(@_78_@) 第三日@台湾/再六訪 青山番遥/夜の西門(@_78_@)

▲「台北最美的山線 猫覧之眼」。帰りの地下鉄ホームにて

所恐怖症の人間として二度と行きたくない猫空の広告を,帰路に見てしまった。
 西門に帰り付き,忌まわしい残像を消し去らんとばかりに,エンスト間際の足を引きずり少し歩く。
 すると,大変なことになってました。

~~~~~(m–)m夜の西門編~~~~~(m–)m

夜の雑踏に林立する西門守護神

▲西門地下鉄駅の上がり口ではいつも何事かのイベントやってる。今回は何とオーケストラ

▲西門萌え萌えキャラ・林默娘

く来ないうちに,西門町の守護神が出来たらしい。
 その名も林黙娘。
 二文字目が「獣」みたいで不穏ですけどこんな人。日本語も英語も喋るらしい。

▲西門にマスコット登場?

も,調べていくともっと不穏でした。
 パッと見は可愛く萌え萌えですけど,状況を知ってよくよく見ると,どうにもコワくて堪らなくなるマンガです。→巻末小レポ:林默娘=西門媽祖は日本人に祟らないのか?問題

微妙な年輪を刻むポーリース

▲西門には電動車椅子の物売りがなぜか相当数出てます。

▲衰えを見せない西門の人混みです。

な記憶を頼りに,ここを目指してみたら…たどり着けました。
 西門駅北西出口側から漢中街を北行すると漢口街への出口に到る。その地点からワンブロック出前。
2123老爺手工烘焙
パイナップルケーキ

▲「老爺」と看板の出たパイナップルケーキ屋

この鳳梨酥は何か,土産物っぽい浮わつきがない,堅実な甘味を感じます。
 未だ全然有名ではないらしいけれど──自分が買うのは三度目で,と断ってから「何年やってるの」か訊いてみたら「12年」という。老舗としては微妙な年輪。
 答えた二代目らしきオヤジが,デカい目で後方を示す。後ろにいるのが店名の「老爺」,つまり一代目だそうな。
 既製品の土産物売り場が拡大する中,こういう店もまだ残ってて,買い支えられてもいる──ということでご紹介。

変化し続けてるのに健在な町

▲長虹大飯店も健在

宿だった長虹大飯店は,二階の店舗に日本食の食べ放題が入ってた。ただ,どういう構造に変わったのかホテル自体はまだ健在。
 目の前の万国卤味もまだ残ってました。

▲万国魯味も健在

▲チマキ!考えられないほど美味い!

宿のビルの3階には和民,5階にはABC martが入ってて,エレベーターで上がっていくとものすごい人の流れがありました。
 ただその辺に惑わされずに良かったと思えたのは──部屋で頂いた王記府城肉粽の粽のお味!
 粽は確かに大陸でも,どこで買ってもチマキは旨いもんです。日本の5倍位は軽く旨い。けど…これはトンでもない!二桁行くぞ(何が)?何がどう違うんだ?

