Googleマップ(経路)
三つ井戸がある,というほどの
清真礼拝寺から北へ向かう道中にも何人もの観光客とすれ違う。
前門から近いからだろう,この辺りは,いい道なんだけどかなり観光スポットとして売れてしまってるらしい。
道を急ぐことにする。
1551,T字に達す。
西行。道は三井胡同となる。
後に調べたところ,こここそ著名な胡同でした。每日头条の写真があまりに素晴らしいので,是非そちらを見て下さい。
「胡同」というモンゴル語は元々「井戸」を意味したらしく,「三井」の「井」もこれと同義なのでは,とプログは示唆してます。三つ井戸がある,というほどのシンプルな由縁なのでしょう。
※ 每日头条/三井胡同,就是那座有三口井的胡同
「以前讲过“胡同”二字来历,一个比较认同的说法就是来自蒙古语水井。以前北京胡同里叫“井”的确实多,其中一个比较著名的就是“三井胡同”」
出口に建ってたサルの石標
1555北行。おそらく石猴街。
1559,またT字。大耳胡同のはず。西行。
石猴街は,北側出口に建ってたサルの石標に因む名という。もっと気になる大耳の来歴は分からないけれど,こちらは動画がありました。
※ 每日頭條/西城「石猴街」的來歷
「明代就有此街,街北口有個石碑,碑上刻「泰山石敢當」,碑石後立著一塊青石,刻有一隻活靈活現的小猴子騎在馬背上。」
※ bilibili/走街串巷-探访老北京胡同之大耳胡同_哔哩哔哩(゜-゜)つロ干杯~-(動画)
泥棒が逃げにくい仕組み
▲大耳胡同の北への抜け道だと思う。正面からバリバリと──ひええ!
北行してT字に出た。1601。
北京十大第一実験小学前門分校。この不気味な学校名も,北京にあってはさもありなん,特に驚きはない。例によって子どもの送迎者で溢れる。
さてここを…どっちが有望だろう?人の流れからは…西行か。道は前門西河沿街というらしい。久しぶりに由緒が気にならない道名じゃの──と当時は思ってました。→■レポ:前三門护城河・なぜ前門が「河沿」だったのか?
さあ,これを北へ抜けなきゃならんのだけれど?
この西河沿街という道は,遥か東西へ行かないと北へ出れない。と言っても,生活者が往き来する路地は必ずあるはずです。
──というような事に集中してて,この通りの北への出辛さ,つまり交通的に閉じられてる感じの意味に思考が及んでませんでした。不覚!
中華民国当時,ここは北京最大の金融街だったらしい。
建築にはわざわざそれを見に来るほど歴史的なものが多い。抜け道の少なさも,金融街としての独立性,ひょっとしたら泥棒が逃げにくい仕掛けなのかもしれない。
当時,違和感は感じつつほぼスルーしてます。疲れてたんでしょう。
※ 北京で勇気十足/
北京 散歩 前門 西河沿街と大柵欄近辺の廊坊頭条・掌扇胡同など
※ 毎日头条/前门西河沿街上的民国老建筑,中原证券交易所旧址
あった!167と173番地の間の細い路地。北行して入る。
1613。よし!前門西大街に出れた。北へ渡る──というか信号無視。
ふう…路傍にて足裏を乾かしつつ,一服すれば,兵部洼胡同という看板が目に入る。トイレの道標もあるし,北行しようか。1619。
支出1500/収入1590
負債 90/
[前日累計]
/負債 409
§
→九月二十三日(天)
[101天津発北京東四行]⇒
1211护国寺小吃
ぶっかけご飯15元550
(白米飯,卵スープ,青瓜とキクラゲの卵とじ,インゲン豆と豆干の炒め,茄子とジャガイモの麻辣煮)[102胡同1/10=瑠璃厂街へ南行]⇒[103胡同1/10=瑠璃厂街前へ迷走]⇒[104胡同1/10=瑠璃厂街を南へ]⇒[105胡同2/10=八大胡同清真寺]⇒[106八大胡同実験小学]⇒[107胡同3/10=西交民巷]⇒
1720新橋三宝楽面包店 XINQIAO SAPPORO BAKERY
ミルクフランスみたいなの
ロールケーキみたいなの500
[108胡同4/10=東交民巷と教会]⇒[109胡同からの帰還]
1838面兑
老坛酸菜面15元550
[前日日計]
支出1500/収入1600
負債 100/
[前日累計]
/負債 309
§
→九月二十四日(一)
■小レポ:前三門护城河・なぜ前門が「河沿」だったのか?
