外伝08〓’ⅩⅣquattorodici’Shengxian!! 生煎

 さッすがは中華航空!5時45分,定刻5分前に上海プートン空港着。そーゆーとこはガチガチでんな!!
 いやよく寝た!機内サービスが疎かだと睡眠環境は最高だね!!
 空港で荷物を預けて6時半には市内行きの磁浮[火占](リニアモーターカー駅)に来てましたけど──始発は7時だって…?慌てて損した…。
 6時55分。係員に全く動きがないんで,たまりかねたオヤジが怒鳴る。「小姐!還没開門?(まだ開かんのかい!)」。すると,いかにも「ウっせーな~」みたいな露骨にムスッとした顔でやってきた小姐,無言でホームへのエスカレーターを遮ってたラインをバシッと開ける。で,やはり無言で去る。「お待たせ致しました」は期待しないけどさ…「入れ」位は言えよう!!
 いや~中国だねえ。
 7時02分始発。これが時刻表上の定刻。しかし…その微妙な「2分」の根拠は!?ってホントに尋ねたらクソ官僚的な説明をダラダラするんだろから止めときます…。


▲上海空港リムジンリニアの頭

 上海発福岡行きは11時55分発。
 6時間と少しの中国滞在です。
 目標は3店。…って搭乗時のギリギリセーフ事件にも全然コリてないわし。
 空港にすぐ帰れる距離の早朝営業の名店を選んだ。半年前,前回の上海で唸ったこれらの店の味を,イタリア後の今の舌はどう味わうか?興味があるのはココです。
 市内に出る。上海は小雨。
 しかしまあ…「礼の国」に来た実感だな~!!軽い嫌悪と同時に基本的には安堵感を感じてる自分が,つくづくアジアンだなあと実感します。
 店に入るとかカウンターにつく時に「ヴォンジョルノ」が要らない。お別れの際にも「チャオ」も「グラツィェ」も要らない。人込みをすり抜ける度に「ペルメッソ」を言わなくていい。やっぱり…これスゴく楽だな~!!
 同時に感じるのは──わしが昨日までいた国,それ程温かなる人々の土地だったんだな…。


▲上海黄河路の小楊生煎店 生煎(焼き包子)

 第1ターゲット──黄河路の佳家湯包。包子の名店です。
 鶏丁鮮肉湯包(鶏肉の小龍包)9元
 紫菜蛋皮湯(海苔のスープ)2元
 第2ターゲット──小楊生煎館。そのすぐ対面の店です。南京西路の呉江街が本店だけど時間がないんでこっちにしました。
 行列の絶えない生煎(焼き包子ってゆーか…?)の店。
 8つ食う。やはり凶暴な食い物だな~!!迂闊に食うと高熱の汁がピュッと舌を直撃。ってだけじゃなく肉汁の脂…相変わらず優しさをまるで感じさせないの野卑な味。
 第3ターゲット──南京西路の功徳林。素食(仏教系ヴェジタリアン)の有名店。
 [イ十]錦麺(五目そば)6元
 がんもどきのそば。それだけなんだけど,何か妙にうまかった。久しぶりだからか?自覚はなくても,やっぱ日本人の舌はイタ飯オンリーは疲れてたのかね?
 ゆっくり味わってたら9時は軽く経過して──リニアの復路チケットで空港に取って返したんでした。
 結果的には…どの店も,イタリア後の今もやっぱり美味いッス。新鮮な分もあるけど,「イタリアに比べたらこんなもんか…」ってことは全くなかった。
 日本に着いたその足で,福岡でも同じ実験をしてみよう。

 帰国。博多空港。
 ここしばらくと同じく感傷も充実もない。
 中洲のカプセルで入浴してから,エスプレッソを一杯。旅行前の段階では,かなりイイ線イッてる!と感じてたカフェで。
 え!?
 これは…何でこれを有り難がってたんだ?酸味ばかりがどぎつくて渋みも浅い。基本的な要素は揃ってるけど…何てゆーか…立ってる地面が全然違いまっせ。
 これは…ヤバい!
 日本国内で,イタリア並みのカッフェ,それと出来ればブリオッシュを出す店って…あんのかあ!?
 南インドからの帰国時と同じフラッシュバックに悩むかも…。


▲正福食堂 かますの味噌焼き

 夕方。アクロス地下一階,正福食堂。
 かますの味噌焼き定食にしました。1500円…ほぼε10。イタリアの安めのトラットリアの定食と同じランクです。 
 やはり美味~い!
 同じε10なら,このレベルの日本食か,イタリアンなら京都・神戸・岡山の最近の店で食うなら,日本で食った方がハイリターンですな。

