
名前通りの工業団地内。南行。道は金翔路。
暑い。どうでもよくなって木陰でTシャツに着替える。
皆さん北に向かってるのは、昼ごはん休みでしょうか。つまり今ワシが向かう北の集落に家がある?
「大良交通事故違反車両停車場」どーゆー意味?
1211川を渡る。「公示牌」によると「古鉴涌」とある。岸の整備はなく自然河川っぽい。※「涌」用字については巻末参照
すると?もうすぐのはずがエラく殺風景です。
あら?市場だわ?古鉴市場とそのままの名。
なるほど。この新市街区画の一本裏が旧集落か。
1219庙前路とこれもそのままの道へ左折東行。ad.はなぜか古鉴北路四巷。
やはり潮仙の店多し。1225湾曲地点で振り返り一枚。行く手を一枚。(地点→高德地图)
いやいや?南側背後に低いけど高地があるじゃないか!もうここが三忠廟だろう?1230→高德地图
多分元の島。にしても両側に金爐……というのは珍しいと思う。
右聯「古山永保〇伴三霊吕徐陳」左聯「鑑水長流沃地養人民興旺」
入口パティオ右手の樹下に両手を前にした像。線香多数。「捷〇社」と背後に文字。
1238左手「奎垣」とある門から中へ。右聯「平盛[十/サ/一]欢楽日」左聯「岁岁明君艳阳天」
正面三像、左手二像。右から轉運将軍、財帛星君、吴遂大〇〇、華佗先師、醫霊大帝。
両者の間の地上に団扇を持つ三角帽子の老人像と虎。前三者の隣に牛。
──虎は、よもや虎爺でしょうか?とすれば福建系の影響が疑われます。
1247中央殿。正面に衝立(屏風≒[沖縄]ヒンプン)。中に三殿。左三神、右二神、中央三神。ただ中央に仕切りがあり進めず、遠くて見えない。
1250右殿。「慈航普渡」と文字、女性像なので多分天后。
1253正面に戻って、左手手前地面に老人像。赤ら顔に赤マフラー。
1524右手にも段上に老人像。こちらは服まで赤い。
右殿の上額「公約」右聯「〇生紫竹千枝润」左聯「〇照菩提一洞天」
1257この入口右手地面にはカラフルな白髭老人像。線香多数。
信じ難い。文革で破壊された痕跡が全くありません。こんなに台湾・香港に近い状態の共産中国域の祭壇は始めて見たかもしれません。
13時を回る。時計回りではないけれど、この前の道を西へ戻ってみる。
「武陵門」とある門を出ると、右手の外の地面に「始創李姓地主位」という方石。線香無数。手前に「土地財神」
この裏山には歩道があって登れる。してみると「御嶽」的な意識はあまりないらしい。あえて山際の道ではなく一つ先へ。1309
Liying烘焙(→高德地图)というパン屋前で左右を撮影。開店前らしいけど佇まいがよい。
1315。勘で古鉴北路七巷へ左折。
軒に「門口土地財神」がある家が相当あります。ただ七巷は行き止まり。引き返して十字路沿いへ。1319
古鉴村党群活動中心という矢印の方へ、そういう活動はしたくないけど左折西行。多分、古鉴西路。
カンカン照りになりました。
1324活動中心の向こうに「西〇社」とあるコロボックルかアイヌ顔の像の祠。真下に爐。こんなのが中国に残ってるのか?線香多数、供物もある。
1327五圣宮。閂かかる。右聯「諸惡莫作衆善奉行」左聯「自浄其意是諸佛教」
中を隙間からそっと覗くと観音廟と文字。ただ廟前はなぜか荒れてる。
2軒隣が悦賡王公祠。右聯「悦宗先代怡謀由德澤」左聯「賡祠后人繼述在書郷」
扉に右「四面貴人相照應」左「進門庭八方財寶」
やはり両側とも荒れてる。
2011.11に佛山市順徳区不可移动文物に指定。QRあり URL∶https://www.sdmuseum.com.cn/handCultural.html?id=1439&typeId=23
ad.古鉴西路14
※鉴∶jiàn4
あれ?また曇ってきました。
屋根の甍は何とかという福建様式。ただやや稚拙か。1341
天気は持たないっぽいし西へ戻ろう。
ad.なき路地へ。1343
車道に出ました。
ええ〜?ここへ来て雨?