「前門西河沿街」,前門から西の河沿いの街。
読んで字の如くです。分かりやすい。
ただ一点分からないのは,この「河」はどこにあるのか?という事でした。
北京城の城壁を壊して地下鉄2号にした。だから城壁のラインは,壊したからこそ明瞭に残ってる。ただ普通,中国の城壁の外側には壕がある。
北京城には壕があったのか?南東部の通恵河の配置からして,おそらくあったはずです。
で,調べていくと,百度百科に「明清北京城」という項目がありました。
※ 百度百科/明清北京城:A
「京师顺天府城防建筑的总称,从内到外由宫城(即紫禁城)、皇城、内城、外城4道城池组成,包括城墙、城门、瓮城、角楼、敌台、护城河等多道设施,是世界存世面积最大、保存最完整的城市防御体系。」
▲「北京城池平面图」
北京城は奇妙なカタチです。
まず中心たる故宮の位置が南過ぎる。西安でも上海でも通常はやや北にあるものです。鐘鼓楼は北に造っておいて,なぜこんなに南なのか。
次に,外城も含むと凸型です。増築したことは明白ですけど,なぜまっすぐな方形でないのか。
さらに,城の中外に城壁に沿わない水路や湖が多過ぎる。
そういった違和感を持って百度「明清北京城」項を見ていくと,次の図面に行きつきました。
▲「元大都与明清北京城对比,西南虚线内为金中都」
つまり,現北京城は金代大都の北東郊外に,元が新たに築いた都城です。そこには概ね南東方向に流れる水系があって,これを城内と城壁ラインに振り分けることで新城の敷地を整備した。城内の水系を完全に排除したかったのは,内陸の都のため,主にクビライ汗代に外隣との海運を確保する狙いもあったようです。
▲「1958年北京河湖规划图(护城河呈现完整的“品”字结构)」
この河は護城河と名付けられてる。
そこでさらにその名前でググっていくと,凸型の形成経緯が出てきました。明代の城域拡大時に,古い元代の城壁を壊した跡地を掘削して人工河にしている。このうち旧・元都の南城壁跡が前三门护城河になっています。
方形の増築が出来なかったのは,前三门护城河の東西の水門を十字ではなくT字にすることで水利を容易にしたかったのでしょう。
こうして,凸型の真ん中を東西に横切る前三门护城河ができました。
※ 百度百科/北京护城河:B
「于1371年将元大都北城墙南移,并利用高梁河、积水潭(太平湖部分)作为北护城河。1419年,又将元大都南城墙南移,并新挖开护城河(即前三门护城河)。」
▲前三門護城河の水辺イメージ(「內城西南角樓南面」とあるから瑠璃厂の北西界隈と推測)
「內城西南角樓南面、護城河、駝隊、通往城里的铁路和铁路桥。西南角楼正北远处的建筑,是内城墙西垣与外城西段北垣连接处的碉楼。1910年前後。」
※ 文学城/北平往事(十三)护城河畔 观冬夏冰事(上)
1419年から1960年までの5百年余,都城の真ん中に出来たこの希有な水辺は,特に老城南側の市民にとって親しみ深いものだったらしい。
「文化中国」の記者曰く「有人说,护城河是老北京的魂儿。」──護城河は老北京の魂である。
※ 文化中国/回望半世纪的北京城护城河旧事:C
「河里全是垃圾,甚至死猫死狗都往里扔,岸边十多米外才有人家,多数都是贫苦人家,没人往这河跟前凑。」※C
解放後の時代,人口の増加を受けてか,護城河はゴミだらけで犬猫の死骸が浮き,岸を貧民窟が厚く覆って誰も水辺に近づけない状態になった,という記述もある。
1960年代に,前三门護城河は暗きょとされました。発想は現代の地下鉄と同じで,不良街区の一斉立ち退きでしょう。これを皮切りに,周辺の城壁ラインの河も次々と地下に消えていったようです。
「在60年代中期,本来规划作为市中心观赏河的前三门护城河被改成了暗河。70年代初期和中期,为修路西护城河、东护城河和北护城河西段也被改为暗河。此后,陆续又有一些护城河段被挤占、分割或压入地下。」:B
「数百年間,護城河には舟が行き交っていた。京城の百姓たちは朝陽門の外から舟に乗り,河に沿って南に下って東便門や通惠闸に家を挙げて向かっていた。」
「数百余年间,护城河上舟楫往来,京城百姓大多从朝阳门外登舟,沿护城河南下至东便门或通惠闸,举家出行。」:C
▲最も川幅の太かったのは前門の東という記録があるから,前門から北東方向だろうか。
「旧暦7/15の中元節には,前三門護城河には燈籠の灯が揺れていた。百姓は流し燈籠を放った。それら河の灯を愛でるには素晴らしい場所だった。」
「旧历七月十五,中元节时,前三门护城河上灯影绰绰,又成为老百姓放河灯、赏河灯的好去处。」:C
折しも今年(2019年)に入ってから,北京市の「生態文明建設」会議で「逐步恢复老城护城河水系」(段階的な老城の護城河水系の回復)について提言がなされたようです。中国のネットでも少し話題になってる模様ですけど,そこでのツイートには「怎么恢复?把前门到长椿街路南的板楼都扒了?再把前门到崇文门的楼扒了?长椿街,宣武门,和平门,前门,崇文门,这一条线上的地铁全部改线?前三门大街怎么办?」(百度知道)──どうやって回復するの?前門から崇文門までの建物は?长椿街,宣武门,和平门,前门,崇文门,このラインの地下鉄は全部路線変更するの?前三門大街はどうするの?──という,至極もっともな反応も。
※ 人民网-北京频道/委员建议逐步恢复“四九城”护城河水系 2019年01月
「人民网北京1月16日电(董兆瑞 尹星云) 今天下午,北京市政协十三届二次会议召开题为“全面加强首都生态文明建设,建设天蓝水清土净地绿的美丽北京”联组讨论会。」
「吴晨委员:逐步恢复老城护城河水系
(略)在世界上著名的城市,水系都是城市的闪光点,相比之下北京城市水系的独特作用不够突出(略)分阶段实施北京老城业已消失河道恢复的可能性,在条件允许的情况下,逐步恢复老城护城河的水系。」