▲林默娘人気に浮かれてコスプレしてしまった台北市長

■小レポ:林默娘=西門媽祖は日本人に祟らないのか?問題

 林默娘さんの発音は北京語でLin2Mo4niang2,日本語では「リン・モーニャン」と書かれてる。
 台北天后宮の祭神・媽祖の萌えキャラ化,と紹介されてることが多いけれど,細かくはちょっと違う。
「一府,二鹿,三艋舺」と称された初期台湾の入植地の一つ,台北西門南,今の龍山寺付近の「艋舺」地区の中心に艋舺新興宮はあったらしい。泉州系の媽祖を祀る,台湾北部最古の宮。
 媽祖は,泉州ローカルではなく,潮州,ベトナムまで広く東シナ海の海民に共有される強大な女神です。日本ではオトタチバナ姫(ヤマトタケルの妃)の原型と疑われる。日本統治下では,天母教という媽祖=天照説を唱える新教まで生まれた(現・天母地区はその敷地跡)。
 日中戦争激化の中で,台湾でも中国系の信仰への圧力が強まり,艋舺新興宮は防空道路の建設地として撤去される。1943年というから,台北空襲も始まり,現実の必要もあったろうけれど,媽祖像が龍山寺に仮保存されたというお粗末な扱いからも,やはり宗教弾圧で押し潰されたというのが実態でしょう。
 現・西門と龍山地区との間隙をずっと感じてた。それは日帝が人為的に核を壊した結果でした。
 注目したいのは,龍山寺の倉庫から先のこの媽祖の,生々しい復権の過程です。

西門への托卵,よみ孵る媽祖

 1948年,皇民化の拠点だったろう「弘法寺」に媽祖が移される。元と方向の違う「法華寺」を避け,盛大な巡行儀式をもって「完全為日本風格的建築」の中に置かれたという。弘法寺の「陳姓和尚」が当時の南京政府に告訴した,という記録からも,相当強引な「侵略」が行われたのでしょう。
 1953年,廟後方の国際大舞庁から出火があり,木造だった弘法寺は全焼。そこに1959年,媽祖聖誕千年を記念して,現在の台湾式廟が建設。──今も「弘法寺」看板を掲げ,「台北天后宮」と名を転じるなど,地元での駆け引きや軋轢は相当のものがあった形跡があります。陰謀説すら疑えなくもない。
 かくして,媽祖は15年ぶりについに自らの本拠を分捕ることに成功します。
 林默娘さんは,日本のご当地キャラのように観光用に作られたものじゃない。マンガ「冥戦録」で,921大地震の後の妖怪が跋扈する西門に現れ,ゴーストバスターズ的な特捜隊と共闘する謎の少女キャラで,彼女は実は…というもの。
 このキャラの姿で,媽祖はとうとう新拠点・西門の各所に掲げられ,西門そのものを影響下に置いたわけです。
 そう考えると,無茶苦茶コワい生命力です。
 これで「日本人観光客,西門で相次ぐ事故」とか起こり始めたら,もう本気でコワい。よく見たら林默娘さんの目もイッてる感じがするし,「可愛い~」とか萌えてる場合じゃない気がしてくるんですけど。


※ 極愛台湾/西門町の守護神・林默娘ちゃんかわいすぎ問題
「西門町の中華路側の入り口に(略)時期によって違う横断幕がかけられる」
「林默娘ちゃんには「西門動漫大使」という肩書がついています。」
「実は林默娘ちゃんは、台湾で広く信仰を集める女神・天上聖母、媽祖の人間名です。西門町には台北天后宮という媽祖廟があるため、ご当地キャラとして媽祖を萌キャラ化した林默娘ちゃんが選ばれました。
 台北天后宮はもともとは艋舺新興宮という名称で、今の場所より南の、艋舺青山宮の近くにありました。1746年創建という由緒ある媽祖廟だったものが、1943年に防空道路を造るためという名目で総督府に接収され、破壊されてしまいます。」
「廟が破壊された後、神像などは龍山寺に預けられていました。そして日本が敗戦により台湾から撤収した後の1948年、今の場所にあった真言宗の弘法寺が空き寺となっていたため台北市の許可を得て移転し、台北天后宮という名称に改名されて今に至ります。」
※中国アニメプログちゃにめ/【韋宗成】台湾には「変態のマジシャン」と呼ばれる素晴らしい漫画家が存在するようです
