017-1茂木街道のぼり(茂木)\長崎withCoV-2_Omicron\長崎県

ニッキーの辛いトルコを新駅で

長電24hチケットを初購入

(長崎電気軌道株式会社)アプリが閉鎖。2020年6月30日で路面電車での長崎スマートカードも利用終了してました。多くのバス会社同様、ジョルダンに機能を集約させたみたいです。
 で、この情報を長崎駅から乗車後に集めてアプリを新登録して──とやって下車場所・観光通りに着く10秒前に購入完了に滑り込みました。
 ただ、後から見たら長電もICOCAは使えるらしい。
 ちなみに,令和4(2022)年「秋」に長崎〜武雄温泉間の九州新幹線西九州ルートが開業するらしい。熊本の時と同じで、そんな半端な新幹線なら……よほど急ぐ時以外は通常特急に乗るよなあ。
20年11月に新しく決まった西九州ルートのロゴとキャッチ。雰囲気は確かに西九州、という感じ??

022年春からニッキーアースティンが長崎街道かもめ市場に出店予定。
「1/2(日)平常通り営業」と貼り紙を確認しました。
「本年も昨年同様宜しくお願いいたします」こちらこそ!

旦。どうせ今日は、喰える店を見つけられたら即食べるだけになる。時間も計画もない。ならば……足の筋肉は癒えてないけれど、この状態でしかできない企画は一つ。
 ちなみに長崎は大晦日のコロナ感染者ゼロ。佐賀、熊本も同じくで、福岡が3。現在は拡大期で濃淡が激しい、というところか。全然分からんけど。
 上着なしの薄手の服装で宿を出る。幸い晴天、温度は低いけれど陽光は温かい。
 0920、観光通りから茂木行き乗車。

集落は深く水辺にもぎさんかく

🚌

~(m–)m 本編の行程 m(–m)~
GM.(経路:〜黒橋BT)

茂木バス停裏道へ

を越え海へ下る。0929、バス停・茂木下車。
 まず北西へ、集落を緩く横断してみます。
0944茂木の裏道は結構深い

地に入ると中町自治会看板。人は僅かなのに猫がものすごい数いる。
0949茂木の路地裏道

の導線のままに若菜川南岸に出て、橋を渡らず左折西行。「もぎさんかく公園」。
 橋口自治会掲示板。
──いや?違うぞ、このままだと北岸に渡ってしまうぞ。東へ戻ろう。
 銭湯(小田湯→GM.)の前で一服しつつ位置確認。0953。
茂木の銭湯前にて

むべきは西、当面の目安は茂木小学校。路地を抜けて「しんちばし」で小さな川を跨ぐ。0957。
 橋の上から、北の対岸・裳着神社を認む。

茂木小の次の授業は橋向こう

「しんちばし」から茂木旧湾

菜川南岸を進む。岸というより、潟という風情です。
 南川自治会掲示板で道なりに左折、すぐT字を右折。よし!茂木小学校が見えて参りました。
「なんごうばし」から茂木旧湾

001、なんごうばしを北へ渡る。ここを渡らないと、もうかなり先、バス停・黒橋辺りまで橋がないのです。
 日蓮宗円成寺下。左折北西行。
茂木小学校手前の湾曲。猫と目が合う。

や?小学校対面に大きな橋がかかっとるがな。
 通学用だろうか。黒猫がきょとんとこっちを見据える。
 橋をくぐる。これは校内通路らしく外部と柵で隔てられてて、要するに今のワシは渡れないみたい。でも……校内に橋があるのか?
それなりにレアだと思う「校内橋」

は右に湾曲。
 1015、祠。記名はない。白い顔の本尊。大師堂?
茂木小学校北東過ぎ。祠のある道にて

「正解」黒橋脇道の発見

しだけ、裏道に入ってみる。1019。熊笹。
 深い山が覆いかぶさる。若菜川の流れが、かろうじて山の植物の勢いを止めている土地なのです。
 1021、車道に戻る。片町自治会館掲示板。

片町集落裏手


川橋。ここで一度バス道に出る。
 バス停・黒橋。唐八景風致地区の案内板があります。「唐八景」は何度も聞くけど言ったことがない。この辺りなの?
バス停黒橋。唐八景風致地区看板

くら会館の先の右手北北東への道へ入る。1028。
──この段階で、ようやくこの黒橋脇道を発見することが出来てます。個人的な志向からは「正解」がこの道だったのです。
バス停・黒橋からの北東脇道

~(m–)m 本編の行程 m(–m)~
GM.(経路:黒橋BT〜行き止まり)

方に丘。これを若菜川に沿う本道は、東方右へ入ってるはずです。

バス停・黒橋からの脇道を入ったところ

黒橋 海野清掃橋 も一つ橋

035、共産党掲示板のあるT字。
 ここがポイントだと思う。右折東行しなきゃいけないはずです。──今回から次回への刷新ルートは、この思い込みを乗り越えなければいけませんでした。
 標識には「長崎江川線(長崎丸山線)16号 火の用心」と書かれてる。

