ヰ 紹興編・星期六4ヰ
馬弄社区\紹興老城水郷に三度遊ぶ

~(m–)m 本編の行程 m(–m)~
Googleマップ(経路)

ホントは入っちゃいけないんだろな?

▲八字橋東辺りからの路地

八字橋から東側に,行くえも知れぬ細い路地が見えます。
 0836,この西への路地に入ってみる。
 今,地図を見ても全く表示はない。けれど私道とも思えない風情です。

▲迷いこんだ社区のパティオ

のに,明らかに社区の中と思われる中庭に出る。
 いや,庭なのか道が広いだけなのか,どうも訳の分からん場所です。

▲英国旗なバイクカバーの路地

れ違う住民の視線も,どうも険しい。
 かろうじて,「六号岡画」とある表示を見つける。何だか分からないけれど,どうも入らない方がいいブロックの中だったらしい。
 0837姚家弄に出た。これは間違いなく公道らしい。左折南行。

▲社区の中の…これはもう紛れもなく私人のお庭

東街から九節橋河沿,馬弄へと

街へ出た。0841,右折西行。
 宿の対面にある道です。この辺りでは細い問屋街になってます。

▲東街に出た。古びた商店街が続く。

節橋河沿という,これが道の名前?という表示。
 東街に東南から合流する形のこの道を東へ辿る。今回は,前々回の南をがっちり歩いておこう。

▲南の車道・九節橋河沿

思議な,櫛のように東西に伸びる複数の道。市場の隙間から自然に出来たものでしょうか?
 馬弄の入り口に「倒糞処」という建物があるけれど,トイレをこう書くの?それとも…文字通りの糞捨て場?

▲八百屋店頭と人民服オヤジのケツ

囲を伺う限りやはり問屋街っぽい。なので,この馬弄へ右折南行してみる。
 ここから西へ漁化橋河沿という道も。この「河沿」といつのは一般的表示なんでしょか?あるいは元々の状況を偲ぶもの?
 いずれにせよ,道の先はさっきと同じく社区のただ中。

▲漁化橋河沿

不思議な屈曲点:自然地形なら三日月湖

側の車道に出た。人民中路です。
 バス停・儿童公園。うまく帰れそうなバスは1路か。
 バス停名の公園は双池という池のある紹興儿童公園。

▲人民中路界隈

童公園の場所で,そこまで南北に延びてきた広寧橋からの水路は,ほぼL字に曲がって南東へ向きます。
 公園の双池は,自然地形なら三日月湖類似のものに見えますし,少し南東には同じような池もある。ただこの町中の位置にというのは…何に沿った地形なんでしょう?

▲「餅香五千年」芳ばしい臭いに思える。でも故・会稽府のここなら名乗りに嘘はない。

馬弄住宅東区に残る連続する小橋

路のこの辺りの東西は,ほぼ社区になってしまってます新しい。やはり今回のこの界隈の歩き,ギリギリのタイミングだった感が強い。

▲馬弄住宅東区とあるアパートに東岸から続く橋

909,望春橋。橋自体には會源橋と書いてあります。
 左折北行。南には缪家橋河沿と表示。北には東双橋とある。
 西岸には馬弄住宅東区とあるアパートが並んでて,川辺は消えてる。

▲赤い車と,さらに橋

弄住宅東区が西に並ぶこの川辺,橋だけが何本も,おそらくかつての姿と高低差を残してるようでした。
 それほど由緒ありそうな造りではありませんけど,年季は入ってる。近い将来,これらも新しく設置し直されるでしょう。
 それでも今はまだ,微妙に好い感じを留めた沿線ではあります。

