外伝17-105 胡同へ礼儀正しく蛇入る/胡同2/10=八大胡同清真寺

本編の行程
~~~~~(m–)m~~~~~(m–)m~~~~~(m–)m本編の行程:Googleマップ(経路)~~~~~(m–)m~~~~~(m–)m~~~~~(m–)m

乾燥タイム イン 太平洋珈琲

▲観光文化街・前門大街へ出る

京十大胡同のうち,瑠璃厂,八大胡同とまだ2つ目です。
 このペースで回ってると,とても終わらんぞ。終わらんでも問題ないけど,絞り方がどうも分からん。
 オシャレな文化街・前門大街に出た頃には2時半を回ってました。北に見える城門は前門でしょう。軌道跡があるのは何を意味するのか?→巻末小レポ:前門のチンチン電車

▲それにしても凝りすぎ?な路地の壁画

分だけ足裏を乾かそう。このままだと確実に豆ができる。
 と繁華街真ん中のベンチで靴を脱ぎかけてると──あ!太平洋珈琲(Pacific coffee)があった!美式珈琲(アメリカーノ)を舐めながら十分な乾燥をさせつつ,今後の展望を。
 ここはWiFiも効く。中国電話機番号登録方式。
 北の集中部は明日早く,つまり観光地的に非常識な時間に行ってやろう。今日は少なくとも,北の西交民巷までを目標にしよう。

妖しさの微かに留むる王皮胡同

▲再び路地に入るとまた壁画

燥タイム,終わり。
 前門大街から粮食店街へ戻った後,1509,王皮胡同を西行。
 壁画がやけに凝ってます。そのモチーフになぜか象が多い。

▲胡同のさらに脇道には怖くて入れないような路地も

国の胡同マニアみたいな人々は割と沢山いるんでしょうか?
 まさかと思いつつググると,王皮胡同,ヒットしました。
 著者・清波さんという人の調べです。──「王」という姓の有名な「皮」職人がいたんだそうです。さらに元々「王八」胡同(王ちゃん,みたいな語感)だったけれど「不好听」(耳障りが良くない)だから改名した,という説も紹介した上で,「専門家の考証では,文革期以外は明代以降は改名されたことがない」からそれは笑い話だろう,と否定しています。
 1948年の戸籍データまで引用してます。民国の時代には,この200m程度の通りに20の店舗があった。うち4つは「三等妓院」,おそらく風俗店だったとのことです。ただそれは合法のものだけのカウントだとも。

▲王皮胡同の端正な光景

革時期を除いて」改名はなかったという記述も気になります。
 文革期にはここもやはり「解放路」的な名前に一時はされていたんでしょうか?そして,それを元の名前に戻すような動きがどこかでなされて,今に至ってるんでしょうか?
※ 新浪博客/八大胡同之王皮胡同学《诗经》
「有的说因为这条胡同曾经住过一个姓王的皮匠,技艺超群,因而得名;也有的说这条胡同曾叫王八胡同,因不好听,所以改名王皮胡同。但据专家考证,王皮胡同自明代以来除了文革时期不曾改过名。至于王八胡同那也是特定时期的玩笑俚俗说法。」
「据民国三十七年(1948年)的户籍登记,全胡同正户40,附户86,总计126户,而铺户就有20户,约占总户数的六分之一」
「在民国三十七年的户籍登记上,全胡同共有三等妓院4家,从业者大多是一些来自山西、河北及平市周边的北地胭脂。当然这只是合法开业的“乐户”,尚未包括暗娼。」

▲モバイク回収係の人。ご苦労様です。

市まで戻ってきました。1523。
 さっきの太平洋珈琲で見つけた清真寺を中間目標にして,第3ポイントを目指すつもりになってた。つまりここから北西です。
 煤市を北行する。
 西に静晩楼芸術館。
 今,kingsioy hotelというWiFiに入れた。
 東にマック。
 対面西側に大柵栏西街,観光客だらけ。
──とか,当時,大分疲れた感じのメモを残してます。西への道が見つからない。どうも勝手の違う町の手触りでした。

取灯胡同と発火物エリア

▲取灯胡同へ

西へ,やっと普通と見える道が開けた。1531。取灯胡同に左折西行。
 この通りについては百度に詳述されてた。燈籠を作る専門店が集まっていた通りだという。今はその面影はなく,ただいい感じというところ。
 東に煤市街,西に炭儿胡同と,発火物の語義ばかりが並ぶのも,類似業者が集まっていたと推測すれば納得できます。

▲いい閑静さですけど,まだ観光客が歩いてます。

※ 百度百科/取灯胡同
「原称取镫胡同」
「取灯在北京有多种解释,其中有火柴(洋火)的意思,也有取灯(笼)的意思。」
「从民国时期出版的《燕都丛考》的地图上看,取灯胡同是一条斜胡同,东北口是煤市街,西南与炭儿胡同相通,可抵延寿寺街。当年,廊房头条被称“灯笼一条街”,布满经营和制作宫灯、纱灯、走马灯等灯笼的商店和作坊。」

清真寺:38年の「改作他用」

▲路地奥の交差点。どっちだ?