海野清掃と茂木運輸の橋

037、小橋。手前に海野清掃、向こうに茂木運輸のトラックが並ぶ。
 犬鷲が舞う。静寂が耳に痛い。
 まあ元旦だからね。
1044も一つの橋

042、橋。地図を睨む。川沿いを歩きたいけれど、これは渡らないと抜けれないと思う。
 東へ渡り、岸を進む。
橋から若菜川(東側支流)

やぶが多い。少し民家が見えてきました。
 道は左に湾曲(→GM.)。
集落に丸石の石垣

ニールハウスのある家。1048。
 丸石の石垣が右側に続く。確証を持てる古さではないけれど。
石垣が続く平地の道

して川の西岸の家屋群は、点在していて流れがない。やはり東岸が集落だったようなんですけど──やはりピンとは来ません。

顔の奥の御顔と変則四差

若菜川東集落から西岸を望む

の軒先に水神があるけど、本尊の顔が3つ。1055。
 稚拙だけれど、モチーフは顔の割れた間からも一つ顔が出る、「宝誌和尚立像」(ほうしわじょうりつぞう)だと見えます。
軒先の水神祠と三面神像

て変則四差路です(→GM.)。ここを若菜川を西へ渡る橋へ出ないと、ルートが取れなくなってしまう。最初の三叉を左折北行──
1100右への湾曲から登りになる

──次の三叉を左折西行。
 前回はここから北の大山祇神社へ回りました。今回はこここら橋方向です。
変則四差路の北側のY字分かれ

柳山石橋掛りし川辺か?

の手前で、先の長崎江川線の標識が右側を14号、橋を渡る方向を15号と指しています。
 15号へ。

長崎江川線の標識•14号と15号の分岐
橋の名は「やなぎやまはし」

の名前を見ると──あ、そうか。これが「やなぎやまはし」じゃないか!──旧石橋は昭和57年流失。茂木街道の一地点とされる橋、と同じ名だから、おそらく地点はここです。

*柳山石橋 URL:〘▶現在リンク切〙http://kawadouro.com/Japan/Nagasaki/Nagasakisi/NagasakiYanagi.html
※後掲みさき道人は、長崎市南公民館どじょう会「長崎の碑(いしぶみ)第四集」(平成7年刊56頁)から次の記述を見つけてます。
「※柳山石橋(長崎市茂木町浄善田に所在した)
寛永十一年(一六三四)の長崎の眼鏡橋に始まる石橋には、近郊の石工や人夫多数が参加したと思われるが、彼等は見聞や経験を通じてアーチの理論を体得し、正規の切石ではなく、野石またはそれに近い自然石を巧みに積んで、アーチ橋を架けた。この柳山石橋もその一つで、安政五年(一八五六)六月、長崎の商人竹内億助、蒲池喜兵衛の両名が私費をもって架けた。
億助は天保十三年(一八四二)米百俵の施与を賞され、苗字を許されており、寛永二年(一八四九)には同じく私費をもって日見街道に石を敷き、旅人の難渋を救った。」

昭和57年以前の柳山石橋古写真

を渡った先で、15号から左に2本道が入ってる。
 左手の山へ登る道に惹かれます。地理院地図を見ると道が続いてるはずです。これを行こう。
15号とこれから分岐する山道

みにGM.の同地点を見て頂ければ分かりますけど──この山道群は、地理院地図だけに異様な数が記されてます。何でこうなってるのかは不思議ですけど、GM.と地理院地図は時折こうなってて、大抵、大失敗か大成功を招きます。
柳山橋(指差し地点)とその西口からの山道(地理院地図)

柳山橋からの「茂木街道」

面の山手道へ。1116。
 かなり登りがきつい。でも両側にところどころ石垣。最近の農道とは思えません。

石垣の残る山道

ん。かなり古い道の感触です。進もう。
 暑い。マスクをもぎ取る。
1121竹やぶの山道

事な竹やぶ。1120。
 1122、最初の三叉路。左は途絶えるように見えます。右だろな。
最初の三叉路

道がすぐにアスファルトに戻りました。
 1226、次の三叉路……ここは四差路で左へいく気でおりましたけど……この藪道だぞ?
 無理だろ?
第二の三叉路

や?違う、もう一本右手に道がある。まっすぐでいいんだ。一番左の道を直進。
 石垣はなくなってる。路面はアスファルト、古みは感じなくなってきました。

道の果ては金柵で囲まれて

第三の四叉路

三の四差路──ってここは左手しか現実的な道がない。1132。左へ登る。これが尾根道になるはずです。
 1136、あれれれ?道が完全に金柵で囲まれてるぞ??幾ら見回しても180度囲まれて先に進めない。
右手にビニールハウスがあり、どうもここへの連絡農道だったようです。
 戻る。
戻り地点付近の山林。よく繁ってる。

142、さっきの第二の三叉路から右手北東へ入り直す。西への山抜けまでは望めなくても、これで15号に出るのではないか?
恐怖のいのしし看板

野道を行けば、こんな看板。
──いのしし捕獲のためわなを??
 てことは、出るのか?まあ熊じゃないだけいいか、と思いながらも少し足が早まっております元旦の長崎。

茂木街道完走挑戦集
おまかせって言うか,あんた,びわ本人やんけ!(茂木のマスコットキャラ:びわっち)