GM.(経路)
目録
那覇市街びんずる様の隠れ里
この時,なぜ壺屋一丁目に目を向けたのか,といえば──レンタサイクルをした場所から,この日のメインターゲットたる香港通りの途中だったから,というのが主な理由でした。
沖縄の深い土地を探索するほぼ唯一のツールで,中国でも威力を検証してきた沖縄X(下記リンク参照)で見ても,決定的に怪しい図柄ナンバーはない。まして那覇でも随一の観光地の真裏です。ただ,那覇歩きで何度となく迷ってきた場所であり,かつ周囲に比べ道がたわみ過ぎています。ここを凝視しているうちにたまたま見つけたのが「ビンジュルグワー」でした。
ビンジュル様という神についても既に掘り下げました。この興味も合わせ,小さなポイントが重なってこの時ようやく踏み込む気になったのが──壺屋奥の魔界に初めて触れたこの日の探訪だったのです。
いつも曲がる「やちむん通り」の筋を,この日は通り過ぎる。壺屋のバス停,壺屋町民会自治会掲示板も過ぎた一本北東。平山ビルの向かいの路地へ左折西行して入る。
入った途端に気付きました。ここは何度か迷った場所です。
まずシャム猫の入国審査
いきなりの登り?
その登りきった辺りの変な四叉路を右折してみる。
空気が生々しい。人には誰一人出会わない。
▲1312上手く撮れてないけど……四叉路辺り
いきなりの行き止まり?
向かいの家からシャム猫が一匹,こちらを見下ろして……。
少しは沖縄の深い場所を歩き継いだ今は,断言できます。こういう場所に立ち入る時には,必ず「主」の猫に「入国審査」されます。
▲1315路地の途絶える場所
四叉路に戻り,元来た方から左前,「自治会」と矢印のある方へ。1317。
住所表示もない。頗る目印のない道行きで,分かりにくくてすみません。でもその先に──
▲1317左前への道。これは抜けれる雰囲気です。
〔日本名〕那覇市壺屋一丁目23−4
〔沖縄名〕同
〔米軍名〕(沖縄戦での直接被害は奇跡的に軽微)
壺屋が始まり壺屋が終わる地
左手に突然広場が現れる。あった,ビンジュルグヮー(びんずる小?)。
ビジュルとも呼ばれ,壺屋の土地や集落を守るタチクチ(村建て)の神様をまつっているところです。(略)壺屋での全ての行事がここにはじまり,ここに終わると言われ(略)〔案内板〕
焼香壇一つ。
そこから階段三段で格子の社。
石垣には上の樹木の根が食い込んでる。その奥に樹木の生える三角地。金網と塀で厳重に覆われてますい。
右奥に鎖のかかった柵つきの道があるけれど,祠の関係施設かどうかは不詳。
▲1325自治会看板とイビの金柵
その北西への対面の路地へ進む。1329。
侵入後ずっとですけど,特に古い家屋があるわけではない。側溝や筆にもそれほど古みは感じません。なのにどうにも脱臭し難い雰囲気が立ち上ってる。直線のほとんどない,この道のせいでしょうか。
▲対面路地を北へ
究究道館という空手道場。
唐船のペイントが描かれた壁。これを過ぎるとad壺屋一丁目14とある車道へ出る。
米屋。自販機。
土のカミの丘に迷う
なぜこの路地裏にパーマ屋さん?
さらに北西へ。瑞国山妙徳寺とある看板。──このお寺はGM.になく,やはり場所が分かりません。
▲1335お寺らしい風情の全くない「妙徳寺」前
1337,十字路。
全く位置が分からない。今のブロックを時計回りしてみることにすると……あれ?南窯に出た。ここは壺屋焼物博物館のすぐ南です。
引き返し……かけて焼物博物館最上部へ向かう小道に気付く。一見すると私道。
だけど近付いてみると?──確かにその道は登り切ったところでビルの最上階に直結してる。でもそのすぐ先に「ニシヌメー」(北の宮)とある場所。位置は,さっきの十字路の南にあたります。
寄ってみる。
〔日本名〕沖縄県那覇市壺屋一丁目9
〔沖縄名〕ニシヌメー
〔米軍名〕(沖縄戦での直接被害は奇跡的に軽微)
「壺屋の拝所の一つ」と案内板が出てます。
昔は,この地にニシヌ窯と呼ばれる登り窯がありましたが,大正7年に,窯を崩して大和風のお宮を作りました。そこに土地の守り神である土帝君(トーティークン)と,焼物の神様がまつられ,北の宮と名付けられました。〔案内板〕
「焼物の神様」の名は記されないけれど,土帝君,おそらく土地公と同根の「土」を象徴するカミのイメージでしょうか?
かぎのかかった社。大事にされてる場所と見える。
北の宮から入るやちむん通り
焼香壇一つ,使用痕跡あり。
前方の木戸はガッチリしてて,それ以上は推察する手がかりもない。
左手に小さな丸石。ヒビが入ってるけど,その部位に縄がかけて補強してある。その手のかけ方からして,こちらが御本尊のようにも見えます。
何れにせよ,どうも因縁の深そうな石と感じたのでした。
▲1351北の宮の御神体?
