支出1500/収入1190
/負債 310
[前日累計]
/負債1559
§
→九月十九日(三)
0700宿の朝食(バイキング)370
[61南陽河渡る]⇒[62昭徳街目指す]⇒[63昭徳街~青州離脱]⇒
1356趣意兴快餐
インゲン豆の炒め
豆干の唐辛子煮
白米飯11.5元550
[64济南入り東関大街行き]⇒[65泉城まで南西行]⇒[66世茂国際広場の造形]
1740素耕 素食自助 550
[67素食,济南駅帰宿]
1900(乡肥林)香酥餅 花生味250
[69金盾胡同]
[前日日計]
支出1500/収入1720
負債 220/
[前日累計]
/負債1339
§
→九月二十日(四)
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青州昭徳街へ…果たして行き着けたのか?そして想いの深き省都・济南へ! |
本編の行程:Googleマップ(経路)
再度南行:この旅で唯一ホテルで食べた飯
一回目の青州古鎮歩き,当時,えらく反省しております。
翌朝0645には二回目への準備を終えてました。
「昨日の大きな誤りが3つある。古城中心点を見誤ったこと。実際の中心点はまさに昨日の清真寺付近──昭徳街の清真寺とは別の寺──でした。次に,その結果でもあるけれど古城域を狭く見積って,「こんなものか」と侮ったこと。安直に土地を侮るのは道を閉ざす原因です。最後に,傘がなかったこともあり,気力を喪失したこと。諦めはそこで得られるものを得られなくする。
さて出発時間が近づいた。退房して荷を預けよう。」
といった悲壮な決意でもって,残る半日の歩きへと踏み出したわけでして。もちろん,バックには傘を入れました。
7時,時間かっきりに宿の朝食(バイキング)を腹に入れる。
期待してなかった割には,旨かった。稗飯もあったし,包子も意外にしっかりした味。
0722,宿を出る。まだ雨は降ったり止んだり。今は雫はない。やや肌寒いけど,それは歩くにはベストです。
タイムリミットは10時半。正味の歩きは2時間強か。
2元を握り11路を待つ。9路はやはり魏仕には止まらない。
──パスポートベルトをし忘れてた。「焦らず気負わず偏らず,全般に弛く神経を用うべし。」…おおっ!旅行者たるものかくあるべし,名言である。
北門大街で雨。今日は傘を持ってるぞ!
大まかには北側,出来れば昨日見えた塔の辺りを回って,中心部,昭徳街へ至る,というルートをイメージしました。
バスを降り,昨日の侵入路の北側へ。道はすぐ北へ曲がる。道は玲珑山南路になりました。
0826,この辺だろう。范公亭西路を右折東行。
0828,バス停・偶园街。18,23,27路が停車。
石門の前に出た。0831。門には北門裏と書かれてる。
これが北門大街らしい。とすると500mほどで川のはず。
と道を確認してたら…だからあ,おばちゃん,昨日は迷ってた外国人に道を訊くな!
北行。
角地の奥に幼稚園が見える。掲げる看板には「小博士幼儿园」(ちっちゃな博士の幼稚園)。末は博士か大臣か,という奴だな。
気持ちは分かるけど,後で自己紹介が恥ずかしいだろう。
トを借りると前に灰皿を見つけた。
一服。
そばに煉瓦造りの立派な建物。元々は基督教青年会所だったとある。今は…紅旗党支部・青州市幹部教育基地?虎の穴みたいなとこか?
铎楼,そして万年橋を渡り…
0843,少し下りになる。川の氾濫原域に入った,という地勢でしょうか。
「铎楼廟巷」と左手西側に住所表示が出た──と記録してる。
この「铎楼」──おそらくいずれかの時代の城域中心──は,地図では見当たらない。けれど僅かに「青州篇 – 陕西省文物局汉唐网」という開けないサイトのタグに,こんな記載がある。「2018/06/13 · 《禹贡》中称“海岱惟青州”, 作为古九州之一的青州,设县治历史 ….. 常盘大定在青州玄帝观内铎楼上发现的龙兴寺铜钟为唐代」
つまり「青州玄帝观」という建物の中にかつて「铎楼」があり,唐の時代には「龙兴寺」の鐘が置かれたという…けれどそれ以上は今回は謎のまま。
南陽河。
視界がぱっと開けた。0848。
万年橋と書かれた橋がかかる。
右手東方に五重塔の姿が現れました。
かなり近づいた。行ってみるか!
橋を北へ渡る。
万年橋というこの橋は,それ自体が観光名所らしい。
創建当初(宋代・1032年頃とされる)は木造のアーチ橋だったそうです。現在の石橋ですら清代・1696年設置。
重要なのは,ここは夜,ライトアップされて夜市も出るそうです。この時の閑散とした風情からは想像もできませんけど。
※ FC2/青州古街の万年橋
橋の向こう側へそのまま直進,北関街を北行することにした。
この時点で帰路のバス乗車まで1時間を切ってる。よく渡る気になったもんである。