目録
ニッキーの辛いトルコを新駅で
長電(長崎電気軌道株式会社)アプリが閉鎖。2020年6月30日で路面電車での長崎スマートカードも利用終了してました。多くのバス会社同様、ジョルダンに機能を集約させたみたいです。
で、この情報を長崎駅から乗車後に集めてアプリを新登録して──とやって下車場所・観光通りに着く10秒前に購入完了に滑り込みました。
ただ、後から見たら長電もICOCAは使えるらしい。
ちなみに,令和4(2022)年「秋」に長崎〜武雄温泉間の九州新幹線西九州ルートが開業するらしい。熊本の時と同じで、そんな半端な新幹線なら……よほど急ぐ時以外は通常特急に乗るよなあ。
2022年春からニッキーアースティンが長崎街道かもめ市場に出店予定。
「1/2(日)平常通り営業」と貼り紙を確認しました。
「本年も昨年同様宜しくお願いいたします」こちらこそ!
元旦。どうせ今日は、喰える店を見つけられたら即食べるだけになる。時間も計画もない。ならば……足の筋肉は癒えてないけれど、この状態でしかできない企画は一つ。
ちなみに長崎は大晦日のコロナ感染者ゼロ。佐賀、熊本も同じくで、福岡が3。現在は拡大期で濃淡が激しい、というところか。全然分からんけど。
上着なしの薄手の服装で宿を出る。幸い晴天、温度は低いけれど陽光は温かい。
0920、観光通りから茂木行き乗車。
集落は深く水辺にもぎさんかく
GM.(経路:〜黒橋BT)
山を越え海へ下る。0929、バス停・茂木下車。
まず北西へ、集落を緩く横断してみます。
路地に入ると中町自治会看板。人は僅かなのに猫がものすごい数いる。
猫の導線のままに若菜川南岸に出て、橋を渡らず左折西行。「もぎさんかく公園」。
橋口自治会掲示板。
──いや?違うぞ、このままだと北岸に渡ってしまうぞ。東へ戻ろう。
銭湯(小田湯→GM.)の前で一服しつつ位置確認。0953。
進むべきは西、当面の目安は茂木小学校。路地を抜けて「しんちばし」で小さな川を跨ぐ。0957。
橋の上から、北の対岸・裳着神社を認む。
茂木小の次の授業は橋向こう
若菜川南岸を進む。岸というより、潟という風情です。
南川自治会掲示板で道なりに左折、すぐT字を右折。よし!茂木小学校が見えて参りました。
1001、なんごうばしを北へ渡る。ここを渡らないと、もうかなり先、バス停・黒橋辺りまで橋がないのです。
日蓮宗円成寺下。左折北西行。
いや?小学校対面に大きな橋がかかっとるがな。
通学用だろうか。黒猫がきょとんとこっちを見据える。
橋をくぐる。これは校内通路らしく外部と柵で隔てられてて、要するに今のワシは渡れないみたい。でも……校内に橋があるのか?
道は右に湾曲。
1015、祠。記名はない。白い顔の本尊。大師堂?
「正解」黒橋脇道の発見
少しだけ、裏道に入ってみる。1019。熊笹。
深い山が覆いかぶさる。若菜川の流れが、かろうじて山の植物の勢いを止めている土地なのです。
1021、車道に戻る。片町自治会館掲示板。
大川橋。ここで一度バス道に出る。
バス停・黒橋。唐八景風致地区の案内板があります。「唐八景」は何度も聞くけど言ったことがない。この辺りなの?
