外伝17-108 胡同へ礼儀正しく蛇入る/胡同4/10=東交民巷と教会

~(m–)m 本編の行程 m(–m)~
Googleマップ(経路)

▲凄かった崇文門のパン屋・新侨三宝乐面包店

ようやく背にし,崇文門内大街を北行。北側の東交民巷に入ったのは17時半近く。
 北京同仁医院の南側の道,これでしょう。
 西交民巷で,何となく想像ついてて期待は低まる一方で,もうシンドいし,と完全に醒めてました。
 今調べても,ヒットする日本語サイトの数が違います。どうやら天安門に近い胡同だから観光的にオプション化しやすい,ただそれだけが大きなポイントらしく──

もっと醒めてきとります。

※ 4travel/北京好秋天 ? ー 「東交民巷」を歩く
※ コトバンク/とうこうみんこう【東交民巷 Dōng jiāo mín xiàng】
「原名の東江米巷がなまって東交民巷と呼ばれるようになった」
「事変後に締結された北京議定書によって公使館区域がこの地に設定され,各国の護衛兵が駐劄(ちゆうさつ)」
※ 楽天トラベル/中国近現代史観光ガイド/東交民巷
「義和団事件の際、籠城側の拠点となったイギリス大使館、 1917年、復辟をはかった張勲が逃げ込んだオランダ大使館、1924年、紫禁城を追われた溥儀が匿われた日本大使館、1927年に李大釗 が逮捕されたソ連大使館などがある。」

▲まあ社会主義的な胡同だけど…?

?普通にいい道じゃん?
 というのが初見の印象でした。
 おおっ!この病院の壁,これなんか確かに年期入っとるぞ!
 端正というより風格ある建物が並ぶ。ごちゃごちゃしてない。
 イメージしてる胡同とは全く違う。この落ち着きは何なんだ?
──前掲の通り,ここはかつての大使館街。租界ではない。じゃあ何か,というのがどうも分からないんだけど,各国が軍を駐留させてた,ということは他国の首都中央を堂々と実効支配してたということだろうか?

と…とにかく西行。

▲「首都文明居民区」とある花園マンション群

実上の治外法権域だったこのエリアは,解放後,東の相当面積が天安門広場に組み込まれ,今も胡同として残るのは西の切れ端部らしい。
 ただ,通りの高級感というか別格意識というのは引き継がれるもんなんだろか?上の写真のネーミングなんか「お高く止まってるう」とツッコミたくなる。
 プログでは各国大使館趾の洋館を真剣に紹介しとるけど──いや,マジで醒めてきたなあ。

▲国旗と尖塔

基厂大街に到ると,もうお腹一杯になった。今調べると,どうもその西が本来有名な東交民巷らしいエリアみたいだけど,分かった分かった,という感じで歩を止める。
 交差点の北東角に教会があった。

▲夕陽を受ける教会

強できない子どもの自由研究みたいで恐縮ですけど,中国語wikiによると,東交民巷天主堂の正式名には「圣弥额尔堂」が付いてる。漢字の字面が「阿弥陀堂」に似てるけど,聖ミカエルさんを指してるらしい。でも中国人はミカエルさんの名前でなく「フランス教会」と醒めた呼び方をしてた。
 実質的な植民地にある外人用教会なら,まあそんな見方でしょう。
 天安門広場というのは,元々は故宮の前庭で,このエリアの東をブッ潰して革命の象徴域にしたわけです。

彼らの露骨な怨念が伝わります。

→巻末参照:横浜正金銀行
※ 維基百科/东交民巷天主堂「东交民巷天主堂,全称天主教北京教区东交民巷圣弥额尔堂,简称圣弥额尔堂(英语:St. Michael’s Church;法语:l’église Saint-Michel),旧时俗称法国教堂(英语:French Legation Church),位于北京市东城区东交民巷甲13号,隶属天主教北京教区。」

▲教会内部

基厂大街沿いに交民巷の説明プレートがありました。
 この西交民と東交民が元朝,つまり北京の胡同形成期に一本の主要道だった,というような説明。
 つまり,他民族による世界史上最大最強の帝国の都の中心街として創始され,つい前世紀半ばまで欧米列強の侵略拠点だった。今は端正な交民街は,そういう怨念渦巻くエリアです。
 1753。おおっ!祈年大街の南方まっすぐに,

天坛が残照に染まっとる!

 と絶景に見惚れつつ考えたのは──故宮から天坛への呪術的な中心線を,この外国勢力ベルトが絶ち斬るように位置していたのは,中国人からどのように見えたんだろう?

▲南遥かに天壇が!

門東大街に出て東行,素直に崇文門まで歩きました。
 南は見事に何も感じさせないアパートが並ぶ。
 1755,北側の道端に紫金宾館というホテルらしきところがあった。東交民巷使館建築群──比利時使館旧址と石碑が出てる。何のことか分からんけど…煉瓦造りの城のような建物。でも,西側には「徳国啤酒坊」(ドイツビールバー)という店になってて,中国では珍しいことに女性が呼び込みしてる。
 ──「比利時」はベルギーのことでした。つまりベルギー大使館跡。てことはビールは本場モノだったのかも?でもそれより,女性呼込みのビールバーがこんな場所にある(つまり取り締まられてない)ことの違和感の方が気になってきてます。→巻末参照:ダークサイド
 北京そのものがそうですけど,とにかく監視カメラの多い町です。
他の町にもあるけれど,少なくとも「保護特別区域」とか言い訳の表示があるのに,ここでは剥き身で当然の如く監視カメラに覗かれてる。

場所によっては死角がないんじゃないか?

