外伝17-111 滴りや過ぎ去つてゆく老北京/胡同5/10=烟袋斜街火神廟

※本歌:滴りや過ぎ去つてゆく鳥の声 (洛南A)

絵付日単位要約箱

北京2日目,胡同巡りも佳境。その最後に到った場所は?
[前日日計]
支出1500/収入1600
負債 100/
[前日累計]
     /負債 309
§

→九月二十四日(一)
[111胡同5/10=烟袋斜街火神廟][112胡同6/10=帽儿胡同]
0948文宇奶酪店
紅豆双皮奶20元100
[113胡同7&8/10=南锣鼓巷&菊儿胡同:前編後編]
1834 10个馄饨
鮮肉馄饨18元300
[114胡同9/10=国子监街]⇒
1107穆家婆包子舗
猪肉大葱包
豆腐脳400
1306老北京ジャージャー麺36元300(1100)[115胡同10/10=金魚胡同&王府井]
1411卤煮店
羊肉氽面,小菜30元400[116胡同真=東四四条,柳芳行]
1850西部馬東四店
优質羊肉泡馍29元500
[前日日計]
支出1500/収入2000
負債 309/
利益 191/
[前日累計]
利益 191 /
§
→九月二十五日(二)


~(m–)m 本編の行程 m(–m)~
Googleマップ(経路)

吉野家のWifiと貪り歩き中のオバハン

陽門内大街のバス停で路線図を睨む。朝7時過ぎ。
 バスがよく分からん。──百度地図はまだWifiなしで繋がらない状態のまま。
 予定通り地下鉄を刻んで動こう。
 東四の6号駅はえらく遠い。8号の乗換もそれなりに距離がある。列車に駆け込んだところで7時半のアラームが鳴る。
 東四から6号で一駅,南锣鼓楼へ。8号乗換でさらに一駅,什刹海へ。
 シーチャーハイ(什刹海)と印象的なアナウンス。

▲北に鼓楼

734,駅で周辺地図を睨む。
 北へは地安門外大街。その先に鼓楼,鐘楼。
 西に前海。南にそこから入った水路が東西方向に伸びる。
 よし。A2から出て北から反時計回りでこの水路に沿って東南行しよう。
 喉が痛い。中国人に一週間以上いると昔から必ずこうなる。のどぬーるを使いつつ地上へ登る。

▲胡同入口表示。このオバハンを撮ったのではない,断じて。

曜日だけど観光客は多い。
 土日を過ぎれば,と思ってたところ,昨夜たまたま百度でヒットしたのは中国の連休情報。──中秋が祝日になってるんだな?今日はその振替休日。余裕のある人は,来週の国慶節連休と合体させれば大連休になる,という三連休中にあたるらしい。
 これは本日も,観光客だらけだな。
→巻末参照:中国は三連休最終日

▲大石碑胡同

いう目論見で鼓楼南から北行。0744。
 パリスバケット(韓国で一番有名なパン屋)があるぞ?中国語名は「巴黎贝甘」となってて…「貝」の字は何なんだ?
 0746,烟袋斜街に入るけど…もう,ハナから観光ストリートです。Wifiをオンにしてみると「yoshinoya」のWiFiに繋がった。
 こりゃだめだろ?
 で,すぐ北に入ってみる。大石碑胡同。──だから烟袋斜街の写真は,前掲の貪り歩き中のオバハンのしかない。

烤羊季も大運河もスルーして火神廟へ

▲路地というか道端の家の庭を覗きこむ。

だ,この道は?緩く西へ屈曲して行くぞ?R25m位のキレイな弧を描きます。
 家並みもなかなか良い。ただ高級住宅地という印象。

▲朝の光を撮りたい一心で,陰影が濃くなりすぎた大石碑胡同の家並みの写真

い裏道です。住みこまれた渋みがある。
 でも今の生活感はどうも薄い。捨てられた町の臭いが漂う。
→巻末小レポ:烟袋斜街,大小石碑胡同とその来歴

▲同じく陰影濃過ぎな大石碑胡同の家並みの写真

時を回った。
 そろそろ南へ折れよう。今度は小石碑胡同。大小あったのか?
「前海東沿社区警務工作室」という看板。「警務工作」というのがキナ臭いけど,それより「前海東沿」という座標のような社区名に改めて驚きを覚える。

▲小石碑胡同の光景

石碑胡同を進むにつれ増えていく観光客をすり抜けて,川縁へ。
 ははあ,これは!
 中国人の大好きそうな水辺です。南岸へは銀锭橋という丸い橋を渡って行けるけど,渡らず北岸を進む。
 南の,火神廟というのが気になる。

▲橋に出た。

肉烤」という清真屋が良さそうだけどすごい行列。元宝湯というのが旨そうなんだけど。
──とメモってますけど,語順を間違えてたらしい。「烤肉季」でした。朝から並んでるだけあって超有名店。→巻末参照:烤肉季と老北京

▲銀锭橋と朝の光。池沿いを南下

国重点文物保护単位 大运河」との石碑。
 中国のちょっと古い町にはそこら中に文化財のある。へえ~とスルーしましたけど──この「大運河」,世界遺産に登録された京杭大運河のこと。「杭」は杭州です。維基百科の数字では全長1794km。
 ランニングコースらしい。白人もどたどた走って来るのを避けながら,東への水路の分岐に来ました。
 橋を渡らず左折東行。
 ──とサラッとメモってるこの橋は金锭橋。この東にあった橋こそが,1794kmの起点とされる万寧橋(→GM.)でした。
※ 維基百科/京杭大运河
※ 北京瞬間/京杭大运河起点万宁桥

本日無料!謎にも程がある北京火星神殿!

