一面の塵のまち 明日は種浸す

民國32年(即1943年)順徳名厨梁降(肥降)創立了楽園酒家解放後、楽園酒家經歷公私合營及”歷史原因”改造、易名爲(桂洲供社第一食堂、桂洲供銷社飮食服務商店)。〔1F案内板〕
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涼茶を飲んでみる。清肝茶たけど1.5杯分に柑橘の干したのみたいなのが付いてくる。多分口に含んで飲むんだろうと頂きました。9元。中央部とは何か文化が違って本格的な医療行為らしい。
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川は渡らなかった。おそらくさっき道の細まった場所の街路樹がそれだったんでしょう。
ad.严地街。
まだこのエリアの地名が分からん。
1232右路地を覗く。
道が少し左へ屈曲。道は桂福路になった。
1235右手に地蔵王宮。手前にトラックに積まれた船。
額に
「府王一十
[示土]龍壯」
その左端に縦書きで「紅旗橋仔腳」とあるのは明らかに書かされてます。
内門
上額「佛光普照」下銘「地蔵王宮」右聯「如意的天空」左聯「吉祥的大地」
右手手前に上下左右四神。1242
門の右手に「佛力加持」とある、極めて古い神像。拡大すると「壯龍[示土]」名が見える。1243
門左手にも老人像と5人の小坊主。え?桂洲堡城隍廟とあるぞ?1246
本殿には数多の神。カモフラージュです。
内部左手の柵内にも「十一王府」とある額の祠。1248
「川龍會友」の額。ここを守ってきた団体だと思う。
2023年に龙船「龙女菩薩」号を造ったらしい。30万元の会計が掲示してある。1254
30万元という額からして宮手前の舟ではないはず。
道は右に屈曲。芋を沢山売る店が左右にある。ここで左折してみようか。交通量がかなりある。13時ちょうど。
ad.細涌路。右手に祠。奥「縁榕社」右聯「人和里自」左聯「心正神常佑」
顔をのっぺらぼうにされた気配がある。
左手に貸家の広告。1305
橋。沈んだ舟。川向こうの紅中路が順当ですけど手前北岸の麻雀音のした地図にない路地へ。1311。細涌路53の手前。
細涌路十五街。
いきなり濃い空気。
右に祠二つ、その前で麻雀大会2卓。写真撮影は到底無理な濃ゆいパティオ。振り返り一枚。
ad.桂福路八街五巷になる。
Z字に川辺へ。1316
廣龍堂。前の川にやはり沈んだ舟。橋に「龍門」と表示。風水でしょう。
川辺を西へ。ad.桂福路八街六巷
Z字。ad.桂福路十五巷。どうなってる?
あった!
→文昌帝君(大福村)
川側に池。亀多数。
いや池の川側が社か?違うやっぱり奥でした。ここの橋にも「龍門」表示。
入口右手に髭の笑顔。1331
老人活動中心のおじいちゃんに訊いても「不知道」というので立ち小便後、北行。1337
黄色シャツの一団が舟から水をかき出してる。
ad.桂福路十七街。さっきの東西道。地図上は直進は出来ないけど──ad.桂福路75。また麻雀音。ad.十六巷?
T字の左は行き止まり。右へ。1346
十字を北へ。ad.十八街。聚龍社という祠。
九號私厨というレストラン!行けそうです。でもこの雰囲気は直進は無理そうです……。
ad.孖塘路。でも──結構ハイクが入ってます。直進してみるか!梯云路を跨ぎ大沙塘路へ。1357

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