字に至る。1537。
 えーと?ここは右折北行だな?
 道は楊威胡同。
 ここは解説したサイトは見つかりませんでしたけど,何とYouTubeにアップされてました。→YouTube/Breathing China:Yangwei Hutong(Alley)in Beijing(扬威胡同)
 という感じの,雰囲気はいいんだけど観光地ではあります。

▲清真寺

基によると,この由緒あるモスク,1949年から1987年の「恢復宗教活動」(宗教活動再開)までの38年間,「改作他用」(≒転用)されていたそうです。文革下で何に使われ,ほぼ2世代を経てそれを回民たちが如何なる執念で復興したのか,それらの記録にはたどり着けてません。
※ 維基百科/前門清真寺
「該寺建於明朝末年,清康熙十九年(1680年)、乾隆六十年(1795年)重修。該清真寺原存有蕃人華巴巴手抄本《古蘭經》一本,硬木經箱一個。1937年以前,來該寺禮拜的多是廊房二條從事珠寶玉石業的回民。1949年之後,該寺一度改作他用。1987年,該寺恢復宗教活動。」

▲入口にはやはりX線検査装置

541,前門清真礼拝寺に到達。
 門は閉ざされてる。と思ったら向かって右に入口がありましま。何とまあ,荷物用チェックのX線検査機があるぞ?
「五時拝時刻表」というのが掲げてある。メッカの何かの時間に合わせたりしてるんだろうか?
 さらに北行する。

[前日日計]
支出1500/収入1590
負債 90/
[前日累計]
     /負債 409
§
→九月二十三日(天)
[101天津発北京東四行]⇒
1211护国寺小吃
ぶっかけご飯15元550
(白米飯,卵スープ,青瓜とキクラゲの卵とじ,インゲン豆と豆干の炒め,茄子とジャガイモの麻辣煮)[102胡同1/10=瑠璃厂街へ南行][103胡同1/10=瑠璃厂街前へ迷走][104胡同1/10=瑠璃厂街を南へ][105胡同2/10=八大胡同清真寺]
[106八大胡同実験小学][107胡同3/10=西交民巷]
1720新橋三宝楽面包店 XINQIAO SAPPORO BAKERY
ミルクフランスみたいなの
ロールケーキみたいなの500
[108胡同4/10=東交民巷と教会][109胡同からの帰還]
1838面兑
老坛酸菜面15元550
[前日日計]
支出1500/収入1600
負債 100/
[前日累計]
     /負債 309
§
→九月二十四日(一)

■レポ:前門のチンチン電車

 本文に「路線跡」と書いたけれど,なぜ見かけなかったのか,何と走ってるらしい。ただし完全な観光用の路線と金額。
 ただ,どうも初めから観光企画だったわけじゃなく,2009年当初はもう少し長い距離を走ってたらしい。
 元々の路面電車は,1924~1958年に前門~西直門の長い区画を走ってた。大陸中国で天津に初めて路面電車が走って18年後,かなり後発だった模様。ただ,一部サイトに1899年に北京で運行した路面電車は義和団事件で爆破されたとの記述もあり,これが真実なら北京は初発の運行となる。
 1958年の取り壊しは,北京五輪に合わせたもので,その当時,前門界隈はスラム化していたため,抜本的な再開発が行われたようです。
 そもそも前門が栄えたのは,故宮内部が聖域扱いされて商業が忌避されたかららしいから,そのために城塞化し,スラム化した挙げ句,現代人の文化街に落ち着いた。中国の浅草と呼ぶには,厳し過ぎる変転を辿ってるエリアです。
 つまりここは,中国王朝末期のあまりに聖化され過ぎた皇帝の都にあって,俗世界側の門前町でした。
