本編の行程:Googleマップ(経路:古城バス停まで)
雨に濡れたる石畳:仓街
「仓」という漢字は,「倉」の簡体字らしい。
今は名残がないけれど,穀倉が連なっていた通りでしょうか。
古城のこの南東部の道配置は,条里制から外れた屈折が多い。回族居住区との間という点からも何か独自のエリアに見えますけど…掘りきれてません。
ようやく偶园街に出られた。1537。
トイレの表示を目にし,南へ左折。尚書里坊とある石門をくぐります。
すると右手西側に,白亜の塔が姿を見せる。西洋風の教会です。トイレというのはここのことらしい。
約90年前,1931年の建築。青州でのキリスト教の布教が1875年に烟台教区からの派遣で始まり,その45年建築後のことです。
※ 青州旅遊岗/青州天主教堂
マリアの背を呆然と見る:天主教堂
青州天主教堂のトイレから出ると,雨足がさらに強まってる。1550。
アーメン。脇の庇で再びの雨宿り。止まない。そんな素振りもない。
ただ,残る記憶としては,雨雫に濡れた塔とマリア像がひどく美しかった。
魏仕照明 テクノタウンの夢の跡:帰路
僅かな雨足の合間を見て,1605,南へ道を継ぐ。
泰国民安とある大門をくぐる。
車道脇を西へ。
幸い,なのかどうか,南北の道にはあまり惹かれない。距離を稼ぐ。
1610,珍珑山南路に出て右折北行。さっき降りたバス停の向かい側を目指す。
帰っても周囲には何もない。
バス停脇,侵入時に見つけてたこちらで買い溜め。
1629仰渓村糕点舗
宮廷桃酥370
シュークリーム170
他の食べ物屋は閑古鳥の時間にここだけはひっきりなしの来店が続いてた。間違いはあるまい!
で1634, 11路で北へ帰る。寒い…。
途中,河を渡る。中洲?…と見えるけど,右手東方に五重位の塔が見える。その辺りが古城の北端に当たるはずだけど,何かあるんだろうか?
何とか帰り着いた宿で,窓から改めて見下ろすと,魏仕集団研発中心(と南からは看板が見えた)は広大な人気のない建物でした。
調べてもヒットしない。単純には、研究都市の失敗した跡と推測できる。ただ,お陰でネグラは確保できたわけで,感謝感謝なんですけど。
さて,宿で崂山緑茶のアテにして買い食い物件を頂く。
シュークリームは,何とその場でクリームを入れてくれるタイプでした。シューがきびきびした本来の旨さの上に,クリームが全くべとつかない甘さでほぼミルクの甘味のみ。あくまでもシューを基本に据えてほんのりとミルク臭が立つ。繊細な味わいです。
桃酥の,この見事な粉粉しさはどうだろう。よく個体になってるなと思うほどのジャリジャリ感。食感は炒った小麦を食べているようです。その分,焼き香がダイレクトに来る。
どちらも見事に中国菓子です。西洋起源だというのを忘れてしまいそう。
さて──やっと地図を開く気になった。明朝,再度老城を攻めるのは決めてる。どう歩くかな?