本歌:草笛の草が破れてよりの雨 (開成)
支出1500/収入1570
負債 70/
[前日累計]
/負債1249
§
→九月十八日(二)
[51青島駅へラストウォーク] ⇒
1213楊銘宇
鮮鶏腿肉(小份)15元,豆腐皮2元 650
[52青島駅~青州古城][57特]⇒ [53夥巷街] ⇒
[54東門大街]⇒
[55清真寺の雨(南菅街])⇒[56帰路]
⇒
1629仰渓村糕点舗
宮廷桃酥370
シュークリーム170
[57特]⇒
[前日日計]
支出1500/収入1190
/負債 310
[前日累計]
/負債1559
§
→九月十九日(三)
本編の行程:Googleマップ(経路\青島)
絵付日単位要約箱
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ドイツ情緒の青島から入った,これまでで一番のどかな中国の町にて,雨に泣きます。 |
今は昔の繁華街,天津街から北京街,そして…
七時過ぎ,少し早目にチェックアウトして,青島駅まで迷って歩くことにしました。
五叉路を背に河南路を一度北へ。
0708,天津路に到る。交差点北東角に茗石緑茶行。北西角に金満達。
左折西行。
0713,山西路へ右折北行。
朝歩きのお楽しみは2つ。その1が北京路,天津路をもう少し歩いてみること,でしたけど──やっぱり寂れた通りというだけに見えました。
小青青家馄饨館あり。
0716,北京路へ左折西行。
一昨日のロータリーに出た。0719,肥城路へ南行。
この辺りも朝から営業してる店が多い。朝食は諦めてたんだけど,もう30分早く出てこの辺りで食えばよかった──と,この昼につくづく後悔することになる。
0721,寧陽路へ右折西行。朝歩きポイントの2つ目,一昨日焼き付いたこの道を歩くこと。こちらはビンゴでした。
寧陽路:取り残された旅館街?
▲寧陽路①:肥城路から入ると少し登りながら,すぐ左へ折れる。
分かりにくいんだけど,大げさに言えば尾根道に当たるんだろうか?
北のロータリーからの放射状の道,南東の公安局の六角形の道は,明らかに都市計画に基づく。けれどこの道は,いずれの整形の一部でもない,つまりそれ以前からあるように見える。
その結果,だろうか?ロンドンの路地のような無機質で味のある小路になってます。
▲寧陽路②:緩い登り。商業機能としては東西の通りを表にしたホテルや役所の裏通りに見えます。
青倩蓮旅館,永康旅館,安平旅館,丽華旅館。Googleマップ上には旅館の並ぶ通り。
一本東西の泰安路と泗水路には賓館名のやはりホテルが連なる。
一連の駅前ホテル街と見えるけれど,寧陽路にはこの前後の例の強制収用マークを多数見かける。この中通りにだけ,当局が撤去させたい何かがあったことになる。
単に建物が古いのが理由かもしれないけれど,そもそもなぜこの通りだけが古いんだろう?
実際通った感じでは,とても数軒の旅館が軒を連ねてた活況は感じられない。
それになぜ「旅館」なんだろう?中国語で旅館という用語は皆無じゃないけどマイナーです。なのにそれが寧陽路にばかり集中してるように見える。
結局,この通りの不思議さは,不思議として残っただけです。
ただ青島の他の通りが持つ,一つ一つ異なる事情から考えて…今世紀になって新起動した駅前地区と旧ドイツ中心地区の狭間のこの通りには,何か特殊な個別事情があるように思えます。
寧陽路の南出口付近には,上海老街によく見かける,道に置かれた椅子がありました。
日がな一日,この椅子に腰かけて過ごすおばあちゃんとかがいるんでしょう。
ということはまだ居住区としても機能してるわけで…さらに分からなくなる道なんでした。
スチュワーデスのキャリーバックの行列,そして青島駅地下へ
0729,駅の北東側に出る。
0732,JIN HAI HOTEL(金海大酒店)前で今回初めての紅塔山を開ける。一服。
この通りはホテルがズラリと並ぶ。今,眼前をスチュワーデスのキャリーバックの行列が通りすぎてます。
▲青島駅北入口。おっさんの赤いベストは,ファッションではなく駅の作業員制服。
最後にもうひとしきり青島駅の風情を楽しむ。
0743,进站口へと地下へ。
ここの入口にははなまるうどん。漢語名「花丸烏冬面」。ちなみに隣は吉野家です。
地下の見取り図を見ると,予想よりは大きい駅でした。西・南・東の3つの候車室がある。
えっと?G232は南、と。
エスカレーターを降りると,おおっ!COSTA COFFEEがあるではないか!エスプレッソで一服。20元。