外伝17-112 滴りや過ぎ去つてゆく老北京/胡同6/10=帽儿胡同

~(m–)m 本編の行程 m(–m)~
Googleマップ(経路)

「○○屋があったから○○胡同」パターン

▲胡同表示。子どもの落書きみたいなのは意図してか,ホントに落書きなのか。

安門外大街に帰ってきた。0844。
 この東が帽儿胡同のはずだけど?道を挟んで東対面に見えるは中国名物,大工事現場?

▲いい道になってきた。

儿胡同の縁起には,非常に深淵な謎が秘められて──いないかな?と,万に一つの期待も持って調べたけど,まさに予想通り。
「儿」は北京人の好きな接尾語で,沖縄の「ぐわ」みたいなもん。
 つまり帽子屋があったから。それだけ!→巻末:清代の帽子
※ 新浪网 /帽儿胡同,古色古香的一条街道,很有老北京的感觉
「清代因有制帽作坊,改称帽儿胡同。」

▲「青玉」というヨーグルト屋さんの門

か有名な建築が3箇所ほどあるらしいです。
 へえ~。
 …という感じでチェックもしてません。でも確かに,普通な生活感でいい軒並みが続いております。
※ 百度百科/帽儿胡同

▲豆角胡同の絶妙な光景

可園を避けたわけじゃない。

河のZ字屈曲点に来た。0851。→GM.
 福祥社区と表示。まっすぐ進むと,厳めしい面構えの警官が立ってるゲートから入ることになる。地図で再確認しても,やはり帽儿胡同はこの道で間違いないはずなのに…いーのか?行けるのか?→■巻末参照:帽儿胡同秘密電信局
 勘じゃ!少し戻って,こっちもゲートがあるけど北行しよう。
 よし通れた。道は豆角胡同。

※ なぜゲートがあったか未だ分からないけれど,まっすぐがやはり本道。帽儿胡同から南鑼鼓巷への接合部で,可園という伝統家屋があるのもこの道沿い。…いや避けた訳じゃない,知らなかっただけで。
→北京へようこそ/北京の伝統的な雰囲気が濃厚な「南鑼鼓巷」 外国人に人気上昇中

▲豆角胡同の屈曲部辺り。家屋と「胡同巡運」車

同巡運」車というのを何度も見かけました。
 最初は,胡同を縦横無尽に走る地域バスか福祉タクシーみたいなものかと思ってましたけど──そこは中国,そんなもんある筈ない。
 外観からもおそらく監視・公安用でしょう。こんなキレイな胡同でも,当局には犯罪・反乱の臭いがするもんなんでしょうか?

▲「胡同巡運」車

北京城とは別のベクトルの匂い

856,三叉路。北は門に突き当たるらしい。東行。
 0859T字。南行,すぐ道が東へ曲がる。
 行き止まり!
 一旦T字に戻る。

▲蒲団干される綴れ織りの行き止まり。見た目,中庭みたいにも見える。

T字から改めて北へ。これも東へ曲がる。またT字。右の東行路へ。
──と,完全に迷子状態になってます。
 今地図を見ると,西の端は入り組んでるけれど行き止まりがあるような道には見えない。

▲百度地図の航空写真(迷いまくった地域)

だ,緑地がなぜか,東西南北の線に沿わず斜めに,たなびくように伸びているのが分かる。
 何か,北京城の秩序とは別に働いてるベクトル,そんな存在を窺わせる画像です。
 謎の界隈だなあ。

▲蒼空,樹木に埋もれる門構え

折れて折れ行く木陰かな

▲何とか直進する道に入る。しかし好い場末感です。

下洼子胡同に入る。6文字で胡同名です。0907。
 また南へ折れてすぐ東行する道へ。景陽胡同とある。
 何となく北の沙井胡同へ入る。すぐの道を東へ。道の名は同じ。
3本の胡同

▲南下洼子胡同。意外に広い,木陰の豊かな道。

▲景陽胡同。道毎の個性はあまり感じない。

▲沙井胡同の日だまりに赤い車

919,南锣鼓巷に出た。ここは南下して…と曲がりくねり過ぎたので考えかけたけど,そうか,これが次の目的地,第七の胡同だった!──と程なく気付きました。

■小レポ:清代の帽子

 お歳の方には「キョンシー」,今なら「ラーメンマン」の帽子と言えば通じるでしょうか?あの,スイカの半分がお皿に入ったような帽子です。
 上の画像の両端が夏用で,真ん中が冬用だという。
 清代のこの帽子(「朝帽」とか「弁髪帽」と呼ぶらしい)は階級による決まりごとが厳しかったというけれど,一方でファッション性もなくはなかったらしい。
 漢民族が一貫して抵抗した弁髪との関係は,調べてもよく分からない。登頂部を剃るから寒かった,だから帽子で暖かくした,という予想もするけど,それなら死刑で脅してまで強要するか?という気もするし…よく分からない。
 現在では,かなり高価に取引されてるらしい。日本のネット上でも数万円のものはザラに見かける。下記サイトのように,わざわざ中国の田舎で買って帰る方もおられるようです。
※ Y!プログ/中国 清朝期の朝冠と官帽収納箱
「清代は階級により、嵌め込まれる石や彫りが細かく決められている。」
※ 每日頭條/什麼時候帶什麼帽子,清朝男人的官帽原來有這麼多講究
「清朝男子的官帽分為禮帽和便帽。禮帽中又分為暖帽和涼帽。」

