外伝17-071 泉城に八角嗅ぐや水の国/西門~省府

※本歌:月光の胡瓜を捥いで水の国 (興南)
[前日日計]
支出1500/収入1720
負債 220/
[前日累計]
     /負債1339
§

→九月二十日(四)
[71西門~省府][72起風橋街~曲水亭街][73后宰門街~県西街手前]]
1033超意趣快餐
卵スープ,インゲン豆炒,白米飯8.5元370
[74県西街~省府再び][75省府~将軍廟街][76启明街~西城根街]
1408老济南薬膳把子肉
煮豚
血液ゼリー煮物
白米飯11.5元550
[77周公祠街~楽安街]
1450無糖月餅300
[78济南駅~j4w7]
1654金徳利民快餐
インゲン豆八角煮
黒々煮豚
キクラゲとキュウリとメンマみたいなのの卵とじ
白米飯22.5元550
[69J4w10からの帰還]
1902潼关肉夹馍
ビャンビャン面300
[前日日計]
支出1500/収入2070
負債 570/
[前日累計]
     /負債 769
§
→九月二十一日(五)

評判はまるで聞かないのに…意外にも路地裏が面白くて歩きに歩いた济南。特に井戸が──

~~~~~(m–)m~~~~~(m–)m~~~~~(m–)m本編の行程:Googleマップ(経路)~~~~~(m–)m~~~~~(m–)m~~~~~(m–)m



▲济南老城のひなびた旅館の門口

夜は何もせずに床に倒れてしまった。
 けれど,この町の後は,明日から天津,そこから北京へ入り帰国。この行程はもう固まった訳ですから──
 济南二日目となる翌朝,0805までに天津,北京と最終夜までの宿をざざっと確保。3つの町ともハズレはありえない。あと5日,足が折れるまで歩くのみ!…って折れたら痛いから折らんけど。
 にしても今回もまた,濃い!まだ7日目とは信じられん濃厚さに浸ってます。

迷っとるワシに道を訊くな!

撃。路面はまだ濡れてるけれど雨は何とか上がってる。
 駅前には24h営業の店が数軒並ぶ。明日の早朝はここでいけるかな。
 金は補充できた。昨日の中心街で,駅前のICBCのATMを宝石店の御姉様から教えられた。JCBがOK。ICBCはやはり使える!
 と意気込んで,駅前のバス停から3路に飛び乗って…しまってから気付く。ああっ!西站行きの始発時間を確認し損ねた!

▲西門──と言ってもバス停名だけで,特に何もない。

路バスはまず駅前から左折。これが経一路。
 そこから右折南行。站前路。オフィスビル多し。
 バス停・天橋路南口。西站行きのもう一つの路線に乗るなら,ここか。
 道は経二路となった。片側4車線。
 左折東行。地下街入口が見える。経四路。この類の道名が多い?バス停大観園。
 左手北側に万達影城。苏寧易賜。振華商厦。ここにCOSTA。前方に高架。
 バス停は人民商場。
 ようやく座れた。南側に济南市中医医院。バス停は共青団路。
 次が西門?そんな距離があるのか?
 0838バス停西門で下車,約15分たってる。
 道は共青団路になってる。

体现了老济南在殖民时期,中西文化碰撞

囲気もいいし西門で降りてみよう。
 さてどっちだ?──って迷っとるワシに道を訊くなあ,中国人のオバハン!
 北に渡る。
「趵突泉北路」とこれはまた観光用っぽい看板です。北には泉城路商業街とある時計のある塔。東には昨夜見たWALLMARTがある。
 霧雨。沢山は降らないでね…と祈りつつ,さらに迷ってます。


▲突入!

845,「太平寺街」へ北行。やはり観光用看板のある道ですけど,何となくです。
 おお,何か雰囲気出てきたぞ。
 0850,后明街へ右折東行


▲后明街の突き当たりに…

明街。さりげないけど路地裏のオーラむんむんです。
 道はすぐ突き当たり。突き当たってるのは何か大きな古い建物です。いーじゃん,いーじゃ…おおっ!

▲中国名物・路地でも爆走バイク

見,人影もない路地でもこんなバイク特攻隊が激走してきます。
 特攻隊を危うくかわしたT字の建物には「天主教堂」とあり,右手南側を指す看板。


▲北へ曲がった后明街

にご承知とは思うけれどヒネクレ者である。矢印と逆に北行を選ぶ。
 道の名はそのまま后明側。ズーラン?つまりクミンの香りが漂ってきた。济南市高都司巷小学との看板がかかる門。裏門だろうか?


