Range(順徳荔村).Category:広東シン壱次25(33) Phaze:三天順徳へ還ろう

献句
chrödinger’s cat 倒れるmiauのおと
~(m–)m 本旅行の行程 m(–m)~
四鎮編四獣編対岸編

1426西山庙。何と初訪です。

西山庙を正面より

▼▲西山庙で下車。1422
寄ってみる。

1541 明朝嘉靖二十年、西山庙始建(略)
1926 西山庙内的三元宮开办顺德县农民自卫军干部学校。(略)
〔案内板〕

案内板の掲載画像。年イチで派手な祭りがあるらしい。

案内板掲載の寺域。物凄い広さを維持してます。

山上の「錦岩庙」というのが御本尊。QR URL:http://qr61.cn/ouJ54E/qPYaFOJ
右聯「〇天常生好人」左聯「〇人常行好事」
西山庙右聯

西山庙左聯

道教じみてる。左手に「順徳大革命時期/革命歴史展覧」という赤文字。つまり建国~文革期をうまく泳いだらしい。
狛犬と「順徳大革命時期/革命歴史展覧」

1450大良钟楼から佛3乗車。三駅、荔村下車。1456
大良钟楼地下鉄ホーム──を感動の余り撮影

地鉄・荔村の东街口からの景観はごく殺風景

(再掲)1503学校入口には身分証識別ゲートが設置。見る限り、これが中国では当たり前になってきてます。

1505东街口から
全てのバスが行く倫教街道办事処まで三駅。ただ小銭が無くなってしまった。
走り去るバイクから何が落ちたかと思ったらヘルメット。後続車がバンバン来てるので拾って渡すと「謝謝」と何度も言われて戸惑う。ただそいつは道の真ん中でメットを被り直してる──とにかく路肩に寄った方がいいよ?
この道は羊大道というらしい。
仕版という町には城隍廟がある。310路が通ってる。
地鉄・荔村近くのバス停・东街口から310A路に乗る

1518来たのは何路だ?310A。お釣りはやはりなし。
デカい荔村市場を過ぎ、バス停・村委。景湖公園。水辺。1524办事処で下車。
荔村のバス停・办事処から西の都心部を見やる。

~(m–)m 本編の行程 m(–m)~
高徳地図(経路:→天后古庙)
:途中経由点は登録不能のため下記実行程と異なる。始点・終点のみ参照

高德地图上の荔村天后の位置

「喜万年年嫁女餅」という店が650mだとある。
南へ。
南方ビルの手前に寺社らしい甍

ビルの手前に寺らしき甍。1532
1542再開発の工事現場の竹組みが地図の指す天后の手前に見えてきました。

1541工場をしてる壁の向こうが天后の位置です。遅かったパターンらしい。南聚直街から南へ。全ての家が対聯を掲ぐ。
1546南聚直街から「天后」西方に回り込む

1547同集落内

1548同集落内の家の間から「天后」位置に湾が見えた?

壁の向こうに川辺。地図にはない湾があるらしい。ad.30。するりと入ってみると──牛蛙が鳴きまくる湾がありました。宮は見当たらないけれど。
荔村天后位置にあった湖沼(天后宮相当位置に当たる西岸方向)
想像してなかったのでそういう見方をしてなかったけれど──高德地图の航空写真を見ると、確かにこの位置には池があります。

荔村天后位置にあった湖沼、上記フレームより右スライド(北方向)

 唖然としました。なぜこの位置の住宅ブロック裏に、湾入が現れるのでしょう?ここにそういうものがあるなら、水路からの舟の溜まり場か、魚の生簀又は養殖場か位しか用途を思いつけません。それがなぜ、隠されているのでしょう?
 単純に宅地開発を考えるなら、真っ先にこの池は埋められるはずです。この住宅配置は、池を守ろうとしているように感じる。天后を見つけるより、一層神々しい景観に当たったような気がしたのでした。

~(m–)m 本編の行程 m(–m)~
高徳地図(経路:荔村华光庙※)
:途中経由点は登録不能のため下記実行程と異なる。始点・終点のみ参照
※荔村华光庙は本編で記録していないけれど、近くを通過したはず…。

1552池東の北行路

1552北へ道。北行。
法治文化公園──多分この施設の前には古集落があったはずの場所。

1605法治文化公園でトイレを借りる。その後ろで賭場が開催中。
广珠公路は地上からは北へ渡れなかった……

北へ渡れない??地下の高架脇の道を通るしかないらしい。その上には5台監視カメラ。
1624公路北の北行路

渡って大まかに右手へ。ad.荔南路五村街。1620。集落内を通過できる道は──道が南へ折れる地点からの北行路。これしかなさそうです。1624
再び家屋の宗教色が濃くなりました。

