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長沙北側老城から前回ハマッた南西角へ。今回は更にハマッてます。 |
1230二1寛窄巷子 2春熙路 3文殊院 4重慶入り
1231三1通遠門まで 2馬啼街の階段 3解放西路 4元通寺の階段 5下洪学巷 6白天の小什子 7江北城
0101四1嘉濱路 2公園路 3磁器街 4貴陽入り
0102五1電台街 2三民路 3中山西路 4蔡家街-炉国路線 5貴陽夕刻
0103六1普陀路から余家巷 2虎門巷から余家巷 3余家巷黔灵路以南 4長沙入り
0104七1学宮街 2接貴街 3藩城堤街 4一周目 5二周目 6二周目豆鼓園巷 7二周目衣铺街 8三周目 9長沙之夜 [特]道別写真集
0105八1四周目 2五周目 3五周目無名檳榔
0106九1北巡 2南巡
0107十1長州
支出1500/収入1500
負債 0/
[前日累計]
/負債 6
§
→一月四日(五)
1106壹碗香餐館500
1247浏阳蒸菜500
1517浏陽蒸菜500
[前日日計]
支出1500/収入1500
負債 0/
[前日累計]
/負債 6
§
→一月五日(六)
長州沙人はグランドビジョンがお好き
僅かに小雨。0830,宿を出る。
五一から地下鉄1号線で一駅,培元橋まで。
peiyuanqiaoと特徴的な響きです。行き先表示は開福区政府。
長沙の地下鉄計画はかなり壮大みたい。リニア除きで6号まで,町全体を覆う形を描いてる。確かに今の町の規模なら本来そうかもしれないけれど…長沙人ってばかでかいグランドビジョン好きなんでしょか?
▲長沙城位置図
※ 大陸西遊記/湖南省長沙市開福区:この他にも2点,城壁地図を掲載
北へまず向かいます。
前回,何もないと思って引き返してるエリアです。
なんだけど,沖縄Xしても他のプログを見ても,結構このエリアは,南の繁華街とは違うかつての長沙をとどめてるように見える。何よりかつての老城の中心域…みたいに見える。
中洲に何か変な像
列車が五一のプラットホームに入る。相当な人数が降りたけど,かなり満員御礼です。
長沙の地下鉄アナウンスは物凄くエコーを効かせてる。聞き取りにくいというか風呂の中みたいで変な気分です。
学宮街の辺りが気になる。
ここ,正確には「宮」の字の口と口の間の「ノ」がないみたい…と後から気が付いたけど面倒なんでそのまま行きます。
4号出口から東に出てみる。
「中洲には変な石像があるらしい」とか観光看板を見てメモってます。
▲中洲の変な石像──いや,前章から続いてるけど,政治的な批判とか一切ないからね。許して金盾。
一度,南興北路を北行。0853。
車道東側が塀に覆われ工事中。やはりここが古い住居区で再開発中なのだろう。あれ?とすると,もしや学宮街も?
西側には周南実験中学と新しそうなアパート群。ここもすぐにそんなんになるんでしょう。
角を曲がると学宮街…のはずだが!
高升門巷という期待持たせる道へ。0857。南北ともガンガンに工事中。
突き当たりを南行。小雨,フード被る。道の名は民主西路。ここもやや荒い印象の通りです。
衝撃を受けるのも覚悟して…左折。
学前街。0903。
市場になってました!
いいどやどやっぷりの市場です。ただ道は社区っぽく単純にまっすぐ。
壊されても壊されても学校
と当時は割と冷めた目で見てますけど…。
ここはまさに「学」と「宮」のあった場所。つまり文廟(孔子廟)を伴う学校が,13世紀以前からあった。元朝の侵略時に破壊され,文革でも壊された後,今も学校になってるというからたくましい。
位置は,この学校・長沙師範附小の位置からして学宮街の北のこのブロックらしい→GM.。
ただ,迂闊にもこの関係史跡は全く気付いてません。
※ 长沙县学宫街故址
「正门位于蔡锷路的长沙师范附小只是长沙县学宫遗址的一部分。长沙县文庙建于明洪武十一年(1378)。原来其正门在学宫街,门庐上方有“文庙”2字,门额有“宫墙美富”4字,进门后,有甬道、大成殿、两厢的偏殿和明伦堂,院中有数十棵柏树,后有泮池、魁星楼。」
「1938年“文夕大火”中文庙遭毁,唯一留存的魁星楼也在“文革”中被拆除。」
※ 百度百科/长沙府学宫遗址
「绍定元年(1228年),学宫扩修,真德秀作记,云“彻其陪厦,敞为新宫,凡二十有六楹”。后来元军屠城,学宫遭毁。」
「湖南长沙府学宫现仅存“西文庙坪”遗址一处。西文庙坪、修文街、学宫门以及东学巷、西学巷、南墙湾等街道均由长沙府学宫而得名。西文庙坪位于长沙市天心区,呈“口”字形,东起东学巷,西止学宫门正街,南临修文街,北接上黎家坡。」
▲0905学宮街(4)にはさすがに長沙,お洒落な店もある中で…
学宮街南,古家屋残存ベルト。ふふっ青いな。
▲0910学宮街(6)の北側は,言い訳だけど,こんな感じで路地が全く見当たらなかった。
学宮街三条巷という道へ右折南行。0911。
折れて折れて東西の車道の巡道街へ出た。こういう小道は何本か繋がってるようです。でこの学前街と車道の間に,帯状に,古い家屋が少しだけ残されてる模様。
だから,当時は空振り気分で,早々に南へ歩道橋を渡ってしまってます。
もう少し北へ入り込む執念があれば,さらに何か見つけられたかもです。ふふっ,まだ青いな。