/※5411’※/Range(上海).Activate Category:上海謀略編 Phaze:西蔵路スタート地点

@@@@@ 目次 @@@@@

04/27六 10
首頁
[釜山・上海]11西蔵路スタート地点
04/28天[揚州]21揚州への道 22双橋郷迷走 23広陵区酩酊 24白昼の東堀端 25迷路は甘泉路へ 26夜桜の川辺
04/29一[揚州2]31彩衣街の葬送 32五谷巷を逃げる 33東関街淡々 34魔の湾子街ブロック 35皮市街より東 36福縁寺地盤跡 37黄昏広陵奥地行 38最後は小塞淮河
04/30二[淮安]41西遊記の町 42河下古鎮は良い処 43観光ファッション通 44楚州中学育才路 45南門大街の白い道 46淮安離脱を許さず
05/01三[淮安2]51老西門バザール 52水路を行け 53東長街西屈曲点
[徐州]54廃黄河は西へ
05/02四[徐州2]61快哉亭の城壁 62徐州の中心で 63户南巷征収区 64北行大新庄巷 65朱庄村治沟修路碑 66南行堤北巷 67中国人寿站
05/03五[徐州]71到南関基督教堂 72徐州肚子痛行
[合肥]73再到合肥 74南陵路征収区 75東菜市でお買物
05/04六[芜湖]81夢の蕪湖古都 82揚子新村も征収地 83蕪湖大潤発
05/05天[芜湖2]91花園路堀端 92大高架工事の北 93四湾路に讃美歌 94道真ん中に鉄塔の道
[上海]95そして上海へ
05/06一[上海]A1南翔野菜小龍 A2老城北東外縁 A3ポイントにはマンション A4桃の清真寺 A5孔子様を弄ぶ A6上海横断ソウル行き
05/07二[漢城]B1南山西麓登り道 B2真っ赤な鍋と白味噌煮


韓国経由で上海に入る。時は平成→令和のスーパーGW──


[前日日計]
支出1500/収入1330
     /負債 170
[前日累計]
     /負債1478
§
→四月二十七日(六)
1100機内食 クロワッサン250
1336ミルヨンクッパブ
デジクッパブ400
1932筷将軍
角煮の甘煮
西柿西和鶏蛋
辣子-長インゲン豆
白米飯500
2130読酥世家
爪子餅200
笑泡200
§
[前日日計]
支出1500/収入1650
負債 150/
[前日累計]
     /負債1328
§
→四月二十八日(天)


~~~~~(m–)m釜山編~~~~~(m–)m


行き先を確かめてからヒコーキに乗ろう

849,福岡空港の国際線連絡バス乗り場にて,目のイッたようなオヤジに訊かれる。
「お尋ねします。バスは,どれも同じところへ行くんですか?」
 一瞬戸惑ったけれど語義通り答える。
「いえ,バスはそれぞれ行き先が違います。ただ,この列のバスは国際線ターミナル行きです」
 0907,これから乗るヒコーキの行き先が釜山だと気付いた。帰路と同じくソウルだと思いこんでた。人のこと笑えんぞ。
 スーパーGWの初日だから当たり前だけど…見たこともない行列です。0929。もう並んで30分経つけどまだX線検査にもたどり着けない。これなら高速ジェットで行く手もあったな。釜山では4時間弱待なんだから……って今頃後悔しててもなあ。
 昨夜は,グリシンでよく寝れたんだけど,時は年度末。職場でかじりついて使ってる会計システム(ADAMSⅡ)の画面が夢に出て来た。いかんいかん。
※なぜ西遊記なのかはそのうち,おいおい……。

て今回向かうのは,淮水流域です。
 相当人口はある流域である。中国の1/3が住むとされる長江流域が4億とすれば,その4割超がここに生活してる。三国時代の合肥の戦い,日中戦の徐州会戦の舞台です。
※ 百度百科/淮河流域
「2005年全流域总人口为17170万人」

 淮水そのものの関係情報を調べるにつけ感じるのは,その絶対量の少なさと,とりとめの無さです。中原,江南に比べた,情報過疎と言ってもいい。
 何がこのエリアをこんなにマイナーにしてるんだろう?
──とか思考を重ねてる間に,やっとX線にたどり着く。50分並んでました。
 1033。51番ゲートの…ここでも行列だぞ?