バス停・员工村。三つ先から319は折り返して来るらしい。その代わり908というもう一つの路線は清暉園へは行かない。──方面は同じみたいだけど、福盈酒店という、別に調べてた飲茶ホテルの方。
あれ?さっき2台南へ行ったのに帰ってこないよお。あ?ひょっとして時間合わせしてる?
来た。1408。乗る。創意工産業園という、明らかに党に媚びへつらう役人が付けたっぽい恥ずかしいバス停。
川を渡る。さっきの川が湾曲して来てるから古鉴桶です。天后が幻でなければ、ここも昔は港だったはずです。
高架下をくぐった?高速・広珠公路。
電光表示の温度は35度。ホントか??
西山庙で下車。1422
寄ってみる。
■レポ:「涌」cung1)字▼▲
1(水・雲・煙などが)わく,わき出る,わき上がる.≡湧.⇒风起云涌 feng1 qi3 yun2 yong3 .
用例
一股泉水直往上涌。〔‘往’+名+〕=一筋の地下水がまっすぐ上にわき上がる.
热泪从眼眶里涌了出来。〔‘从’+名+涌+方補〕=熱い涙が眼窩からわき出た.
油井涌出石油来了。〔主(場所)+涌+方補1+目(動作主)+方補2〕=油井から石油がわき出て来た.
泪如泉涌=涙が泉のごとく止めどなくあふれ出る.〔Weblio/中国語/涌〕
ここまで見たたけでは何のことか分かりません。北京語話者からすると、誤字以外の何物でもない用字なのです。けれど後掲「ざっくばらん広東語」のような、ごく一部の広東ローカルの語学論に解説があります。

涌(cung1)
香港でよく見られる「涌」は、湧(ユウ・わ-く)の異体字ではなく、読みも意味も違う別字である。
ある字の書き換えだと考えられるが、本来の字は沖(チュウ)か潼(ショウ)かまだ定かではないので、日本語読みを「?」にした。とにかく北京語でyǒngと読まない。
小さな川、特に感潮河川を指すこの 「涌」は、香港のみならず広東省にも使った地名が多数存在する。それ故、中国で権威的な辞書『新華字典』にも載っている。
本来の字には二説あリ、中国語のウィキペディア勺では「沖」、『全国漢語方言用字総表』では「潼」とされている。日本語のウィキペディアで見られる 「チョウ」という音読みは編集者の臆測で誤りの可能性が高いと考えられる。〔後掲ざっくばらん広東語〕
何を言ってるのか分からん、あるいはどうでもよいことが多い気がするけれど、感潮河川というのはプレ那覇の地形のお話で既に一度触れました。

これがどういうことかというと、川から海へと繋がる潮位をうまく利用し、海が満潮になる頃には満ち潮に乗って上流へ向かい船を漕ぎ、潮が引く頃には引き潮に乗って下流へ下ることを意味する。いわば現代にまで残る橋の名前からも、当時は川の水路を使って那覇から松川、金城あたりまで船で移動していたとの証明でもある。
そして昨今においても、安里川では潮の満ち引きが大きく働いているのではないかという面白い現象も見受けられる。そう、安里川、蔡温橋付近まで上ってきて発見されるサメである。海の生物であるサメが淡水であるはずの川まで上ってくるということは、やはりある程度のところまで潮が上って来ている事実を物語る。〔後掲HUB沖縄〕
つまり珠江デルタの地理的な条件、海と川に両属する広大な海陸分界領域を表す用字が、この広東方言漢字「涌」であるらしいのです。
广东珠三角水乡的河流也非常密集。 珠江水系到了平原地区、西江、北江、京江三大河流呈扇形汗枝散叶,勾勒出密集的水道。以东莞为例、西部的水多地区,东江从东往西、再往南流淌,分出了恨多汊河,乗车路辺会看到一座又一座的桥、一条一条河。佛山、广州、中山的情況类似、河流也非常多。东莞水乡的地名、无论是镇(东莞没有昙)还是村、往往都帯水: 像xx涌、 xx滘、 xx洲这种地名非常多。例如:演涌、三涌、袁家涌、呉家涌、新谷涌、蚬 涌、麻涌、鴎涌、鬼涌、氹涌、涌口、扶涌、五涌、官桥涌……〔後掲个人图书馆〕
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