油煳干青∈5貴陽:中山西路3∋糟酸麻蒜

~(m–)m 本編の行程 m(–m)~
GM.(経路)

通行人の安全とか細かい事は気にしない

▲1104大同街

沙街から大同街に出た。1107,右折西南行。
 思いっきり工事現場。だけどそこは中国,あまり人の安全とか営業妨害とか細かいこと気にしない。立入規制は特になく通行人はバンバン通ってくから,商店もぼつぼつ開店する脇で,ドンドンとプルドーザーが工事してます。
 しかし…ここも地下鉄とは考えにくいし,何の工事でしょ?

▲1116大十字広場のコマシバキ男

が工事で,これはもう物理的に途絶えてて,結局中華路まで戻るしかなかった。
 1113。公園を通りかかると,いつものオヤジが,いつもより余計にコマをパンパン鞭でシバいてる。
 日本でもやらない挙動じゃないけれど,鞭が本格的な女王様的な鞭なので,そこら中に痛そうな破裂音が響く。小さな御子様には教育上好ましくない。
 BGMはド演歌。このメロディーに合わせてシバいてるらしい。それを,やはりオヤジが3人見守ってる。何か耐え難いような辛いことがあったのか?
 あるいはこれって,香港銅鑼湾のバシバシおばさんみたいな民間宗教なの?

※ これもいい加減覚えた方がよいので…:4travel/香港★銅鑼湾鵝頸橋で打小人(厄払い)

大西門の二重城壁虎口

▲1123中山西路にて。意外と高低差がある。

華路から中山西路を西へ。1120。
 地下鉄・中山西路駅の辺りがどうなってるのか,見てみよう。併せて,宿から最寄りの地下鉄駅はここになるので,明日の離脱路の確認──という気持ちでした。
 思いがけず,この辺りにも変な高低や斜めの路地がありました。雰囲気からして,ただのっぺりと現代ストリートが伸びてるかと思ってたのに。
 折角城域図を持ってたのに,この時は,この場所が何なのか認知できてなかった。

▲旧城壁内の位置図

指し指の位置が中山西路です。
 ここは古い城域の西門部分。新しい城壁を設ける際,少し西に再度壁を築き直してるので,二重の壁があったエリアです。
 元々の道はかなり複雑な配置です。門の東はまるでロータリーのよう。理由は釈然としませんけど,その一つには,ここの地形の起伏があったでしょう。
 結果,軍事的にはこの西門部は最高難度の虎口になっていたと推測します。

▲1125中山西路站付近

贵阳,地铁,地下街都来了!

山西路駅までやってきました。1127。
 地下は新天地という地下街が出来てる。
 えらく中が分かりにくかったけど,地下鉄は貴陽北站までたった6駅。未開業の駅があるのか,えらく疎らな駅配置です。

▲地下鉄路線図

端の下麦西駅から貴陽北が先行開業したのは2017年12月。今ちょうど1年経ったとこ。
 全25駅の全線開通は2018年12月…先月?
 この11月,貴陽副市長が「貴陽中心街が本格的な『地下鉄時代』に入ったぞ!ははは」と感動的に語る記事も見つけました。標題「贵阳,地铁来了!」(貴陽よ,地下鉄)
※ wiki/貴陽軌道交通1号線
※ 貴陽都市網/贵阳,地铁来了! 发表日期:2018-11-23
「11月22日上午,贵阳市政府组织召开贵阳轨道交通1号线全线初期试运营新闻发布会,贵阳市副市长魏定梅宣布:贵阳轨道交通1号线后通段定于12月1日中午12点试运营!由此,贵阳市民翘首以盼的贵阳轨道交通1号线全线通车!贵阳中心城区正式进入“地铁时代”!」
※ HATENA BLOG/貴陽の地下鉄路線図(PDF)

▲地下街には西安名物(漢字が)ビャンビャン麺
※ 外伝17-079 泉城に八角嗅ぐや水の国/J4w10からの帰還→ビャンビャン麺

在,中山西路站A出入口。
 地上にも恒峰歩行街というアーケードがある。この地下も本格的な地下街になって,しかも国威発揚型じゃなく店もきっちり入ってます。
 公園路の西側。この辺がこんなに賑わってるとは。
 中華路の,ぎごちなくゆっくり現代化しつつある町と,はっきりした断絶があります。
▲恒峰歩行街

チューニャンニャンの地獄のパルス

下に美食広場(フードコート)がありました。
「厨嬢嬢」Chu niang niangという…漢語的何となく小洒落た,かつ日本人にはやや卑猥な音のネーミングやね。
 ここに,何と小碗菜の店があった!今は亡き筑萍快餐や他の市内自助店と違い,はっきり長沙・武漢タイプの,小さな蒸し器に入って湯気に包まれた,アレです。
 一瞬あっけにとられたけど,ゆっくり感動に変わる。初回,食べる場所にあれだけ悩んだ貴陽にこんなファーストフードが!
 2店ある。後で見ると小厨家常菜という対面の店も大人気。でしたけど,初回の今回は──

▲貴陽de碗菜!

