外伝06@(@_12_@) 客家料理 (@_12_@)

 4日目。MRT新店線の古亭駅,あまり立ち寄ったことのない駅で降りてみた。
 駅からすぐの路地裏に,普江茶堂っていう店を見つけて入る。
 民家風のガチャガチャした雰囲気の小店。前から気になってた客家料理の店です。
客家板麺(80元)
[テヘン+雷]茶(以下「ライ茶」と略す)(90元)
 割と値の張るメニュー。2品だけ注文して待つ。
 来た。


▲普山食堂のライ茶(作る前)

 ライ茶は…中国三大何とかって壁面に書いてあったけど,わしはそれより韓国の穀物茶を思い出しました。
 いきなりデカいスリ鉢がドンと出る。中には黒と白のゴマ,それにピーナッツが入ってる。これを完全にすり潰す。その場で摺らせるってのは,摺りたての香りを殺さない状態で飲むってことなんだろーね。
 ここに抹茶らしき粉を多量に投入して混ぜる。あとは湯を注いで,碗に移す。米を煎ったものを表面いっぱいに浮かべる。杏と,恐らくカボチャの干したものを好みで入れて,飲む。
 茶の粉の量に比べて,ゴマ・ピーナッツ・米・杏・カボチャともごく少量しか入れてないのに,もうそれは日本人や漢民族の言うお茶ではない。かと言って韓国の穀物茶よりもさらに複雑なバランスの上に,この茶のようなスープのような粥のようなライ茶としか言いようのない食品は出来上がる。
 粉っぽい。だけど抹茶が粘ってネチャネチャとゲル状でもある。茶の渋みと同時にゴマやピーナッツが香り立ち,杏の酸味も時折踊る。


▲普山食堂のライ茶(作った後)

 一方の客家板麺は,きしめんのもっと太い感じの小麦粉麺を焼きそば風に調理したもの。
 味はごくシンプルな塩味で,中華的な醤などの調味料は感じられない。東南アジアによくある焼きウドン(タイのバッタイなど)に近いけど,唐辛子やシェン菜(タイのバクチー)は入ってない,より潔い感じの塩焼きそば。
 いずれも気に入った。ただし,美味いかどうかって言われても困る。知らないタイプの料理だったから,ただただ驚いたっていうのがホントんとこ。
 台湾の他の食体験と全く別の意味でです。
 いわゆる中華料理とは思想が全く異なる。おそらく一つ古い時代の形式なんだわ!
 この店の名刺を見ると,北[土+補-ネ][テヘン+雷]茶堂という会社が経営してて,新竹県(台北の西郊外)で2店出した後,3店舗目としていよいよ台北市内に出店したのがこの店らしい。
 帰る頃には他の客も来始めたし,ライ茶は一応台湾を席巻しつつある「茶芸」流行の波に乗ってるみたい。

 けど…そもそも客家って何よ?
 えええ!?知らないのお!ホントにい?
 っていうか…私もよく存じませぬ。申し訳ござりませぬ。
 言い訳すると,客家が何なのかは学問的にも分かってません。身体的には漢民族とほぼ同じで,文化的に特徴を持った集団ってことしかよく分からんのよ。
 中国語読みは「ハッカ」。「よそ者」の意味がある言葉で,「中華の流浪の民」とも呼ばれてます。
 漢民族そのものが,元は黄河の中下流域に住んでた民族だったのが,長江以南へ拡大して今の居住域に住むよになったわけだけど,客家はその移民の先駆け的集団だったらしい。後漢時代の貴族の子孫と自称されているらしいが,要は漢民族移民が少数派だった時代にアイディンティティを形成した集団が,後から来た漢民族に対しても自集団を差別化するよになったんでしょうね。アメリカの初期のイギリス移民がアイルランドやイタリアからの後期移民を蔑視したよな類いかな?
 結果的に,広東省・江西省・福建省の境界地域の山間部に集住して,土着の住民と雑居する中で現在の客家が形成されたらしい。
 歴史上,他集団と敵対してきたことも多々あるようだけど,そのうちに少数派の劣勢を補う知恵として,中央の政治権力と結んで立場を強める戦略を取るようになっていったらしい。一般に漢人としての意識も強い。イギリスのために各国の戦場で戦ってきたネパールのグルカ兵みたいな感じ?
 中国共産党の初期の解放域と重なったこともあって,結果的に,特に現代は非常に政府に深く食い込んでる。その分,権力闘争の影響も大きくて,文化大革命前後には相当数が台湾に逃れて来てて,これが今台湾にいる客家。
 移民のために土地所有が難しく,第三次産業を主な生業とし,教員も多いために「中国のユダヤ人」とも例えられてます。これはイメージしやすいよね。
 客家語は北方中国語の古語とされてて,従来は中原地方で用いられた言葉のようです。つまり少数派としての保守性ゆえに古代の中国語を変わらず使い続け,今に伝えることになったらしいのね。
 この言葉に象徴されるように,まさにユダヤ人と同じで独特の言語・文化を持ってる。違うのは,元々漢民族だったらしいんで,独自と言っても漢民族の古い形態の文化を保ち続けてるだけと言えばだけだってこと。
 長くなったけど――ここでは大昔の漢民族の食文化がこんなだったのかな…って把握の仕方でこの客家料理を見ていきましょう。

