外伝17-116 滴りや過ぎ去つてゆく老北京/胡同真=東四四条,柳芳行

~(m–)m 本編の行程(1) m(–m)~
Googleマップ(経路)

東四西単鼓楼前

▲東四四条のある脇道

の時,なぜ東四の何本もの通りから,この四条を選んだのか,よく分からない。
 つまり,三条は通過してる。
 1442,東行して入ってます。
 上の,一枚目の写真は1449撮影。西の入口から5分距離程度歩いてから,ぐぐっと胡同になってきました。
「こんな近場にもあるじゃん!」

▲がっちりした石門の構え

へ帰らなきゃいけないのに,なかなか脇道が現れない。
 1454,ようやく南行。「これを曲がらないと帰れなくなる。」とメモしてるから,余程疲れてはいたんでしょう。
 1456,東四三条に到り,左折して再び東行。

▲東四三条に出た。

こは一体何だ?
 先の四条とは違い,建物の古さだけでなく,きちんと生活してる空気が満ちてます。
 調べると…東四の辺りは元朝の頃の繁華街の一つ。当時の繁華街の場所を3つ並べて「東四西単鼓楼前(門)」という言い方があるらしい。地名にしては妙な「四」の字は「四牌楼」,つまり交差点の各四つ角に楼閣があったことから来てる。
※ crline/北京の地下鉄の旅/ー東四駅(东四站)ー
「昔からの北京っ子たちの間では、賑やかな繁華街を「東四西単鼓楼前(門)」と言っていました。」
「元大都城の成立後、この地は「旧枢密院角市」と呼ばれ、当時城内の三大商業地区の1つでした。明代永楽年に現在の東四十字路と向かい合う西四十字路にそれぞれ牌楼が作られました。この牌楼は、東西南北の四方に作られたため「四牌楼」と呼ばれました。」

歴史文化街区環境総合改善プロジェクト

▲東四三条の家門から奥へ続く道。

陽門内大街側から見えた見事な四合院の辺りだろう。
 三条の道に面した門から奥には,古めかしい通路が見えてます。ただ明らかな私有地で,ちょろちょろと入り込むのは難しそう。
 ネットの情報では,この辺りは今「歴史文化街」として整備されつつある途中らしい。それほど名は売れてないけれど先行してキレイになってる,そういう時期にたまたま通れたのかもしれません。
※ 人民網/北京市に東四胡同博物館がオープン 人民網日本語版 2018年10月25日
「東城区政府と首創集団が提携して実施する『東四三条から八条までの歴史文化街区環境総合改善プロジェクト』の一環」

▲もう一つ家門から覗く。

度か引用させて頂いた「かささぎ」さんの「勇気十足」に,2009年頃の変わりつつある東四の路地が記録されてました。──まさにワシが歩きたかったのはこういう歩き方だった,というほど,東四の路地を網羅的に歩いてます。
 10年ほど前まではここにも他と同じ老街が広がってた。しかも何本もの通りに渡って存在したようです。
※ 北京で勇気十足/北京 散歩 東四十条から東四三条まで 2009/05

▲「国風静巷」の表札

で見かけないこの4文字の表札があちこちにかかってます。
 どうも既存の指定との違いが分からんけど,東城区が主体になって今売り出し中で,その新・観光地名みたいなものみたい。
国风静巷:东四胡同里的历史名人 :ニュース動画あり
※ 毎日头条/东四胡同其实没有什么,也就是有这些名人而已

▲古壁,街灯,乗用車

内北小街に出た。1505。
 結局,三条から南への抜け道的なものは見つからなかった。前門西大街と同じ感じです。悪しき胡同の毒を現代の高規格車道に吐き出させない配慮でもあるんだろうか?
 南行し,今度こそ宿へ。床に沈む。

活したのは1710。再び宿を出る。
 よく起きれたものです。もうワンラウンドやらないわけには,という最後の執着が余程残ってたんでしょう。
 それもあってか寝起きだからか,この夕方の行程は破天荒でした。
 バス停で朝陽門外に止まるバスをチョイスしてみる。101,109,110,112,140,いっぱいあって分からんなあ。

楊の芳しき町

~(m–)m 本編の行程(2) m(–m)~ Googleマップ(経路)