207蒸好吃
①濃厚菌汁鶏団子スープ
②ピーマンのじわじわラー油辛煮
③骨だらけ鶏の辣子鶏
①このキノコスープはどういう造りなんだろう?椎茸のはずなんだけどすごい湯です。鶏団子から出汁は出てるけれど唐辛子の香りを生かしたらしい爽やかな味覚を纏う汁。辛味はほとんど感じない。塩気もない。でもふくよかさだけが夢のように膨らむ。でもそのふくよかさの正体がまるで分からない。
②ピーマンの煮物。青臭い野菜味がふわふわの食感になってます。安心して頂いてました,最初は。

▲どアップ・骨だらけ鶏の辣子鶏

肉の小さな断片。どこの部位なんだか,細かく骨っぽい。最初,その小骨を取り出そうとしてたけど,どうやってるのか,ポリポリと全部噛み締めていけるので,骨ごと食べ始める。
 好い!噛み締めるほどに素晴らしく臓物的な肉味が出る。ジャコラー的にたまらない!
 なので噛み締めて食べてると──同時に赤唐辛子も噛み締めてしまうことになる。物理的に1/3が赤唐辛子なの
です。大振りな辛味の乏しいタイプですけど,これは効いてくると重い辛味。噛み締めてしまうと徐々に辛味が味蕾に蓄積されてきて──最後にはずっしりした辛味にまみれた舌が,それでも鶏肉の骨骨しさを追ってるような惨状に。
 そんな炎に追われてるとこを狙ったように,追い討ちがかかる。

椒(ピーマン)である。
 ②のピーマンが,その青臭さの奥に隠してきたラー油の辛さを放出し始めたんである。ピーマンよ,お前もか?こちらはちくりちくりと短いパルスの辛味なんですけれど,辣子鶏の重い辛味と重奏してくると──これは凄い。
 地獄です。
 重複パルス地獄の辛味に感激しつつ,悶絶して食べ進めることになりました。

▲大西門付近

バス停・大西門からの湾曲に迷い入る

絶の最中,向かい席に見惚れるばかりのお姉さんがご着席。
 食べ始めるや否や,というところで,箸を地面に取り落としてしまった。結構派手な音を立てて転がった箸に,3秒ほど,お美しくも物凄い嫌な表情を呈す。
 しかして,つと席を立つ。落とした箸はそのままに,です。
 30秒ほどして席に戻ったら,もう落としたことなどなかったように,取ってきた新しい箸で再び飯にかかる。
 箸をキレイなのにするんじゃなく,あるいは,箸を落とさなかったことにするのが,一度席を立った目的だったのかもしれません。体面を重んじる,漢民族の乙女心を見たような。

▲1248歩道橋から見下ろした中山西路の歩道付近。偶然だけど「粑粑…」と看板が写ってる。

ス停大西門。1240。
 なるほど残ってるね,地名は。でも往時の気配は全くない。スペースそのものは門の撤去跡を利用したものでしょう。
1245禾心清真粑粑匠150
という変なお餅をお土産に購入してから,中山西路を後に南行。
写真:詳細又は膨らみは巻末小レポ参照

▲1302法院街

西に旧城壁の地盤跡の高みを見ながら,南から西への湾曲路・市府路を進む。
 今照らし合わせると,西門から南門への城壁湾曲の内側道です(前掲地図の右向き指差しマーク参照)。
──真っ赤なほっぺのおばはんが対面からやってきて,ド方言で…だからわしに道訊くな!
 1258法院街?どこだここ?
 あら?トイレを見つけらんないまま都司路に出ちゃった?バス停市一医。もう宿のすぐ西です。

▲緊急救援中心:非常事態用の施設か?にしてはのんびりした外観だけど?そもそも貴陽で何の非常事態を想定して?

■小レポ:重慶市内?謎の「豊都鬼城」

 文中の「禾心清真粑粑匠」は店名でした。ググるとごく僅かにヒットがありました。
 この問題の品は「热糍粑」と呼ばれるもの。ピンインはci2ba1(ツーバ)。明らかに音訳です。weblio中日辞典では「餅(ミャオ族・チワン族などの少数民族が旧正月に作る食品で,煮たり揚げたりして食べる)」。
 確か台湾の嘉義で,火鶏湯に入れて食べる餅にこの名がありました。
 四川のこの品,しかし中国語サイトでは少数民族のものと書かれてない。「懐かしのあの品」扱いされてるのです。
「丰都鬼城」の名産として有名。──この「丰都」とは,重慶市内,中心部から東北東へ150kmの土地。
──で,この辺から,際限なく深入りしていって止まらなくなったのでした。結論は散逸するけど,ここはあえて拡散しっ放しにします。
▲長崎「変電所の坂」娘バッジ

1 雑穀食文化の残痕?

