外伝17-115 滴りや過ぎ去つてゆく老北京/胡同10/10=金魚胡同&王府井

~(m–)m 本編の行程 m(–m)~
Googleマップ(経路)

どこが胡同かと言えば,名前が。

市口のA出口から,1224,地上へ。
 東四南大街を南下する。
 ついに北京十大胡同の最後の胡同である。先にその北側にあたる裏道を覗いてみるけど,どうもただの裏道っぽい。
 周囲はまるっきしの大都会。こんなところに胡同あるの?という疑念を早くひっくり返してもらいたくて,そのまま金魚へ。

▲金魚胡同に入る。

ーい!片側2車線の車道だぞ!
 確かに金魚胡同という地名が表示されてる道には,高級ホテルに高級レストランが立ち並ぶ。てゆーか北にあるのはNOVOTELだぞ?
 これ,どこが胡同なんだ?
 あ。名前が,か?
 折角だからNOVOTELの玄関口でしばし足裏を乾かす。
 入り込むべき脇道もなし。うーん。

い余って清朝帽イケメン画像を入れてしまうほど,この「胡同」は文句のつけようのないただの都会です。
 胡同の名前の「金魚」を「可愛~」とか書いてる日本語サイトもある。やはり金魚を売ってたようですけど,これもはっきりした記述がない。
 ただ,後で調べる限り,完全な詐称でもないらしい。なぜか断片的な情報しかないけれど,五輪以前にはこんな風情があったみたい。

▲かつての金魚胡同(出典:維基百科)

→※ yajio official site/金魚胡同周辺の胡同 西同胡同
「西同子胡同はホテルの裏手、金魚胡同に平行してある。真上から見た四合院の民家は、ほぼ完璧な状態だったが、実際に行って見ると大門のある表塀は食堂になって、四合院の面影を無くしていた。」
「前回、来た時はこの辺りから奥は古い入り組んだ胡同がたくさん有ったはずなんだが、やたらきれいに整備され、緑と堀がある公園に生まれ変わっていた。確か赤い壁沿いに民家が並び、四合院の集落や古い映画館も有ったはずだ。」※年代不詳

王府井でジャージャー麺喰う観光客

▲北京市百貨大楼前の噴水

いう訳で,1245,王府井に行き着いてしまった。
 南行。
 王府井である。朝早くから歩き続けた最後に,この華やぎは…しんどいぞ。
 1303,何となく帥府園胡同へ左折東行することにした。

▲これぞ王府井!あーしんど

306老北京ジャージャー麺300
 あちこちにあり,皆さんも飽くことなく食すこの料理,人気店っぽいところがあったのでやはり一度は頂いてみることに。
 ここのも冷麺のように面の上に胡瓜,人参,ピーナッツ,甜面醤を並べたもの。自分で混ぜるタイプです。

▲ジャージャー麺

噌そのものは特筆することはなかったけれど,これが麺に絡むと…やはり,不味かったとはとても言えない水準でした。
 ただ,日本での味覚からの距離で言うと「月並み」感はどうしても残ってしまう。
 何より,これと,韓国中華の代表として地位を確立しているジャージャー麺とが非常に似通ってるのには驚きました。もしかすると,甜面醤をコチュジャンと置き換えることから,コリアンは中華の理解を始めたのかもしれません。

東へ四十二歩

方新天地というところを通った。1340。地下に広がる巨大モールです。何か変わったものないか,と探してみたけどまさにショッピングモール。胡同どころの騒ぎじゃない。
 ここを抜けるとバス停・東単路口北に出ました。
 1348,東単地鉄站。
 カフェがなかったなあ。王府井でCAFE BENEEを見つけたけれど,入った途端「クローズ!」と追い出された。そこから…何でか全然見つからない。
 何ちゅうか,気が遠くなってきた。胡同は10本終了,北京はこんなもんだろう。
 帰ろう。2駅,東四へ。

▲東四二条?──「四十二」じゃなくて「東四」の「二条」です。

休みを取るつもりで帰ってきた東四でしたけど,やはり気が遠くなってきて判断力も衰えてたんでしょうか。
 それとも,十本目がアレだったんで後味の悪い中,それでも旅行勘の欠片が囁いたんでしょうか。
 ふと思いついてしまう。──なるほど。東四北大街を北へ向かってみようか。

▲果物屋

国三大恐怖の一つに水巻き車がある。大体,音楽鳴らして来ることが多いのに,北京のは無音で来るから怖い。→巻末参照:逃げろ!散水車だ!
 北へ足を向けてすぐ,この恐怖の大王に追われる。何とか逃げ延びた辺りで気付いた。
 あれ?
 結構いい町だぞ?
 というか,この東四って,午前中並みに好い町じゃないか?

