外伝17-047 魯の道や紆余曲折の果ての青/観海山

~~~~~(m–)m~~~~~(m–)m~~~~~(m–)m前編後半及び本編の行程:Googleマップ(経路)~~~~~(m–)m~~~~~(m–)m~~~~~(m–)m

魯菜第一楼・春和楼飯店をスルー

▲天津路と中山路の交差点辺り

和楼飯店という白とえんじ色の二階建て洋館が角地に立つ。角のゲートが美しい。
 1523,河北路から右折西行した天津路と中山路の交差点。北西角。
 今調べると1891年創業とある。ドイツの租借前?「魯菜第一楼」(山東料理が一番おいしい店)の看板を掲げてる老店ですけど,スルーしてそのまま進む。

十分で別の場所のような多彩さ

▲海泊路。街路樹からの木漏れ日が綺麗です。

東に延びてた天津路が中山路を越えるとほぼ東行する。
 道の名前は海泊路というカッコいいのに転じました。
 1534,午前に引き返した博山路を右折南行,すぐ四方路へ左折東行。さらにすぐ黄島路を北東行。

▲博山路

の町の魅力が段々分かってきた。
 交差点から伸びる道が,どれも水平にも垂直にも角度を異にしてる。昨夜降りた途端に感じたのはそういうことらしい。
「青島らしい道」というのが,ない。いちいち個性的なんである。
 この前後の数枚の写真を見比べてほしい。これらは10分ほどの間に撮ったものです。別の場所にいるような多彩さでしょう?

▲黄島路。「活鶏店」と道で熟睡中の男

▲海鮮を扱う店が多い。でも「海鮮啤酒」(シーフードとビール)って一緒の店でやってんの?

韓国人に決めつけられつつ崂山緑茶に惚れる

罘路と黄島路との交差点,さっき気に入ったこの場所の北東角に,丰華茶荘という地場っぽいお茶屋を見つけ,ふらりと立ち寄る。1545。
 山東はあまりお茶どころじゃないんだけど,この茶だけは聞いてました。
 崂山緑茶を半斤75元で購入。
 大きな袋から出してきたけど,最近はこうなんだろうか?きちんと個別の袋に分けて,パチンとパッケージにしてくれました。
「你是韓国人?」とえらく詰め寄られる。日本人だというのに,どうも信用してもらえてないらしい。とほほ。

▲再び階段を昇る。やはりいい道です。

山緑茶はもちろん崂山,青島東郊外の山間部のお茶です。
 もちろんと言いつつ読みも分からんかった。lao2shan1 ラオシャンです。
「南茶北引」,つまり本場の南中国の茶葉を北で生育させる動きがあるそうですけど,崂山緑茶はその典型的な成功例という。
 夜頂くと…これはいい!元々,中国茶に惚れ込むきっかけになった四川の茶,緑茶で発酵度は低く,煎茶に近い味覚なのに明らかに硬質な輪郭のある,あの緑茶に近い。渋くないのに硬さで飲ませる。
 ほぼ日本茶と同じ淹れ方で説得力のある味覚になります。日本土産にするにはちょうどいい日本茶との距離感だと思います。

あの味だった!青島鍋貼(焼餃子)

▲青島鍋貼!

海二路の五叉路まで,再び一気に登る。1552。
 平原路のほぼ最高点。大学の一番北の小さな門の目の前です。
 絶妙な時間です。ここを再訪した目当てはもちろん!
1556姐一家特色鍋貼
牛肉鍋貼(小)20元
小米粥500
 立地だけ,つまり腹を空かせた若い衆御用達で味なんかどーでも…という可能性はあるけど,学生さんたちが常に食べてる味がコレのはず。それなら喰うべきはコレでしょう!
 昼間は客で埋まってたけど,大学裏門という立地からだろうか,今は店内無人です。
「現在可以?」(今,やってる?)とおずおずと入ると,けれど,アンパンマンもびっくりのまん丸な顔のおかみさんから「当然!」と山東人らしい元気な答えが返りました。
 注文してすぐ──4時だったのだろうか。門が大きく開くや,もわもわもわっと裏門が学生を吐き出し始めました。店の椅子もたちまち埋まる。
 ギリギリだったらしい。
 馴染み客らしき方々の注文を聞いてると,ここ,ジャージャー麺とか宮爆鶏丁とか,昼はともかく必ずしも鍋貼だけの店ではないようです。ただそれでも,回りの店より明らかに客が多い。果たして何が出るか?