さくら会館の先の右手北北東への道へ入る。1028。
──この段階で、ようやくこの黒橋脇道を発見することが出来てます。個人的な志向からは「正解」がこの道だったのです。
GM.(経路:黒橋BT〜行き止まり)
前方に丘。これを若菜川に沿う本道は、東方右へ入ってるはずです。
黒橋 海野清掃橋 も一つ橋
1035、共産党掲示板のあるT字。
ここがポイントだと思う。右折東行しなきゃいけないはずです。──今回から次回への刷新ルートは、この思い込みを乗り越えなければいけませんでした。
標識には「長崎江川線(長崎丸山線)16号 火の用心」と書かれてる。
1037、小橋。手前に海野清掃、向こうに茂木運輸のトラックが並ぶ。
犬鷲が舞う。静寂が耳に痛い。
まあ元旦だからね。
1042、橋。地図を睨む。川沿いを歩きたいけれど、これは渡らないと抜けれないと思う。
東へ渡り、岸を進む。
竹やぶが多い。少し民家が見えてきました。
道は左に湾曲(→GM.)。
ビニールハウスのある家。1048。
丸石の石垣が右側に続く。確証を持てる古さではないけれど。
対して川の西岸の家屋群は、点在していて流れがない。やはり東岸が集落だったようなんですけど──やはりピンとは来ません。
顔の奥の御顔と変則四差
家の軒先に水神があるけど、本尊の顔が3つ。1055。
稚拙だけれど、モチーフは顔の割れた間からも一つ顔が出る、「宝誌和尚立像」(ほうしわじょうりつぞう)だと見えます。
さて変則四差路です(→GM.)。ここを若菜川を西へ渡る橋へ出ないと、ルートが取れなくなってしまう。最初の三叉を左折北行──
──次の三叉を左折西行。
前回はここから北の大山祇神社へ回りました。今回はこここら橋方向です。
柳山石橋掛りし川辺か?
川の手前で、先の長崎江川線の標識が右側を14号、橋を渡る方向を15号と指しています。
15号へ。
橋の名前を見ると──あ、そうか。これが「やなぎやまはし」じゃないか!──旧石橋は昭和57年流失。茂木街道の一地点とされる橋、と同じ名だから、おそらく地点はここです。
※後掲みさき道人は、長崎市南公民館どじょう会「長崎の碑(いしぶみ)第四集」(平成7年刊56頁)から次の記述を見つけてます。
「※柳山石橋(長崎市茂木町浄善田に所在した)
寛永十一年(一六三四)の長崎の眼鏡橋に始まる石橋には、近郊の石工や人夫多数が参加したと思われるが、彼等は見聞や経験を通じてアーチの理論を体得し、正規の切石ではなく、野石またはそれに近い自然石を巧みに積んで、アーチ橋を架けた。この柳山石橋もその一つで、安政五年(一八五六)六月、長崎の商人竹内億助、蒲池喜兵衛の両名が私費をもって架けた。
億助は天保十三年(一八四二)米百俵の施与を賞され、苗字を許されており、寛永二年(一八四九)には同じく私費をもって日見街道に石を敷き、旅人の難渋を救った。」
川を渡った先で、15号から左に2本道が入ってる。
左手の山へ登る道に惹かれます。地理院地図を見ると道が続いてるはずです。これを行こう。
試みにGM.の同地点を見て頂ければ分かりますけど──この山道群は、地理院地図だけに異様な数が記されてます。何でこうなってるのかは不思議ですけど、GM.と地理院地図は時折こうなってて、大抵、大失敗か大成功を招きます。
柳山橋からの「茂木街道」
対面の山手道へ。1116。
かなり登りがきつい。でも両側にところどころ石垣。最近の農道とは思えません。
うん。かなり古い道の感触です。進もう。
暑い。マスクをもぎ取る。
見事な竹やぶ。1120。
1122、最初の三叉路。左は途絶えるように見えます。右だろな。
野道がすぐにアスファルトに戻りました。
1226、次の三叉路……ここは四差路で左へいく気でおりましたけど……この藪道だぞ?
無理だろ?
いや?違う、もう一本右手に道がある。まっすぐでいいんだ。一番左の道を直進。
石垣はなくなってる。路面はアスファルト、古みは感じなくなってきました。
道の果ては金柵で囲まれて
第三の四差路──ってここは左手しか現実的な道がない。1132。左へ登る。これが尾根道になるはずです。
1136、あれれれ?道が完全に金柵で囲まれてるぞ??幾ら見回しても180度囲まれて先に進めない。
右手にビニールハウスがあり、どうもここへの連絡農道だったようです。
戻る。
1142、さっきの第二の三叉路から右手北東へ入り直す。西への山抜けまでは望めなくても、これで15号に出るのではないか?
と野道を行けば、こんな看板。
──いのしし捕獲のためわなを??
てことは、出るのか?まあ熊じゃないだけいいか、と思いながらも少し足が早まっております元旦の長崎。
11ヘイフリ坂登る ▼
12愛宕神社到達 ▼ 13愛宕山下る ▼
21若菜川 ▼22転石の谷 23真夏のピントコ坂 ▼
08/11日 31変電所の坂〜51大浦東発
【2022.1】今回
【2024.8】005-a茂木街道完走★決定版
