(@_75_@) 第三日@台湾/再六訪 青山番遥/中壢市内(@_75_@)

苗栗三年竹八年?西行き台鉄にパニック

し!ここまで来たんだ,足を伸ばすか!
 中崙を予想外に早く切り上げることになったから,時間には余裕がある。
 1409,地下鉄で再び松山へ。列車に乗ろう。
 目指すのは──中壢。この2文字目の繁体字も初めて打てた。西郊外では随一と聞いてる中壢の夜市を覗いてみよう。
 1413,松山下車。とここまではもちろん順調でした。

光表示に2便が出てる。
「1423樹林行き区間快
 1427新竹行き区間快 山線」
 しかも「山線」と表示されたのとないのがある。
 松山駅ホームにて悩む。──どれだ?
 路線図を睨む。えーと?樹林は桃園の手前,山線は新竹より南で山側に入る支線らしい。ということは,新竹行き1427を待つことに──って,乗ろうとした車両には,これ1827って書いてあるぞ?
 とにかく…乗る。どっかで乗り継げばいいんだろ?
 車内に別の電光表示があった。北上と南下という2つの乗継便が示されてる。南下は1446。これに…台北で乗り継げるってこと?
 分からん!やっぱり降りよう!とホームに戻ったら,電光には「1448苗栗」行きと出てる。えっ?新竹じゃないの?とパニくった頭のまま飛び乗った。あれ?やっぱり樹林行き?
 とドタバタしてるうちに走り出してしまった。…台湾の列車は発車を待たず,次の表示に切り替わるらしい。
 板橋駅に着く。ここで一度降りて,今度は落ち着いて1458発の苗栗行きに乗った。これ…ですよね?

鶯の歌にオバハン・ダッシュ


ったところの手すりに,オバハンがえらい形相でビニール袋をくくりつけてる。
 あ,解いてるのか。座ってる間,おそらく盗られないように結んでたらしい。それが駅に着いたのに解けないのね?オバハンが脱兎の如く飛び出していった直後,ドアが閉まりました。
 1500,浮洲駅の前で地上へ出る。そう言えば…台北から東への列車って乗ったことなかったかも?
 結構込み合ってきた。
 河を渡る。いつもバスで渡る場所よりずっと南。眺めが穏やかです。

歌駅。1511。
 ここの名は記憶がある。漢字は雅ですけど発音は「インコー」というギャップが印象的です。ただ,その前回っていつのことだったか?
 台湾って,行ってるようで行ってないもんだなあ。
 1530,内壢駅。だから「壢」って何だ?

~~~~~(m–)m中壢編~~~~~(m–)m
~(m–)m 本編の行程 m(–m)~
Googleマップ(経路)

壢は坑なり 西の西門

▲「カレイな赤色 マダソな赤館」
※ ニコニコ大百科/
「〔五音集韻〕に「坑なり」とある。」
※ wiki/中レキ区
「中壢は古くは未開拓の荒野が広がる土地であり、青山番と称され、タイヤル族及び少数のケタガラン族、平埔族が居住していた。」
「1765年頃には福建漳州から郭樽が入植し最大規模の開発を行なっている。郭樽は当初大園に入植し、その後族人を率いて南崁、桃園地方へと南下、原住民を駆逐すると同時に交通を整備し、今日の中壢発展の礎を築いた。これらの開拓民は一帯の村落を澗仔壢庄と称した。村内に老街渓、新街渓が流れ谷を形成していたことから「壢」と称されるようになった。後に当時台湾北部であった竹塹(現在の新竹市)と淡水(元来は新荘を指し、後に台北を意味した)の中間に位置したため、「中」字を採用し中壢と称されるようになった。」
※ Y!プログ/【私の住む町】台湾の中壢について【ローカルタウン】

▲「中壢の西門」と言われる中平路

」という漢字は穴という意味でした。
 15時半過ぎ,中壢に到着。
 北京語読みではzhong1li4。台湾語だとTiong-le̍k。いずれにしてもよく分からんまま歩きだす。

▲「美人網」という無闇に萌え萌えなお店

壢の西門」中平路を西行。1541,駅からすぐでした。
 こ,これは…。
 歩行者天国じゃないぞ?確かに歩行者は多いけど,基本的には車道だぞ?

▲旧家屋を使った美容室らしい。

,夕暮れ前に通った往路では突っ込んだんだけど──
 上記から3枚は復路の写真です。よくよく見るとかなりいい洋館が,しかも自然に残ってる。

▲日本家屋に見える軒先

平街は特に文化財とかじゃないけれど,日本の公務員宿舎跡が博物館になってました。
 ごく最近,この微妙な雰囲気の良さに若い層が注目し初め,行政側も「老街」として控え目なアピールを始めてる。そういう場所らしい。

▲古本屋かCD屋だろうか。

湾の若い人間って,どうしてこう,「ちょっと好い暗がり」みたいな場を造るのに長けてるんだろう。
 帰路,この情景を見て師大夜市にどうしても行きたくなったのも頷けますけど…そろそろ夕方前に時間を戻します。

老街渓を渡ると夜市の灯

▲橋を渡る。

前市街は,けれど中平路以外はかなり普通のビル街でした。
 北側一帯にどうもやさぐれた雰囲気の界隈がありましたけど,あまりピンと来ない。
 それで少し早いけれど西の川・老街渓を渡ります。この先が夜市のはず。

▲橋のアーチから西を見る

市はここでもやはり早めに始まってました。
 中央西路一段をずっと進むと,新明路との交差点から北へ延びてました。

▲夜市を南より見下ろす

徳路に出るまでの600mほどの夜市です。駅からは徒歩20分ほどか。
 長さはその程度で短いんですけど,ここは道幅があって,さながらパティオのような感じになってます。

▲夜市南端から西を臨む

橋から西は,緩やかな起伏のある町が広がってます。
 地図で見ると,この西には国立大附属高等中学という学校,そこから先はもう農地になってる。
 では次章,夜市に突入です。

[前日日計]
支出1500/収入2240
負債 740/
[前日累計]
     /負債 340
§
→十月七日(天) [71南営路][72基隆離脱][73西門]
1052王記府城肉粽
肉粽150
1138老山東
牛筋家常麺200元400[74中崙市場]
1332廣誠素食500[75中壢市内]

1631丑爺爺臭豆腐200
1659壹等品覇王猪脚
脚蹄飯600[76中壢夜市][77師大夜市]⇒[78夜の西門]
[前日日計]
支出1500/収入1850
負債 340/
利益 10/
[前日累計]
利益 10/
§
→十月八日(一)

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