局乗ったのは110路でした。
 東行。内外門を過ぎてさらにそのまま東行。
 五叉路?ここで左折,工人体育場東路を北行する。
 バス停・東大橋路口北を過ぎました。
 1740。バス停・朝陽医院。何というか,下町というより郊外住宅地っぽい景観です。
 西に球場?──当然これが工人体育場でした。1744,同名のバス停を見る。
 車窓には残照が流れつつある。

福三村?これがバス停名かよ?縁起はいいけどその白々しさは何よ?
 どうやら行き先案内の機械系がイカれてる。車内の車掌が大声あげてバス停名を怒鳴ってる。
 バス停は新源里。
 あれ?道が?右折して左家庄?
 ええっ?さらに左折?左家庄東街。
 アパート群に入ったぞ?
 ええ?さらに左折…って,それじゃ元に戻らないか?
 静安里。でも落ち着いた通りです。さらに右折。もう何がどっちだか見当もつかん。
 楊芳北里。楊芳北街。行く手に落陽がまさに落ちようとしてる。霞雲が染まる。
 さらに左折?あら?もう終点なのか?

▲18時,バス停・柳芳近く

芳を目指したのは,何を隠そう…ええと?なんでだろ?
 ただ地名の雰囲気で選んだだけだったような気がします。
 しばらく歩いてみましたけど,何か韓国の田舎みたいな手触りです。閑散としてるけど商店も交通も整ってる。昔の共産主義的な雰囲気は微塵もありません。

▲同じく柳芳駅辺りから沈んでしまった夕日の方を見やる。

北京でもパオモー

810,柳芳から13号で1駅,東直門で2号乗換にて2駅,さらに朝陽門で6号乗換にて1駅で東四。
 東直門と朝陽門の間の駅は東四十条。不思議な駅だと思ってたけど,「東四」の「十条」です。そういえばここの「条」の番号は南から北へ一条二条,つまり京都のと方向が違います。
 1823朝陽門着。1828発。
 東京の地下鉄にあって北京のにないもの,それは乱開発の結果でしょうけど──不自然な斜めのラインです。縦横にはほぼ完全だけど,この日のように斜め南西へ,というのはうまいラインがない。

▲19時の羊肉パオモー

に見つけた醤肉の店への再訪も考えたけれど,最終食は,北京のパオモーを確認したくなった。
1850西部馬東四店
优質羊肉泡馍29元550
 もろチェーン店ですけど,かなりの客がいる。システムも日本のファミレス並みに整ってます。
「优質」が付いてるから予想したけど,パオモーは千切った馍が既に汁に浸った状態で出てきた。
 本場度合いで評定すれば──まあ,ソフトバンク並ではある。
 羊脂の臭みはほとんど感じない。馍の細かさは不完全で,先に春雨を食べながら時間をかけてもなかなか染みない。当然すいとん状態にもならない。
 シェンツァイは添えられて出てきたけれど,量的にはかなり入れられる。ニンニクの酢漬けも二つ。
 初めてだったのは,生ニンニクが取れるようになってること。配膳のコーナーに一つですけど大きなボールから取れるようになってる。山東人向けだろうか?──試しに食すと,やはり辛味がバッチリ合う。
 全般として…これは北京化してはいないらしい。回族料理系が全て北京で土着化してるわけではないようです。ということは,元・清の時代の異民族支配が北京の食を特化させてるのか?
 だけど本当に分からなくなってくる。この回族料理,青島では土着化していたのに,北京ではモドキ味のまま?

吃是人生第一目標

▲七天に帰宿

酷のVIP支払い,聯通の通話料チャージ,念のためICBCの預金確認…と思い付くままネット系の残務をやってると,結構なやり残しとか課題があった。→[間奏曲]金の盾詳述
「どうも何かの登録がうまく行ってない気がする。WiFiを経由しないWLAN接続に不具合があるんだと思う。」とメモってる。その通り,この時点では聯通のネットに入れてなかったのが,不調の根本原因で──SIM購入から9か月,まだこんなところで匍匐前進しとります。

