縦断編
(本編)
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さて。鳴滝の地蔵堂の西から登って行くルートを選んでたんだけど──これは墓場なんではないかい?
1545必ずしも墓場ではなく、墓場の南淵ラインでした。道は湾曲北へ向く。
しかしまあ傾斜が激しいのでこの辺りの家屋は凄い入口構造になってます。
ad.鳴滝一丁目20のT字。ここにも地蔵祠。道なりに右手。城の古址が遠望できます。1551
ad.23。1556
ここから見た城の古址は北に高みを持つ形をしています。あと300m。
ad.28。左右分岐を撮影。1605
ad.30。家が絶えたぞ?1608
ad.鳴滝三丁目1?1610、三丁目7手前に山から降りてきた道が交わる。T字ではないけれど、とにかく降りよう。
左折。
鳴滝川に出た。左折下流へ。
ad.鳴滝二丁目16。車道。この奥の階段を登って片淵中か。ふうう。1616
おおっ?さっきの宅配便のオッサンにまた会った??でも鳴滝町西部自治会掲示板脇のベンチでしばし休憩。
階段下ad.三丁目3。ツクツクボウシが鳴きまくっとる。1619
分岐だとお?左だろきっと?ad.3のまま。
1624上、つまり片淵中及び城の古址と同じ高台に出ました。南へ……おっとまず北のY字か。
リアルゴールド一気飲みしてY字から南行。1631
片淵中の建物は近くから見ても白壁土蔵でした。
道のどん詰まり。確かに左手に階段がありました!1640




〔日本名〕長崎市片淵二丁目20
〔長崎名〕しろのこし
(城ノ越?同地名は長崎に幾つか例あり)
でも10mほどで途絶えてあとは藪。いや?左手に階段が続いてる?
正面突破ではなく左右どちらかから迂回して上だと思うけど、どちらだろう?
しんこうさんの地図を信じよう。右手へ。
何となく野道らしい箇所から東側高みへ
石垣らしいものがある!1646
石柱。1647。これは記憶があります。右手から上でいいはず。
北に校地が見えてる。これも記憶がある。こっちじゃなく高みを目指さないと出れないはず。
大石の並ぶ高み。1648
道が道らしくなってきた。
ここだ!観音堂。左手に仏4。鉄柵で囲まれてます。1650
柵内には奇妙な文字。
観音堂の前は大石に囲まれた、ストーンサークルのような場所になってます。沖縄の山中の御嶽に感覚が似てる。堂は南面、灯火を焚いていたとも思えないし、北へ祈ったとも思えないけれど──城だったなら最要所です。なぜこの場所に観音堂なのでしょう?
1654南へ。
蜘蛛の巣が多い。例によって拾った棒きれを前面で振り回しながら進む。
石垣で縁取られた道。でもこれは東側へ続いてる。集落への山道に見えたけれど通れませんでした。南に戻って進む。
龍頭巌に出ました。17時ジャスト。この祠へ向かうと左奥から出てきた格好です。
1705南の墓場が見えてきました。生還
以上の行程を感覚的に記すと次のような感じです。蛇足ながら、一応山歩きできる靴、無茶苦茶になってもいい服(出来れば長袖シャツ:藪蚊用)、軍手の着用をお勧めします。
自販機から南へ直進。一つ目のT字を右から南行。何と!出れました!東海の墓の下の集落。1714
墓参りの人たちはこちらの道を使ってるようなので、人がいれば尋ねたら分かると思います。
最初に入って迷った道です。「お大師さんから右ですよ」と通りがかりのオッサン。感謝。
T字。ad.夫婦川町12。多分東から出てきました。東海の墓160mの矢印がある。1719。もちろん左折南行。
えんじ色の四階建てアパート、見覚えがあります。
第29番霊場夫婦川観音堂。1724
左隣の地蔵など三体はみな首を傾げてます。
その下のT字に「トッポ水」。異国への航行者が飲料水を補給したと伝えがあると案内板にいう。この補給地と観音はセットなのかもしれません。
夫婦川馬場天満宮。1734。ad.桜馬場一丁目4
なぜか新大工町の商店街は全閉店。盆だからか?
新大工町ファンスクエア店ジョイフルサンに入ってみる。品揃えよし。
おお?タリーズがあるのか??市場だからひょっとして……と期待したけど喫煙は不可でした。
エスプレッソを一杯。
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