《第十次{52}釜山・南海岸》オレンマネ・ネジャンクッパブの日/西面&釜田

西面・田浦 小粒ベルト

0時ジャスト!もう全然予定より遅れてます!12時空港予定だぞ?
 자갈치 チャガルチから1号に乗る。西門へ9駅。
 もう東莱へ寄る気はない。というか時間がない。離陸は1400──ここからのポイントは2つ。釜田駅近くの朝鮮人参市場と西面東南東5百mのパン屋 Bakers。
 パン屋の辺りを沖縄X(航空写真判定)してみる。Jeonpo-daeroの西側はビルが並んでるけれど,東側には対照的な小粒の家屋が並ぶ。まずパン屋を目指し,この小粒ベルトを北上して釜田市場北縁に至ってみよう。

▲コインロッカー操作盤。やはりハングルだけだと辛い。

018,西面到着,荷物をコインロッカー投入。2千w。インフォメから6・8出口方向。
 で?目に入る出口は2・4・6。6から出よう。
 この区画のハチャメチャな道は前から気になってはいます。でも今日はとにかく東行です。

▲駅構内上がり口の西門南東角区画図

東京レインボー・ロール寿司食堂

東区画へ歩を進めると,路地が意外に面白いことに気づきます。
 とにかく数が多い。これにいちいち入り込んでいったら,どこに出るのか見当もつかない。

▲1032路地裏覗く

縄Xでは──

西面南東角(kakaomap,航空写真)

それほどドットは小さくないけれど,区画毎に傾向が多相です。駅近くは斜めですけど,その後背地は無秩序になり,その他は基本は東西南北に並ぶけれどやや乱雑さを残します。

▲1033ラーメン横丁

の写真の路地なんか……ヤンヨンタン(犬肉汁)の店と日本ラーメン店が隣り合わせになっとるぞ?観光客が間違えて入った日には……なかなかの惨状が期待できます。
 1035,モールMODERN HOUSE。さらに東のはずです。車道を渡って南行。
 1038,HollysCoffeeの十字。左折東行すると──Jeonpo-daero 209beon-gil 전포대로。麺処がやがや?日本人多いのかな?

▲1033ヤンヨンタン&ラーメンの路地裏

tokyo rainbow roll-sushi Restaurant??「東京 虹の巻き寿司レストラン」?
 空は,雲行きが怪しくなってます。
 密かに洒落た通りになってきました。学校の南際。やや登り。あった!
1045 Bakers
クロワッサン250

入。間髪入れず車道脇を北上。Jeonpo-daero。
 ここにも大層な階段があります(前々章/西面・田浦カフェ通り東詰の段差と傾斜 参照)。ラッキー!……とその影で事(立ち小便)に及ぶ。良ゐ子は真似しないでね。
 段差下の通りを北上。Seojeon-ro 46beon-gil 서전로。

6年根70-30%

▲1059田浦駅北側辺りの光景

ってきた!雨具はないぞ!
 カクトゥギの旨そうな店。
 1059,右手に出てみる。この辺に数メートル盛り上がった南北ラインがあるようです。ただし,通りの表は見る限り問屋街。
 1100,東へ渡る。てゆーか,その寿司デカ過ぎ!!

▲1105田浦駅北側辺りの光景(2)

eojeon-ro 57beon-gilへ左折北行。うーん温泉が見えるけど普通だなあ。
 左折。Dongseong-ro 동성로。1111,ようやく釜田駅が姿を現しました。結構広いなあ,西面周りって。それに加えて……結構傾斜があるもんだなあ。

▲1117釜田駅からの車道を渡る

参専門市場へ上がりこむ。1126,いつものお店で朝鮮人参エキスを購入。6年根70-30%──とこの品質を書いてある箇所がいつもいつも分からくなります。騙されてるかどうかもどうも不安なまま。

ナクチを喰わずに釜山を去る

▲釜田市場人参専門フロアの看板

へ市場を通過しよう……と思って市場に出て,絶望する。
 おおおっ何なんだこの人出は!
 ただ,ゆっくり見てる観光客は,ここには意外に少ない。1134,10分程度と結構なスピードで抜けれました。予定ではあと25分で空港,という時間です。

▲釜田市場へ突入!

も好い市場なんだよな,ここ。
 早歩きの途中で撮った素直な写真ですけど,下の道の真ん中屋台の果物売りと,自転車でのぞきこむオッサンのあつかましそうな面構え,なかなか好い写真でしょ?