▲21時。「吃是人生第一目標」(食べることは人生の第一目標)。南锣鼓巷で購入。

のTシャツもリュックの底に収納しながら,荷を固める。明日は帰国です。
 山東から北京,古代には新天地,場所によってはまだ海だった地域の印象を思い返す。
 一括りにはしにくい──というか,もっと正直に言えば──根本的に分からなかったぞ。
 日本からも,これまで言ったエリアからもすぐ隣であるにも関わらず,違和感の度が物凄い。しかも個々にも全然異なる。ニンニクの青島,八角の济南,醤肉の北京…そして未だ腑に落ちない天津の「津味」。
 上海や広東,西安や中原は,むしろ分かりやすい料理圏だったんだな,と痛感してます。広義の北京食文化圏というのは,それらほどまとまりのない,異質がある程度は似通ってる,というエリアだと感じます。
 そういう配置は,ワシらにとって身近な状況です。それは,日本や韓国にむしろ近い。
 そう,何とはなく,何がとはどうも言えないけれど,上海や広東より,奇妙な距離の近しさを感じるところがある。

[前日日計]
支出1500/収入1600
負債 100/
[前日累計]
     /負債 309
§
→九月二十四日(一)
[111胡同5/10=烟袋斜街火神廟][112胡同6/10=帽儿胡同]
0948文宇奶酪店
紅豆双皮奶20元100
[113胡同7&8/10=南锣鼓巷&菊儿胡同:前編後編]
1834 10个馄饨
鮮肉馄饨18元300
[114胡同9/10=国子监街]⇒
1107穆家婆包子舗
猪肉大葱包
豆腐脳400
1306老北京ジャージャー麺36元300(1100)[115胡同10/10=金魚胡同&王府井]
1411卤煮店
羊肉氽面,小菜30元400[116胡同真=東四四条,柳芳行]
1850西部馬東四店
优質羊肉泡馍29元500

[前日日計]
支出1500/収入2000
負債 309/
利益 191/
[前日累計]
利益 191 /
§
→九月二十五日(二)
■ 目次・リンク集 ■

0914博多→ソウル(泊):1初泊


0915仁川→(泊):1 市場まで ⇒ 2 南大門 ⇒ 3 新村・仁寺洞 ⇒ 4 Happy Hanjoong Ferry


0916→烟台→青島(泊):1 烟台 2 青島初泊


0917青島(泊):1 青島駅 2 海水浴場 3 金口路 4 龍華路 5 平原路 6 黄島路 7 観海山 8 中山路 9 河北路


0918青島→青州(泊):1 青島駅へラストウォーク 2 青島駅~青州古城(7特別編) 3 夥巷街 4 東門大街 ⇒ 5 清真寺の雨 6 偶园街~帰路


0919青州→済南(泊):1 南陽河渡る 2 昭徳街目指す 3 昭徳街~青州離脱 4 济南入り東関大街行き 5 泉城まで南西行 6 世茂国際広場の造形 ⇒7 素食,济南駅帰宿


(間奏)金盾胡同


0920済南(泊):1 西門~省府 2 起風橋街~曲水亭街 3 后宰門街~県西街手前 4 県西街~省府再び 5 省府~将軍廟街 6 启明街~西城根街 7 周公祠街~楽安街 8 济南駅~j4w7 9 J4w10からの帰還


0921済南→天津(泊):1 天津ハルビン路まで ⇒ 2 ハルビン路熱干面 3 天津鼓楼 4 解放北路まで 5 解放北路から帰着


0922天津(泊):1 八里台回顧行 2 天津駅,鞍山路 3 鞍山路からハルビン路まで 4 四平東道を南行 ⇒ 5 万全路黄昏行


0923天津→北京(泊):1 天津発北京東四行 ⇒ 2 胡同1/10=瑠璃厂街へ南行 3 胡同1/10=瑠璃厂街前迷走 4 胡同1/10=瑠璃厂街を南へ 5 胡同2/10=八大胡同清真寺 6 胡同2/10=八大胡同実験小学 7 胡同3/10=西交民巷 8 胡同4/10=東交民巷と教会 9 胡同からの帰還


0924北京(泊):1 胡同5/10=烟袋斜街火神廟 2 胡同6/10=帽儿胡同 3 胡同7&8/10=南锣鼓巷&菊儿胡同() 4 胡同9/10=国子监街 ⇒ 5 胡同10/10=金魚胡同&王府井 6 胡同真=東四四条,柳芳行


0925北京→関西:帰国行

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