 5日目の京兆伊の八宝茶を振り返ってみましょう。
 下午餐のスイーツなんで中華スイーツの章で触れました。ここのスイーツは宮廷料理の再現なんだけど,八宝茶はその1つで元々山西や大同の地方食だったことは前に触れました。


▲京兆伊の午餐

 八宝茶は客家料理じゃない。
 じゃあ何で持ち出したのかってえと,わしの中でこれがライ茶に一番近しい感じがしたからです。茶葉以外の穀物を混ぜたあの複雑な味覚。
 八宝茶の構成物をおさらいしよう。胖大海,氷砂糖,サンザシ(山査子),有機緑茶,黄山貢菊,陳皮,スイカズラ(金銀花),甘草,桑の葉,バナバ,銀杏葉。ライ茶よりレアな品々が多いだけで,要は穀物のブレンド茶なのよ。
 舌触りの記憶としては,韓国で飲んだ穀物の粉をドロドロにして湯を注ぐ茶が似てる。チベットの塩辛いバター茶もこの類いだと思う。系列的にはその遠い子孫が,韓国のトウモロコシ茶などの多彩な穀物茶で,日本にも麦茶とか蕎麦茶としてあるんだと感じた。
 つまり,緑茶や紅茶を含めた今の茶が入って来る以前の穀物茶。それがメジャーになった茶の文化圏の辺境にポツリポツリと残ってる。
 古い形態を留める客家のライ茶は,その一つだと思う。
 ライ茶も八宝茶も,茶を飲めない貧しい階層が腹を膨らますために飲んだ代用茶だとして語られてきた。でもそれは,そーゆー形で生き残ったってだけで,元はこの形態が最初だったんだと思う。
 客観的に見れば,栄養的にかなり優れてる。茶のようなノンカロリーの嗜好品じゃなくて,ほとんどスープ。西洋のが小麦粉のスープなら,この東洋スープは雑穀スープなのね。
 穀物のブレンドスープって言えば,オートミールやポリッジを思い浮かべるけど,イメージしにくいだけで日本の家庭生活に入り込んでるのがある。カレーですね。
 実は。ライ茶をすり鉢でゴリゴリ潰してる時,妙なデジャヴに襲われました。インドの民家風の食堂の厨房脇で,お母さんがゴリゴリやってたのとコレ同じじゃん!すり潰してんのはクミンシードやらターメリックやらのスパイス類。インドの家庭では,こうやってスパイスを自分ですり潰すとこからカリーを作っていきます。
 それが伝わってライ茶に…ってこともあるかもしれんけど,ここでは発想の類似性に着目したい。結局,カレーって穀物スープなのよ。
 その延長に,この後触れるルー味もあるわけですね。あれも中華風の穀物ブレンドのスープには変わりない。
 古い料理の形態として,この穀物スープのタイプってのはかなり普遍的にある食文化だと思うわけ。客家料理は,そーゆー点ですごく色んなことを気づかせてくれる食体験でした。

 4日目,南海路。客家古早飯。もろ客家専門店です。
 角のスペースを無理矢理仕切ったよーな…なんか適当な感じの造りの店。客の入りはほどほど。「茶芸」が流行ってるのであって「客家」に人が集まってるわけじゃないのかな?だからこそ,この店では掛け値なしの客家料理が見れるはず。
 頼んだのは,南瓜飯と昆布排骨湯と豆干。計75元。


▲客家古早味 南瓜飯と昆布排骨湯

 韓国の南瓜粥をイメージしてちょっと期待してた南瓜飯は,まあほどほど。家でも出来るかな…っていう感じ。
 意外だったのは,ついでに適当に頼んだ昆布排骨湯。
 突然の懐かしい味に口が驚く。――え!?テビチ汁?煮付け?豚肉はトロトロな上に,昆布のダシが素晴らしく味クーター。これは完全に沖縄じゃないか?何でこんなとこでこの味覚に出会うんだ?
 するとあの味は…沖縄固有のものじゃなくて中国古来の味覚なの?少なし,逆に沖縄から客家に伝わった可能性は低いわな。
 しかし昆布だぞ?北辺の産だぞ?って懸念も,そもそも沖縄料理に昆布が多用されてんだから問題ない。おそらく東シナ海の大航海時代,倭寇の時代から鄭和の遠征の時代に交易で入ってくるよになったんでしょう。華僑の中核を成す客家がこの食材を昔から用いてることに何の不思議もありません。
 とすると。沖縄料理って古い時代の中華料理の形態を残してんのか?
 懐かしいような,でも根本的にエキゾチックなような――客家料理はそんな奇妙な印象を残して喉をくぐって行ったのでした。