 さらに調べる。金海空港3階にはフードコート(food o`clock/フードオクロック)がある。プドゥオクラッ푸드오클락)とプンギョンマル풍경마루という店。なら入国する必要があるかどうか……と確認する前に時間になってしまった。
 大韓の席はUSBで充電できる。優れもの!フライトモードでスマホ開けてても何も言われない!──さらにボーディング前にアプリ「beyond M」をダウンロードしておけば,機内Wifiが使えるらしい。
 1117。既に離陸時間は過ぎてますけどようやく機内へ。
 福岡の空は半分ほど黒を帯びた雲が覆ってる。
 しまった!シートベルト閉めてなかった!……って大韓,そんなんもチェック無しか?
 1144。早くも半島の陸地が見えてきた。

沙上へ行っちゃえ行っちゃえ!

山着陸。1205,空港内バスに乗車。
 移動しながら考える。──韓国飯を昼食にするのに,入国か必要かどうか確認できてない。でもとりあえず時間はあるし韓国だし,日本からの流入者は多いだろけど金海からの流出者はそうでもなかろう──ということでトランスファーでなく入国の方を選ぶことにします。
 1218,イミグレの行列。
 1236,まだ並んでます。大阪弁の爺さんが「遅い!」とブチ切れとられます。
 1240,突破!……すると欲が出てきた。沙上まで3駅です,行っちゃえ!

港線の空港駅。1250乗車。
 1駅目,西釜山流通地区はかなりビル,モール,工場と賑やかになってきてます。
 1256,河を西へ渡る。西の河原にこれは…オートキャンプしてるのか?百ほどはサイトがあります。見れば空は快晴,陽気も良いやね。
 1257,掛法。ここもえらく賑やかになってるぞ?
 13時ジャスト,沙上到達。このまま徳川まで……というのは流石に無謀でしょう。気持ちを抑えて構外へ──出ようとしたんですけど。
 勘で南側を目指したつもりだった。でも,迂闊に潜ったらなかなか地上出口が見つからない。……このエリアは空港線と地下鉄,鉄道の3つの駅があり,それなりに複雑です。ここはさして土地勘もない。
 モール地下を通って,1307。出た場所は──

▲釜山・沙山(ササン)駅前の坂道

このデジクッパブを食す為に入国した

ウトレット・アップルというモールの脇。バーガーキングの向かい。ササン路沿い。
 勘で動いたにしては好い場所に出てます。半年後に利用したバスターミナルもこのアップルに接続してる。それに上の写真の坂は概ね東方向ですけど,この坂上辺りは市場が連なります。
 位置としては下の地図の⑤番出口に出てたらしい。

▲沙上の3つの駅付近
 
んな具合だから都合よく名店なぞ見つかってたまるか,という状況だったんですけど──
 このバーガーキング対面,少し路地に入りかけた場所に,ぐぐっとオーラを発する食堂を見つける。
1336ミルヨンクッパブ
デジクッパブ400
 KONESTにも記述はないのに,明らかに客足は多い。この後も立ち寄り続けることになった店です。

▲久しぶりの韓国料理のお膳

ジクッパブ,言わずと知れた釜山名物です。
 膳は程なく来た。もうもうと立ち上る湯気!──これぞコリアン飯の汁物です。
 ただここのは肉そのものが絶品でした。コラーゲンで食わせるタイプじゃない。がっちりした肉質の豚です。これは調理というより素材がかなり良いぞ!

▲お鍋のどアップ

エンジェル・イン・USdeアメリカーノ

れに加えて……ペチュキムチの旨いこと!なぜか釜山のデジの名店は,例外なくペチュキムチが瑞々しい。
 もちろん生ニンニクもかじりまくる。──デジはこの臭み,というか辛味がなくては始まらない!
 この周囲には十数軒の食堂が並んでます。えっ,ジャンオタンの店まで?でももう入らん!てゆーか時間が……。
 帰りのホームの真下には,モンチャン・デジクッパブまで見つけてしまった!ホームの西側に当たるらしい。……まだ全然土地勘がない。
 ホテルも多いし,ここに一泊というのは悪くないぞ?……って違うだろ,空港に戻れ空港へ!

