外伝17-101 胡同へ礼儀正しく蛇入る/天津発北京東四行

今回最後の町は
魔都・北京。
四半世紀来の
因縁の町でした。
[前日日計]
支出1500/収入1590
負債 90/
[前日累計]
     /負債 409
§

→九月二十三日(天)
[101天津発北京東四行]⇒
1211护国寺小吃
ぶっかけご飯15元550
(白米飯,卵スープ,青瓜とキクラゲの卵とじ,インゲン豆と豆干の炒め,茄子とジャガイモの麻辣煮)[102胡同1/10=瑠璃厂街へ南行][103胡同1/10=瑠璃厂街前へ迷走][104胡同1/10=瑠璃厂街を南へ][105胡同2/10=八大胡同清真寺][106八大胡同実験小学][107胡同3/10=西交民巷]
1720新橋三宝楽面包店 XINQIAO SAPPORO BAKERY
ミルクフランスみたいなの
ロールケーキみたいなの500
[108胡同4/10=東交民巷と教会][109胡同からの帰還]
1838面兑
老坛酸菜面15元550
[前日日計]
支出1500/収入1600
負債 100/
[前日累計]
     /負債 309
§
→九月二十四日(一)
※本歌:玄関から礼儀正しく蛇入る (岡崎東)


三度目の正直,首都・北京への道

▲和平路のホームのカップル

退房は0653。天津の宿を出て和平路站へ向かう。
 昨夜は寝苦しかった。風邪でうなされ気味だったのもある。けれどやはり北京というのは──。
 簡単に言えば,ビビってました。
 はっきり言って苦手な町です。

▲ゼンジー北京。広島県呉市出身!
※ 若い方は知らないかも?なのでwiki→

京は三度目です。
 一度目は四半世紀前。北京語言学院の留学生楼に三泊。3ヶ月のユーラシア横断の起点となりました。
 二度目は2009年のイタリア行きのトランジット。北京空港近辺に泊まった。→義多利歓喜編/‘Ⅰuna’Tohu!! 唐津・川島豆腐
~~~~~(m–)m
津は本日も晴天。
 天河広場の南側に天福茗茶があったのか!東側にはスタバとハーゲンダッツ!
 と人気のない和平路駅に降りて行こうとすると…いや,ここでまさか迷うとは思わなかった!
 昼間は天河オープン時間だったけど,この和平路站の出入口のほとんどは店舗内を通る。つまり朝と深夜はほとんどクローズ。散々探して,北側のB出入口だけが開いてました。

▲ゼンジー北京のCM

半世紀前の北京の留学生楼暮らしの際は,北京生活経験のある方がおられて,北京ダック,故宮,毛沢東さんのミイラとほとんど観光ツアーしてました。
 当時から地下鉄があり,個人的にも城の四方の天坛・地坛・月坛・日坛を回りました。けど,留学してた西安からすると快適過ぎて,どうも記憶が薄い。
 いやいや我ながら,赤面の至り。
 バルトが東京を見たように,空間構造しか理解しようとしてなかった気がする。

~~~~~(m–)m
平駅から2駅,天津站で下車。でもその後,火車站の乗車口までがまた一歩きでした。この巨大な駅の地下をくぐるコースらしい。
 時間には余裕を持ちましょう。幸い早めに出たからよかったけれど。
0716天津站。ここのICカードはどうも反応が鈍いことが多い。同じ機械でも何回か当てると通れることも。
 コンビニの京東便利店というのが,ここにもありました。宿の最寄りコンビニだったこのチェーン店,首都圏を商圏にしてる地場なんだろうか。

▲ゼンジー北京のマジック本

度目の北京,イタリア行きでトランジットした際は,だから結構ナメてかかってました。
 空港近くの宿だったのに,夜,王府井まで無理に繰り出した。その挙げ句,タクシーに宿への道が説明できず,帰れなくなってしまう。当時,北京空港の周りはまだ開発の始まりで,その郊外地内の辺鄙な場所の宿だったらしい。
 一度空港に帰り,夜の空港脇を歩いてさ迷った末に,やっと場所を知ってるというタクシーを見つける。けれどこれが悪徳タクシーで,当時の50元というバカみたいなボリ方をされて,深夜に何とか帰りつけた。

