▼▲西山庙で下車。1422
寄ってみる。
1541 明朝嘉靖二十年、西山庙始建(略)
1926 西山庙内的三元宮开办顺德县农民自卫军干部学校。(略)
〔案内板〕
山上の「錦岩庙」というのが御本尊。QR URL:http://qr61.cn/ouJ54E/qPYaFOJ
右聯「〇天常生好人」左聯「〇人常行好事」
道教じみてる。左手に「順徳大革命時期/革命歴史展覧」という赤文字。つまり建国~文革期をうまく泳いだらしい。
1450大良钟楼から佛3乗車。三駅、荔村下車。1456
1505东街口から
全てのバスが行く倫教街道办事処まで三駅。ただ小銭が無くなってしまった。
走り去るバイクから何が落ちたかと思ったらヘルメット。後続車がバンバン来てるので拾って渡すと「謝謝」と何度も言われて戸惑う。ただそいつは道の真ん中でメットを被り直してる──とにかく路肩に寄った方がいいよ?
この道は羊大道というらしい。
仕版という町には城隍廟がある。310路が通ってる。
1518来たのは何路だ?310A。お釣りはやはりなし。
デカい荔村市場を過ぎ、バス停・村委。景湖公園。水辺。1524办事処で下車。
「喜万年年嫁女餅」という店が650mだとある。
南へ。
ビルの手前に寺らしき甍。1532
1541工場をしてる壁の向こうが天后の位置です。遅かったパターンらしい。南聚直街から南へ。全ての家が対聯を掲ぐ。
壁の向こうに川辺。地図にはない湾があるらしい。ad.30。するりと入ってみると──牛蛙が鳴きまくる湾がありました。宮は見当たらないけれど。
唖然としました。なぜこの位置の住宅ブロック裏に、湾入が現れるのでしょう?ここにそういうものがあるなら、水路からの舟の溜まり場か、魚の生簀又は養殖場か位しか用途を思いつけません。それがなぜ、隠されているのでしょう?
単純に宅地開発を考えるなら、真っ先にこの池は埋められるはずです。この住宅配置は、池を守ろうとしているように感じる。天后を見つけるより、一層神々しい景観に当たったような気がしたのでした。
高徳地図(経路:荔村华光庙※)
:途中経由点は登録不能のため下記実行程と異なる。始点・終点のみ参照
※荔村华光庙は本編で記録していないけれど、近くを通過したはず…。
1552北へ道。北行。
1605法治文化公園でトイレを借りる。その後ろで賭場が開催中。
北へ渡れない??地下の高架脇の道を通るしかないらしい。その上には5台監視カメラ。
渡って大まかに右手へ。ad.荔南路五村街。1620。集落内を通過できる道は──道が南へ折れる地点からの北行路。これしかなさそうです。1624
ad.同荔南路五村街98。1625右手にやや湾曲。この地点に「西社」という祠。1626
みかんと線香が満載。
あとなぜかライターも。
車道に出るしかなくなった。1630。東行。
ここもどうやら水場らしい。小さな水面が見え、周囲に畑。
駐車場の区画に「村民」と表示。
あなるほど、T字は池にぶつかってるのか。
水域にぶつかり一度左手へ。1635
1638。多分この角。ad.冲口街83から冲口七巷へ右折東行。
あ、パティオだ。1641吴氏世祠。QR URL:http://sdmuseum.shunde.gov.cn/mobile/bwg.php?id=51&class_id=7420090&ajun_id=5507-7420090
祠自体は鍵がかかって覗けない。対面に劇場のような広い台。上はアーケード。現・使用状況は駐車場。
金爐「聚寶爐」は後方。
右手空間撮影。甍は福建風、三進構造。
さて。右に抜けれるか?
村人が全員いそうなパティオを抜ける。視線が厳しく撮影不能。1650
川辺に出た場所に「〇安社稷」祠。線香多数。1653
橋に出た。このルートしかないから交通量は多い。
荔南路南苑街の団地内を抜けて北へ。
真正面に地鉄荔村。1704地下へ。
今や広州南には四本の地鉄が入ってる。
1744乗換乗車、海珠広場まで11駅。座れないけどこの時間の2号ですら昔ほどじゃありません。
1808海珠到。北京路まで歩いてみる。立体交差をうまくすり抜ける歩道が出来てて、涼しい夕暮れの川辺でした。これはこれで好い。
この店の気まぐれさは凄い。スルッと席が空いてたから入ると、五分で満席に。
1830第壹面
斗门虾籽捞面400
斗门は地名。虾籽はエビの粉。捞面(広東麺の焼きそば)にエビ粉のまぶしてあるもので、これまでも何度か食べたけど──これは凄かった。真っ黒のエビの粉は、何かの調理がしてあるのだと思う。海鮮と言うより──特殊な胡椒のような「味付け」になってる。
「いつかギラギラする日」で萩原健一が愛人・多岐川裕美の作ったペッパーライスを食べる。多岐川「どう?」萩原「ペッパーが丁度いい」というシーンか好きたけど──あのペッパーに近い。かけてあるだけなんだけど、別次元になる調味料。
最後になるけと麺もハッキリと美味い。これはもう広東では当たり前だけど、痺れるように細い縮れ麺。
この「斗门」という土地も、蜑民の色彩の濃厚な地らしい。何と「斗门话」(≒斗门語)という独自の言語の話者のくに……とも維基は伝えます。
斗门区是中国广东省珠海市下辖的市辖区、地处珠江三角洲西南端,珠海市西部,东临中山市,南与金湾区相连,西面和北面与江门市接壤,斗门有很多赵姓的人,因为南宋时皇室曾逃难到这里[2],(略)〔維基/斗门区〕
本地通行四邑话,斗门地区人民俗称斗门话,与标准粤语(广州话)有一定的差距。另外还有使用蜑家话(水上话)和客家话。[6]〔維基/斗门区/语言〕
疍家话又称水上话,是“疍家人”的语言。 鉴于疍家人广泛分布于浙江、福建、广东、广西、海南、香港、澳门的沿海地区和主要内河。并且绝大多数经常和附近的本地人频繁交流。因此,“疍家话” 在不同的省份所指代的语言系属可以完全不同。比如两广的疍家人讲粤语疍家话。而福州疍家人则主要使用福州话。〔維基/疍家话〕
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