1355,宮から直下に降りまして,観光客行き交う道を右折。陶芸センター前の十字路。
これを対面,平和通り商店街と書いてある方へ渡る。表示はないから手元資料とよく付き合わせる。
間違いない。ここが香港通りです。
■レポ:やちむんより前からの壺屋
琉球泡盛は,上表のように薩摩から徳川将軍家への献上品の定番だったようです。2代秀忠から11代家斉までの将軍中,泡盛を受け取らなかったのは大酒禁止令を発した5代綱吉のみ。
普通に捉えて,贈答用泡盛が入っていたであろう琉球焼物については,けれど特に語られることがありません。琉球から外部への交易品としても名を見ない。
壺屋の焼物の内地観光客向け解説は,どうやら,沖縄民族主義的なバイアスがかかってます。
近代以降はともかく,琉球の焼物は専ら島内での生活用の陶器だったと考えていい。
観光客向けには海外交易立国のイメージとリンクさせて,中国や東南アジアの陶器からの影響が強調されるけれど,
1682年 県内に分散した窯場(知花・宝口・湧田)を那覇市壺屋に統合〔後掲沖縄観光情報webサイト〕
といった流れを見る限り,薩摩が朝鮮出兵時に連行した陶工を用い,薩摩本国と同様に殖産拠点として興隆させたと見るのが妥当です。薩摩流の官営窯が琉球にも造られた,ということです。
従って,本稿はこれ以上壺屋の焼物に踏み込みません。ここで注目したいのは,壺屋に官営テクノタウン化以前から残ってきたものです。
壺屋を護った2つの幸運(カフー)
壺屋に残る民俗事象や道の形状は,明らかに古いタイプです。これ自体も,焼物の歴史と渾然一体に語られることがあるけれど,それらは焼物より前の層から発しています。
この壺屋地区においては、かつては多くの御願が行われていた。 たとえば旧暦の正月15日以後の吉日には、神人がピンズル御嶽に集まり、東井戸一トーヤー一大井一下井戸一南窯一番知井戸一酉の宮ーピンズル御嶽の順に御願が行われていた。〔後掲高橋〕
上記図に明確に示されるように,この集落はT字路だらけです。高橋さんが濃い黒線で示すように,それが古くはさらに顕著でした。
古い沖縄が残るために,壺屋は2つの幸運に恵まれました。一つは,よく語られる通り,沖縄戦で奇跡的に燃えたり破れたりしなかったこと。もう一つは,前述のとおり官営テクノタウンに選ばれた結果,琉球王国による村落再編が行われずに済んだことです。後者をもう少し具体に見ていきます。
壺屋を取り巻く窯の結界
「○工」マークが窯です。これが集落を取り巻くように造られたことで,壺屋の街区の改変は大変難しくなったと思われます。
現在の那覇の集落は,第二尚氏時代に格子状に改変された,と高橋さんは見ています。
最も注目すべきは、壺屋の集落形態が、曲線の道路網と円形や楕円形などの不整形な区画によって形成されていることである。 前章では「迷宮」という表現を使用したが、まさに「迷路」によって形成されている現在の壺屋の形態は、相当に古い時代にまで遡りうると推定しても大過はないであろう。 このような集落形態は、先述の名護市の真喜屋集落や今帰仁旧集落、さらに与論鳥の城周辺に残されている古い集落形態に通じるものと考えられる。 要するに、沖縄島では首里王府の指令によって、かつての細胞状に区画された古い集落形態は、「格子状」の形態へと改変されていったが、このような格子状集落形態が壺屋集落へ導入されることはなかったと考えてよい。〔後掲高橋〕
この格子状街区への改変政策は,はっきりと書かれたものが見つからないけれど,それが薩摩主導のものだったとすれば,日本近世風の「流行」だったのでしょう。
つまり,壺屋の集落構造は,壺屋だけに何か独自なことが起こったことによるのではなく,壺屋だけが変わらなかったために古い沖縄の集落が残ったものだと考えられます。
那覇に残った唯一のT字状集落
次の図は,高橋さんが那覇周辺の格子状集落に○を付けたものです。
何をもって格子状集落と呼ぶかは,やや印象に基づくきらいがあるけれど,ひとまず高橋さんの評価眼を信じるとすれば,壺屋を含む格子状化を逃れた集落は大変に少数派です。那覇中心部では,壺屋が唯一だと言ってもいい。
南部(例えば知念知念)や山原の今帰仁の集落を見るにつけ,T字だらけ集落は高橋さんの言うように,沖縄本島各地に普遍的に存在したのだと感じられるようになりました。
それが残るはずのない,那覇の中心部に,2つのカフーに護られ残った原・琉球の集落。それが,この日に歩いた壺屋奥だったらしいのです。
壺屋奥は時折,つまり何回かの沖縄訪問に一度とかの割合で,招かれる場所です。ここに何かの目的で来ることは少なくて,大抵は偶然です。例えばこの訪問の次は21か月後でした(下記リンク参照)。
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