▲1132市場にて。果物売りのおばちゃんと自転車オヤジ

クチを喰わずして──とまだ言いたい釜山ですので,名残惜し気にこんな写真も撮ってます。
 タコさんたちがだらりと足を垂らして皆様をお待ちしております。

▲1129タコまみれの棚

韓国 第三のパン

会前を過ぎ,1140,地下へのエスカレーターに乗る。
 荷物のコインロッカーに急ぎかけたけど……いや,さっきのクロワッサン,リュックに押し込んで帰路につくと,間違いなくぺしゃんこになっちゃうよなあ。
1145(西面地下のベンチにて)Bakers クロワッサン250

▲釜山最高峰と噂のBakersのクロワッサン

句!
 噂に違わず本格派のクロワッサンです。クロワッサンの本格派というとフランス風の甘さベッタリを,日本人的には推測しました。韓国のパンの傾向としてもそうだろうと思ってましたけど──これが嬉しい意外さ,本格派のイタリアのクロワッサン!!!
 パリッとした皮の中に,決してふわふわではない,しっかりと小麦香を宿したデニッシュ生地が重厚な味覚を作る。
 では単にイタリアで修行して帰った方が開業してる,そういう特異点の店なのかと思えば……そうではなさそうです。皮がやや多めにネチャついてて,よく見るとカラメル状。これで先味がさらりと甘さを伝えてくる。
 il FOLNO del MIGNONにあえて言えば似てるけど,生地の洗練度が少し違うか。
 つまり,ここ何年かのパンブームの中で韓国パンを脱皮してはいるけれど外国の本格派パンを掛け合わせた第三のパンが生まれてきてる気配がある。
 3大パンがやや低迷してたりカフェの下克上が激しいのも頷ける。若い衆の味覚がぐんぐん変わってきてる気配がある。
🚈🚈
西面2号線ホームに立ち,時計を見ると正午を回ってました。
 沙上まで11駅?そんな遠かったっけ?──うーむ。なかなかにヤバいなあ。
 この路線にも車内物売りが登場してる!再び聞き耳を立てつつ楽しんでると……あれ?速いぞ!1220には沙上に着きました。1分1駅強のスピード?ホントにちゃんと止まったのか?
 1229,軽鉄乗車。この時点で離陸91分前。十分ヤバいですねえ,はははは。
🚈🚈

忘れ物はお座席の下に

東江を越える。1233。
 釜山は幾つもの山を取り巻く「輪っか」の集合だ,というイメージが頭に浮かびました。川の西側の平地を見てるとそれがよく分かる。
 1235,空港。おおっ,予定+35分まで追い上げたぞ!

▲1302一番ボーディングの免税店

石に無人のカウンターでチェックイン。1240。ふう,やっと帰れそうな実感が沸いてきました。
 1303,1番ボーディング横にロッテ免税店。お買い物袋が何百と溢れててさながらクリーニング屋です。
 さてと?11番に喫煙所があるようです。少しうろついてみようか。──と軽い気持ちで行くと,ウェイティングエリアの逆側の隅でした。広いフロアを往復してしまったぞ。ふう。疲れたぞ。

▲トイレの作業中表示

ャガルチでも妙だったんたけど,Angelのアメリカーノは「エンジェル・ブレンド」というメニュー名に統一してるらしい。アメリカーノという語感は,ハングル的には安っぽいんでしょうか?
 乗機。機内に日本語のアナウンス──「お客様,忘れ物はお座席の下にお願いしま~す」
 忘れ物の場所にもルールがあるらしい韓国旅行,今回はこれにておしまいです。

■忘れ物レポ:韓国の海神様

オレンマネ
{1}ジャンオタンの日

■小レポ:食べる前には読まない方が良いジャンオの正体
■小レポ:みんなの孤草島釣魚禁約
■後悔メモ:麗水の本当に暗い道
{2}ビビンバブの日
■小レポ:麗水と巨文島の見えない海人
■レポ:海域世界の輪郭としての晋州-順天-麗水ライン(順天倭城)
■小レポ:晋州城史の数スポットを繋げてみる
{3}ソメリクッパブの日
■小レポ:齋浦はどこにあったか?
■記録掘起:薺浦1994
■小レポ:やきもの大戦争
■小レポ:亀浦の推定古海岸線
{4}デジクッパブの日
■小レポ:亀浦倭城の特異構造
□参考まとめ:これまでの海人と行商の関係データ
■先行研究:釜山の昔の海岸線
■特記:釜山大学長箭キャンパスの歴史記述
■史料:東莱富山浦之図とその辛い読み解き
■レポ:広島県瀬戸内海エリア発朝鮮南海岸行
{5}ネジャンクッパブの日
[段差1]PIFF広場北の小さな段差
[段差2]国際通中通りの傾斜
[段差3]大廳路への段差
[段差4]西面・田浦カフェ通り東詰の段差と傾斜

とまあ,海人に関するエピソードには事欠かなかった韓国南岸でしたけど,一つだけ,日本人圏でも漢族圏でも欠くことのなかった要素がついに登場してきませんでした。
 海のカミ様です。
 朝鮮文化圏は決して信仰心の薄いエリアじゃない。まして韓国は,どこに行っても寺院造や教会の尖塔が視野に入る。文革のような弾圧期は経ていないのです。
 なのに,無い。
 倭城の徹底的な破壊,というより秀吉を含む倭寇の歴史の無視(無かったものとする)の徹底度を思い起こせば,これは,主に彼ら海人が信仰したであろうカミ様も,同様に朝鮮の陸人には根付かず,無視され,どこかの民家になったり壁になったりしているからだと推量されます。
 ただ,その痕跡はゼロではえりません。