▲お肉のどアップ

356,帰路のライトレールに乗車。離陸まで2時間。
 1358,河を東へ渡る。徳川や亀浦市場はこの河の上流に当たる。──釜山の川と山は,似てるようで日本にはない悠然とした風情です。あえて言えば東北,福島より北の山容に似てるような気がする。
 1400,西釜山流通地区通過。1402,空港帰着。
 1411,スルッと出国できた。これなら徳川も?──というのはやはり無謀だったろう。沙上から中心部はなお遠い。
 1421,喫煙所で大声出してるのは日本語ばかり。
 1428,エンジェル・イン・USでアメリカーノ。目の前にコンセントがあるけど変換プラグがない。

438,ボーディングゲートまでで最後とおぼしき銀行にて,財布に人民元を展開。
 乗機する9番ゲートの「1550上海」の隣に「手続」という文字が出てる。英語では「PROSSECING」となってるけれど…「準備中」の意味か?「調整中」みたいな意味なら怖いぞ?
 1518。もう30分前になるんですけど?
──いや始まった!1521,ほぼ定刻通り。

益々不気味な指紋自取りコーナー

▲上海見ゆ

海に着く。
「入境外国人指紋自助留存区」へ。要は「ここでセルフで指紋を取ってくれればスムーズに入国できますよ」コーナーだけど,実質はほぼ強制になってる。益々不気味なシステムです。
 1913,磁浮。終点・龍陽路から2号,1号で一路,上海火車站へ──と向かう前にここへ!
1932筷将軍
角煮の甘煮
西柿西和鶏蛋
辣子-長インゲン豆
白米飯500

辣→甘→辣→甘!

▲筷将軍の夕食

っぱりいいねえ,ここ。適度に空いてるのに適度に旨い。何というのか飾りがない。
 角煮みたいに見えたのは,三枚肉じゃなくて排骨の煮物でした。だからなのか,これはおそらく八角の使い方に微妙な変化を付けてる。少なし日本人には食べ慣れない匂いの甘さなので,ちょっと間違うとゲロ味になってしまうはず。でも,一瞬劇甘に感じる匂いが淡く消えるような甘さ,これが排骨に寄り添った変化になってます。
 お馴染みトマト&スクランブルエッグは,特段に上等なものではない。トマトがやや多めですけど,まあ中国では一般的な,安心して食べれる西柿西鶏蛋です。ゆったりとした嫌味のない卵の甘さとトマトの酸味。
 長インゲン豆の唐辛子炒め。これ,確か前も食べた記憶はえるけれど──これに参った。やはりこの「ささげ」という食材は素晴らしい。辣子鶏のチキンの代わりを十分にこなしてる,どころか,主観的には辣子鶏より旨いぞ!きりりとシマッた辛味と重く低音の豆の甘さが絡む。

▲長インゲン豆どアップ

回は何に参ったって,この辣子長豆と西柿西鶏蛋とのとりあわせです。
 辣→甘→辣→甘。あるいは,両者の後ろにある素材の甘さの,豆→卵→豆→卵という変化が心地好い波になってるんだろうか?それともトマトの酸味と唐辛子との揺れが好いのか?
 凄い取り合わせで膳を作ってしまった。これは箸が止まらない。

上海駅で「Janeじゃん!」

▲要変美,伐美莱──美しく変身して美人を誇れ

037,上海駅。
 明日8時半過ぎの鎮江行きが買えた。上海駅の有人切符売り場を探すのに戸惑ったけれど…今や自販機で皆さん購入する(IDカードを持たない外国人は変えない)ので,有人側の方が人は少なかった。ただし,鎮江 Zhen4jiang1の発音が,やはり一度目は「那里?」と聞き返されてしまった。「ジェーンじゃん!」と覚えよう。
 ということで明日は7時起きとなる。

宿・西蔵路錦江に向かう。
 1号に飛び乗り南へ取って返し,2100,8号乗り換えで2駅,老西門へ。
 いや時間かかるもんやね。2107,ようやく老西門に着く。さあこの時間には──宿より先に中華路を南へ。あっ!

はっきり言って変な味

▲桃酥屋さんは開いてた!

いてた!
