010-b東海の墓\長崎withCOVID\長崎県

~(m–)m 本編の行程 m(–m)~
GM.(経路)

。▼▲南からの登りの中途に,墓もないのに土神の石柱。よく見ると側溝脇にも,今度は水神の石柱。▼▲
1200。こちらが新大工町4,向こうが片淵一丁目7の十字路を北へ。この先の石垣に惹かれて入ったのですが……。

1202黄ばんだ石垣

ただしっくい部が少し黄ばんでるだけで道はさして印象的ではない。ただ家屋は妙にギラつくものが多い。
1206木造校舎のような家屋

1205端正なる扉

道なりに右へ曲がる。ad.片淵一丁目9。東の高みに寺院らしき建築が見える。春徳寺,なのか?
1210進む。
1211意外な高度に春徳寺

駐車場,デイサービスと面白くない郊外の道。
T字。Top24パーキング夫婦川。ad.夫婦川2の横に細道がある。入ってみようか。
1216Top24パーキング夫婦川細道

1218垣根の湾曲路

さらにT字。一度南へ回ろう。右折。
東海の墓を示す案内板が階段を示す。その手前に「トッポ水」という泉の祠。これを源泉とするのが雌川,春徳寺下の斎道寺泉を雄川と呼び,総称して夫婦川だとある。中国語訳は「金刚杵圣水」。祠はない。
1224トッポ水からの階段

1223階段を登る。いや?真上に夫婦川町公民館。その脇が夫婦川観音堂。長崎88か所の29番で,前後は75)華嶽山春徳寺,56)夫婦川天寿庵。
1230三柱の仏像

右脇に三柱の像。皆首をかしげてる。首を折られたのをくっつけてるらしい。廃仏毀釈か大村キリシタン時代か。真ん中の,これだけは割られていない掘り抜き像ははっきり女性的だが,書かれている地蔵ではなかろう,何の像でしょうか?
1233中央女性像

1235。寺の裏に一段段差。階段は10mほど等高線の平面をとってからY字路になる。右手東行。
ad.片淵二丁目14から左が夫婦川12,右は4。
曲がりくねる道から再び等高線道。三界萬霊塔。仏像18,多くがやはり一度断首された跡あり。
1242三界萬霊塔

1246東海の墓の矢印がやっと右を向く。
1247到達。1670-80頃とある。
1249東海墓群

さてここからどう東へ出ればいい?
墓地内を抜けるしかなさそうです。
抜けれんぞ?墓域が完全に城砦を成していて正面以外に抜け道がない。
1254出れない墓地から長崎市街

1258出れない墓地のベーロン守護神様

日本人用の墓地に入り直す。
ここも迷路だったけど何とか抜けれました。
この上が「城の古阯」のはずだけど?でも今出た道は再び西に回り込んでる。まっすぐか東から入る必要があるのです。
1303墓地のさらに上手

先へ行くと長崎美容専門学校?それ以外の山手への道がない?
アパートからタイ語の嬌声。
1308ファッション校はあるけど道がない。

1310タイ語の賑やかなアパートから下りる。

1312シーボルト通りに帰ってきた坂道

1315ad.夫婦川の路地

1321桜馬場町観音堂。
1324中之橋
1324中之橋から長崎市街(新大工町方面)

西洋菓子「樹」に久しぶりに立ち寄る。
1332電停・新中川町から乗車。
電停向こうに春徳寺奥の高みを確認する。小さな丘,というだけです。これがそんなに重要な意味を持ったのか?
1336電停・新中川町から見るとほんの小さな丘に見える古城址

この諏訪神社より上の長崎は,今んとこどうもコッ酷い長崎です。ぜんぜん取り付けない。完璧以上な準備なしに迂闊に進むとヒドい目に遭います。その場で対処できない,というのが凄い。
後日,日本地理院地図で確認すると,古城址へは鳴滝側(≒シーボルト宅跡)からしか道がないことが判明しました。夫婦川側と通じる道が一本もないのです。なぜでしょう?

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