韓国最大の水産市場「チャガルチ市場」でも、10月10~13日の日程で「釜山チャガルチ祭り」が開催される。10日午後2時に会場近くのユラリ広場で行われる大漁を願う「大漁祭」からスタート。続いてチャガルチのおばさん、漁民、海女、竜王などを題材にした市民パレードがある。

※ Enjoy Busan : Dynamic Busan/第28回 釜山チャガルチ祭り 10月10~13日
URL:https://www.busan.go.kr/dynamic/enjoy-busan/view?srchCl=Enjoy+Busan&bbsNo=18&dataNo=63482

韓国の海神信仰に関する記述

 昔はあった,ということなのか,記録者が「あるはずだ」という意識で誇大視しているのかは確認できませんけど,論文中には次のように記述するものがあります。
※ 出典 下野敏見「南西諸島の海神信仰」国立民族博物館研究報告,1986
URL:https://minpaku.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=3785&item_no=1&attribute_id=18&file_no=1

韓国では,亀山慶一によると, 釜山市影島区には岩山の聖場に竜王を肥ってあり,済州島の朝天里では老婆が海岸で竜王に供物をして豊漁を祈るという。また亀山は「こうした習俗は日韓両国の漁民が海神として竜神·竜王を基本に据える共通信仰に由来するものと考えられる」と述べている[亀山 1985※※:90-91]。

※※亀山慶一「わだつみの神 竜神の世界」『蒼海訪神うみ』旺文社
 残念ながら,今回訪れた影島ではそんな気配は感じず,またその後調べてもこの「竜王の拝所」については情報がヒットしません。先の祭りの要素からも,かつて何かあったとも思えるのですけど……。
 ただし,済州島については,ネット上にも幾つか論文があり,現在に受け継がれている習俗もあるらしい。

韓国の済州島では,旧暦2月1日に「一目人島」という海上他界から老婆のヨンドン神というものが訪れて15日間ほど村に滞在するという。ヨンドン神は,娘あるいは嫁を連れてくるが,娘だとその年は風がつよく,嫁だと雨が多いという。ワカメ,アワビ,サザエなど,海女の採取物の種をまいて去るが, 2月1日にヨンドン迎えをし,13日~15日にヨンドン送りを演出する。年寄の海女たちが海岸にてそれらの種をまくこともする。そして海女のほか漁夫も参加して大漁と航海安全を祈るという[崔1983※※※:88]

※※※崔吉城「沖縄の神概念──韓・琉の比較」沖縄県商工観光部県民文化課編『沖縄文化の源流を考える』沖縄県,1983
 ヨンドン神が連れてくる女が嫁か娘かはどう見分けがつくのだろう? とか考えると夜も眠れないけれど,とにかく信仰が存在するらしい。それも,プロトタイプは海女の生業のようです。
 下見さんもイメージしているようですけど,一目人島というモチーフは沖縄のニライカナイに似てます。

この済州島の来訪海神の送迎祭は, 奄美のウムケー・オーホリに似ていて, 出現演出は沖縄の君祭りを思わせる。詳細に至っては違いも多いかと思うが, 大筋は琉球文化圏の海神来訪に似ているのが注目される。

 ウムケー,オーホリという儀式は奄美文化圏に残る秘祭的なものらしく,画像はヒットしません。ただ,与路島のそれにおいては,浜辺で神女たちが遊び,「テルコ神」というカミが憑依した彼女らが行う祭儀だという。
 沖縄でも古いタイプの,男子禁制にして下記によると少なくとも年2か月,女だけが浜で神遊びする,現代人感覚だと非生産の極みの神事。東シナ全域にこれが行われた時代があったのでしょうか?

下野提示の原典史料(ウムケー・オーホリ関係)

二度廻りに来る壬に神事あり。是をヲンケという。此時の神事夜にあり,鶏鳴におよぶ。此節の神事,公役を勤める人別に米弐合づつ神人数へ出せば,神人数製して神木屋にて祭る。祭終りて見物と共に打寄せ尽す。又村の妻女ども,酪々焼酎•取肴など杯木屋へ持参して神人数へ送る。男子は其木屋へ入る事を禁ず。訳は往古毎年二月トルコ国より神来りて,男を遠ざけ女子を集めて楽しみたり。依て今に男子を遠ざけてする事なり。ヲンケは神の御迎ひなりと云へり。ヲンケの祭,稲其外諸作の祭とも云ふ[名越1984: 206]。

※原典 名越左源太「南島雑話2」国分直一・恵良宏校注,平凡社,1984(元記録は幕末)

四月壬日の細羞点の行事も御迎祭と略同様であったらしい。この間まるニヶ月間,テルコ・ナルコの神は毎日祝女を相手に神遊びに耽ってゐた訳である。それにはまた陪賓としてオボツの神(天神)やネリヤの神(海神)も加はって,神遊びはなかなか盛んであったらしく,神々自ら酒杯を取交して,御神酒を汲み,遂には酪酎するに至ったといふ[昇1949: 128]。

※原典 昇曙夢「大奄美史─奄美諸島民俗誌」奄美社,1949

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