2130読酥世家
爪子餅200
笑泡200
 ここ22時くらいまで開いてるんだろか?こんな時間にまだ客がわんさかたかってました。
 並んでる間に残りを見て決めた品を手に,J1に入る。
 以前にも食べたシュークリーム。と言っても全然シューじゃない。クッキーシューでもなく,ふやけた薄クッキーみたい。でもこれに入ってる変なサワークリームみたいなのが,なぜかこの「シュー」に無茶苦茶に合う。前回の初食時は「何だこりゃ?」だったけど口に慣れたらここでしか食べれない味になりました。

▲ひまわりの種桃酥とシュークリーム

子餅は予想通り全然「餅」じゃなくて桃酥に爪子,つまりヒマワリの種がまぶしてある。
 中国人がガリガリかじってるアレです。桃酥にヒマワリ,これもここでしか食べれないだろな。
 しかも,ラードのしつこいクッキーに扱い慣れたヒマワリの軽い味を埋め込んだ,重軽のコントラストゆえなのか──はっきり言って変な味。
 まだ旨いとは思えないけど,ゆっくり残りを味わっていきたいと思います。
 明朝は早い。眠ろう。

■メモ:徐州会戦予習録

 今回,こともあろうに「日中戦争」(井上寿一,副題「前線と銃後」講談社学術文庫,2018)という文庫を携行してる。
 各地で事物に触れるに,中国で未だにテレビから消えないこの出来事を,自分が知らなさ過ぎると気づかされたからです。
 その中で,今回向かう淮水域で最も著名な戦闘は徐州会戦。中国軍60万を日本軍20万が包囲しようとして,中国側が黄河を氾濫させて撤退したという経緯。どこかで聞いた話だと思ったら,開封での氾濫作戦がまさにこのパターンの話でした。
 秀吉の水攻めどころじゃない。とんでもない環境破壊をやって,日本軍を食い止めるのに成功した,という点では,日本はしてやられた訳です。同時に,山東と浙江の地域戦だった日中戦争が,「面」の局面に展開していったという点では,まさに中国側の思惑通り。あの広大な「面」で,中央の腰が砕けたままの日本側が勝利する目は事実上なくなった。そういう重大な転換がここで行われてる。
※ wiki/徐州会戦

 参謀本部では1938年夏までは新作戦を行わないという方針を固め、2月16日の御前会議で天皇の承認を得た。一方、黄河の線まで到達していた北支那方面軍と南京占領後停止していた中支那派遣軍は、津浦線(天津―浦口)を打通して南北の占領地域を繋げることを要望していたが、参謀本部には認められていなかった。
 参謀本部の方針は、1938年内は作戦を休止して国力を蓄積し、1939年以降から大作戦を行うという長期持久構想だった。現地軍はこの消極的な方針に不満を持っており、参謀本部の河辺虎四郎作戦課長は現地に赴いて説得に努めたが納得を得られなかった。

 またしても現地軍と東京との意見の相違があったらしい。
 北支と南京の占領エリアだけでも十分日本には重荷だったろうに,これを「打通」するということは,黄河-淮水-長江の下流域全体を占領下に置くことになり,まさに面への本質的な転換を意味する。そんな重大な転換が,「現地軍の理解を得られ」るかどうかで決めてしまってるところに,当時の日帝のガバナンスの決定的な欠如があります。

 中国軍は第5戦区司令長官李宗仁指揮のもとに、野戦軍約40万から50万人の大兵力を徐州付近に集結させていた。徐州は津浦線と隴海線(蘭州―連雲港)の交差する地点でかつ山東・河南・安徽・江蘇四省の戦略・交通上の要衝である。

 中国軍側は,徐州,つまり淮水域で戦闘する構えだけは取っていて,実際にもそれは可能でした。にも関わらず──

 中国軍主力は徐州から南東に向かって江蘇省北部の湖沼地帯に退却した後、日本軍の包囲網を突破して西方に脱出した。躊躇せず徐州を放棄したことにより、損害は上海-南京戦のような全面的潰走に比べ遥かに少なく済んだ。

 これはもう常識的な戦争のやり方ではない。独ソ戦でのソ連とも違う。中国側は全く新しい「弱者の戦争」にこの段階から入ってる。
 これに対して「勝った勝った」と浮かれてた日帝側は,本当にこの質的転換を理解してなかったんでしょうか?