▲えらくめかしこんだ狛犬

神廟の南側門に着きました。0825。
 大体こーゆーとこは飛ばすんだけど,なぜか「本日免費」(無料)とある。それならば,とセコい判断基準で中へ。
 本殿には「熒惑寳殿」とご立派な文字。何のことか全然分からずメモってますけど,「熒惑」とは中国占星術上の火星のことでした。火神と連想してたんでしょうか?→巻末:(由来)北京で大爆発

▲火神廟正面の祭壇

光的にもエラいとこらしい。流石のワシでも「ハイハイ」とはちょっと済ませにくいので,ボコッと引用。
「火徳真君廟は唐代の貞観年間に建築が始まり,明代の万暦38年(1610年),もともとあった建築物の上をさらに建て直し(略)北京における各火神廟の中では,規模が最も大きく(略)火神廟の隣町に一つの牌坊があり、山門を通ると、官殿や正殿、玉皇閣、闘母閣があり、中庭がとても広い。正殿には赤い眉と赤い髭を持つ火祖が安置されている。」
※ 北京観光/火徳真君廟

▲…とにかく愛を求めてる絵馬が多い。「婚姻」とデカく書いた絵馬,これ日本でも売ってほしい。

▲祭壇正面右手の受付。日本にもありそうで絶対ないロケーション。

うマジもマジ,泣きそうな位の神経質さで拝んでる人が多い。
 本気で霊験あらたかな社らしいです。
 東側,向かって右手には絵馬のようなものもくくってある。
 ここの原形が出来たとされる唐代って,まさかこの場所に都が出来るなんて想像も出来なかった時代のはず。ここはそもそも何があった場所だったのか──謎にも程があるような土地です。

▲万国旗…じゃないよな?火徳真君廟の宙を覆う旗。

▲もっとめかしこんだ狛犬。火徳真君廟。

■参照:中国は三連休最終日


▲百度百科でヒットした中国のカレンダー(9月)。中秋節(秋分の日)の翌日,24日月曜日が振替休日になってる。


▲同じく中国カレンダー(10月)。日本の敬老の日の代わりに10/1の国慶節(建国記念日)があるので一週後ろに大連休が出来てる。
※中国マーケティングラボ/中国はまもなく国慶節連休突入!今年は「プラス1日」で旅行者は1億人以上増加か【中国マーケット点描】

■小レポ:烟袋斜街,大小石碑胡同とその来歴

 第五の胡同,烟袋斜街にもネットの記事は不足はありません。
 ただ,昨日の4胡同,特に瑠璃厂や八大胡同に比べ,情報の手触りが違う感じです。
 烟袋斜街は「烟袋」,つまりタバコ入れの袋の有名な工房があったから。大小石碑胡同は,何かの石碑があったから。
 どうも道名の命名に愛着というか潤いがない。
 清代の八旗に割振られた居住地,といういきさつからも,貴族の優雅な住まいというより異国の軍兵の宿営地という感じを受けてしまうのですけど,偏った見方なんでしょうか?

※ 4travel/北京の烟袋斜街 2006/04 ~日本語,写真多し
※ 百度百科/烟袋斜街
「在清末至二三十年代,街内以经营旱烟袋、水烟袋等烟具、古玩、书画、裱画、文具及风味小吃」
「据说,当时居住在北城的旗人,大都嗜好抽旱烟或水烟,烟叶装在烟袋中。由于烟袋的需求与日俱增,所以斜街上一户一户开起了烟袋铺。除此之外,烟袋斜街本身就宛如一只烟袋。」
「据清乾隆年间刊刻的《日下旧闻考》一书记载,此街原名”鼓楼斜街”,清末改称”烟袋斜街”。」
「在烟袋斜街的东口路北有一家”双盛泰”烟袋铺,门前竖着的木雕大烟袋,足有一人多高,粗如饭碗一般,金黄色的烟袋锅上还系着条红绸穗,十分醒目。这”双盛泰”的大烟袋真称得上是北京同行业中的头号大烟袋了。」
※ 北京旅游网/北京大、小石碑胡同的来历
「在北京城以“石碑”得名的胡同很多,(略)虽然这些胡同以“石碑”得名,但由于史料上对这些胡同的成因,尤其是对“石碑”着墨不多,让后来研究北京胡同的学者产生了一些困惑。」

