保全第六日
Range(広州獅子洋珠村二涌&禘长钟公
&南洲大園).Category:広東シン壱次25(61) Phaze:六天折返の河口
なし」と「あり」を行交つてふらここ
なし」の疫鎮めんやすらい祭

1140東の池。この南西角岸に可四潘公祠と読める祠。▼▲でもさっきの南门社坛の手前の路地が気になる。戻って北行。ad.上街二巷1。1142▼▲
五段登ってT字でZ、北行。南门上街二巷5、8号民居前でバイクに抜かれる。1146
ad.10号で迷路になってるけどさらに北へ。
1148北一枚、南振り返り一枚。
行き止まり?三巷から西池へ戻る。1150
東池の北ライン中央から──というか大樹のロータリーから北の路地へ。1153。
抜けたパティオの西側が目的地──禘长钟公祠。右聯「三珠開地脈」左聯「群族叙天倫」
案内板あり。
始建年代不詳、重建于清咸丰八年(1858年)。(略)坐西朝东、三间两进、面阔9.52米、占地面积136平方米。硬山顶 、人字形封火山墙、龙船脊、青砖、勒脚分別用花岗岩和红砂岩。檐档有简単花卉、檐下有咸丰年间壁画5幅。红砂岩门額上刻”禘长钟公祠”、上款”咸丰戊午孟夏重建”、下款”廿三传孙汝章敬书”。(略)〔案内板〕
余り敬われてはいないらしい。
1215パティオ南東角からの中东街を東行。アラブの臭いはしない。
水路を跨ぐ。多分これが東池の元の流れでしょう。1218
その先の中东新街一巷へ右折南行してみよう。1221
この位の位置のはず。T字を左折東行。ad.中东隔涌大街
ad.东横三路四巷になりました。多分予定より北たけどこの道を抜けよう。
右手南のビルの隙間がカッコいい。1228
この道も暗渠だったらしい。水路傍の道になる。1230
广州乞巧文化博物館の南北路。もう一つ東のはず。1235
よし着いた。
▼ 徒歩12分
バス停・珠吉公路
945路を待つ。雨はほぼ降る気配を無くしてます。
1248ふう。座れた。寝込みそうですけど、まだ2箇所目への途中。
裕丰圍という場所があるのか?──隣に大風邪をひいてるらしき、オバハン。
945。1255
余程人気がない路線らしくあれだけ待ちがいて乗るのはワシ一人!
▼ 5站8分
左折東行。高架を跨ぐ。かなり閑散としてきました。
护林路。
ガンガンにマンション建ててる。まだ建てるのか広州?右折。この道が丰乐北路のはず。
1302黄埔体育館。次。
バス停・丰乐北路。1305。次が大沙东站というバス停だけど──高德地图に従い下車。
結構下町っぽい。十字を左折東行。黄埔 人民法院の先に
▼ 徒歩11分 720m
地鉄・大沙东 D口から入る。デカい駅!何と7と5のジャンクション。深いホーム!
▼ 7号
▼▲三駅だけど途中の駅は未开通とある。1326乗車。座れず、結構な状況▼▲
地鉄・裕丰围。かなりの乗客。
■レポ:広州南海神廟▼▲
4 )南海神廟という主廟のほか、南海神を祭祀する廟宇は下記の通りである。それは新滘鎮黄埔村洪聖廟・長洲鎮下莊洪聖古廟・大沙鎮茅崗村南海神廟・公坑洪聖廟・員村洪聖廟・火村洪聖廟・板橋南海神廟・崗尾南海神祠・凌邊觀音洪聖廟・香港灣仔洪聖古廟・滘西村洪聖古廟・南丫島洪聖廟・鴨脷洲洪聖古廟などであり、主に珠江デルタに散見する。
5 )現在南海神廟は「波羅廟」とも言われ、唐の時代にインドからの使者がここに「波羅蜜」を植えたことに由来する。そのため、南海神誕は波羅誕とも呼ばれて、南海神の誕生日(舊曆二月十三日)として、舊曆二月十一日から十三日まで民間において祭祀行事がおこなわれる。「波羅蜜」は梵文のパーラミターの音写である。〔後掲張/注〕
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