 いや。この膨大な映像データを,世界最強の中国ネット情報機関が解析,例えば顔認証とかしてるんだろうから,場所に関わらず死角はないのかも,です。──北京では良い子で観光してた方がよさそうですよ,ははは。

▲南側に並ぶ普通のアパート

[前日日計]
支出1500/収入1590
負債 90/
[前日累計]
     /負債 409
§
→九月二十三日(天)
[101天津発北京東四行]⇒
1211护国寺小吃
ぶっかけご飯15元550
(白米飯,卵スープ,青瓜とキクラゲの卵とじ,インゲン豆と豆干の炒め,茄子とジャガイモの麻辣煮)[102胡同1/10=瑠璃厂街へ南行][103胡同1/10=瑠璃厂街前へ迷走][104胡同1/10=瑠璃厂街を南へ][105胡同2/10=八大胡同清真寺][106八大胡同実験小学][107胡同3/10=西交民巷]
1720新橋三宝楽面包店 XINQIAO SAPPORO BAKERY
ミルクフランスみたいなの
ロールケーキみたいなの500
[108胡同4/10=東交民巷と教会]
[109胡同からの帰還]
1838面兑
老坛酸菜面15元550
[前日日計]
支出1500/収入1600
負債 100/
[前日累計]
     /負債 309
§
→九月二十四日(一)

■参照:横浜正金銀行北京支店跡

 後から調べて,それなら行っとくんだったかな,というか日本人として行かなきゃならんかったかな,と思ったのは,正義路との交差点にあるというココ。
 この銀行は,もちろん日本籍の銀行。北京支店が出来た1880年当時,世界三大為替銀行の一つだったそうな。資産的な後継銀行が東京銀行,即ち現・三菱UFJ銀行。
 次のサイトでは,横浜の神奈川県立歴史博物館,当時の同銀行本店としっかり比較考察されてます。
 満州と山東からじわじわと触手を伸ばした日帝も,やはりこのエリアを拠点に他国の首都を実効支配してた勢力の最右翼だったわけで。
 それと,次の参照にも結びつきますけど,ここは義和団の攻撃目標になった時に欧米勢力が「籠城」した堅固な「要塞都市」でもある。実際に当時,列強は兵隊を詰め込んでたわけで,天安門隣接地に軍事力を秘匿しておくには絶好のインフラと地勢です。
※ 北京ひまつぶし/横浜正金銀行

■参照:東交民巷のダークサイド

 浮き足立った観光案内サイトが多い中,北京長期在住者らしい方のサイトによく考えたら怖い記述が幾つかあったのでご紹介。ご興味あればサイトに行かれてみて。
 もしかすると,これが東交民巷のホントの顔なのかもしれません。──それなら観光地にするか?という気もするけれど…最近移転したとかで,観光化させてリサイクルを目論んでるのかも?もしそうなら,中国らしい肝の座り方です。
 ちなみにネット情報統制力は世界最強の中国。この手の情報をググってもまず全くヒットしませんし,ググること自体が「金盾」に目をつけられかねないから止めとく事をお薦めします。
「『這附近的很多老使館目前被一些“大単位”使用,有些単位在門口和牆外設武警站崗,見到拿相機的就会趕走,要拍的話動作要快,被発現后不要頂撞,收起后儘快離開,有些雖然可以拍照,但要進院内得想辦法説服値班人員。』
意味:『東交民巷の大使館旧址は『大きな機関』に多く使われており、その入り口には武装警察が立っている。カメラを抱えた人間を見つけると追い払いにかかるので、写真を撮るなら素早く。もし見つかってしまったら逆らうな。カメラをしまってすぐその場を離れよ。写真を撮ってもいいところも有るが、中に入るためにはうまく係を納得させる必要がある。』」
「(東交民巷天主堂は)1958年制限を受けて閉鎖となり台基場小学の講堂に使われたが、そのときにステンドグラスが破壊されている。」
「原国際倶楽部(旧国際クラブ)。台基廠大街8号。(略)今何に使われているのか不明。看板が出ていないが車の出入りは結構頻繁。
警備は非常に厳しい。
写真を撮ってもいいか聞くと『ここは観光地ではない。いますぐ立ち去れ』と睨み顔で怒鳴られる。
かなり若い青年だったが、非常に迫力があった。びびった。一体何を警備しているの、ここは。(略)
この建物の真正面が『中国共産党北京市委員会』。敷地内では制服に身を包んだうーじんが群れて行進している。なかなかかっこいい。
持ち場を交代する時、ピストルもカバーから外して確認していた。」(うーじん:武装警察)
※ 北京で勇気十足/北京 東交民巷(正義路から東側) 壱 散歩おばさんの妄想編 2009.4