 ──というような事を,滞在当時はイメージ出来てなかった。旧城南域はこの初日だけの歩きになってしまってます。
※ wiki/前門大街
「前門大街から大柵欄・鮮魚口にかけては明清時代から続く歴史的な商業地区であり(略)下町風情を残す繁華街として知られ、日本では「北京の浅草」と呼ばれることもあった。」
「再開発の目玉として、1924年から1958年まで運行されていた路面電車が再現され、2009年1月1日から正式に営業運転を開始した。銅製の鈴を鳴らして歩行者に注意を促したことから、「鐺鐺車(チンチン電車の意)」と呼ばれていた。新たに再現された路面電車は路線開業当時の車両を模しているが、最新式の電気二重層コンデンサを搭載した充電式車両で、架線を必要としない。1両編成で運行され、約800メートルの区間を時速5キロメートルで片道約10分間かけて走行する。」

▲北京の路面電車路線図(1940~50年当時と推定)
※ 北京・胡同窯変/第108回 通州・白将軍胡同(その三)【寄り道編】電信柱と通州の深い関係、そして北京へ(2)
「1924年(中華民国13年)12月17日、午前11時、路面電車の開通式がはなばなしく
挙行されています。(略)開通式が行なわれた場所もそれにふさわしく天
安門前でした。」
「運営は、中華民国政府・京都市政公所とフランス系の中法実業銀行との官商合弁会社「北京電車股份公司」、略して「北京電車公司」(1921年設立)。」
「翌18日から正式に営業が開始されました。コースは、前門と西直門の間で、司法部街、西単、西四、新街口。」
「電車が走った当日、なんと、数千人の人力車夫たちがレールの上に腹ばいになって電車の通行を阻止しようとした出来事があったこと。(略)その後1929年10月には数万人の人力車夫たちによる大規模デモが発生しています。この時、当局による逮捕者1200人あまり、4人の死者までが出ています。文字通り命がけの行動でした。ちなみにこの時60輌以上の電車が破壊、レールなども剥がされ、停留場も壊され、その後18日間は運転休止状態だったそうです。」


※ 路面電車の走る街/路面電車のある中国の街
「北京市では古く1899年に路面電車の運行が始まっていたが義和団事件で爆破され、1924年に再度開通し1966年までに停止されるまで運用されていた。その後2008年に前門大街から南口の間で一時運行を復活させたことがあったが、前門線は現在は休止している。」
※ abroad/
前門大街をレトロな路面電車に乗ってタイプトリップ!

「その運行ルートは、かつての線路の一部を復活させたもので、「前門」駅と「珠子口」駅を往復する約1キロ弱、時間にして約10分。チケット売り場は「前門」と「珠子口」にあり、1枚20元です。時間は10分です」
「皇帝の暮らしていた時代の北京では、故宮周辺ではいっさいの商売が禁じられ、多くの料亭や劇場、店などは、「前門」の城門の外、「前門大街」の周囲に集まっていました。」
※ アナウンサー(TK)的様子/街角散歩 その6
「北京と奉天(現瀋陽)を結ぶ鉄道の正陽門東駅だった」
「前門大通りは、紫禁城の正陽門の南側に延びる850mくらい
の商店街。正陽門は、天安門の前の門なので前門と呼ばれる。」
「08年のオリンピック直前に1920年頃の前門の設計図を基に改修が行われて、すっかり整備され、ごちゃごちゃ感がなくなってしまった」
※ アジア写真帳(中国・北京)-前門と大柵欄 1998年11月
「前門大街の入口にあるゲートです。昔はここに電車が走っていましたので、線路のあとも残っています。」