▲天主教堂の西側の壁

応触れておくと,この天主教堂は1650年か51年の建築。济南で最古,中国様式と西洋様式の混じったそれはそれは大層貴重なものなんだとか。
「作为济南最早的天主教堂,教堂的建设可追溯到16世纪,几经变迁才形成现在的规模。该建筑群为济南最早的近代建筑艺术代表作,教堂融合中外,兼采南北,地域特征明显,体现了老济南在殖民时期,中西文化碰撞、交融的建筑特点。」
※ 百度百科/将军庙街天主教堂GM.


▲同じく后明街。そーゆー天主堂の壁を室外機でボコボコにするのも,これまた中国らしい。

名家が競って公館を設けた双忠祠街

叉路に出た。
 北東角に「双忠泉碑記」と碑文。碑本体には「双忠家」とある。東への道は双忠祠街。「双忠」繋がりか?
→小レポ:双忠祠と宋学朱
 0903。この曲がり角でかなり迷ったけど──右折東行を選ぶ。双忠祠街を進む。


▲ある家門から内部を激写。路地に近い道が続いてる。


家公館という場所を過ぎる。0907,双忠祠街の途中。
 北には西公界街が伸びる。これも迷うけど…そのまま双忠祠街を東行。
 なお,この通りには呉家公館というのもあるらしい。この古い通りの名家が,競って公館を設けた…のかどうかは資料が出てきませんでした。
※ 每日头条/ 老济南记忆,徒步攻略(二)


▲双忠祠街

911,車道に出た。「山東省歴史文化街区 将軍廟歴史文化街区 济南市人民商業政府 2014年」と看板。
 南に鞭指巷という痛そうな道。──後で調べると,この道の名前は別の意味でもイタいらしい。→超訳:鞭指巷


▲省府前街

度地図で初めての路程確認。
 霧雨ながら空はまだ持ってくれてる。今のうちに東へ距離を稼いで,中心部に近づいとこう。
 すぐに山東省人民政府のT字。道は省府前街…ってそのままやな。南側に速8酒店と山大省外事服務大庁が並んでて,その先に雰囲気のある文化街の入口のある三叉路。
 北の道はアパートだらけみたいなので,この三叉路から東行すると──あらら,ここは観光用の文化街やがな。

■小レポ:双忠祠と宋学朱

 どうやら,このポイントで何かあったという訳ではなく,双忠祠という祠のある場所,という地名や家名らしい。そこまでの祠とは?──と見ていくと,17世紀の初めの李自成の乱のどさくさに,この济南城で9日間に渡る対清抵抗戦が繰り広げられ,その「教忠教孝」を祈念して1706年に建てられた祠という。
 1706年?
 清朝の北京遷都は1644年,それから1912年まで続いてる。清朝の全盛期にそんな祠をよく建てたものです。
 抵抗戦は10万対1200人という絶望的なものだったとされる。
 目を転じてみる。祀られてるのは「《历城县志》载:“双忠祠在西城仙台里华家井街,祀明忠臣宋学朱,知县韩承宣。”」,忠臣・宋学朱さんとその時の知事。つまり,実質,この宋学朱さんへの追慕が一連の事象の核にあるようです。ただし,この人の沿革や他の事績は全くヒットがない。
 香港の海禁令時代や3か月後の四川での虐殺(→四川辛決勝編)の記録を見ても,明→清交代期の漢民族の抵抗は,教科書に書かれるのよりはるかに悲壮で過酷なものだった。济南ではその象徴として,密かにこの男の名が伝えられたのでしょう。
 なお,祠そのものは現存しません。
「史料记载,1638年李自成率领的农民起义军节节胜利,关外清兵乘明朝人心涣散之机大举进攻,所过府、州、县城全被攻陷,并连破临清、武城、茌平,12月下旬到达济南城下。山东巡抚宋学朱当时正在章丘,接报后即回济南,组织官兵守城,坚守9昼夜后济南城被攻陷,巡抚宋学朱与历城知县韩承宣等大小-全部遇难。政府在巩固统治后,为了“教忠教孝”居然褒扬抗清明臣,并于1706年在济南建立双忠祠。祠内原来有丰碑四座,均由名家撰文书写,可惜后来均下落不明。」
※ bytravel/首页 > 山东省 > 济南市 > 历下区旅游双忠祠街
※ 每日头条/老济南:双忠祠街:写真多数
