浴場][43金口路][44龍華路]
1053金麦園快餐
トマトと卵のスープ
餡入り焼餅,漬物(筍塩辛,昆布の塩辛)370
[45平原路]

1203沂蒙山全羊湯
全羊湯,餅(1)21元300
[46黄島路]
1556姐一家特色鍋貼
牛肉鍋貼(小)20元500
[47観海山][48中山路]
1758生活林
月餅,桃ス400
[49河北路]
[前日日計]
支出1500/収入1570
負債 70/
[前日累計]
     /負債1249
§
→九月十八日(二)

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