■小レポ:3本の胡同・南下洼子,景阳,沙井

 例によってこの界隈の胡同についても,来歴のネット情報は尽きません。
 清代の旗ごとの居住区には変わりないので,やはり「○○を売ってたから」胡同が多いのですが…この界隈にはそれでも妙な手触りの来歴がある。この3本がまさにそうでした。
①南下洼子胡同:「南下」ではなく「下洼子」胡同の南部分。文革でまさに文革チックな名になったのを元に戻してる。でも「下洼子」が何かは記載なし。おそらく女真語の音訳でしょう。
②景阳胡同:元の「井儿」を民国時代に改称。これも由来の記載なし。
③沙井胡同:元名「沙家」が転じた名前。文革期に「辉煌街六条」としたのを元に戻してる。「内务府大臣」の元居宅がある。
 ──と,どうも現代中国が葬り去ろうと躍起になった爪痕が残る。
 この3本はたまたま通ったわけだから,南锣鼓巷の東側の道で「売ってたから」胡同じゃないのを探してみると──
④兵马司胡同:元世祖(クビライ汗)時代の「兵马司」制度が由来。百度百科曰く現代の「公安局」。
《明史·职官志》に曰く──犯罪の取り締まりから火の用心まで「派出所」プラスアルファの機能を担った。
《金瓶梅词话》に曰く──「兵马司倒了墙——贼走了」兵馬司が壁を倒せば盗賊が逃げていく。
⑤砖塔胡同:北京で最も歴史上ある胡同の一つ。元代創建の「砖塔」があることに由来。砖塔は元の名臣・耶律楚材がその先生たる高僧の「万松老人」の遺骨を納めた塔。
──つまり,現在やや荒れ気味になってるこの界隈は,漢民族にとって清代北京の異民族による支配拠点,共産勢力にとって旧体制たる王朝支配階級ゆかりの地だった模様です。そういう場所が北京の「優雅」さの源泉になってることは否定できないのに,思想あるいは怨念的にはやはり否定したい。
 文革チックな地名は,そういう勢力が否定しようとしたものがそこにかつてあった,という痕跡として読み取れる。意外に良いタグになってくれるようです。
▲ちょっと気に入ったのでもう一度使ってみました。
※ 百度百科/南下洼子胡同
「呈南北走向的死胡同。」
「北不通行」
「清代属镶黄旗,称下洼子胡同。民国36年(1947年)称南下洼子。1949年后改称南下洼子胡同。“文化大革命”中一度改称学毛著胡同,后恢复原名。」
※ 莫回首/​从“学毛著”到“抄党章”:中共思想学习的今昔

※ 六话人文/北京景阳胡同!
「元代属昭回坊,明代属靖恭坊,称宣家井胡同,清代属镶黄旗,称井儿胡同,民国后沿用。」

※ 百度百科/沙井胡同
「元代属昭回坊。明代属靖恭坊,称沙家胡同。清代属镶黄旗,乾隆时沿称,宣统时称沙井胡同。民国后沿称。“文化大革命”中一度改称辉煌街六条,后恢复原名。胡同内15号院曾是黑芝麻胡同13号院清代光绪年间清末内务府大臣奎俊的前宅,现为北京市文物保护单位。」

※ 百度百科/兵马司胡同
「“兵马司”制起源于元世祖至元九年,设有南、北二兵马司,“掌捕盗贼羁押案犯事宜”,说白了其职责就相当于现在的公安局。」
「按照《明史·职官志》记载,五城兵马司“职专防察奸宄,禁捕贼盗,疏通沟渠,巡视风火,其责颇重”,如此看来五城兵马司职责更像是现在的派出所。明朝末年,笑笑生写的《金瓶梅词话》引用了当年流行语,其中有“兵马司倒了墙——贼走了”,反映出当时五城兵马司的主要职责。」

※ 百度百科/砖塔胡同
「是北京市历史最悠久的胡同之一,也是目前北京遭到破坏较少,风貌保存较好的胡同之一(它非常的古老),元朝就有了。」
「砖塔胡同位于西四牌楼附近,砖塔胡同这一名称,来自于矗立在胡同中的一座青砖古塔,这座塔是元代名臣耶律楚材的老师,金元之际的高僧万松老人的葬骨塔。」