▲城際列車の天津側乗り場のすんごい検問所

727,天津駅12站口(12番乗り場)。やはり北京南行きの城際列車というのは頻発してる。15分おき位です。
 この駅の検札は,厳しくないけど実際的でした。ハサミなんか見つけない代わりに,手荷物,身分証チェックのコーナーが,空港のように施設を分けて設けられてる。特に最後の身分証チェックのカウンターは,イミグレーションのような厳格さを感じさせる専用カウンターです。
 後ろの中国人も「什么那?」(何だこりゃ?)と驚きの声を挙げてます。
 つまり,首都への入口だからなんでしょう。

▲ゼンジー北京の手品セット「マジッコ」

するに,過去の二回の北京は,ツーリストとして失敗してる。三回目なのにほとんど知らない町,というのが苦手意識の正体だった,これまでの北京でした。
 ただあえて弁解するなら,どうも人情を感じない,という印象もあります。日本で言うと…失礼ながら東京に似た印象。料理も,四大料理圏の一角ではありましょうけど,どうにも惹かれる色彩を感じない。

Beijing–Tianjin Intercity Railway 京津城际铁路

▲城際列車車内。明らかに,日本の新幹線もどき,ではない。

てお待ちかね(待ってない)!本日の票読みです。
「天津站 C2018 北京南站
 tianjin → Beijingnan
 2018年09月23日08:36開 06車02C号
 ¥54.5元」
 座席占いは「おろ?What’s see?!」と旅行的には大吉。
 ところで,どこかで見た数字だと思ったら今年の西暦である。折角なら9時23分発だったら面白いけど…。
 電光表示が出た。15分前検札開始らしい。
~~~~~(m–)m
827,上車(乗車)。
 座席後ろには「CR」と表示。木目調と薄茶色で統一された趣味のいい新幹線です。30分強なので无座客(予約指定なしの客)も通路に数人。
 隣に子連れの夫婦。3人席だったので代わりましょうか?と言ってみたけど,子どもの席は取ってなくて3人で2席キープしとるらしい。
 充電用コンセントはない。北京南までノンストップ。おそらく極めて実用的な新幹線です。
 0836,定刻出発,これはもう当たり前です。

▲大喜利問題になったゼンジー北京

京の「胡同」というものの存在を聞いたのは,一回目の北京の後でした。
 路地裏,という程度のものと理解してましたけど,実は元時代に整備された町並みのことを指すらしい。だから「胡」と異民族的な漢字が使われてる。
 調べるにつれ,上海の老城,北京の胡同は並び立つ知名度と聞くようになった。
 当時は町歩きにそう執心してなかったし,その技術も拙かった。四半世紀かけて,わずかずつ気になる度合いを高めてきた感じです。
 今のこだわり方で,北京胡同を歩く。ほぼそのためだけに2日間を用意しました。
~~~~~(m–)m
津の町が車窓を流れ去る。
 昔は神戸からフェリーで天津に入り,西安まで硬座で向かったこともありました。北京から天津に入ったこともあったけど,北京に入るのは初めてです。ましてや四半世紀後の今は…。
 0847,車窓が森に変わった。電柱だらけだけど町並みは絶え,田畑が広がり,農家も見える。この首都圏はまだ拡大の余地を残してる。おそらく上海より広域の立地は有利だろう。
 南方の森の遥か向こうにサイロが見える。原発だろうか。
 隣席の子連れの女の子が右手の車窓に,左手の車窓に日本人旅行者が見入ってる。
 0900,アナウンス。はっきりと町に入った。緑は多い。地形には起伏が全くない。
 ビルの種類が多様です。都会としての歴史,というより波状的に常に開発されてる東京のような町並みです。
 0907,北京を踏む。
 ジャスト30分でした。タバコを吸いつつ,さて当面チケットを…と考えかけて気づく。
──そうだった,次の町への切符,もう買わなくていいんだった。

~~~~~(m–)m北京編~~~~~(m–)m

日は中秋です。
 中国の秋の連休は,秋分の日と10月初日の国慶節を連結させる。百度百科では最大16連休という民族移動シーズンが始まってる。→直近で集めてた北京情報