 19時を回った。
 ふう~!!
 この旅行で何度目かの完全に体力が尽きた状態。
 中洲川端から博多駅行きの地下鉄を初めて間違った。正常な判断力働いてまへん。
 半減後1年経過。今の体力と味覚(それと…根本的にはイタリア語学力)で出来るギリギリ一杯まで欲張った2週間だったと思う。
 けど。この旅行は──まだとりあえず走り終えただけ。時間をかけてクチャクチャ咀嚼せにゃ飲み込めそうにありません。
 イタリア本来の味覚の輪郭は掴めたと感じる。本物を判別できる舌もまあ出来た。何より,その食感覚の長短は嗅ぎ当てられたと思う。

 イタリアンの最大の特徴,多様さまたは可変性。
 本来,土臭いほどの田舎料理であるイタリアンが,これほどワールドライドに広がり,各国で好まれ,かつ定着してる。この八方美人な普遍性が,その特性ゆえだってのは明らかですよね。
 この節操のなさは,その味わいの「柔らかさ」に理由があるんだと思う。
 基本的には,調味料としても食材としてもハーブを多用するがためにその様な他にないほど柔らかな味が構成されるんである。いわば野菜の錬金術です。今イタリアで野菜の種類の減少が問題視されてるけど,少し前までは数百種類の野菜が,あるいは食材として,あるいはハーブとして,あるいはオイル漬けや酒など一次加工された品としてメルカートを彩ってたらしい。
 京都の八百屋で野菜の多彩さを見ると,広島を含めて日本の普通の町の野菜生活がいかに貧しいか,いかに単調に退化しちゃってるか思い知らされます。──でも,イタリアのメルカートに並ぶ野菜は京都以上の多彩さです。その多彩さでも,現地の年配者の目には「種類が減ったもんだ」と映ってる。
 それほどイタリアンを支える食材は多種多様な広がりを持ってたわけです。
 多彩な食材と,味覚の柔らかさの因果関係。その仕組みは──いわゆる下等生物ほど歴史が古く,分岐して多様化してるから。
 高等生物ってのはつまり,高エネルギーの生産系です。つまり食材としてはカロリーが高い。
 高カロリーの食材は,体が一次的に求めるものだから摂取者側にとって強い刺激であるために,調理するにはどーしても強い味付けになる。
 逆に低カロリーの食材は,それだけでは体が求める度合いが低いけれども,種類が圧倒的に多いから幾重にも複合させて調理するのが比較的容易。複合させてしまえば,脳の味覚野に非常に斬新に捉えられる。つまりそれだけで十分美味いから,強い調味料が不要なわけ。
 下等生物の典型は植物,つまり野菜。高等生物の最たるものは哺乳類,要は肉ですよね。
 インドのカリーを見ても。北方の肉カリーは肉汁の強烈さに負けないよーに唐辛子をふんだんに使うけど,南方のヴェジカリーはタマリンド主体のまったりしたスパイス使いです。
 食材が多様な料理は進化しやすい。
 そもそも,今日イタリアンの代表食材のよーに見られてるパスタもトマトも,大航海時代に外部からイタリアに集まった新食材の一つ。
 だからイタリアンって…ある面ではイタリア土着の料理群じゃない。
 多様な植物食材を使用するがゆえに,肉よりはるかに可変性に富んだ食生活の自己進化サイクル──ムスリム帝国群の興隆による交通遮断,技術革新による長距離交通の成立,中世神学を破壊して美味の探求を肯定する自由な生活改善思想,これらの歴史の偶然から創出されたそのサイクルそのものが,今の世界でイタリアンって呼ばれてるものの実体なんじゃないでしょーか?
 だからイタリアンは,世界各地で受容され,それぞれの土地の独自食材でも調理できる。
 モッツアレラチーズの代わりに木綿豆腐を使ったトマトサラダ。十分に美味くて,しかもちゃんとイタリアン。
 以上を図式化すると──
       (美味構造)(味覚特質)(主体食材)
 従来食文化‐受動的美味‐強烈・単純‐肉(高等生物)
 イタリアン‐能動的美味‐柔和・複雑‐野菜(下等生物)
 単純化し過ぎてるかもしれんけど,大体そーゆーことなんじゃなかろかね?

 まだ言葉に十分咀嚼できちゃいないけど…そんな感じで,考えるよすがはおおよそ仕入れられたかのー。
 Grazie!!
 そして,Boun viaggio(好い旅を)。


▲ルッカ 八百屋店頭の形の崩れたトマト