■参照:帽儿胡同秘密電信局

「中共党史」が出典らしいので,数ある「革命英雄」作りの一端と疑わしいけど…帽儿胡同の,今回警備員が守ってたまさにあの胡同東端の界隈には,国共内戦末期に「秘密電台」(電台:ラジオ局,放送局)があったとされている。
 英雄譚のオチになってる功績部分は──1949年1月,東単に臨時飛行場があり,国民党の北平(現北京)守備軍はこれを補修して使っていた。解放軍(共産党軍)が北京を攻撃したとき,ここを城外から砲撃したけれど,最初は命中率が低かった。そこで秘密電信局とその将(刘仁同)は,着弾点を平津の前線指揮所に報告した。砲兵がこの情報を基に弾道を修正した結果,飛行場を破壊できた。かくして秘密電信局は,「为北平的和平解放」(北京の平和的な解放のために)重要な貢献をしたのである。
 ──と,泥臭く粘り勝ちを得た感の強い中国共産党の戦歴中,華々しい三大戦役の一美談として,この話が最近祭り上げられてるようです。
 まるで仁川上陸作戦時のソウル潜入部隊みたいな活躍劇で,どこまで脚色かは定かでない。でも,この訪問時に厳重警備されてた界隈と重なるから,帽儿胡同東端の辺りは,そういう歴史的場所,あるいは東交民巷(前章参照)と同様,今も何かその類のある場所なのかもしれません。
 北京は,こういう場所が突然あるから困る。帰国後相当経ってから知った経緯です。
 彼らは「西四北大街开了一家“龙云电料行“」(西四の北大街で「雲電電器店」を開業していた)そうで,なかなか図太くて,漢民族にウケそうな英雄譚です。

▲あちこちに載ってる該当場所の門扉の画像

※ 捜狐交道口!东城最无敌的地界儿!北京的精气神都在这儿!/秘密电台
「帽儿胡同2号,在解放战争期间,是中共晋察冀中央局城工部秘密电台隐蔽地。」
「1949年1月,国民党北平守军在东单广场修建了临时飞机场,帽儿胡同的地下电台将具体位置发送给平津前线指挥部,炮兵据此修正弹道,终于封锁飞机场,为北平的和平解放做出了重要贡献。」
※ 中共党史出版社2007年5月第1版/隐藏在帽儿胡同的中共北平地下电台
「负责帽儿胡同2号秘密电台的是地下党员赵振民。赵振民原来在冀中军分区工作,1943年被刘仁同志派到天津做地下工作,负责抄收延安新华社的明码电报。1946年7月被派往北平担任地下电台的报务员。
 国民党统治下的北平,对通讯器材管制很严。为了搞到器材,地下党在西四北大街开了一家“龙云电料行”。赵振民白天当伙计,晚上和另一名地下党员李雪一起,组装发报机。」
「地下电台工作纪律非常严格。报务员、译电员和交通员的工作严格分开,双方工作内容不接触。报务员只负责收发电报。译电员负责将电报译成密码,或把密码译成电文。电报一律密写,交通员既不知道也不知道内容,也不知道电台在哪?取送电报都在胡同里进行。
 刘仁同志为地下电台工作人员制定了严格的纪律。
  1、一律停止组织生活;
  2、杜绝一切社会关系,不许和亲友往来;
  3、不允许到公共场所活动,不许上影剧院;
  4、不许读进步书籍;
  5、“安分守己”,深居简出。」
「1949年1月,国民党北平守军在东单广场修建了临时的飞机场,解放军就从城外用炮火轰击。开始命中率低,地下电台及时将着弹点汇报给平津前线指挥部,炮兵据此修正弹道,终于用炮火封锁了飞机场。地下电台为北平的和平解放做出了重要的贡献。」
※ アジアの片隅で/天津、平津戦役記念館
「平津戦役とは、1948年12月5日、中国共産党軍が北京・天津・河北省・張家口地区で、国民党軍に対して攻撃を開始した国共内戦における決戦のひとつ。
 12月5日、攻撃を開始した共産党は、翌1949年1月31日、北京に無血入城、10月1日、中華人民共和国の成立を宣言する。
 共産党軍が勝利したこの戦役は、東北地方の遼瀋戦役、徐州地方の淮海戦役と共に、共産党の勝利を決定づけた三大戦役と呼ばれている。」

[前日日計]
支出1500/収入1600
負債 100/
[前日累計]
     /負債 309
§
→九月二十四日(一)
[111胡同5/10=烟袋斜街火神廟][112胡同6/10=帽儿胡同]

0948文宇奶酪店
紅豆双皮奶20元100
[113胡同7&8/10=南锣鼓巷&菊儿胡同:前編後編]
1834 10个馄饨
鮮肉馄饨18元300
[114胡同9/10=国子监街]⇒
1107穆家婆包子舗
猪肉大葱包
豆腐脳400
1306老北京ジャージャー麺36元300(1100)[115胡同10/10=金魚胡同&王府井]
1411卤煮店
羊肉氽面,小菜30元400[116胡同真=東四四条,柳芳行]
1850西部馬東四店
优質羊肉泡馍29元500
[前日日計]
支出1500/収入2000
負債 309/
利益 191/
[前日累計]
利益 191 /
§
→九月二十五日(二)