※ 天下泉城/济南老街巷 | 双忠祠街:纪念着哪两位精忠报国的古人?你造吗:史料充実
※ 新浪博客/明末济南英烈宋学朱墓志铭
(全資料とも中国語)

■超訳:鞭指巷の由緒

※ 下記サイトを基にしてますけど,まあ,あることないこと盛り込んでます。
 むか~し昔,この通りの名前は乾隆帝様が命名されたものじゃ。乾隆帝は,知ってる人しか知らない清帝国の六代皇帝で,本名「愛新覚羅弘暦」…と誰も読めないけど「アイシンギョロ・フンリ」らしい。けど長くて面倒だから,今からギョロ様と呼んじゃおう。
 ギョロ様が江南をぶらついてたら,いつの間にか济南に来ちゃってて,街中を物珍しげに歩いてるうちに何かハマッちゃって,いきなり「鞭」で「指」して訊いたのじゃ。
「ねえねえ,この通りって何て名前なのお?」
 ──何で鞭で指したのか,周囲がひた隠しにしてきたギョロ様のSM癖がつい出てしまったのかどうか,そこは国家機密で語る事を許されんのじゃが…この時,周りにわざわざ引き連れてた大臣には,とにかく迷惑じゃ。そんなん知るかよ。
 しかし。どこにでもケツ舐めだけは長けた奴はいるもので,軍機大臣・劉墉って奴がちょうどそんなんじゃった。中国では「劉羅鍋」(清王朝のコメディ)の主人公として有名らしい。→宰相劉羅鍋全40集/1994年。
「ギョロ様お得意の鞭で指して頂きまして,万歳万歳でございます!もうこうなったら,これから『鞭指巷』と呼んじゃいましょう!」
 頭の良い王様なら「知らんのなら知らんと言えよ」とか突っ込んだりするかも,なんじゃが,ギョロ様はこんな顔の,まあ何も考えてない人だったので──

▲乾隆帝(ジュゼッペ・カスティリオーネ画、1736年)

「いーじゃん!」と大喜び!
 劉墉大臣はまたご褒美を貰って,世間からさらに白い目で見られたそうな。
 そうなると山東の長官も,仕方ねーな,でもギョロちゃんの性癖を後世に伝えて末永く笑い物にするのも一興だし──と黒い心で管下各県知事に声高らかに唄ったそうな。「ギョロ様が通りの名前付けちゃった 千年に一度の幸福じゃ 济南のお城あげての大恩じゃ こりゃもうばっちり改名じゃ」
 という感じで…まあ,何か悲しい大騒ぎで名前がついたもんだから,有名人や成金が競って住むようになったんだとさ。めでたしめでたし。
「據說,街名是由乾隆命名。
有一年,乾隆巡遊江南,路過濟南的時候,看到一條小街中商品琳琅滿目,十分感興趣,便揚鞭一指,問道:「這街叫什麼名字?」
周圍大臣你看看我,我看看你,不知道怎麼回答。此時,軍機大臣劉墉,也就是民間所說的「劉羅鍋」越班而出,對乾隆說道:「萬歲御鞭所指,可名鞭指巷。」乾隆皇帝大悅,為此獎賞劉墉。山東巡撫、布政使即傳諭濟南知府和歷城知縣:「皇帝恩允賜街名,乃千古未有之幸事,實乃濟南全城之恩榮,速即改稱。」從此鞭指巷的名字就在濟南叫開了。
鞭指巷不長,但是居住過的名人大商可不少。」
※ 每日頭條/濟南老街「鞭指巷」,御賜街名,名士聚居

[前日日計]
支出1500/収入1720
負債 220/
[前日累計]
     /負債1339
§
→九月二十日(四)
[71西門~省府]
[72起風橋街~曲水亭街][73后宰門街~県西街手前]]
1033超意趣快餐
卵スープ,インゲン豆炒,白米飯8.5元370
[74県西街~省府再び][75省府~将軍廟街][76启明街~西城根街]
1408老济南薬膳把子肉
煮豚
血液ゼリー煮物
白米飯11.5元550
[77周公祠街~楽安街]
1450無糖月餅300
[78济南駅~j4w7]
1654金徳利民快餐
インゲン豆八角煮
黒々煮豚
キクラゲとキュウリとメンマみたいなのの卵とじ
白米飯22.5元550
[69J4w10からの帰還]
1902潼关肉夹馍
ビャンビャン面300
[前日日計]
支出1500/収入2070
負債 570/
[前日累計]
     /負債 769
§
→九月二十一日(五)