1057蒸武门の道を東へ進んでから──1102北へ。ad.福寿路。
やっぱりカエルをよく食うらしい。ゲコッ、いや結構メニューにはソレがある。中国と台湾では割と食べてきたけれど、正直あまり美味い気がしたことはない。しかしここまでの変化球ぶり、东莞って……何かそういう食のワンダーランドだったりするんでしょか?
緑化路にかえる。石龙鎮中心小学。少し東へ回るしかない。1106
高墩塘边街
よし北へ道。打锁街。1109
中山东新屋街へ右折。1111
小月庵とある矢印を追ってみる。左折北行、ad.中山东建新街
1113脇道を覗く
1116小月庵
右聯「登寶地悉植菩提種」左聯「入山門咸資般若光」
仏教寺院らしいけど何で?
1119左に中山东联合街が交わるT字。ここは左折しておくか。
でもすぐの联合街へ惹かれる。右折北行。1121。

いや途切れた!1123戻る
緩いS字にくねりながら西へ。1125──さっきの行き止まり道が联合街だったこと、道の途切れそうな危うさからだけ考えると、元々短い迷路しかなかった路地裏を「連合」(联合)させて幹線路地を造ったのでしょう。
美しい枝垂れ花のベランダ。1127
1130青少年宮。暗唱の声。
博物館……の前で賭博将棋。※この博物館は、実際かなり立派な建物だったけど──後で地図を見ると「举重博物馆」どある。→高德地图 「举重」は重量上げのことで、「2024年全国举重冠军赛」という大会が石龙体育中心(石龙中学体育馆)で開催されてる〔後掲东莞市〕。ただその記念に造った、というには豪勢過ぎ、もう一枚事情がありそうですけど──。
この共産広場の西側、太平路を北へ。1137
1138右手の中山东竹园街を覗く。
何だろうこのS字の連なりは。酔うように位置感覚が無くなっていく。
1143西南西へ広い中山西路。南西角の凱欣玩具商店撮影。すごい騎楼です。左折。
ここが観光の中心らしい。マイクを付けたガイドが通る。
でも観光地です。右、贝底水街という魅惑的な名の通りへ。1151
1153左折西行、ad.蒜头街。──
物凄く高架の多い界隈。
中山西华景路に出たけどそのまままたいで西南西へ。ad.はまだ蒜头街。
1202十字。左手の道を覗き2枚。
ad.13のZ字に福徳宮。中国の集落内に普通にあるのは始めて見たかも。老夫婦像。対聯がまた変わってる。右聯「公公公十分公道」左聯「婆婆婆一片婆心」
この祠にもある「大/吉」字は文字通り大吉なんでしょか?
1209。百花北路に出るけどさらに対面の路地へ。ad.风炉街。なぜかカクカクと微かなZを繰り返す道。
「石龙抗日地下交通情報站旧址」という、日中戦争時の伝・秘密基地。「1923年至1925年、為鞏固和統一廣東革命根據地」──1923-5年頃の広東革命根拠地と目され、「豐富的紅色歷史文化資源」のある土地と断定されたあと、他にも「中共東莞縣委交通情報站舊址」と「中共東寶聯合縣委地下交通站遺址」が発見されたそうな〔後掲人民網〕。詳細は眉唾ながら、孫文や毛沢東がこれら路地裏から身を起こした点自体は否定しようがありません。
公安を過ぎ1217和平路。これも跨ぐ。
対面は中山西长兴街。やや右に湾曲。
明德小学から嬌声。福厚里街、これだと思うけど──1223
アパート入口に福徳宮祠。地蔵がない。
▼▲入口まで戻り北行。小学前の雑貨屋の亭主が、昼休み前のうたた寝中。1228
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