GM.(経路)
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国道505号線に戻る。バス停・山岳。右折北行すると──
1015。やはり「いち藤」(沖縄そば)はお休みでした。橋を過ぎAcoopの前を左折。この辺りにちょっとだけ盛り場と言えば盛り場っぽい町並みがあります。

港町の風情を、とどめると言えばとどめてる裏町を横目に──
東方が
大井 川の河口、西方がジニンサガーラ(下流部ではヒショチナガーラともいう)の河口となる湾入部に開けた港で、昭和三〇年代まで山原船などの停泊地として使われた。炬はタイともいう。現在は土砂の堆積が進んで干潮時には干潟となり、かつての港の面影はない。大井川河口部は琉球石灰岩の台地が背後を取巻く典型的なエスチュアリ(三角江)をなし、さらに河口前面のサンゴ礁には切れ目(天然の水道)があるため、港の立地できる地形条件を備えていた。〔日本歴史地名大系 「炬港」←コトバンク/炬港(読み)てーみなと〕


南南西に道なりに登ると、高台に集落。これが玉城らしい。炬港を見下ろす、沖縄では古い立地です。R72に出て右折、すぐ左折。

やはり散村に見えます。港があった時代には、岬の高台上の広い平地だったでしょう。少し規模は小さいけれど、今帰仁城の地勢に類似します。

玉城公民館前停車。名護運天港線(県道72号線)の食い違い交差点の南西側(→GM.)。1029。
〔日本名〕沖縄県国頭郡今帰仁村玉城611
〔沖縄名〕?
〔米軍名〕-

公民館に向かって左手(南西)裏山へ階段がありました。藪用の長袖ウィンドブレーカーを着てから……登ってみる。
高台。
すぐ左手に小祠。石一つ。供物なし。

その先に、階段から背を向けたコンクリートの祠。
戸口がサッシで閉められてます。祠というより、ノロの屋敷跡にも思えます。

更に奥の道を辿る。
すると広場。神アシギっぽい。
手前に小祠一つ、祠二つ。
東屋一つ。
さらに奥にも祠一つ。
その空間の中央に玉城殿堂建設記念碑。

碑文裏面に「千九百三十年」と読める文字。何と──元号がない。昭和5年の沖縄で、です。
これらの建造物は、全てこの時の創建だろうか。先のサッシ以外は、とこか一部だけ特に新しいとか古いとかの印象はありません。

神体はいずれも石。各三つ。
ただ最奥の神体は、双子石ばかりが三セット。知る範囲では、夫婦石の三世帯がグループになってる、というイメージは初見です。
いや?ここが最奥じゃないのか?

二つの祠に隠れるように、一回り小ぶりな祠がもう一つ。これは本当に、人目を避けて藪に埋もれてるような御祠でした。藪深く、神体は未確認。
今帰仁役場と郵便局。1056。即ち今帰仁官庁ストリートの十字路をスルーして、仲宗根へ。一つ目の十字路を右折。すぐ左折。仲宗根公民館。

おや?集落奥に、ちょっとだけ神社っぽい階段がある。
1103、登る。
奇妙な「神社」。左手にベンチ。日本風に鈴が鳴らせる。ただ、祠を覗くと御神体は石。──そもそも覗けてしまうのが怪しい。ご神体は戦前の日本軍政への迎合であって、沖縄又は今帰仁(北山)的な神は別の形を想定すべきなのではないでしょうか?
〔日本名〕国頭郡今帰仁村仲宗根
〔沖縄名〕?
〔米軍名〕-

三ツ石。これは沖縄ではよく見る、安心できる形です。
多分、外側の祠だけをどこかの段階で建替えたのでしょう。

面白かったのは(迷惑たったとも言うけれど)、宮祠から裏山への道があったことでした。……何かで、村予算が余った時にでも造ってしまったんでしょうか?

この形で、通常の沖縄ではたどり着けない奥宮に行き着くこともあります。
ただ仲宗根の宮の場合、相当奥へ山道自体は続いてたけど……残念ながら展望台が終点。道そのものが公園めいてもいます。


推測するに──前掲炬港の湾入が存在した時代、この宮は、湾中央の島だった──という予想が、容易に浮かびます。
この位置は、ワシには古・台北湾における艋舺(萬華)の位置を連想させます。


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1127対面,アート花嫁センター前を直進。のどかな道をひとしきり進む。丘の向こうに風力発電の羽根。
1131越池公民館。謎の「スマイル」看板。
1135「みなとはし」なる橋で小川を越える。
■閑話休題:変な今帰仁写真集


今帰仁御神(志慶真乙樽)とは、今からおよそ七百年程前の中北山時代の頃、今帰仁城の南側に志慶真村(しげまむら)という集落がありました。この「しげま村」に、乙樽(ウトゥダル)という絶世の美女がいました。その美貌のうわさは国中に広がり、今帰仁御神(ナキジンウカミ)ともてはやされていました。このようにうっとりとみとれるほどの綺麗な乙女は、神様みたいに気高いので、「今帰仁御神」といわれるようになりました。〔後掲今帰仁商工会〕



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崎山集落。右手玉城ボディー,左手崎山農村公園のポイントで左へ入る。
崎山の拝所。大きい。

右前に文様のあるコンクリート。
拝段五つ。最右には「許可なくして無段で使用をかたく禁ず」とあるスペース。

二つ目から「掟神殿内」(ウッチがみ),「火之神」,「崎山殿内」、「諸田殿内」。

崎山殿内のスペースが最も広い。火之神以外は下段に香炉,上に供物。ただし新しい供物はない。
供物は,崎山殿内では青い花瓶六つ,茶飲み六つ,香炉三つ。下部の石は五つ。
最右スペースの下段にも使用の形跡はある。特定の時期に移して用いるのでしょうか。

脇に箒,塵取りとゴザが置いてある。殿内に座って拝むらしい。
ここにもイビらしい裏山はない。
トンボがわんさか飛んでます。

たわんだ音色の正午のオルゴールを聞く。さらに西へ。

「お願いスピード注意 仲尾次こども会」▼▲
1206三叉路。仲宗根から続いた道が唐突に途絶えます。
〉〉〉〉〉参考資料
URL:https://www.nakijin.or.jp/oshirase/bosyu/youkou.htm
/今帰仁御神(なきじんうかみ)について
URL:https://www.nakijin.or.jp/oshirase/bosyu/ukami.htm
/今帰仁御神肖像画大賞
URL:https://www.nakijin.or.jp/syouzouga/syouzou/pages/P1010008.htm
/今帰仁御神肖像画 出品作品ギャラリー 1~20
URL:https://www.nakijin.or.jp/syouzouga/syouzou.htm
今帰仁村/今帰仁村19の集落
URL:https://www.nakijin.jp/pagtop/rekishi/shuraku/index.html
/玉城(たましろ)
URL:https://www.nakijin.jp/pagtop/rekishi/shuraku/800.html
/仲宗根(なかそね)
URL:https://www.nakijin.jp/pagtop/rekishi/shuraku/801.html
/崎山(さきやま)
URL:https://www.nakijin.jp/pagtop/rekishi/shuraku/805.html
★参考資料★

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