▲橋は残る

※ 4travel/2014冬05 中国(紹興5 最終日) ~写真がかなり充実してます。

■メモ:地名・会稽と古越語

「会稽」という地名は,古代・呉越戦での越の都として登場するのでご存知の方も多いでしょう。紹興の古名です。その名を冠する「会稽山」には禹王の没地伝説があり,石器時代の遺跡も発掘,と超一級の謎地です。
 今回初めて知ったのは,この会稽が古越語の「矛山」の音訳であることが,言語学上定説化されていること。
 会稽の地名は,史記に「会稽者,会计也」とあるのを「禹が諸侯の功績の帳簿をつけてる最中に死んだ場所」と解され,「会計発祥の地」ともされてきた。つまり2千5百年ほどはそういう由来だった。
 それが,古越語研究によって「会」字が「丘」「峰」の意(発音はkoːd),「稽」が刀剣の意(発音はkriː)と判明。山経注に僅かに書かれた「矛山」という意訳と,対になった音訳と分かったという。
 原典に行き着けなかったけれど,研究者は「郑张尚芳」(日本の漢字で鄭張尚芳)。中国言語学・方言学の奇才と呼ばれる方で,「昔の中国語の再構成」(英語wikiの機械訳)に業績が顕著。2018年没。

 日本語の紹介がほとんどないけれど──とんでもないことに聞こえます。
 何がとんでもないかと言うと2つあって,まず,これだけ研究しつくされた文書主義国の,それも一級中の一級史料・史記の記述が覆されるような知見が,言語学分野で出てること。何でノーベル賞とか貰ってないんだ?
 それと2つ目は,史記の時代,既に越人の知識体系は漢族にとってこれほど遠いものだったということ,です。
 それにしても「会計とはそもそも会稽で…」と書いてきた幾つものプログがヒットします。紙媒体ではさらに相当数に上るでしょうけど,彼らの立場はどーなるの?
※ wiki/会稽山
「山麓には長江流域最古の新石器文化を示す河姆渡遺跡(かぼといせき)が存在し、古くからの人類の活動が確認できる地域である。」
「旧名を茅山、別名を畝山と称す。夏朝禹の時代には会稽山の名称が使用されていた。禹が死去した地であると記されており、現在も禹を祭った禹王廟が位置する。」
「近年の言語学者らの研究により、会稽は越語の「矛山」という意味であることが分かった。」
※ 知乎/Zankan 的想法: @百越闲人 :讲真这些古百越语地名原意也…
「至于“会稽”《水经注》说它“亦谓之茅山”,“会”是对译侗台语的“丘,岭”(泰语koːd),“稽”则是“刀剑,枪矛”(泰语kriː),实际上也就是“矛山”。」
「以上内容参考郑张尚芳《古越语地名人名解义》、《古吴越地名中的侗台语成分》两篇论文。」
※ 鄞响客户端/汉语音韵学家、方言学家郑张尚芳逝世,享年85岁 2018-05
「以致台湾学者丁邦新称之为“中国语言学界的一位奇才”」
「郑张尚芳最重要的学术成就,在于对汉语上古音韵的研究。」
「在方言史方面,他认为吴方言的底层是古越语(现代壮侗语的祖语),并对这些底层成分加以挖掘。郑张尚芳写过多篇关于古汉语词源的文章,在考证过程中娴熟地运用上古语音知识是他的强项。」
※ 百度百科/会稽郡
「《史记》记载了西汉时流行的说法:“或言禹会诸侯江南,计功而崩,因葬焉,命曰会稽。会稽者,会计也”。」


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(今回の行程)
[一日目]
0▽徹底予習 1▽紹興へ 2▽紹興初日
[弍日目]
1▽長橋直路まで行程:GM.
2▽広寧橋へ行程:GM.
3▽広寧橋からの150米行程:GM.
4▽馬弄社区行程:GM.
5▽広寧橋直街への北行行程:GM.
6▽柯橋▽行程(バス徒歩):GM.
7▽仑橋直街行程:GM.
8▽腰巷の社区行程:GM.
[参日目]
1▽上海小南門まで
2▽上海复兴路まで▽行程(陸橋):GM.
3▽上海聚奎街から帰路へ行程:GM.
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