ad.同荔南路五村街98。1625右手にやや湾曲。この地点に「西社」という祠。1626
「西社」祠全体

みかんと線香が満載。
あとなぜかライターも。
「西社」祠神像拡大

「西社」祠左手の多量のライター

車道に出るしかなくなった。1630。東行。
1632ここも湖沼地のような場所らしい。

ここもどうやら水場らしい。小さな水面が見え、周囲に畑。
駐車場の区画に「村民」と表示。
池地南西からの道にて

あなるほど、T字は池にぶつかってるのか。
池地南西からの道の「村民」駐車区画

地鉄・荔村南の龍首型水域〔高德地图〕※本文位置は△地点

地鉄・荔村南の龍首型水域

水域にぶつかり一度左手へ。1635
1638。多分この角。ad.冲口街83から冲口七巷へ右折東行。
集落内。冲口街を抜けていく。

吴氏世祠のパティオ

あ、パティオだ。1641吴氏世祠。QR URL:http://sdmuseum.shunde.gov.cn/mobile/bwg.php?id=51&class_id=7420090&ajun_id=5507-7420090
祠自体は鍵がかかって覗けない。対面に劇場のような広い台。上はアーケード。現・使用状況は駐車場。
金爐「聚寶爐」は後方。
吴氏世祠の不可解な右手空間

右手空間撮影。甍は福建風、三進構造。
吴氏世祠の金爐と水域北への通路

さて。右に抜けれるか?
村人が全員いそうなパティオを抜ける。視線が厳しく撮影不能。1650
吴氏世祠の集落の停車場位置図。水域と橋が迷路になってます。

1651集落を抜ける道

1652集落から北の川沿いへ

川辺に出た場所に「〇安社稷」祠。線香多数。1653
1653「〇安社稷」祠

1654集落北の川とそれを越える橋への道

~(m–)m 本編の行程 m(–m)~
高徳地図(経路:荔村地鉄駅)
:途中経由点は登録不能のため下記実行程と異なる。始点・終点のみ参照

集落北の川沿い道

橋に出た。このルートしかないから交通量は多い。
1656橋を渡る。

集落北の水域とビル街

荔村交通ポスター

荔南路南苑街の団地内を抜けて北へ。
真正面に地鉄荔村。1704地下へ。

地下鉄荔村駅ホーム

ネット上の広州南站を中心とする高鉄(新幹線)網

今や広州南には四本の地鉄が入ってる。
1744乗換乗車、海珠広場まで11駅。座れないけどこの時間の2号ですら昔ほどじゃありません。
海珠広場。浦島太郎との関わりは特に聞かない。

1808海珠到。北京路まで歩いてみる。立体交差をうまくすり抜ける歩道が出来てて、涼しい夕暮れの川辺でした。これはこれで好い。
珠江北岸の沿江中路

この店の気まぐれさは凄い。スルッと席が空いてたから入ると、五分で満席に。
1830第壹面
斗门虾籽捞面400
第壹面の斗门虾籽捞面

斗门は地名。虾籽はエビの粉。捞面(広東麺の焼きそば)にエビ粉のまぶしてあるもので、これまでも何度か食べたけど──これは凄かった。真っ黒のエビの粉は、何かの調理がしてあるのだと思う。海鮮と言うより──特殊な胡椒のような「味付け」になってる。
第壹面の斗门虾籽捞面どアップ

「いつかギラギラする日」で萩原健一が愛人・多岐川裕美の作ったペッパーライスを食べる。多岐川「どう?」萩原「ペッパーが丁度いい」というシーンか好きたけど──あのペッパーに近い。かけてあるだけなんだけど、別次元になる調味料。
最後になるけと麺もハッキリと美味い。これはもう広東では当たり前だけど、痺れるように細い縮れ麺。
夜の第壹面の灯を南より

この「斗门」という土地も、蜑民の色彩の濃厚な地らしい。何と「斗门话」(≒斗门語)という独自の言語の話者のくに……とも維基は伝えます。

斗门区是中国广东省珠海市下辖的市辖区、地处珠江三角洲西南端,珠海市西部,东临中山市,南与金湾区相连,西面和北面与江门市接壤,斗门有很多赵姓的人,因为南宋时皇室曾逃难到这里[2],(略)〔維基/斗门区〕

※原注[2]宋皇室赵氏在斗门的繁衍. URL:http://10000xing.cn/x001/2013/0420201730.html [2013-04-26]. (原始内容存档于2019-05-20).

本地通行四邑话,斗门地区人民俗称斗门话,与标准粤语(广州话)有一定的差距。另外还有使用蜑家话(水上话)和客家话。[6]〔維基/斗门区/语言〕

※原注[6]斗门方言 互联网档案馆的存档,〘▶現在リンク切〙 存档日期2016-03-04.

疍家话又称水上话,是“疍家人”的语言。 鉴于疍家人广泛分布于浙江、福建、广东、广西、海南、香港、澳门的沿海地区和主要内河。并且绝大多数经常和附近的本地人频繁交流。因此,“疍家话” 在不同的省份所指代的语言系属可以完全不同。比如两广的疍家人讲粤语疍家话。而福州疍家人则主要使用福州话。〔維基/疍家话〕

夜の天字码头を北から

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