 ということは──今日の宿が天津のようにトラブると,少しキツいかもしれない。ただこれは祈るしかない。あるいは成り行きに任せるしかない。
 本日から2泊の宿を予約してるのは,7 Days Inn Beijing Chaoyangmen Branch 7天优品·北京朝阳门店-高端经济型酒店。

▲北京に着いてとりあえず目に入ってきた──谷村新司コンサート?→巻末:メモ

札を出てすぐ,中国銀行のATMがあった。街中でのカード使用不可も想定し,少し現金を得ておく。
 ──どうも,そんな心配は不要だったらしい。
 スタバ,マック,ファミマ,吉野家?トイレに行き着くまでにスタバとマックはもう一軒ずつあった。
 0927,交通系ICカード(北京一卡通)もゲットできた。3日間のは没有と言われたので普通のを買う。
 さあ地下鉄で移動です。えっと?14号線だよな?


▲北京地鉄路線図

線検査がないの?
 機械はあるけど動いてない。──ただこれは,北京の他の駅ではやってたから故障か何かだった可能性があります。
 チェック用の列の途中で,男が地下鉄路線図の入ったチラシを配ってる。旅行社の方らしい。ちょうど欲しかったから助かったけど…この場所は検査後の場所。そんなこと他の町でやってたら撃たれるぞ?
 実際的,というか地鉄が日本と同程度には実働段階に入ってるのかも知れない。


▲北京一卡通はスマホアプリ版もあり,微信支払方式で改札を通れる。DLしてみたけど,微信そのものがWiFi下でないと動かなくてダメでした。

ームへ降りるとすぐに列車が来た。0936,乗車。
 14号で4駅,蒲黄楡へ。陶然橋というところは飛ばして永定門外に着いたらしい。快速があるのか?
 車内は電光表示があるから不安はない。車内は,椅子と掲示がうぐいす色でまとめてあります。北京人は優しい色好きか?

▲地下鉄の広告──go go kids。早期教育の広告らしい。

号線に乗換える。
 0950,上車。東四まで6駅。
 0952,天坛東門。四半世紀前に来たあの場所です。城の南側外辺り。
 崇文門。ここからが城内でしょう。
 東単,ってこりゃまたシンプルな駅名です。ここで1号線乗換可。
 灯市口。印象的な地名です。
 1002,東四到(到着)。読みはトンスー。6号乗換可。
 B出口から地上へ。

▲東四に出る。北側に由緒ありそうな家並み。

イレ~!と,近場にあった朝内菜市場へ駆け込む。1013。フードコートの一番奥にありまして…安らぎを得る。いや,このフードコート自体もなかなかだぞ?
「朝内」というのはこの通り,朝陽門内大街の略称らしい。朝陽門は,当然,北京城の門の一つ,おそらくここから東の門なのでしょう。

▲東四前の東西の車道

大な車道に沿って東へ。
「東四路口東」と回語みたいなワケわからんバス停。ここが最寄りになるんだろうか?
 バス停には,何枚もの北京城区地図が貼られてる。バス路線が全然書いてないのが玉にキズ,というか致命的だけど,地下鉄は表示されてる。現在位置の表示がないのが画竜点睛を欠く,というか役に立たんけど,イメージはつかめた。

▲歩道橋から南側歩道を見下ろす。

道橋渡る。1026。
 西には山陵が見える。八達嶺のある高みでしょうか。──行ったことないけど。
 南の道に「前拐棒胡同」と表示。「胡同」の文字を初めて見た。
 1030,七天到着。

▲最終宿は七天!いい部屋!

049,問題なく入居できました。Master,JCBともカードは使えず,有り金が丁度足りた。逆に言えば今手元はすっからかん。
 WiFiが強い。湯も火傷しそうなのが出る。現在洗濯中(衣類を熱湯消毒)。 HDMLも行けそう(ここのリモコン上は「信源」と書いてあるボタンが外部入力)。カップは紙コップしかないけど,調度はかなりセンスいい。ベッドに一輪の赤いバラ,というのは目を疑ったけど。
 ちなみに灰皿がない。清掃のお姉さんに「ないの?」と言うと,吸ってもいいけど灰皿は用意してないとのこと。何じゃそれ?
 これであと2日,足が折れるまで(折ったら痛いから…ってもういいって?)歩くのみ!さて出掛けよう。

▲朝内を宿から少し東へ進んだ辺り。殺風景に見えて,割と商店などはある。