※ 同/台湾の萌えキャラ「林黙娘」の原作コミックが実写ドラマ化するらしい「冥戰錄:天妃現」
「「林默娘」は航海・漁業の女神「媽祖」を萌えキャラ化した台湾のキャラクターで、台北西門町のマスコットとしても活躍しています。」
※ wiki/媽祖
※ 同/天母教

※ コミックシーモア/
冥戦録(めいせんろく) ※日本語版試し読みも可
「台湾では921大地震の後、各地で妖怪による事件が多発していた。警察は、妖怪を退治するため、黒日(くろび)特捜隊を結成。ある日、主人公の陳柏戎(チェン・ボーロン)は、特捜隊の一員として、台北の西門町(シーメンディン)で妖怪と戦っていた。その最中、住民たちが避難したはずの街で、ひとりの美しい少女と出会う。少女の名は『林黙娘(リン・モーニャン)』。二人はともに現れ続ける妖怪の襲撃に立ち向かう。少年道士と幼い女神の物語がここから始まる!」
台北天后宮
「日本政府接管台灣,到了西元1937年日昭和12年,中日全面戰爭爆發,臺灣戰略地位益形重要,日本人發起皇民化運動、設立日語家庭,並要求廢止台灣寺廟,改奉祀日本神。西元1943年日昭和18年,日本政府更以必須開闢防空道路為理由,強制將本宮拆除,而信眾只好將神像以及神器暫奉置於『龍山寺』後殿,因此艋舺地區的精神中心『新興宮』便在這樣的因素下遭瓦解,暫時走入歷史。」
「二次大戰後,日軍撤退,留下不少日本神社及廟宇仍然存在,因此本宮信眾燃起一線希望,希望能夠找到適合的廟宇將寄放於龍山寺後殿的神像進行遷廟之事宜。就本宮信眾將神像遷入西門町『弘法寺』的緣由說法有二。其一為光復後,本宮信眾即利用日據時代的『弘法寺』,就其正殿改造為媽祖的祠祀。而當時的『弘法寺』,完全為日本風格的建築,專供日本和尚念經拜佛之用,到了西元1950年民國39年,日本和尚攜缽歸國,才由台北市政府教育局接管,後來因為本宮信眾的極力爭取,終於將『弘法寺』接管,並改名為『臺灣省天后宮』。另一說法為二次大戰後,西元1948年民國37年台北市政府教育局長黃啟瑞為使眾多百姓虔誠信仰之媽祖有所奉祀,因此選擇位於西寧南路的『法華寺』撥為新址,但本宮大批信眾紛紛認為『法華寺』是坐西朝東,與原來舊媽祖宮之坐北朝南不同認為不妥,因此另外尋覓了位於成都路西門市場邊的『弘法寺』為新廟址,並擇於西元1948年民國37年農曆6月1日入廟。將暫置於『龍山寺』後殿的媽祖請出,從『龍山寺』後殿一路盛大遊行至成都路進廟。而這樣的舉動引起原來居住於『弘法寺』的陳姓和尚抗議,因此向南京中央政府提出告訴,指控黃啟瑞違法核准,但最後經行政訴訟判決,裁定教育局長黃啟瑞勝訴,這個風波才結束。此時內部的空間格局與原『弘法寺』相同,只就其正殿改造為媽祖的祠祀,因此尚為日式風格之建築。」
「西元1953年民國42年11月 ,廟後的國際大舞廳發生火災,延燒至本宮,當時由於本宮係承接日本『弘法寺』之木造建築,致使大火一發不可收拾、燬於一旦,所幸神明有靈,皆沒有遭受損傷。但當時礙於廟方經費不足,因此無法立即重建,只能臨時以木板搭蓋簡陋的廟宇。一直到西元1959年民國48年,配合媽祖壹仟年聖誕紀念,由信眾捐錢出力、重建正殿,其餘的建築則陸續興建,終形成現今之風貌。到了西元1967年民國56年本宮配合台北市改制為院轄市,也正式改稱為「台北天后宮」。」

[前日日計]
支出1500/収入2240
負債 740/
[前日累計]
     /負債 340
§
→十月七日(天) [71南営路][72基隆離脱][73西門]
1052王記府城肉粽
肉粽150
1138老山東
牛筋家常麺200元400[74中崙市場]
1332廣誠素食500[75中壢市内]
1631丑爺爺臭豆腐200
1659壹等品覇王猪脚
脚蹄飯600[76中壢夜市][77師大夜市]⇒[78夜の西門]
[前日日計]
支出1500/収入1850
負債 340/
利益 10/
[前日累計]
利益 10/

§
→十月八日(一)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です