 このまま京漢線の要地(鄭州・新鄭)に日本軍がたどりつきまっすぐ南下すれば、漢口が脅威にさらされる。そこで第1戦区副司令劉峙は、司令長官程潜に対し「黄河氾濫」によって日本軍の動きを止めることを進言した。6月4日、蒋介石の承認を得ると、中牟北方の三劉寨付近に部隊を送り堤防爆破の準備に取り掛かった。第14師団は6月5日に開封を占領、一部の追撃隊は6月7日に中牟を占領した。この日の夜、中国軍は堤防を爆破したが黄河は氾濫しなかった。このため、更に西方の京水鎮付近・花園口堤防を6月9日に爆破したが、これも効果無しとみられた。しかし6月11日、未明からの大雨で黄河は増水し、夜には三劉寨の破壊口から濁流が溢れ出した。

 ただ,中国側が余裕を持って退却戦をしていたかといえば,違うようです。
 彼らも必死に,ほとんど鬼になって中原の要地を水没させる非情の策を採ったのでしょう。

 まだ本格的な雨季に入っておらず、11日の雨で一時的には氾濫したが、その後は晴天が続いたため暑さで水が蒸発してしまった。徐州まで浸水させ日本が津浦線を使えなくなることを期待していた中国側にとってその軍事的な効果は小さかったが、日本軍の前進をくい止めることには成功した。

 開封と同じく,この決壊策も基本的には失敗で,国土を荒廃させただけだった,ということになります。

 徐州作戦の結果、津浦線の打通によって日本軍は南北の連絡が可能となり、隴海線の開封以東も確保した。

 ……とは当時の書籍にもよく書かれるけれど,面としての占領地支配は「スカスカ」になっただけなんじゃないでしょうか?

 しかし、包囲殲滅という目標は達成できなかった。大本営は、第13師団の暴走により包囲網が崩れたと評したが、作戦目的には曖昧さが残っていた。日本軍の兵力は中国側のおよそ3分の1であり、広大な戦場で包囲作戦を行うには兵力が足りなかった。

 包囲作戦も行えないということは,占領地の統治を行うことも当然できない。そういう計算を,現地軍はまず行えてないだろうけれど,東京中央も出来てなかったんでしょうか?

 蒋介石は、徐州に兵力を集結させ、そこへ日本軍を引きつけさせることで武漢防衛の時間を稼ごうとしていた。黄河の決壊で日本軍の追撃が止まった頃、蒋介石は武漢にある政府機関や大学などを奥地の重慶や昆明へ避難させるよう指示した。大本営は徐州作戦のころから漢口の攻略を予期しており、6月15日の御前会議で武漢作戦と広東作戦への着手が正式に決定された。

 つまり徐州での黄河決壊段階で,蒋政府は既に重慶に籠るデザインを整えてる。
 日本側は,よく言われるように武漢三鎮占領で日中戦争が終わると思っている。
 グランドデザインの構築のレベルで,既に強者・日本はかなり決定的に敗北してる。この構図は,太平洋でも繰り返された同じものに思えてなりません。

■実験:金楯支配域ネットへの移行

 この時,日本SIMから聯通つSIMへの切り替えを少し変わった形で行ってます。通常のネット下では成功するまともな判断に思えますけれど──どうも失敗してます。
 何が原因なのか未だ分かりませんけど,おそらく,中国SIMは機内モードなどネット未接続の状態でも何かのチェックを行っているように思えます。
[日本出発直前]
「1542離陸直前,フライトモードのままで電源を切り,聯通SIMに入れ替えた。電波が出てないわけだから問題ないはずだけど?上海,金盾支配域に入ってからモードを解除しよう。さあ果たして今回はすんなり繋がるかな?」
[中国入域後]
「1755やはり繋がらない。ネットワークに登録されてるのにインターネット接続できないのである。」
「1813Boingoという謎のWifiに繋がった!
 1821いきなり百度百科が来た。微信も来た。百度地図も来た。ただ離線地図だけ既存のDLが来ない。
 つまり,Wifiのどれかで一度繋がるか,単に時間を与えれば繋がるらしい。
 ただ,現段階ではまだWifiを切るとネットから絶たれる」
 ただ,次の点があるから,単に料金滞納状態だから接続が妨げられていた可能性もあります。
「また聯通の料金がマイナスになってる。
 微信のチャージがアイデンティティエラーで弾かれる!
 1913磁浮。この車内はWifiなし
 宿に着いてからじゃないとどーにもならんか。」
 ただ宿で疲れて寝てしまったので,この問題は翌日に持ち越されてます。さてどうなることやら。

2255よし,電話料金がやっと微信で払えた!Wifi接続が必要で,かつその前に部屋番号登録が必要で…と一つずつ潰していくことになった。まだWifiなしでネット接続できる1月の状態になってないけれど,それは電話料金滞納がないことが確認された後になるのだろう…か?
ただ,離線地図がDLできたからもう当面の町歩き上の心配はなくなった。

「/※5411’※/Range(上海).Activate Category:上海謀略編 Phaze:西蔵路スタート地点」への2件のフィードバック

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