内の道は割と気に入った。1119,とりあえず東へ,朝陽門まで歩いてみることに。
 すぐ東に,ごっつい建物のICBCがありました。懐を回復。
 1127,X字状の陸橋。南には朝陽門南小街。小街と言っても片側肩3車線です。
 北には同じく北小街。どうも…この北側のブロック内は古い建物が見え隠れしてるようです。
 あと,やたら国旗が掲げてある。祝日だから?それとも中秋だから?

▲歩道のレンタサイクルスタンド。Mobikeじゃなく北京独自のものらしい…けど結局借りれませんでした。

137,北に伸びる豆瓣胡同という道を越える。
 片側2車線の胡同でもそんななのか?
 あと,同じ方向を「南豆芽清真寺 Nandouya Mosque」という表示が指している。→維基百科/南豆芽清真寺(中国語)

▲豆瓣胡同の道名表示。「胡同」の二文字が空の蒼に映える。

の雰囲気を掴むにはいい歩きでした。大通りから頻繁に覗ける胡同。
 1140,朝陽門地鉄站に着く。
 地下へ。かなり深い。しかも,降りてからがかなり歩く。
 ホームには,年期が入った感じの丸柱が立ち並ぶ。──後に調べたところでは(→巻末雑感:北京地下鉄2号線),北京地下鉄としては初期の,完全な官製官用。その辺りの「融通の効かなさ」が逆にいい味を出してきてるのかもしれません。
 ただその反面,基礎構造がユーザビリティを欠くのでしょう。明後日の帰国便は1010発。この使いにくさだと,7時には宿を出た方がいいな。
 環状線です。今回は,時計回りに和平門まで5駅。天津の最寄りとほぼ同名で吉祥ですが,まあよくある名でしょう。
 1203着。さて胡同歩きです。

▲地下鉄2号のホーム

[前日日計]
支出1500/収入1590
負債 90/
[前日累計]
     /負債 409
§
→九月二十三日(天)
[101天津発北京東四行]⇒

1211护国寺小吃
ぶっかけご飯15元550
(白米飯,卵スープ,青瓜とキクラゲの卵とじ,インゲン豆と豆干の炒め,茄子とジャガイモの麻辣煮)[102胡同1/10=瑠璃厂街へ南行][103胡同1/10=瑠璃厂街前へ迷走][104胡同1/10=瑠璃厂街を南へ][105胡同2/10=八大胡同清真寺][106八大胡同実験小学][107胡同3/10=西交民巷]
1720新橋三宝楽面包店 XINQIAO SAPPORO BAKERY
ミルクフランスみたいなの
ロールケーキみたいなの500
[108胡同4/10=東交民巷と教会][109胡同からの帰還]
1838面兑
老坛酸菜面15元550
[前日日計]
支出1500/収入1600
負債 100/
[前日累計]
     /負債 309
§
→九月二十四日(一)

■参照:乾隆京城全図

 凄いデータ過ぎて十分使いこなせなかった。清最盛期の北京街区をデータ化してるもの。
※ 国立情報学研究所 – ディジタル・シルクロード・プロジェクト 『東洋文庫所蔵』貴重書デジタルアーカイブ/乾隆京城全図

■メモ:直近で集めてた北京情報

#百度百科/北京十大胡同
「北京十大胡同分别是南锣鼓巷、烟袋斜街、帽儿胡同、国子监街、琉璃厂、金鱼胡同、东交民巷、西交民巷、菊儿胡同和八大胡同。」
#百度百科/北京市政交通一卡通
「公交卡种类
普通公交卡
2006年05月至2014年12月28日,普通公交卡的折扣为4折。
2014年12月28日起,普通公交卡的折扣为5折。
(略)
短期公交卡
从2007年02月01日起,一卡通开始发行3日、7日、15日三种限次使用的短期卡,以方便短期到北京旅行的乘客。
3日卡票价10元,限3日内使用18次」
#精选专題/北京小吃
「北京是世界第八大“美食之城”,居内地之首,京味小吃的代表有豆汁儿、豆面酥糖、酸梅汤、茶汤、小窝头、茯苓夹饼、果脯蜜饯、冰糖葫芦、艾窝窝、豌豆黄、驴打滚、灌肠、爆肚、炒肝等,每一个品种的做法、吃法都蕴含着深刻的哲理和北京人特有的审美意趣,一种小吃就是一个故事,只要您细细品味北京小吃,老北京的地道京味犹存。」
「说到北京小吃,没有不知道北京小吃十三绝的,包括豆面糕、艾窝窝、糖卷果、姜丝排叉、糖耳朵、面茶、馓子麻花、萨其玛、焦圈、糖火烧、豌豆黄、豆馅烧饼等,口味与众不同,各有特色,成为北京小吃中的亮点。无论您何时来北京,这些口味都会以其独特的风味和美食底蕴留住您的心。」