■参照:烤肉季と老北京

 羊肉の名店だという。1人で行く量じゃないらしいので,いずれにしてもツラい店でした。
 ところでこの紹介をされてる方のさりげない記述がなかなか真実味があったので転載させて頂く。
「『烤肉季(カオロウジー)』の良いところは、その割とリーズナブルな料理と味の高さだけでなく、ロケーションが『古き良き北京をギリギリなんとかして感じることができる(かもしれない)』場所にあることだ。
(略)地下鉄の延長とともに、このエリアの胡同も急激に姿を消しつつあるのだが、想像力を働かせながら、かつてそこに存在した『美しい胡同の町並み』を夢想して歩くのも良いだろう。(昔を知っていると、余りの変貌に虚しくなるが)」
※ 2go/北京で2−3人で羊肉を食べるなら、「烤肉季」がオススメ

■奇譚:北京で大爆発,2万人死傷

「先有火神庙后有北京城」という言葉が北京の人々の口に伝わっているという。どういう心情からなのか,気になる一説です。
 まず火神廟があって,後から北京城が出来たのだ,という語感の言葉です。
 ここは本当に変な場所らしい。
 一番訳が分からなかったのは,明代に起こったと「帝京景物略」に記される事件。どうやら祀られてる火星の神様はこの変事を封ずるイメージの呪術神と思われる。
──天啟六年(1626年)5月30日朝5時,火神廟正殿で音楽が鳴った後,火の玉が飛び出して空に昇った。4時間後,「地殻運動」が発生,これに併せて「東城」で爆発音が響き,2万人が死傷。歴史学者も科学者も未だにその原因は解明できておらず「世界三大自然之謎之一」とされている。
 明は1644年に滅んでるから,明末の混乱の最中です。仮に当時の北京人口を60万人とすると(→推計方法),3%が死傷?清の北京侵入の成功要因に数えてもいいような規模です。ほとんど清が戦術核を使ったとしか思えない。
 どうにも理解不能ですけど,北京の火神というのは,ここが王都になろうとなるまいと存在しているような,途方もないものとしてイメージされてるらしいのです。

※ 每日头条/北京最具神秘色彩的火神庙 明朝王恭厂离奇大爆炸竟与其有关?
「明《帝京景物略》里活靈活現地說:(略)天啟六年五月初六卯時(1626年5月30日早晨5時)火神廟正殿內傳出音樂之聲,然後一個紅球從殿中滾出,騰空而上。4小時後火神像因地殼運動而晃動,人們以為火神顯靈,就在此時,東城傳來爆炸聲,此次爆炸共造成約2萬餘人死傷。王恭廠爆炸原因不明、現象奇特、災禍巨大,是「古今未有之變」,其成因至今仍然困擾著歷史學家和科學家,被稱為世界三大自然之謎之一。值得一提的是正殿前一尊鑄鐵香爐,曾被荷蘭大使館「借」去近百年,直至2011年才「歸還」。」
※ 楽都旅游/先有火神庙后有北京城!祈火神保平安 北京 • 火神庙
北京の想定人口60万人は,別宮氏の人口推計20万人に,清の人口統計が成人男子だけを数えていたとの説に基づき,仮に3を乗じて求めた。
4話・ 昔中国より日本の方が人口多かった?
「中国に詳しい作家、別宮暖朗氏によれば(略)明から清に変わった頃、日本の方が人口が多かったとの事です。
 この頃は江戸の人口100万人、北京の人口20万人程度だったそうです。」
現実世界の経済学 Political Economy of the Real World/中国・明朝時代の気候史と人口史
「明の光宗帯泰昌元年(1620年)の調査(明憙宗実録巻四)では、合計で984万戸、5166万人が数えられましたが、その31年後の1651年(清世祖順治八年)の調査(清実録世祖巻六十一)では人口は1063万人へと5分の1に激減しています。しかし、この減少の少なくとも一部は、明と清の人口調査の方法の相違によって説明されます。つまり明朝ではすべての人口(男女とも)が調査対象となりましたが、清朝では、「丁」(15〜60歳の男性)だけを人口調査の対象とするように変えましたので、明朝のデータと直接接続することはできません。(略)
 しかし、この点を考慮しても、人口統計から見る限り、なお明末・清初には注目するべき異変(減少)が生じていたことは間違いありません。」

[前日日計]
支出1500/収入1600
負債 100/
[前日累計]
     /負債 309
§
→九月二十四日(一)
[111胡同5/10=烟袋斜街火神廟]
[112胡同6/10=帽儿胡同]
0948文宇奶酪店
紅豆双皮奶20元100
[113胡同7&8/10=南锣鼓巷&菊儿胡同:前編後編]
1834 10个馄饨
鮮肉馄饨18元300
[114胡同9/10=国子监街]⇒
1107穆家婆包子舗
猪肉大葱包
豆腐脳400
1306老北京ジャージャー麺36元300(1100)[115胡同10/10=金魚胡同&王府井]
1411卤煮店
羊肉氽面,小菜30元400[116胡同真=東四四条,柳芳行]
1850西部馬東四店
优質羊肉泡馍29元500
[前日日計]
支出1500/収入2000
負債 309/
利益 191/
[前日累計]
利益 191 /
§
→九月二十五日(二)