▲どアップ!

肉しい!
 やって来た焼き餃子は,これまで中国で食べたどれよりも日本でいう餃子に近い。南京のと違ってハムじゃない。肉に加工を施さず,ニンニクで香りをまとわせた感じです。
 テーブルの上の旨い酢には「青島米酢」?
 ただ,ハマッてしまったのは山東らしい生にんにく!餃子を一口,生にんにくをひとかじり!このグイグイ来るインパクトには圧巻されました。日本に帰ってからも,餃子と生にんにく,これは止められてません──次の日が仕事じゃない時しか出来ませんけど,口が物凄い臭いになるので。
 けれど…?
 日本の焼き餃子より,やはり,味の使い方が大柄というか,一癖ある。皮の厚さも際立ちます。何より鍋肌でカリカリに焼き付けたこのクレープ状の皮の歯触り──
 いや?
「中国で食べたどれよりも」じゃないぞ?以前,これはどこかで──

▲テーブルの上には青島米酢

い出した!
 四半世紀前の留学帰路。天津から船で帰った。その時の最終日に,市場で買って河辺で食べたあの鍋貼!
 確か六両食べた。30個はあった記憶が残ってます。
 皮とは別にパリパリの焼いた膜で,餃子はあたかもその付属品のようになってるあの状態。それを腹がくちるまで──
 記憶にこびりついた味だったけれど,その後の中国遍歴でこれには不思議なことに出会わずにいました。南京のですら,個々の餃子が連結まではされてなかった。
 あの焼き餃子じゃ!間違いない!
 してみると?あの天津の餃子は,実は青島鍋貼だったのか?地理的な近さから可能性はあるけど…でも日帝時代に源があるならひょっとして?
 その夜,調べてると…あまり定説ではないみたいだけど,歴史の浅い青島の餃子は天津の影響を受けてるという見方があるらしい。それと,天津鍋貼というのも有名だと──
 天津はこの後の行程に組んでる。四半世紀を越えた謎が,今回解けるかも知れない。そんな思いがけない予感も出てきたんでありました。

▲家宅侵入癖がついたのか…人気のない通路を進むと階段に続いてました。この建物も元々は里院構造だった臭いがします。

观海二路を西回りすると変な顔の柱

▲閑静な住宅街だった观海二路

欲的にも回想的にも大満足し,1634,观海二路を再び東へはいる。
 昼間と同じT字から入る。しかし今度は時計回りに行こう。山の東回りを南行。
 观海山公園を南へダイレクトに登るルートらしきものもある。「海」を「観」るというからには見晴らしもいいんだろうけど,ここは道なりに進みます。

▲南側のカーブ辺り

▲西側へ回り込む道

最下点と思われる場所に来た。1649。一路への階段を下る。
 一路をさらに南へ。
 1656,徳県路へ出た。
 地図に目を落とすと,思ったより西に出てしまってました。沂水路を東へ返ろう。左折。

▲柱の変な顔。いや…それ,何で書こうと思ったのかな?いいセンスだけど。

[前日日計]
支出1500/収入1100
     /負債 400
[前日累計]
     /負債1319
§
→九月十七日(一)
[41青島駅] [42海水浴場][43金口路][44龍華路]
1053金麦園快餐
トマトと卵のスープ
餡入り焼餅,漬物(筍塩辛,昆布の塩辛)370
[45平原路]
1203沂蒙山全羊湯
全羊湯,餅(1)21元300
[46黄島路]
1556姐一家特色鍋貼
牛肉鍋貼(小)20元500
[47観海山]
[48中山路]
1758生活林
月餅,桃ス400
[49河北路]
[前日日計]
支出1500/収入1570
負債 70/
[前日累計]
     /負債1249
§
→九月十八日(二)

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