#百度百科/国家法定假日
「2018年调整
各省、自治区、直辖市人民政府,国务院各部委、各直属机构:
经国务院批准,现将2018年元旦、春节、清明节、劳动节、端午节、中秋节和国庆节放假调休日期的具体安排通知如下。
(略)
六、中秋节:9月24日放假,与周末连休。
七、国庆节:10月1日至7日放假调休,共7天。9月29日(星期六)、9月30日(星期日)上班。」
/国务院办公厅关于2018年部分节假日安排的通知
「请假攻略
中秋节、国庆节:
9月25-30日请七天年假,可以连休16天。」

■メモ:日中平和友好条約締結40周年記念 谷村新司コンサート

 2018年9月28日に北京展覧館劇場で開催された「38年目の昴(すばる)」コンサート。上海でも同21日に開催されてます。
 北京では後半は中国語で昴を歌った,とある。──1990年の留学当時から,中国語「昴」は聞いてた。なぜかこの人の人気は延々衰えてないらしい。
 2012年予定のところが,尖閣問題で中止されてから6年持ち越されていたコンサートだったそうです。──ということは,ドライに言うと,搦め手から関係改善を是とする何らかの政治パワーが働いたということですが…。
「最後は3000人の叫ぶような昴、、会場全体が携帯のライトの光の海となって 揺れながら感動の涙の大合唱に、、、、会場のあちこちで涙を流している人たち、、、、日本語で(ありがとう、ありがとう!)と叫んでくれている人たち、、、、胸がいっぱいになって思わず涙がこぼれてしまいました、、、、」by谷村新司
※ 0テレnews/歌手・谷村新司さん 北京でコンサート 2018.10.1
※ 東方新報/北京で谷村新司コンサート「38年目の昴」、友好の輝き放つ 2018年10月7日
※ 谷村新司/フォーラム/涙の大合唱 北京!
※ LIVEDOOR NEWS/谷村新司が北京でコンサート 尖閣諸島問題で6年にわたり延期 2018年09月29日

▲北京の内城前をラクダの隊列が行く!時代は不明だけど,凄い写真です。

■雑感:北京地下鉄2号線

 車内はイメージカラーの青で統一されてる。2号車内はWiFi全く立たず。
 こじんまりしたいい駅が多い。ヨーロッパの古い地下鉄に近い。ルーマニアの地下鉄がこんなだったか。
 この日,乗車した朝陽門から時計回りで2駅目が北京站。反時計回りでは,2駅目が机場線(空港線)の出る東直門。
 2号の17駅中11が「門」ネーム。位置的には当たり前だけど。走行位置は城壁直下なんだろうか?
 大きさと複雑さからなのか,西安みたいなシンプルな「南門」「東門」といった門の名はない。せいぜい今止まってる「前門」くらいです。
 ──というのが,当時,久しぶりに乗った2号線の印象でした。
 1920年頃,スウェーデン人のオスヴァルド・サイレンが北京の城壁を賛美する記述を残しています。「人の魂を揺さぶる遺跡だ。広く,安定感があり雄大だ。上から敵を見下ろし,四方をにらむ構えで,このような高大な城壁は唯一無二の都市設計である。」
 往時の内城と外城の長さの合計は,38kmにも達したという。
 内城の城壁があったのは1960年代末まで。まさにこの地下鉄2号線の建設時に壊されている。600年の歴史を刻んだ城門も壁も失われました。
 というわけで,2号線は元北京内城の城壁下を忠実に走ってます。その通称が「環線」とされる所以です。
 1969年に開通。しかし1977年に一般市民に開放されるまで,実に8年もの間,利用は公務員に限られたというのは共産中国らしい。1980年,外国人にも開放,とあるから,開通から10年以上は外国人お断りだった訳です。
 ここからも何度か触れますけど,この2号線の心地よい寂れ方はかなり気に入りました。あまりこの路線の哀愁のようなものに触れてる文章が見当たらない。でも個人的には,ちょっと立ち止まって雰囲気を味わって頂くのがオススメ。
※ wiki/北京地下鉄2号線
北京地下鉄のたび ー積水潭駅ー
※ NATONAL GEOGRAPHIC/消えた巨大城壁、500年におよぶ四重の守り