014-0湯田温泉駅直進路\湯田\山口県

~(m–)m 本編の行程 m(–m)~
GM.(経路)
※ A-B間は実際には直進可

湯田温泉からの帰り道

田温泉では、脇道に迷い込みたい衝動についつい駆られます。
 表通りは極めて整然としてるこの町は,なぜか裏通りが唐突に複雑な様相を見せます。
 うち、JR湯田温泉からの通路になるために最もよく通る道から記録しておこうと思いたちました。

1148T字路を東から

149,ホテルニュータナカとコンビニの間,井上公園の東横を南へ進むと、T字路に突き当ります。
 ad下市町11。
 この下市というエリアは,住所表示上はこのT字地点から湯田温泉駅までの方形の区画になります(→GM.)。
1148北入口

字路の対面に、車道ではないけれど直進路が伸びています。
 これに入ると──ゆるゆると,左手東側へ道と水路が湾曲しています。
1150側溝

溝の水路を見る限り、それほど古びたものではないけれど、元はかなり年代を経たものではなかったかと感じさせます。
 ちなみに底を覗いても,長崎のような傾いた岩張りはない。でも現代になって張ったものではないように見えるのです。

赤煉瓦の旧家地点

微妙に蛇行する小路

の道の南側は天理教の教会にぶつかって途切れます。筆の形からは、教会の出来る前はもっと続いてたような気配もあるけれど、確定させる材料はありません。
1152蛇行路のアパート脇

屋も決して古いものばかりではありません。むしろ上の写真のような現代的なものも多い。
 ただ一軒,これだけは昔から続いてるだろうと思われるものが右手に現れます。
1153くすんだ赤煉瓦の区画の西側脇道。

前はこの脇道から西の本道に出てました。湾曲して不安に感じる細道ですけど,ちゃんと抜けれます。
 行き止まりの道が少ないのも、湯田の細道の特徴かもしれません。
赤煉瓦ブロックの側溝

れにしてもこの旧宅の、堀でも巡らしたような側溝の取り巻き方は一体何でしょう?
 昔の筆の形を留めるのがこの辺りに限られることもあり、何かが読み取れれば面白い地点なんですけど──分かりません。

水路の合流点

154、天理教山陽大教会の石碑地点。
 ad下市町9。
 先述のとおり,ここで道は途切れます。ただし水路も東へ折れてます。
 ということは──教会が無理に既存の道を塞いだのではなく、最初から現・教会の大きな筆があったと捉えることも出来るわけです。

湯田下市付近集落図

の地図で見ると,「市」の文字の辺りが現・教会の筆です。
 この南で二つの水路が合流してる。換言するならこの二水路で南を仕切った大きい敷地がここにあった、と考えると自然な眺めなのです。
 けれどここはとりあえず──1157下市町13、教会門前。そのまま東へ。

1156現・教会の北縁の側溝

の赤煉瓦ブロックに似た感じで、水路が敷地の壁外をつたっています。
 この東行路はすぐに途切れそうな細道になります。けどまだ東へ行けるのです。
 エディアス湯田A左手北側より、振り返り一枚。

水路のジャンクション地点

1159とても通じてるとは思えない見通し方です。

午。
 ここで道は、一本の水路を小さな橋で渡ります。──何のための配置なのか、全く読み取れない。

1200車道側を見る。

真のようにこの時点では何かの工事をしていたので、現時点での光景は変わってるでしょうけど──水路自体はS字にくねりながら,正確には水路は2本に分岐しています。
1202同東側

JR側出口の墓地脇道

の辺りから東へ15mほど行くと、さらに南へ行ける小道が見つかります。1202。
 これで南側の車道に出れる。南対面は墓地。この西脇に畦道が続いているので,(気味の悪くない時は)これを辿ります。1206。

1206岩崎チェーンと墓の間の畦道

の墓脇道の南出口が、湯田温泉駅横の駐輪場対面になります。
 もう向こうに──写真では見分け辛いですけど巨大温泉キツネ像が見えてます。
湯田温泉駅

ぜか,湯田・下市に関する記事はほとんどありません。
 角川日本地名大辞典でも次の記述を記すのみ。

もとは山口市下宇野令・矢原の各一部。「山口古図」には湯田前町に続いて下市とみえ,古くからの地名である。〔角川日本地名大辞典/下市町〕

 古い町だという情報以外では……行政的に複数に分離されてた土地である、と分かるのみです。史料に残りやすい山口市中心部に対し,上からは「どうでもいい」土地だったように思えます。けれど、そこに市が置かれ、しかもそれは(おそらく山口城下の)何かを上とした時の「下」市だったと考えられるわけですから──庶民にとっての要地だったことは否定し難いのですけど。

長沢芦雪(ながさわ ろせつ) 宝暦4~寛政11年(1754~1799)「牛図」