 新大陸由来の劇味調味料・唐辛子が,四川料理にのみ中核化したのは,①明末清初の殲滅戦で文化の担い手がほぼ完全に入れ替わったことに加え,②四川に最も,小麦や米一辺倒でない雑穀の食文化が残存していたから,というのがワシの中間推論です。
 この食品は,漢民族の食概念に置き換えると「餅」と呼ぶしかないだろうけど,黄豆と花生(ピーナッツ)を糯米に混ぜた粉食です。
 つまり,一般の漢族食と異なるのは「下等」な雑穀が混入してる点。潮州菓子や日本の古い雑穀食にも共通するこの混合食の作りは,漢族が支配民族になる以前の食文化を今にとどめるものだと思われます。

2 漢族文化の少数民族起源事例では?

 とは言いながら,糍粑は漢族の食文化の原初形態も見られると考えられます。
 まず,「炊く」のではなく,先に粉にして練る製法。これを小麦でやればマントウだし,米でやれば日本語で言う「餅」。これを切って面(麺)にする発想は漢族の発明でしょうけど,それを経ると小麦の面(タイのバミー)やビーフン(タイのクイッティアオ)になります。
 次に,豆食は,成都ローカルだと老豆湯のような形で中華料理として根付いてる。花生の方は,例えば豆花に混ぜるのなんかはその現代版です。
 だから状況証拠として,漢族の食文化が確固としてあって,そこに糍粑類の食文化が「吸収」されたと見るより,かつてメジャーな居住者だった,今の呼称でいう「越族」の食文化を,後発の漢族が「継承」──悪く言えば「簒奪」したと捉えた方が自然です。
 糍粑のこの店,客がひっきりなしに来てました。漢族にとってそれは「懐かしい」味覚なのだと感じさせるに余りある,それは光景でした。

3 なぜ「鬼城」なのか?

 その糍粑を名産とする丰都とは,どういう町なのか。
 紀元前に及ぶ歴史が疑われながら,よく分からないらしい。
 古名は「酆都」で,これが「豊」(簡体字:丰)と穏便な文字に直されてるけれど,「酆」。意味を辿ると,地名漢字で周の文王の都。──渭水盆地でも中原でもないここに,周朝始祖の都の漢字がなぜ付されるのか,理解できない。
 これに「鬼城」の二字が付されるのは,周当時から政治の都とは別の宗教的な要地だったのでしょうか。ここには「巴子别都」という呼称もあるという。何かが封印され,根絶やしにされた可能性も感じる。
 北西には,三国志に登場する五斗米道の宗教王国の場所・漢中がある。老子の教えが宗教化する過程で,この地域にあった何かよく分からない邪教的なものが入った,あるいはそれが老荘思想の皮を被って全国伝播した。そういう見方もできる場所。
 深淵な謎の土地です。──はっきりしてるのは,あと数年でここにも重慶-西安間の新高鉄(新幹線)が伸び,本当に全てを闇に葬っていくであろうことです。
▲百度百科の残念おばけ
※ 成都中国旅行社有限公司/丰都特色美食有那些?丰都有那些美食?
「在丰都县城的大街小巷,经常可以看到挎着竹篮兜售热糍粑的身影,揪一把热腾腾的糍粑摊成薄饼状,摸上白糖和黄豆粉后半圆,再在黄豆粉里滚一圈后即可使用。软糯的糍粑加上鲜香黄豆粉」
※ 美食天下/逐渐消失的家乡小吃——热糍粑
「这也难怪,在外面根本就吃不到这些好东西,而且很多小吃因为不能实现工业化生产获取大幅利润而隐于民间或逐步消失。要想看到吃到,大概只能在民间深挖发掘,才能把其摆上桌面了。」
「主料 糯米500克 黄豆100克 花生50克
辅料 白糖50克」
※ 維基百科/丰都鬼城
「丰都鬼城旧名酆都鬼城,古为“巴子别都”,东汉和帝永元二年置县,距今已有近2000年的历史,位于重庆市下游丰都县的长江北岸,是长江游轮旅客的一个观光胜地。丰都鬼城又称为“幽都”、“鬼国京都”、“中国神曲之乡”。鬼城以各种阴曹地府的建筑和造型而著名。」
「肯定有巫术;鬼族有原始宗教,肯定要树立一个神,这个神就是第一代鬼帝,土伯就这样在古丰都大地上被传为第一神。也许有人认为这是无稽之谈,不过后来张道陵在四川创立的“五斗米道”又称“鬼道”,张天师又吸收氐羌部落的巫术作为他驱鬼治病的法术;后来道教又封酆都为游治之一,其间与巴蜀第一代鬼帝被传为住在古酆都是有内在联系的。」
※ 百度百科/丰都县
「2017年,丰都县户籍人口为823684人,常住人口57.86万人;下辖21个镇7个乡2个街道,面积2901平方公里。」
「鬼城麻辣鸡也叫作白砍鸡,是一道家常菜。将鸡肉白水煮熟切成小块,再将红油,味精,香油,白糖,花椒面,酱油等调匀,淋在鸡块上即可。」
※ qq.com/开州将结束不通铁路的时代,渝西高铁基本确定过开州​!
「力争今年底先期段开工,2025年前建成。」

▲重慶~西安高鉄(2025開通予定)路線位置図

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