▲東四北大街の道端にて

かけは何気ない町の風景が続いてるけど,これは,薫りの残った町だぞ?
 胸中ざわざわしつつ行くと,変な店を見つけました。吸い込まれるように入ると──魔窟のような空間でした。あるいは香港の古い茶餐庁のような。
1411卤煮店
羊肉氽面,小菜30元400
 壁の注意書きを写すと──「卤煮火焼是老北京伝統特色風味,最初的卤煮出自于宮延的”素造肉”」(卤煮火焼は古い北京伝統の特色ある味。その始まりは宮廷の「素造肉」にある。)
 6時開店1時閉店と看板。早朝にも来れるな。

▲不思議な北京卤味

想通りのディープさでしたけど,何とか読める漢字でできたメニューを注文。
 やって来た碗は,真っ黒の,けれど口にすると結構端麗な味覚。まさに上質なタイプの台湾卤味です。どこでどう繋がってる?
 面は,日本なら二郎の麺に近い太麺。だからそれほど麺に汁が絡むわけじゃないんですけど,それだけで十分に…魔性の味覚の洗礼に預かれる。
 一緒に頼んだ豆干の,奇妙な生臭さも印象的。脂だろうか,それともこの薫製に近い豆干から考えて香りをつけてあるんだろうか。卤とは重複しない味わいで,いい卤味受けとなってくれたんであります。→巻末レポ:卤煮火焼

■参照:逃げろ!散水車だ!

 洒水车 sa3shui3bhe1。
 ググると出るわ出るわ,です。
【動画】
※ youtube/中国の散水車 /同名2
 /中国上海市 恐怖の散水車
結構嫌われてる中国の路上清掃散水車(動画多数)
【文章(日本語)】
※ 東方愉快/中国では道路清掃の散水車が迫ってきたらダッシュで逃げます。
※ excite news/中国にある「恐怖の散水車」とは?=「この車の設計は本当に人に優しくない」「これは典型的な中国だ」―中国ネット
※ wowネタ/恐怖の散水車に気を付けて!【中国】
【文章(中国語)】
洒水车已成马路问题!(散水車こそ道路の問題だ!)
※ 視察者/洒水车“唱着歌”灭了火,各个城市的洒水车音乐原来不同(散水車の音楽は街によって違う)

■小レポ:卤煮火烧

 元の料理らしい「五花肉」を調べると「豚肉の醤油煮」とか「豚の照り煮」とかと日本語で紹介されてる。
 光緒年間というから19世紀末,清末期です。清の宮廷料理「苏造肉」が高価過ぎたから「猪下水」,つまり豚のモツを使った庶民版を作りました,というのが成立過程という。
 ただ,そもそも「苏造肉」が分からない。
 これを調べていくと,やはり分からない。「老汤」とか書かれてるのに,どういう味や味付けなのか,理解できる言葉が見つからない。けれど要するに「醤肉」(→17-082ハルビン路(天津)/小レポ)の一種らしい。
 天津で見過ごしたこの味覚に,北京で偶然出会えたわけです。ただそれが,思いもよらず台湾卤味に近かったことで,新たな謎になってしまったのですが。
※ 百度百科/卤煮火烧
「据说光绪年间因为用五花肉煮制的苏造肉价格昂贵,所以人们就用猪头肉和猪下水代替,经过民间烹饪高手的传播,久而久之,造就了卤煮火烧。」
「京菜,是以北方菜为基础,兼收各地风味后形成的菜系。北京菜中,最具有特色的要算是烤鸭和涮羊肉。而卤煮火烧,更是其中的经典菜品。」
※ 百度百科/老北京苏造肉
「做苏造肉的原料主要是猪肉及猪内脏,关键在于使用“老汤”和“苏造汤”。谁家酱肉出名,取决于它的“老汤”配制保存得法,这是老北京尽人皆知的。如闻名的天福斋酱肘子,月盛斋酱羊肉,门框胡同复顺斋酱牛肉,以及当年的“白魁”家烧羊肉都以老汤取长。」

[前日日計]
支出1500/収入1600
負債 100/
[前日累計]
     /負債 309
§
→九月二十四日(一)
[111胡同5/10=烟袋斜街火神廟][112胡同6/10=帽儿胡同]
0948文宇奶酪店
紅豆双皮奶20元100
[113胡同7&8/10=南锣鼓巷&菊儿胡同:前編後編]
1834 10个馄饨
鮮肉馄饨18元300
[114胡同9/10=国子监街]⇒
1107穆家婆包子舗
猪肉大葱包
豆腐脳400
1306老北京ジャージャー麺36元300(1100)[115胡同10/10=金魚胡同&王府井]

1411卤煮店
羊肉氽面,小菜30元400[116胡同真=東四四条,柳芳行]
1850西部馬東四店
优質羊肉泡馍29元500
[前日日計]
支出1500/収入2000
負債 309/
利益 191/
[前日累計]
利益 191 /
§
→九月二十五日(二)

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